第13話 恋熱と心熱に脅かされた切なさ

「ねえ、貴方とルナがバンド組むって……ホント?」


 次の日の昼休みに別塔に無理矢理連れてこられたと思ったら、始めの一言がそれだった。

 無理矢理昼休憩を失くした謝罪も前振りもない。けれど、それすらもレイナの一面か、礼儀を欠けるそれほどに重大なことなのか。言葉を咀嚼して軽く当たり前に頷いた。


「ルナから連絡入ったんだな」

「ええそうよ。で、ホントなの?どうなの?」

「ルナがそういうならホントだろ。俺とルナでバンド……まー俺は作詞だけだと思うけど……」


 楓の影響でギターの簡単なコードとピアノが素人程度に弾けるだけ。力不足にも程がある。二人で活動してもいいのだけれど、ライブの生演奏がルナしか出来ないのは響きに欠ける。そして演奏者が借り物であれば猶更だ。理解できない人がやったところでいい物には決してなりやしない。


 動画配信だけじゃダメ。ちゃんと生演奏でお客さんに届けなければいけない。

 それをルナは使命としている。ミュージシャンとしてほり出すことは出来ない。俺も一様ギターかピアノの練習は始めるつもりだけれど、不安は残るもの。そして違わずレイナは不服に顔を顰めた。


「レイナ。そんな顔してたら、せっかくの美人が台無しだ」

「そんな浮ついたことを言う時は、からかっているのか誤魔化しているのかのどっちかよ!てか、変な顔とか言わないで!」


 俺自身を見抜かれたことに萎む心臓が動き出すように鼓動を大きくした。そして何を言ったところで、レイナは釈放する気がないらしい。


「どうして辞めることにしたの?」

「それは……ルナに訊いてくれ。俺が答えるのは筋違いだし、俺は所属もしてないから」

「そうね……。なら質問を変えるわ」


 威圧的に静まる空気を揺らさぬように、レイナの言葉が芯を捉えた。いや、芯で迫った。どうしようもない己の躍動に俺を探しに来る。いや、連れ戻しに来る。朱の射す紅の唇が言葉を形にした。


「——どうして、私たちの所じゃなくて、ルナと一緒に活動するの?」

「——ッ⁉」

「私じゃなくて、ルナを選ぶの?」

「——っ」

「——どうして、私を見捨てるの?」

「————」


 口を噤んだ。それ以外にできることがなかった。


 そうだ。そうなのだ。俺はレイナに『仲良くなろう』と、同盟を持ちかけたのだ。


 それは今回のことと多少意味が違うとしても、これは正しい裏切り行為。だって、恐らくだがレイナの気持ちを俺は理解しているつもりだ。

 確証はない。けれど、周りに殺されて足掻いて逃げてきた俺には、少しばかりの剥きだした感情なら読み取れる。

 レイナみたいにあからさまな態度ならわかってしまう。


 だけど、敢えて俺はこう言う。こう言うしかない。

 だって、俺とレイナは嘘をつかない偽らない関係性なんだから。

 そんな醜く歪ませた関係性の条約を囮に、彼女を切り離した。


「……俺に、お互いに依存するのは、もうやめよう」

「……ッ⁉」


『依存』なんて言葉で表せれるはずがないのに、どうしようもなく怒りで悲愴で瞋恚で穢れだというのに、俺はそう口にした。してしまった。


「確かに、俺とレイナは本心の関係だ。きっと誰よりも心地よくて、認めてもらえる充実感を味わえるオアシスだ。だけど、俺もレイナも度が過ぎる」

「そっそんなことない!何勝手なこと言ってるのっ‼この気持ちは依存なんかじゃ——」


 彼女の叫びを遮った。怖い昏い冷淡な眼差しと声音で。


「——俺は君の『恋人』じゃない」


 言葉が詰まって喉が絶対零度に凍らされる。それなのに臓器は灼熱に暴れまくる。世界が熱を忘れたように感じた。生命の歩みが途絶えたように音が消え去った。全てが地獄と化したように暗黒と痛覚に抱き着かれた。

 私という尊厳、存在、意義、個人が消滅していくモノクロと真っ赤に染まった世界を幻視した。

 綴琉の一言が掻きむしる。フラッシュバックという残酷が、想い出が全て嘘に変えた。


「…………っ……」

「形容できない本心を言い合える、それだけの関係だ。傍にいることを許し合っただけで、強要するものじゃない」

「わっ私はっ!」


 そんな事を一度も思ったことはない。強要なんてしていない。依存なんて馬鹿げている。恋だなんて…………


「心安らぐ時間の共有者だ。バンドでのレイナの夢と俺の目的は違う。俺は君じゃなくてルナについて行く」


 それが決定打。

 私じゃなくルナの傍に——真の意味で『一緒に生きる』ことを決めたのだ。


 それがあまりにも虚しくて、哀しくて、痛くて、苦しくて、怖くて、辛くて、嫌で、嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌でいやでいやでいやいやいやいやいやいやいや——————ッっ‼


 そんな絶叫が私が私を咳止めに、もしくは揺さぶりに来る。取返しのつかない希薄な関係性の最果てまで、追い詰めてくる。そんなものが嫌で、私は吐き散らす。声になりえない情動が喉を焼き殺す。己を歪ます己の真に。


 わかっている‼綴琉は恋人じゃない!私に優しくしてくれるのも、嘘をつかないでいてくれるのも、偽らないで素直に接してくれるのも、全部本当で限りなく関係性の上での欠片なんだってわかってる‼わかってるのっ‼私が願う特別じゃないっ!私が求める本物じゃないっ!私だけへの夕空じゃないっっ‼


「……くっ……ぅぅっ……」


 泣きそうになる。嘆かわしく叫びそうになる。醜く抱き着きそうになる。それこそ求めるものじゃないか。

 どこかで期待していた。私に向ける感情が私の求める『それ』であるんじゃないかと。

 私を見つめる瞳が愛おしい者を見つめる瞳なんじゃないかと。

 私とだけの特別な関係性が、この淡い『恋心』をいつか叶えさせてくれる星華なんじゃないかと。


 私はやっぱり、どこかで思っていた。けれど、思っていただけで、この感情を——『恋心』を、『依存』なんて醜悪に染めていいはずがない。


 例え、恵まれなくても否定されも、拒絶されて終わりを迎えるとしても、私の中の私は叫ぶ。


 だから、否定する。恋する人の言葉を真実の情をもって反撃する。私は無様に成り下がりたくない!


 胸が激しく軋んだ。喉が砂漠でからからにしたような激震と激熱に炙られた。脚の震えも腕の力みも流れそうな色のない雫も、存在なんてさせない。私が私となって、それは全て私の心として、綴琉を弾圧する。


「私の……私の『これ』は依存なんかじゃないっ‼私が貴方を想うただ一つの気持ちっ!それを依存なんて貴方でも呼ばせやしないッ‼」


 怒気の含んだ言葉で綴琉を慄かせて、どこか困ったよう彼は素直に謝った。……誤った。


「悪い。……君の気持ちを汲んであげられなくて」


 それは暗にこう言っているのだ。


 ——君の気持ちには答えられない……と。


 決定的な区切り、拒絶、さようならだ。これから先の目的に向かって邪魔者たる私を排除しにきた。私よりルナを大切としたのだ。割れた、壊れた。砕けた。淀んで、散りばめられて元に戻らない。元の形が思い出せない。


 ここは……魂?ここは……心?ここは……情熱?


 初めて抱いた『恋』というなの熱病。灼熱の灯のような硝子は、恋した相手によって無惨に破壊された。こんな感情を味わったことはない。

 知らない、痛い、苦しい、哀しい、なんなの……なんなのよこれっ⁉


「はぁは……はぁはぁ……ぅっっくぅ……っ!」


 視界が滲みだす。好きだった人の顔が酷くぼやける。まるで防衛本能が対象者を私から消していくよう。それこそ偽りだ。けれど、咎めるなどできやしない。この初めての激痛から逃げ出したい。こんな感情は要らない。死を想起させる感情なんて……まるで、ルナの『歌』のようだ。

 充血していく碧眼を、壊れていく表情を、私の罅割れた姿を見て、綴琉はもう一つ吐露した。それはせめてもの完全なさようならであるように。


 その声は弱々しいのに、核だけはある。今までの私が見てきた綴琉じゃなかった。知らない私が理解できない人種たる異端者の姿だった。


「——『夜明けより蒼』を作詞したのは俺だ」

「………………えっ……?」

「あの曲は俺とルナが初めて作った、俺たちの標で激情だ」


 あの酷く寂しく悲愴で痛哭で、死にたくて消えたい歌を作ったのが……つづるぅ?


 意味がわからなかった。理解したくなかった。そんな悍ましい結論は私の痛みを和らげていく。


「わかっただろ。俺とレイナは根本から違う。君は俺たちを理解できない人間なんだから」


 ——私には理解できないわね。


 そうだ、そう言った。あの日に私は確かに本人たちの前であの曲も作った音楽家も否定した。


 ああ、どうして一緒にやろうなど言えるものか。私が彼と彼女を傷つけたのだ。

 否だ。理解できないのに傷つけたのなどわかるはずがない。


 そうだ!彼が私を傷つけた。私の恋心を踏み躙って、まやかしで騙して、傷つかせた。何も言ってくれなきゃわかるはずがない。知るはずがない。偽る誰かの心を読み取るなどできるわけがないのに。


 だから——


 冷めきった瞋恚の瞳に息を呑んだ彼を突き放した。


「私を最初から騙していたのね」

「違う。あれも俺の本心で」

「うるさい!貴方の言葉はもう聞きたくない!私に近づかないで!話しかけないで!貴方なんて大っ嫌いっ‼私の『これ』は依存じゃない!私を否定しないで!私はっ、貴方が何もわかって…………くっ……っ貴方は狂ってる。狂っているっ‼大っ嫌いッッ‼貴方なんて大っ嫌いッッ‼私の……心を侮辱しないでっ‼絶対に許さないわッ‼」


 大粒の涙を溢れ出して、悲愴と瞋恚の姿で俺を突き飛ばして走っていく。俺から離れていく。

 もう戻らない傷を胸に刻んでさようならをする。


 爪が減り込んでいたのか、少しの血が足元に垂れており、俺の制服の袖にも付着している。これが彼女の傷。いや、彼女が残したマーキング。俺の過ちを忘れさせないためのナイフだ。


 その日、その時、その場所で、求めるもののために、一つ大切だったものを喪った。


 俺がレイナを殺した。

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