第3話 内なる怪物

 小さな溜息を吐き、重い身体を引きずってベッドに腰かけた。神の実在に驚かされた一方で、いまだ信じられないのは触れ合いが人間臭かったからだろう。

 もっと神々しさや感慨深いものがあるとばかり思っていたのに、救済の見返りは信仰との関係性を疑う使いっ走り。

 まるでゴロツキに売った恩を返さなければならない気分だった。


 頬を軽くつねってみると少し痛む。夢では事が確認できたところで、ふとオーベロンが最後に告げた言葉が浮かんだ。


「…ファルニーゼ、ってなんなんだよ」


 頭を傾げて考えてみるが、思考は再びかき乱された。今は庶民派の神様よりもさらに近い、内なる怪物との対話が求められている。


 チラッと辺りを見回すが、他に聴いている者はいない。そもそも会話が通じるか不安は残るが、言葉を発したならば望みは残されている。

 まずは刺激しないよう遥か昔、唯一読んだ“交渉上手の正しい進め方”に沿って、相手の出方を辛抱強く待った。


 1分。2分。

 あるいは10秒と経っていなかったろう。


 いつもならこの時点で沈黙する相手に拳を見舞い、騎士団員の誰かが羽交い絞めにしてくれるはずが、殴る相手が見えなければ、止めてくれる仲間もこの世にはいない。

 過去と現実の狭間に苛まされる間も、さらにもう少しだけ待ってみたが、“頭の中の声”が話しかけてくる気配はなかった。

 しばし考えあぐねた末、小さく咳払いをする。


「…私は、アデランテ・シャルゼノートだ。さっきの会話を聞いていたか知らないけど、アイツが…えっと……神様?に与えられたっていう、お前のおかげで命を救われたのは、その…感謝してる」


 返答はない。傍から見れば不気味なうわ言だが、幸い宿は貸しきり状態。

 店主もわざわざ最上階まで来る事はないだろう。


 意を決して再び言葉を紡ぐ。


「小国の騎士団に所属していたけど、戦帰りに落石で壊滅してな。一刻も早く国へ戻って報告しなきゃならないんだ……考えてみればアイツの…“依頼”?をいつまでに終わらせればいいのか聞いてなかったな。そもそもマルガレーテってどこだよ……なぁ、ソコにいるのは分かってるんだ。ドコにいるかは正直分からないけど、それでも返事くらいはしてくれって。このままじゃ独り言になっちまうだろ?」


 気が狂っていない事を自分に言い聞かせ、頭の中を覗くように天井を見つめる。念のために身体をまさぐってみるが、あるのは自分の見知った身体だけ。


 気のせいであるはずがない。

 オーベロンは怪物と言っていたが、確かに身体を押さえられた時に言葉を発していた。

 最後にもう1度語り掛け、それでダメなら何もかも忘れて国を目指そうと。気持ちの切り替えに深く息を吸い、溜息混じりに吐息を洩らそうとした刹那。


【…からダヲ返せ】


 また、聞くことが出来た。

 腹の底を這い、血管に蠢くおぞましい声を。

 

 驚くあまりに咳き込んでしまい、むせすぎて涙が浮かぶ。慌てて周囲を見回すが、見えない相手に虚空を眺めるほかなかった。


「あ、あ~っと…私は」

【あで…ラン、て】

「そ、その通りだ。お前は…私は今誰と話してるんだ?」

【カラだをかエセ】

「…人の名前を聞く時はまず自分からだ。私は自己紹介したぞ。次はお前の番だ」


 進展のない会話にムッとなり、ビシッと自身を指差すが答えは沈黙で返される。しかしそれ以上追求はせず、静かに様子を見守って再び出方を待った。


 返答に迷っているのか。

 あるいは考え込んでいるのか。

 根拠のない憶測だったが、話を聞いてもらえるだけ“神”よりマシに思えてならなかった。


 もう少し待ってから返事を催促しようとした矢先、再び内なる声が木霊する。


【……貴様ラ、一様に怪物とよブ】

「それは自己紹介じゃなくて総称だろ?私は名前を言えって話をだな…」

【カらダをぉ、返せェぇッ!!】


 抗えない力に再び身体を押し倒されるが、ベッドのおかげで衝撃が分散される。しかし一方的な要求ばかりで、会話が全く続かない。

 現状を打開するには相手を尊重するほかないが、“身体を返す”方法など知る由もなかった。

 恐る恐る怪物に説明を求めれば、ぎこちない言葉が途切れ途切れに返される。



――曰く。


 喰らった相手の姿を奪う怪物であり、それ以上でも以下でもない事。

 最後に覚えているのはアデランテの目を通し、今いる宿の部屋を眺めていた事。

 身体を取り返そうとした所で、激しい痛みが意識を無理やり縛り付けた事。


「……つまりお前もカミサマに捕まったって事でいいのか?お互い面倒な事に巻き込まれちまったようだな」

【…人間、喰らウ怪物。貴様。気にシナい、のカ】

「んっ?怪物と言っても、ようは魔物の一種なんだろ?獣が草を食べて、人が獣を食べて、魔物が人を食べて、死んだ魔物は土や草に還る。もちろん食べられないために獲物だって抵抗はするし、1度人間に手を出せば、その時は魔物も追われる立場になる。逆に人が獣に食べられる事もあるしな。弱肉強食、って言い切りたくはないけど、生きる上で必要なら文句を言っても始まらないだろ……まぁ、所詮は綺麗事だけどな」


 見えない相手に肩を竦める自分を鼻で笑い、いつの間にか解放されていた四肢をベッドに放り出す。しかし直後に内側で声が蠢き、背筋の震えが意識を覚醒させた。


【外、誰かいル】


 咄嗟に扉を睨み、未知との遭遇につい警戒を怠ってしまったが、言われてみれば微かに廊下から気配を感じる。

 足音を立てずに素早く移動し、間髪入れずに扉を開けると、ギョッとした表情を浮かべた店主が床に屈み込んでいた。

 傍目にもやましい事をしていたのは一目瞭然で、訝し気に見つめれば、彼はサッと立ち上がってズボンの埃を払う。


「お、おおおおお客さん。あ~っと、お部屋の具合いは、いかがですかな」

「部屋の前で何をしていた」

「いえいえそんな別に。ちょっと…お客さんの部屋の前が汚れてたら失礼かな~と思って、廊下の掃除を…」

「…素手で床を掃いてるのか、お前は」


 目は泳ぎ、声は震えて挙動不審。呆れる言い分に手を腰に当てるや、突如身体の内側が大きく波打った。

 同時に自分の物とは思えない、唸るような腹の音が響き、脳裏が唾液で溢れ返る。


《ハら減ッた》


 女のものとは到底思えない、無機質な声に店主は酷く戸惑うが、想いはアデランテも同じ。

 直後に喉を込み上げた異物感に両手で口を押さえつけたが、やがて口内に溢れて堪え切れなくなる。ゴバッと一気に吐き出したつもりが、“ソレ”は思いのほかゆっくり。

 まるで海岸から押し寄せる霧の如く、黒いモヤとなって前方へ広がっていった。

 

 そのまま先端は店主の膝に触れ、恐怖のあまり悲鳴すら出せなかったのだろう。反射的に店主が手を払うが、黒い粘着質な糸が指に絡みつく。

 もがけばもがく程纏わりつき、やがて黒いモヤが店主の全身を覆った時。彼の姿は跡形もなく消え、モヤはゆっくりアデランテの口内へ戻り、再び喉の奥へ流れ込む。

 オーベロンに液体を飲まされた時ほどの刺激はなかったが、真綿を押し込まれる感覚で咳き込みそうになる。


「……今、何が起こった?」

【宿の主を喰らった】

「あ゛あ゛あ゛あ゛ーー、聞・こ・え・な・いーー!」


 耳を塞いでも内側から聞こえる声は遮りようがなかった。現実から目を逸らそうとも、店主が消えた事実も変わらない。

 それでも突然露わになった怪物の本性に。不本意かつ唐突に実行犯にされたアデランテは、拳を振り上げながら吠えた。


「なんて事するんだお前はッ!!一般市民を私らの面倒事に巻き込むなッ、というか喰ら…摂り込むな!」

【魔物は人間を喰らう物だと貴様も理解を示していた】

「だからって私の身体でやることはないだろッッ!」

【大部分はもはや貴様の物ではない。それよりも厄介な事になった】

「何言ってるんだ!こいつは正真正銘私の身体に決まって…そういえば足りない部分はお前で出来てるって話だったな。それにずいぶんと流暢に話してるけど、店主を……したのと何か関係があるのか?それに厄介な事って…」

【見た方が早い】


 怒りと戸惑いが入り混じったアデランテを気にも留めず、ふいに視界が歪む。白い濃霧が突然立ち込め、反射的に手で振り払いたくなるが腕は動かない。

 それどころか肩から先があるのかすら判別できず、やがて聞き覚えのある2つの声が頭の中で木霊した。


 1つはアデランテ。

 そして残るは店主の声。


 ふいに霧が晴れると視界には2人の姿が映され、カウンターで鍵を受け取ったアデランテが階段を昇っていく。

 つい数十分前のやり取りを眺めている状況に、理解が全く追い付かない中、突如視点が勝手に切り変わった。


 今度は階段を昇るアデランテの尻が視界に浮かび、男物のズボンを無理やり縛りつけたせいで、整った尻の形が足を上げる度に強調される。

 左右に揺れる様を舐めるように見つめ、まもなく姿が消えても視線は階上の足音を追う。

 3階の扉が閉まるまで監視は続き、やがて弾けるように視点の主が宿を飛び出せば、そのまま町中を走った。灰色の無骨な建物へ一直線に向かい、正面には同じ兵装を着た男たちが佇んでいる。

 すぐに衛兵の詰め所だと理解できたが、その内の1人と目が合うや、視点の主は低姿勢で媚びへつらい出す。


[どうも。以前に手配された騎士様ご一行の事で報告に…]


 おもむろに店主の声が放たれ、衛兵たちは互いに見合わせる。すると屋内に1人が入っていき、程なく厳格な空気を漂わせた男が中から飛び出した。


[話は聞いた…奴らが現れたと言うのか?]

[い、いやね。奴らって言っても1人だけで、それも女の騎士様だったんですわ!おまけにとびっきりの美人ときたもんで…]

[御託は言い。そいつは今どこにいる?負傷は?他の騎士どもが後から来る可能性は?]

[宿にいますけどケガって、別にピンピンしてましたよ…あ~でも左頬にくっきり傷が入ってましたね。古傷でしょうからケガってわけじゃないでしょうが。それに目のアレもケガ、何でしょうかね?まぁとにかく他の騎士様は来れないって言ってたんで、来ないんじゃないですか?]

[…左頬の傷……副団長アデランテ・シャルゼノートに違いない。情報通りだ]


 店主の言葉に何度も頷き、満足そうな様子を見せた男は再び屋内へ引っ込む。次に顔を出した時には兵装に身を包み、背後には数人の衛兵を引き連れていた。


[おら、出発だ。宿まで案内しろ]

[あの~こうして報告したんですから、当然報酬は貰えるんでしょうね?騎士様ご一行で予約が入った時から、こっちはずっと気を張って待ってたんですから]

[はんっ。いつ潰れるとも知れん店を経営して何が気張った、だ。笑わせるな]

[……偉そうに歩くか立つだけの木偶の棒に言われたかないね]

[何か言ったか!?]

[いえいえいえ。衛兵様に守られる一市民として、お仕事に貢献できた事を心より喜んでるだけですよ]


 ぶんぶん首を振るせいで、船酔いよりも酷い不快感が襲う。その間も衛兵の鋭い眼差しを一身に受け、ようやく視線が逸れると安堵感が押し寄せる。

 しかし落ち着けたのは、ほんの一時だけ。


[まぁいい。とにかくその女を宿の外まで連れ出せ。そこで我々衛兵隊は待機し、一斉に捕縛する]

[ひっ!?そ、そんな…勘弁してくださいよ~。女って言っても騎士様なんでしょう?さっき綺麗って言いやしたけど、あの目つきは本物でっせ!?逃げにくいよう最上階に泊めといたんで、お宅らで囲んじまえば済む話でしょ]

[店がもっと広くてボロくなければそうしていた。それに相手は若い女の身と言えど、騎士団をまとめ上げる実力者。そのためにも油断を誘い、念には念を入れる必要がある……お前も衛兵への協力は市民の義務だと自分で言ったはずだろう。それとも何か?報酬もいらず、宿が荒れても構わないと?]

[……報酬は払ってもらいやすからね]


 不愉快そうに答える店主をあざ笑い、肩を落として歩き出す彼の後ろを衛兵がついていく。

 元来た道を戻り、やがて宿の前に到達した彼らは、事前の打ち合わせ通りその場で待機。最後に店主は恨めしそうに衛兵を一瞥したが、到底逆らえる相手ではない。

 あからさまに一息吐けば階段を上がり、忍び足で移動するが段差の軋み具合が酷い。隠密には到底向かない建物だが、3階に到達しても客人が顔を出さない様子から、バレてはいないのだろう。

 むしろ時折聞こえてくる声に、誰かを連れ込んだのかと。ドギマギしながら屈み込めば、ソッと戸に耳を押し当てた――。

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