第46話 間違えた感情の終わり
弾ける太陽、輝く海、響く可憐な女性たちの喜声。
現実に戻った俺は建て終えたテントの中でぐったりを目に焼き付けた。
「お疲れ綴琉君」
「お疲れ様ですヒロさん」
ヒロさんから頂いたペットボトルのお茶で喉を潤しながら彼女たちを眺めた。自分に似合った水着を着て、海で楽しそうにはしゃぐ彼女たちは眩しくて、やっぱり自分は場違いなんだと改めて認識する。
それなりに人がいる砂浜にも海にはも見目麗しい女性やイチャイチャするカップルが多く、男性二人だけという華やかさに欠けた集団はいない。向こうでサーフィンをしている人たちは別だ。
それにしても、こんな真夏で陽光がガンガン当たる海辺でイチャイチャするな。暑苦しい、鬱陶しい、節度を守れ、非リアを慮れ。
と、脳内で叫べども彼ら彼女らは如何に自分たちがラブラブなのかを見せつけまいと腕を組んで太陽よりも眩しい笑顔で笑い合う。
見ているこっちが恥ずかしいし、そこまでされたら羨ましいとは思えない。
なんなの、海には魔力でもあるの?
「カップルばっかりだね」
「そうですね。ヒロさんはいないんですか?」
同じ仲間だったらいいのにな~という浅はかな愚考する俺はやっぱり醜くくて、だからヒロさんの言葉は輝いて見えた。
「いるよ。気づいてもらえないけどね」
彼の視線の先を辿ると、レイナたちと一緒に楽しそうにうっきゃうっきゃしているクレナが視界に収まった。紐式の黒のビキニを大胆に着こなすクレナは、その張のある胸を惜しげもなく見せつけ程よい筋肉で引き締まった腰回りやお腹は艶美を醸す。それだけ見れば強美人であるが、サングラスをしている分ハリウッド女優さながらに美貌を進化させていた。興味のない綴琉でもおーと感激せざる負えないほどには強烈で鮮烈な美女だ。
「彼女は綺麗で強いんだ。だから、僕を必要とはしてくれない」
「それは日常的なことですか?」
「そうだね。音楽は僕とクレナ、楓の夢だから当然なんだ。……でも、それ以外、僕はクレナに近づけないんだよ」
それは一種の線引きに思えた。ある一定の領域のみに接触を許し、それ以外を規定としてパーソナルとして相手を拒む。ある種、一番人間らしい在り方だ。判別や区別が己に対しても他人に対してもされている。社会と家にきっと似ている。
けれど、それが常識だということはもちろん、ヒロさんも理解しているはずだ。
「告白、したんですか?」
「してないよ。したらきっと壊れる。何もかもが消えるからね」
「…………」
「今の僕で受け入れられないのに、告白したところで無意味なんだ」
「それは……」
「わかってるよ。言わないと伝わらないって。……それでも、僕にとっても譲れないものがある。だから、僕は中途半端なんだ」
ああ、彼の言ってることがすべて自分に返ってくる。彼の懺悔も奮いも歯噛みも全部、俺と一緒で何ら変わらない。
言わないと伝わらない。それでも譲れないものがある。ゆえの中途半端。
それでも、俺よりもずっと彼のほうが生きている。全然中途半端なんかじゃない。
「中途半端なんかじゃないですよ」
「え?」
「確かに言わないと伝わらない。俺にも覚えがあります。俺は言いたいのに、怖くて言えない。ヒロさんと同じで関係性とかを壊してしまうんじゃないかって、思って……でも、俺のは甘えなんです」
「…………」
黙って聞いてくれているヒロさんい感謝しながら、俺はきっとシミュレーションとして頑張って言葉にする。
「ヒロさんは譲れないものがあるって言いましたよね」
「うん。そうだね」
「なら、その譲れないものがあって、だから言えないんなら、きっと間違いじゃないですよ」
「そうかな?」
「そうです。だって、ヒロさんは明確な意志で譲れない答えを持っているんですから。だからきっと、自分の意志である限り大丈夫です」
「…………意志、か……」
「……俺は意志もなくて、完全なわがままで言えないんです。言わないといけないのに、どうしても怖くて言えない。誰かと本気で向き合うのが、こんなにも恐ろしいことなんだって、初めて知りました」
結局は意志のない亡霊みたいな俺が悪い。考えもないくせに、慮ることもできないくせに、のうのうと他人に甘えてのうのうと自分を許して、のうのうと罪という咎を基盤に身勝手な贖罪に取り縋っている。
感情でしか何もできないなんて、それは人間などでは最早ない。
「俺は人間でいたい。だから、話さないとダメなんです。意志がないから、夢も価値も意義とか意味もないから、せめて抗うことだけは向き合うことだけはしないと」
せめてだ。これらすべてせめてもの懺悔。七歌のように後悔しないなんてことはできない。後悔に後悔を重ねた上でまた何度も後悔する。正しいと思えなくて、間違いではと何度も振り返った、その度に自分の過ちを見つける。何度も何度も……だから、意志がなければ後悔しないで済む。思案するから正しさを上書きできない。いつだって間違いばかりに反省している。だから、せめて失いたくないのであれば向き合え。今はそれだけでいい。けど、それくらいはしろ。きっと、楓もそう言うだろうな。
「なんか、すいません。こんな晴れやかな海でする話じゃないですね。それに脱線してしまって」
「別にいいよ。綴琉君の貴重な意見だ。丁重に考えるよ」
「丁重って、俺と比較しただけです」
「自分と比較できる人はなかなかいないよ。だって、みんな誰かに劣りたくないからね」
そう言ったヒロは立ち上がり手を振っているクレナの方へと駆けて行った。
彼の言葉を聞いて思い出した。人間はみんな〝特別〟を欲している。
詠美先生の言葉は案外に誰しも抱えている問題なんじゃないかと思った。
そんなことを考えていると太陽が遮られ影を覆う。視線を上げると夏にして色白な玲と紫雨野さんが見下ろしていた。
玲はブルーのホルターネックビキニにパレオ風スカート。身長の高さとクールな装いが花という美貌を更に引き上げ、スラっとした手足が優美に魅せる。スカートの合間から見える白く長い脚は煽情的だ。どこかの国の姫や踊り子のようにも、玲の美しさは完美だった。
紫雨野さんは白のワンピース、Vネックのキャミソールのスカートはラップスカート風。お腹周りがカットアウトされておりすべすべなお肌が晒されている。ギリギリにおへそが見えないのがなんとも切情的だ。Vネックからクレナほどではなきが高校生としては惜しむべきではない成熟した胸の谷間が強調される。
二人の美しさに思わず見惚れていると、玲はさっと自分の胸を両腕で隠す。
「何か言いなさいよ」
「あ、ああ。二人ともすごく似合ってる。すごく、美人だって思った」
「…………」
「ふふふ、夜乃君は口が上手ですね」
「紫雨野さんは大人過ぎます」
「…………えっち」
「違うから⁉いや、違わないかもだけど……その、綺麗ですから」
「ふふふっ、夜乃君は面白いですね。自分の言うのもなんですけど、あたし結構体に関しては自信あるんですよ」
「そうでしょうね。紫雨野さんに迫られた男なら誰だって靡きますよ」
「それはあなたも?」
「…………ノーコメントで」
「そうですか。楽しみにしてしてますね」
何をとは訊けない妖しげな紫雨野さんに、俺は頷くしかなかった。すぐさま視線を逸らして海の方へ向けると七歌が俺に手を振っているのがわかる。あまりレイナや七歌と一緒にいるのはどうか心苦しいけれど、俺の勝手な都合で彼女たちを残念にさせるのは罪悪感で死にたくなるもの。
手を振り返して歩き出そうとすると、ちょこんとパーカーの袖を引っ張られた。
振り返るとほんのり赤くなった頬をした玲が自分の腕を抱いて、息を吐いて俺と対峙した。
「……あなた」
「はい」
強い語調に思わず敬語になってしまう。それを訝しそうにする玲だが、然して気にしたようでもなく俺に言った。
「あなたは私の水着は好き?」
「…………はい?」
一瞬なにを訊かれたのかわからなかった。けれど、彼女の言葉を咀嚼して、その意味を思考してもやはり結論は同じ。
「だから、あなたは私の水着が好き?」
「えー……好き?なほうだと思うけど……」
何故の質問なんだ?まったくとして意図が読めない。けれど、玲は「そう」と呟いてもやめるつもりはないらしい。
「じゃあ、私と花の水着姿、あなたはどちらが好き?」
「………………は?」
今度こそ意味不明だ。紫雨野さんだって苦笑いしているし、理解できない。玲が何を求めているのかさっぱりわからない。
「えーと、玲と紫雨野さんの水着姿ってこと?」
「ええそうよ。早く答えなさい。レイナたちが待ってるわよ」
誰せいで待たせてるんでしょうね。
とは言わず、とにかく二人の違いを観察する。スレンダー体質な綺麗な玲とグラマーな妖美な紫雨野。
なんとなく、玲が何を気にしているのかがわかった。これはすごくデリケートな質疑なので、直接的な物言いは殺される可能性がある。
故に知らない振りをするのが一番。
「玲は綺麗だと思う」
言えません。恩人の紫雨野さんを落すなんてできません。
この曖昧に怒るかと冷や冷やする俺だが、玲は少しだけ恥ずかしそうに「そっか……」と自分の身体を見下ろしている。その間に俺は「じゃあ、あっち行ってくる」と逃げることに成功。
二人に見送られながら、気まずさすら持ち合わせずにレイナと七歌、クレナとヒロのところに小走りで向かった。砂の咬む感触が嫌にサラサラだった。
大丈夫。成長期はこれだからだから。
玲と花さんと綴琉が話している姿を私は眺めていた。
きっと彼は水着の感想を恥じることなく伝えているのでしょう。けれどその姿はどこかツギハギしていて、まるで彼みたいじゃない。いつもの彼だったらあそこまではきはきしていないはず。だけど、実際はそうじゃなくて、ちゃんと求められた感想を言葉にしていてその表情もどこか嬉しそうだったりする。
少しだけデレているのでは、と嫉妬心?みたいなモヤモヤが胸を押し上げるが、波の体当たりが私を平常に戻す。
「どうしたのレイナ?」
水中を覗いていた七歌の声にはっとなって首を振った。
「なんでもないわよ」
そう言って彼女の水着姿を確認してしまう。
フリル付き赤色のオフショルダーとビキニパンツは七歌の可愛らしさを極限にまで引き上げていた。小ぶりな胸をカバーし、それでも桃色の髪と同系統の赤が可憐な花のようにみせそのみずぼらしさが彼女の魅力をぐっと立たせる。贅肉一つもない白く細い脚や腕、きゅっと引き締まった曲線を描く腰がほんのり色気を醸す。
同性の私でも思わず声を上げてしまったほど。それに加えて初めての海での童心的笑顔は心に来るものがある。
それに比べて私はどうなのでしょう。
シンプルな水色のクロスホルタービキニにカーディガン。自分の身体に魅力がないとは思わない。高校生らしく発育した胸も筋トレで引き締めた腰やお腹周りや揉み足も、決して恥じるような体形ではない。海で遊んでいるときにナンパされそうにもなった。自分の身体に視線も感じている。私自身、自信をもって魅力的であると断言できる。
けれど、どうしても誰かと比較したとき、私の魅力は彼女たちに劣っているのでは、と思ってしまう。
皆スタイルがよくて人当たりもよくて素敵な人たち。だから、彼女たちが綴琉に褒められている時、私は私に自信が持てなくなる。
今だ好きだという感情が醜いほどに劣情に陥れる。ただ、好きなだけなのに。
「ねえレイナ」
いつの間にか私の目の前から見上げていた七歌にびっくりする。
「ど、どうしたの?」
そんな私を不思議そうに首を傾けた七歌は、一歩下がって海の遥か先へと視線を移した。私も釣られるように彼女と同じ方向を見る。
午後二時の太陽光が水面を照らしキラキラと反射させる。それはまるで星屑のようで、けれど私には黄昏と同じような感慨に落ちて見えた。
「レイナは知ってたの……綴琉が迷ってるってこと?」
「——っ」
息を呑んで口ごもってしまった。
「別にレイナを責めたりはしないよ。だって、言えないことも、あるもの」
「…………七歌」
その抑揚はいつしかの懺悔を想起させ、内で刻まれた痛みを確認しているかのよう。間違えないために、傷つけないために、後悔しないために。
(ああ、七歌は本気で私の友達になってくれてるのね。……私と本気でぶつかって、偽りのないちゃんとした友達でいたいって、思ってくれている。なら、私も。私もちゃんと話さないとダメね)
そう強要したのは私で、そう説いたのも私。だから責任は私にある。七歌が信じてくれた友達の在り方を守る責任がある。
「私のせいなの」
「え?」
「私が綴琉を苦しませているわ。この拭い切れない感情をどうしても抑えられない。……彼に言ったの。どうしようもなく愚かなことをね」
本当に愚かな感情だった。あってはならない秘匿とするべき欲望だった。消し去るべき涙だった。
それでも、言わずにはいられなかった。たとえ苦しむとわかっていても、受け入れられないと理解していても、彼を苦しめるのだと知っていても、ダメだった。
彼のあんな顔を見たら、どうしようもなく唯一のひととして傍にいてあげたくなった。
「私のエゴなのよ。終わらせないといけない関係性を、私が無理強いしているのよ。勝手な欲望を押し付けたわ。だから……彼が悩んで苦しんでいるのは私のせい。私が彼を苦しめているの」
醜いくらいの欲望と自分勝手な清算だ。
偽りも虚勢もない。ただどこまでも執着した盲信だ。理性と倫理に呑まれてなお生き残った道徳的に壊滅した恋心。
この結末はきっと間違っている。始まりが既に歪であるなら、その答えもまた歪でしかない。間違えたプロローグは誤ったエピローグにしか辿り着かない。だから、無理矢理にでも完全に間違ってしまう前に終わらせないと。
七歌は私の要領得ない言葉に神妙に眉を寄せ、必死に答えを探す。
これ以上は言えないと、私は口を噤んだ。話せるすべてを曲がりくねってそれでも伝えた。楓さんのように、吐露することはできない。だって彼女は年上の尊敬できるお姉さんで、七歌は大切な友達だから。
「つまり、あんたは弟が望まない答えを出したってことね」
サングラスをおでこに乗せたクレナの言葉に私は頷いた。
「その答えって……?」
不思議そうに訊く七歌だが、私はそのことどうしても話すことはできない。どうしても伝えるなど御免被る。私の何も言えない姿に、クレナははーとため息を吐いた。
「ルナ。それはレイナと弟の問題だ。アタシたちが首を突っ込んでいいもんじゃないよ」
「そ、そうなの……?」
「ええ。ごめんなさい。ちゃんと終わらせたら言うわ。……だから、貴女は綴琉を心配してあげて」
「……それでいいの?」
「ええ、貴女がいないと彼は壊れてしまうわ」
目を大きく見開いた七歌は、ぐっと口を引き結んでこくりと強く頷いた。未来の約束に一先ず安心する私はきっと間違っている。それでも、彼と彼女の始まりが正しくあるように、私は私だけを貫く。信念を曲げないで、この生き様を誇れるように。
小走りで近づいてくる綴琉に七歌が大きく手を振る。
もう、彼女の中では使命に燃えているのだろう。
だから、私にはどうしようもないほどに眩しかった。
「終わらせていいのか?」
そんなクレナの最終確認に、私はうんと頷く。
「これが正しい結末なのよ。きっと——」
七歌の水着を褒める綴琉を横目に見ながら、そっとクレナの後ろに下がった。
やはりいつもと違うどこか楽しそうな彼に、私は崩れそうになる頬を引き締めた。
「おい、弟。アタシはどうだ?」
「俺の代わりにヒロさんが言ってくれますよ」
「ちょっと⁉綴琉くん!」
「じゃあ、存分にアタシを褒めるんだな」
そんな会話の外、目線の合った彼は気まずそうに「似合ってる」、と一言だけ私にくれた。
ああ、どうしようもなく恋しいのに。どうかなりそうなほどに愛おしいのに。きっと、間違った感情だから。
私は「ありがとう」とせめて笑ってみせた。
綴琉は少し照れて視線を外す。それ以上彼は何も言わない。合うはずのない視線が幾度と重なり、不自然に彼は私を避ける。
けれど、気にしてくれる素振りが、ほんのり嬉しくて、でも悲しくて、夕暮れ近くまで遊んだ記憶は沫のように海に引き締めた。
いつか割れると知りながら、夕焼けを眩しいと私は海に背を向ける。
明日、私はこの恋心を嘘に変えるわ。この歪んだ恋を終わらせるの。
それがせめてもの彼への赦しなのだから。
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