第29話⁂汚い手口!⁂


 この横浜永真遊郭は1877年から1958年まで存在した色街。

 横浜にあった遊郭街は、3回の移転を繰り返して4か所目に出来たのが永真遊郭で4つ合わせて横浜遊郭とも言われている。


「オイ!真っ裸にしておしまい!そして使用人達が食事を取る大部屋に恥ずかしい恰好で縛り付けて放置しておきな!」


 楼主の妻で内儀のかよが、遣り手に命令している。


「アッハイ!」


「ワァワァ~~ン😭ワァワァ~~ン😭お許しください!」



「かよ~?なにもそこまでやる事は無いじゃ~ないか~?」

楼主の一が、客の付かない遊女を残酷非道に折檻している妻を、怪訝な顔で注意をしている。


「お前さん何言ってんだい~?野放しにして置いたらこの遊郭は、商売上がったりだよ!フン!こんな事を野放しにしておけば舐められて働かなくなる!」


 遊女によっては男性客がつかず、時間を持て余す遊女もいた。これを『お茶を挽(ひ)いている状態』という。妓楼(遊女屋)にとって遊女が時間を持て余し、お茶を挽くのは『利益を上げていない状態』なので、この状態が長引くと折檻が行われた。


「オイ!遣り手はどこだ?ただ飯を食わす訳にはいかん!ここで間に合わなければ、切見世にでも回せ!」

 *遣り手

(年季が明けた遊女で、遊廓の表も裏もすべてに通じている。禿〔かむろ〕をしつけたり、遊女に性技や客のあしらい方を教えたりと、仕事は多岐にわたる)


 *切見世

(江戸吉原には最下級の女郎屋河岸見世と呼ばれる、格安な見世がひしめいていた。同じ吉原の区画内でありながら、西河岸と羅生門河岸には、遊郭とはまた別の異質な別世界があった。この格安な河岸見世のなかでも、もっとも格安なのが、切見世(局見世ともいう)と呼ばれる形態の見世だった。

切見世の揚代は一ト切(ちょんの間、時間にして約十~十五分)が百文だった。

また、切見世という形態は、私娼街である岡場所にもあった。)




 横浜の永真遊郭に有る相川楼は格式の高い遊郭だが、ここ永真遊郭には色んな女郎屋が軒を連ねている。


 この相川一は、裏手に切見世も経営していて『お茶を挽(ひ)いている状態』の娘を裏手の格安な、切見世で酷使させていた。

その為客の回転が速く、過労と梅毒等で早死にする娘が続出した。


 また、仮病を使って仕事を休もうとする遊女や、優良な男性客の機嫌を損ねてしまった遊女に対しても残虐な折檻が行われた。

これも遊女が妓楼(遊女屋)に対して不利益な行為を行ってしまった事になる。


「飯抜きだ!オイ!めしを5日間抜け!」


「ハイ!分かりました!」


「アッそれから冷たい水を浴びせ掛けておけ!チッまったく!」


 本当に鬼のような内儀のかよです。


 それでも……折檻をするとはいえ、妓楼にとって遊女は男性客の相手をして利益を上げてくれる「商品」。そのため、折檻で顔や身体を傷つけてしまうことは遊女の商品としての価値を下げてしまうことになるので、顔や身体を傷つけてしまう行為は少なかった。


 これらの行為を行う際、女房(内儀)や遣り手の表情は恐ろしい「鬼の形相」だった。

A氏の先祖は相当あくどい事をして金儲けの鬼となって行った。

 これが後々……?



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