第7話 熱に翻弄されれば痛む心は血を流す

 割れんばかりの歓声が轟く。

 軽やかなステップでビートを摩擦の重熱のようにギターで搔きむしるレイナは、その美貌を熱波に晒される魔女姫のように微熱と激痛に観客を惹かせた。

 ベースの低温で主張せずに支えとして溝を埋めるルナとドラムのヒロのタムタムの連続でAメロへの駆け出しが炸裂した。

 ゴスペルとは違った序奏は苛烈に火花を散発させ、キーボードを弾くクレナの高温のアップとレイナのギターでグルーヴに灼熱の雪に攫われ、吹雪の中で燃えていく。


 レイナの美声が響き渡った。


 青い雲海の天の川のような流れる芯のある音色。誰かの心に清らかに勇ましく怏々しく豪胆な意志の流水な声音がハコ全体を満たしていく。

 満たして浸して、業火の誘う。いや、大火災さながらに濁流の遥かに呑み込んでいく。


 誰しもがその熱に叫んだ。熱すぎる。痛すぎる。震えて笑えて水が足りない。変わりに求めるのは彼女たちの音楽だ。


 熱狂が高まり熱し昂りレイナとルナの歌声がサビを刺激した。滑走路を軽快に走ったAメロを引き継いだ夜空の星々に熱と光をため込ませる夜空の始まりは、一瞬にしてその熱と光をフレアの如く人間を嵐にかけた。


 埋もれるような噴火の歓声が放たれる。

 耐えられない熱量に叫ばずにはいられない。

 苦しく息すた覚束ない眩しさに喉の奥を拉げながら求めずにはいられない。


 強く負けない諦めない力強いメロディーがビッチを抉るようにギターのエッジがはち切れんばかりにダブルストロークが終局へと全身全霊に駆けのぼる。

 抗う歌詞が意志の強い言葉が、それを実現させる声音が俺たち観客の心のずっと奥、臓腑を突き刺す。何度も何度も溢れない血が熱と混じり合い境界を見失うほどに。


 ドラムの連続。キーボードの滑走。ギターのエッジ。ベースの重音。そして、芯のある流れるレイナと夜空の星海のようなルナの歌声。レイナとは違った力強くも切ない儚い淡い蒼の月のような歌声。


 二人の声が重なり合い、この世界を満たし違う世界に転換させる。


 無条理に無意識に無感情に理不尽なまでに創造されて今まさに出来上がった世界への呑み込んでいく。心中にも似た誘拐は優美で焦がして焦がれた。

 彩が絶え間ないほどに網膜を裏側まで引き詰める。

 輝きの幾千が割れんばかりの硝子の破片で突き刺して、それが身体の一部に形成される。

 想いの灼熱が演奏の灼熱と合わさり、自分の体内を巡る血液も水も全てが炎に変換された。乗っ取られ、それが気持ち良くて仕方がない。

 伝わる彼女たちの音にドラムスよりも遥かに鼓動は倍速と強打に翻弄された。


 最後の伴奏と共に一曲目は深く刻み込んで終わりの花開いた。開いた花から物足りない火花の残証が余韻となって俺たちに降りかかる。

 その火花に触れた瞬間、ありったけの歓声が、どよめく黄色い声が、割れんばかりの喝采が、世界そのものに感謝する。

 俺も無意識に手を叩き視線が離せなかった。釘付けになる。レイナにもルナにもヒロにもクレナにも。胸を上下させて赤く灯った熱は雄熱のよう。

 月なんて淡過ぎた。太陽なんて汚かった。イルミネーションなんて排他的だ。そこに残ったのは赤赤しいほどの青春群像だった。

 ギターから手を離したレイナが汗を拭ってマイクを持ち、浅い息とともに語りかけた。


「一曲目、『Shine to the stars』でした。皆さん今日は来てくださってありがとうございます!」

「こちらこそありがとう!」

「最高ぉおおおおおおお!」

「いいぞお前らっ!」


 次々あがる声援にレイナは嬉しそうに笑みする。

 それこそ本当のレイナの笑顔。何よりも力をかけて努力してきた彼女の本心からの笑顔。

 本気で歌を歌い、音楽を奏で、誰かに届けようとしている本物の心。


 ああ、尊い。

 ああ、眩しい。

 ああ、綺麗だ。


 同じ思いを持ちながらも生き方が全然違う。けれど、レイナは一番の後ろの俺と眼が合うと嬉しそうに楽しそうに頬を持ち上げた。そして見たかと言わんばかりに鼻息を鳴らす。

 だから、本心以上の言葉すら足りなく、けれど求めるものに俺が口パクで「最高」と伝えると本当に心底嬉しそうに観客全員に手を振った。

 更に高鳴る声援はライブ会場をいっぱいいっぱいに詰め込む。熱情と激情、喜情と心情。


「今日はたっぷり歌うので最後まで楽しんでください!」


 そうして二曲目が奏でられる。彼女たちの今宵限りの青春が始まる。



 ロックにバラード、カバー曲からオリジナルまで幅広く奏でられる音楽は更に人を呼び寄せて、前のほうはミンチみたいになっている。

 ドラムの打音がリズムを刻み、四小節目でクレナが夜想曲ノクターンを齧ってアレンジしたピアノの独奏が雪解けの来ない吹雪に燃える雲海で響かせる。旋律を撫でるクレナを追うように、ギターとベースがアバッシオナートがロマンスに光らせる。


 音楽が好きなだけの俺でもレイナたちの音楽は時を忘れ、心を奪われ、彼らの世界の潰される。主体は混沌を狭間に客観など意味を為さない。真髄も意識も使命すらもグルーヴに攫われる。

なのにキラキラと限りなく絶え間なく輝き続ける黄金と蒼の海に沈んでいくよう。夜想曲ノクターンのアレンジなのに夜明けが見えてくる。自分を忘れてしまうほどに彼女たちの熱と混じり合った。やはり、どこまでも気持ちよくて息ができなくなる。


 ポップに観客も声を上げた。バラードに誰かのすすり泣きが波紋を打った。ロックで熱気が最高潮に爆発した。

 今いるここは、世界から斬り離れた無数の世界で来ている音の世界。皆吞み込まれ、皆刻み込まれ、皆瞳が離せない。


 そして、終盤がやって来る。


 残り二曲となった時、ボーカルのレイナとルナが位置を交代した。その行動に観客はどよめき、知る者は知る久方の歌が甦る。それが意味するところ、ルナの唯一のオリジナルソング。


 そして——俺とルナの歌だ。


「どうしようもない日常とか、やるせない関係とか。死にたい、消えたい、終わりたいと思っている人に届けたい歌です。いつも通り謳わせてもらいます。じゃあ、ここで、この場所でわたしの歌を聴いてください。——『夜明けより蒼』」


 再び照明が落とされた闇の世界は無音だった。闇そのものでなんら変わりないそれだった。

 キーボードの前奏によって姿を変える。

 生々しい闇?非常な暗黒?無常な夜空?違う。これは——夜明けより蒼い世界だ。

 そして、ルナの歌声が響いた。



 命ある限り人は死んでいくのでしょう

 言葉の祈りにまた誰かが傷ついたの

 見ないふりして、分かち合えないで、それでも明日ばかりは願ってもいいでしょうか

 どこからか聞こえてくる花吹雪

 速足に駆けて行ったさようなら

 凍えそうで、知りたくない、それでもきっと君だけは生きてる

 泣いた空、乾いた夜、弾けた海、目も眩む恋

 愛おしく泣いたんだよ、命ある君に

 さあ、走れ、駆け向け、足掻き、手を伸ばせ

 そして見よ誰かの未来、私だけはここにいるから

 止まれない、消えたくない。それでも死にたいって、願っている

 君は笑顔になれるのなら、夜明けより蒼で待っている



 淡く切ないメロディーが満たしてくる。

 そして訴えてくる。生きるんだと、抗うんだと、負けない、足掻き続けるなんだと。生きるためのこの世界に抗っている。そう、夜明けより蒼の世界で生きる者たちへ伝えている。


 ——わたしは生きている、と。


 そんな歌。そんなメロディー。そんな音楽。何回でも聴いているレイナもヒロもクレナも振るわらせられる。


 この歌こそがルナの激情であり、音楽なんだと。


 歳も本名も普段の生活も何も知らない。趣味や好物なんかは知っていても、ルナを表す形容は知らない。

 けれど、この歌を歌う彼女だけは『本物』だ。

 想いに言葉に音色に全てを誰かへ向けた、誰でもない願望か切願か、それとも叫びのような生き様に、世界が書き換えられる。純粋なまでに炎ではなく蒼の染められる。

 ああ、本物だ。

 誰かが気づき誰かが心を掴まれる夜空のような世界だ。死にたい誰かへ届ける切実な歌。消えたい誰かへ届ける抗いの歌。どうしようもない誰かに届ける心の歌。これは彼女の抗いを示す伝達の謳だ。


(ルナ……。ずっとこの歌だけは手放さないで歌ってる。大切な歌なのね)


 毎回のライブで歌っているわけではない。急遽、この歌を入れると唐突に伝えることが恒例だ。まるで、『誰か』がきたから『何か』があったから歌うみたいに。

 この歌の経緯は誰も知らない。私もクレナもヒロ先輩も知らない。やっぱりルナのことは誰も知らない。だけれど、この歌だけは必死に伝えてくる。


 ——わたしはここにいると。

 ——足掻いて生きていると。

 ——夜明けより蒼の世界で生きる者たちに示してやると。


 横から見る彼女の表情は辛そうで悲しそうで苦しそうで、誰よりも必死に紡いでいる。私には出来ないたった一曲への激情。

 まるでこの歌だけがルナという存在証明のよう。

 けれど、それが絶え間なく美しく絶句など容易く涙は潤みをつくる。キーボードの旋律による長調なバラードでありながら、サビに向かって寂しく叫ぶ蒼を表す。私の悩みなんて比にならない彼女の吐露。


 ああ、どこまでも星がない。星がないのに蒼い夜明け前は誰かの心のよう。静けさと生きやすさと澄んだ世界。きっと、ルナが求めて誰かも求めている世界なんだ。


 私にはわからないけど、私じゃ理解できないけど、でも嫌いじゃない。


 ——夜明けより蒼い世界で生きる者たちへ


 そんなフレーズで演奏は終了した。

 歓声は上がらない。喝采もない。けれど、泣き声も鼻水を啜る音も、苦しそうな息も、感嘆のため息も、煌めく星のような瞳も歓声と喝采の全てだった。間違えることのない感謝だった。

 けれど……その全てがルナの伝えたい想いを受け取って出来上がった感慨ではなかった。ルナの歌はルナの抗いとしては、何一つ本当の意味は誰にも届いていない。


「……ありがとう」


 たった一言。けれど、ここにそれ以外の言葉は要らない。要らないはずなのだ。

 夜明より蒼い世界はいずれ夜明けが来る。朝陽が差し込む。そう、ここでは希望に繋げる歌である。これはルナが残した一つの世界となる。ルナが望んだ世界は上書きされ、歪に作り変えられる。

 だから、言葉は要らない。音楽で十分だ。


 全てを打ち払う希望の明るい未来を奏でる音楽が始まった。


 涙を拭い、顔を上げて、息を呑む。夜明けがきた朝焼けのような光が会場全体を輝かせた。そして、レイナたちもまた最後のオリジナル曲を奏でだす。

 明るい未来へ繋げる。苦しい過去を吹き飛ばす。求める世界に突き進む。ドラムもキーボードもベースもギターも歌声も熱狂も声援もすべてが今宵限りの世界を創造し、そして彼ら彼女らはそれぞの明日に向かって掴み取った。


 そのどこにも『夜明けより蒼』は存在しなかった。それが堪らなく俺の心を斬り刻んだ。深く痛く苦しく殺すように。

 ルナもまた、瞳を閉じるしか出来なかった。

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