第12話

 土曜日。午前11時12分。

 県内でも知られた観光地『早馬温泉』に僕たちは居た。


 早馬山の緩やかな坂に沿ってできた温泉街。

 景観に合わせた茶色いアスファルトの道路が特徴的。

 そんな山の中ほどにある温泉街は、都会よりも一足早く秋の色に染まっている。


 温泉街の始点である早馬温泉駅。

 改札を出た僕は長旅の疲れを吹き飛ばそうと伸びをした。

 それを真似して隣の女の子も手を上げる。


「やっと着いた! 遠いんだよ、来るだけへとへとだ!」


 恋人の友人――愛菜さんが天真爛漫に笑う。

 服は裾の広いカーキ色のベイカーパンツにレモン色のサマーパーカー。

 肩からは黒々としたウェストポーチを下げている。

 今日は帽子をかぶっていない。「男の子と勘違いされたくないからね」とのこと。


 なんにしてもばっちりキメた秋コーデ。

 ノリノリのおしゃれ着だ。


 今日はお仕事なんだよね。

 なんだかデートでもするみたいで怖いのだけれど。


「それじゃお仕事よろしくね、ゆーいち!」


「……あぁ、うん。本当に、お仕事なんだよね?」


「そうだよ、お仕事だよ! デートじゃないよ! だから安心してね!」


 僕の腕に抱きついて、愛菜さんがにししと悪戯っぽく。


 分かっていてからかってるなこれ。

 心配して損した。

 とほほ。


 浮気デートを匂わせてくる彼女の友達。そんないたずら娘の腕を振りほどき、ほどよい距離で肩を並べると、僕たちは温泉街へ踏み出した。


 景色を眺め、お土産物屋を覗き、温泉まんじゅうを食べ歩き。

 坂道をゆるゆると歩いてしばし温泉街を満喫。


 そうして、駅から二十分ほど歩いた所で、僕たちは目的地に到着した。


 木造二階建の温泉旅館。

 屋根は瓦、壁は木目の純和風の建物。

 岩と砂と松で造られた庭が温泉街の風情に合っている。


 温泉旅館『中山大正館』。


 綺麗な石畳の玄関に入り僕たちは靴を脱ぐ。玄関を上ったところは板張りの床で、僕たちが乗るとなんとも年季を感じさせる音が鳴った。


 お高い感じの旅館だな――。


 愛菜さんから、僕は「知人の依頼で写真を撮る」としか聞いていない。

 なので、この温泉旅館の登場は正直に言ってびっくりだ。


 いったいここで何の写真を撮るのだろう?


 玄関を見渡してわくわくとした顔をする愛菜さん。

 はじめて訪れる場所への反応のように見える。

 もしかして本当に初めてくるのだろうか――?


 今更だけれど僕は仕事の詳細について聞いてみることにした。


「今日の写真撮影の仕事って、もしかしてパンフレットに使う写真だったりする?」


「しないよ! 私はただのアマチュアだって!」


「……だよねぇ?」


「けど、惜しい所ではあるかな」


「惜しい?」


「まぁ、詳しい話は依頼主から聞いた方がいいかもね」


 ギシギシとまた床が鳴る。

 ただし、それは僕たちの立てた音ではない。


 音につられて顔を上げる。

 僕たちが立っている上がり口から奥へと続く廊下――その突き当たりから若い女性がひょっこりと顔を出した。すぐに彼女は僕たちの方に小走りでやってくる。


「いらっしゃいましてー」


 青地に白色で波模様が入った着物。抹茶色の帯に黄色い帯巻き。

 髪はざっくり姫カット。日本人形を思わせる艶やかな肌をしている。

 身長は僕たちとそう変わらない。

 ただ、着物の袖から見える腕や脚が心配になるくらい細かった。


 清楚系和風美少女。


「愛菜さん、お待ちしておりました」


 彼女は僕たちの前に立つと人当たりのいい笑顔を振りまいた。


 この美少女が仕事の依頼主か。

 けど、どこかで見たことがあるような――。


「本日はどうぞよろしくお願いしますね」


「ゆきちゃん、そんなかしこまらないでよ」


 あだ名にも聞き覚えがあった。

 誰だっただろうかと僕は記憶を探るが、なかなかこれが出てこない。


 悩む僕の前で美少女の背中に愛菜さんが回り込んだ。

 ぴとりとその身体に密着してなんだかしたしげ。美少女も「もうっ!」といいつつなんだか楽しそう。てぇてぇやりとりだ。


 愛菜さんが悪戯を思いついた子供のように笑う。


「さて、ここでゆーいちに問題です。この美少女はいったいでしょうか?」


「今まさに考えているところなんだけれど」


「ヒントはゆーいちが一度会ったことがある娘です!」


「やっぱり会ったことがあるんだ?」


 僕が会ったことがある愛菜さんの友人。 

 となると、どう考えても【全裸女子会】の参加者。

 美琴さん、愛菜さん、そしてカメラを切り忘れた女の子。


 そうか――あの時カメラを切り忘れていた女の子だ!


 美少女が深々と僕に頭を下げてくる。

 手は膝の前、角度は45度。髪の流れまでしっかりと考えられたお辞儀の所作。動きの中にプロの仕事を感じる。


「大聖寺幸姫と申します。本日はようこそおいでくださいました、ゆうちゃんさん」


「あ、はい、どうも」


 彼女は陽佳の友達。

 【全裸女子会】でゆきちゃんと呼ばれていた女の子に間違いなかった。


「すぐにお部屋にご案内させていただきますね」


「お部屋? 宿泊する訳でもないのに?」


 なんだかものものしい歓待にちょっと驚く。

 愛菜さんに「知ってた?」と尋ねれば、なぜか彼女は青い顔をして横を向く。


 なに、その反応――?


 驚きが困惑に変わり、そのまま疑惑に変わりそう。

 もしかして、僕は愛菜さんに何かハメられたのだろうか。


 そういえば、お手伝いの詳細を僕はまだ教えて貰っていない。

 困っているというのでついてきたけど、なんで困っているのか確認するのをすっかり忘れていた。いや、もしかしてうまくはぐらかされたのか。


 もしかしてこれって――。


 疑いの視線を向ける僕。それから顔を逸らす愛菜さん。

 二人の間に流れる微妙な空気をまるで無視して、幸姫さんは感謝感激という感じの素敵な笑顔を浮かべた。


「それくらいサービスさせていただきます。なにせ、愛菜さんにもゆうちゃんさんにも、無茶なお願いをしていただく訳ですから」


◇ ◇ ◇ ◇


 幸姫さんは旅館で一番いいお部屋を僕たちに用意してくれた。


 温泉旅館『中山大正館』鵬翔の間。

 一泊ウン十万円(夕食・朝食付き・個室風呂あり)。


 説明された値段の割には内装は普通な感じ。むしろ小汚いまである。

 逆に普通なのが怖いような部屋で、僕は愛菜さんから仕事の説明を受けていた。

 幸姫さんは旅館のお仕事で離席中だ。


 広々とした座卓の上には愛菜さんが淹れた緑茶。

 茶色い湯飲みに入ったそれはまだ白い湯気が昇っている。


 そんな湯飲みが激しく揺れた。


「入浴写真のモデルだなんて無理だよ!」


 正面に座る愛菜さんに僕は前のめりに抗議する。


「大丈夫だよ。やらしー奴じゃないから」


 あぐらを掻いたボーイッシュ美少女は、とぼけた顔でそれをかわそうとする。


 玄関から引き続き、僕と愛菜さんの間には微妙な空気が流れていた。


 いよいよ明らかになった僕のお手伝いの詳細。

 前回の撮影アシスタントと違って、今回のお仕事は被写体になること。

 撮る側から撮られる側へ。


 入浴写真に出てくるモデル役を僕は愛菜さんから頼まれていた。


 ことの経緯はこうだ。


 ここ『中山大正館』は早馬温泉でも指折りの老舗旅館。

 そして陽佳と愛菜さんの共通の友達――幸姫さんの実家だった。


 老舗と言っても客商売。世相に合わせてアピールするのも重要だ。幸姫さん達は、集客のために旅館のホームページをリニューアルしようとしていた。

 基本的に作業はホームページ制作会社に丸投げ。だが、HPで使用する写真などは、旅館側から「こんな風にお願いします」とサンプルを提出する必要があった。


 今回の愛菜さんお仕事はそのサンプルの撮影。

 そして、その中の一つに――露天風呂での入浴写真も含まれていたのだ。

 なお、サンプルなので撮った写真が使われることはない。写真を参考に、制作会社がちゃんとしたモデルを使って後日撮影し直すそうだ。


 確かに人に頼みづらい内容だよ。

 陽佳に知られたくないのも納得だった。


 そして、僕もやりたくない。


「助けてあげたいけど。流石に入浴写真は無理だよ」


「いいじゃん、別にサンプルなんだから」


「そういう問題じゃないでしょ!」


 ――またヌードやん。


 僕は額をパシリと手で叩く。

 どうしてここ最近、僕は全裸に縁があるんだろう。


 美味しい思いもさせて貰ったけれど、そろそろ勘弁して欲しいよ。


 額から手を放すと僕は愛菜さんの淹れてくれたお茶に口を付けた。ほどよく冷めたそれは、先ほどよりちょっと苦みが強くなっている。


 正面に目を向けると涙目の愛菜さん。

 説得が空振りに終わった彼女は、泣き落としに作戦変更したようだ。湿っぽい視線とその表情。膝もなんだかこれ見よがしに崩して女座りになっている。


「お願い。こんなことを頼めるのは、ゆーいちだけなの」


「そんなこと言われてもなぁ……」


「バイト代はちゃんと折半するから! それに幸姫ちゃんがご馳走を用意してくれるんだよ! 温泉も撮影のために貸し切りにしてくれるんだから!」


「それは魅力的だけれども」


 全裸写真を撮られる恥ずかしさにはかなわないよ。


 僕が黙って首を横に振ると、焦げ茶色の座卓に愛菜さんが突っ伏す。

 彼女は「どうかこの通り!」とさらに一押しを仕掛けてきた。


 頼ってくれるのは嬉しいけれど、こればっかりは無理だ。

 湯飲みをテーブルに置くと、僕はきっぱり「ごめん」と彼女の頼みを断った。


 愛菜さんが突っ伏したまま無念の声を上げる。


「というか、愛菜さんは僕の裸なんて嫌じゃないの?」


「えぇっ⁉ それは、嫌じゃないかと言われれば、その……」


「ほら、やっぱり君も恥ずかしいんじゃないか」


 あわてて顔を上げる愛菜さん。

 温泉に入ったようにその顔は真っ赤だ。


 愛菜さんもノリ気じゃないのだから、やっちゃまずいでしょそんな仕事。


「とりあえずヌード写真以外をちゃんと撮って許して貰おうよ?」


 説得は僕も手伝うから不本意な仕事はやめようよ。

 僕は困惑している愛菜さんに提案した。


 愛菜さんが苦々しい顔をした。

 あきらめきれないのかと思いきや、その表情の理由は意外なものだった。


「うぅん、大丈夫かなぁ……」


「大丈夫って?」


「いや、幸姫ちゃんってけっこう頑固なんだよ」


 へぇ。


 幸姫さんは話せば分かるような人だと思っていた。

 実は、そうじゃないのか?


 愛菜さんの視線が座卓に落ちる。

 複雑な顔色で「どう説明したらいいかな」と彼女は呟く。そのまま、前のめりに座卓に腕をつくと、彼女はうじうじと指先で天板をひっかきだした。


「私もさ、上手く言えないんだけれど」


「うん?」


「なんていうか幸姫ちゃんってさ、変な圧があるんだよね。彼女の言うことに逆らえないみたいなさ」


「変な圧ねぇ……」


「幸姫ちゃんの言うことを、なぜかきいちゃうんだよね私たちって」


 急にオカルトな話になったなぁ。 


 なにそれ?

 催眠術ってこと?


 エッチな漫画の催眠術ならちょっとは分かるよ。

 常識改変とか、なりすましとか、人格を変えたりとか、そういう奴でしょ。


 ちょっと信じられない話だよね。


「というか、この世に催眠術なんて存在しないよ……」


「ありましてー」


「……はい?」


 どこからともなく聞こえてきた女性の声に僕は辺りを見回した。

 その独特な喋り方は、間違いなく幸姫さんだ。


 しかし、周囲にその姿がない。

 入り口の襖にも動いた形跡は見当たらなかった。


 部屋のどこかに隠れているのだろうか。

 いや、なんのために?


 そもそも、どうやって部屋に入ったのだろう。

 襖を開ける音はしなかったと思うけれど?


 はて――。


「ここですよー」


 すると、また幸姫さんの声がする。

 今度は不意打ちではなかったので場所がすぐに分かった。


 ただし、聞こえてきたのは正面のテーブル。

 その湯飲みの中からだった――。


「催眠術はありましてー。これこの通り、極めればなんでもできましてー」


「……ち、小さな幸姫さん⁉」


「はい、そうですよー」


 信じられないことに、湯飲みの縁に小さな幸姫さんが腰掛けている。

 彼女はにこにこと微笑んで脚を揺らしていた。


 バカな!

 どうなっているんだ⁉

 人間がこんな小さくなるだなんて――あり得ない!


 非現実的な光景に混乱する僕。

 そんな僕を見上げて、小さな幸姫さんが湯飲みの中で首をかしげる。


「困りましてー。素直に協力していただけると嬉しかったんですが」


「分かった、これはきっと悪い夢」


「しかたありません。ゆーちゃんさんには、もう少し素直になって貰いましょう」


「きっと、愛菜さんに誘われた所から夢だったんだ」


「こちらをみてくださいましてー」


 現実逃避をしようとした僕を幸姫さんが呼ぶ。

 湯飲みの中で優しく微笑む彼女。その身長は瞬きをしても変わらない。


 まだ目の前の光景が信じられない僕。

 その前で、小さな幸姫さんが拝むように手を合わせた。


「ぱん!」


 豆粒みたいな小さな手が、耳に痛いほどの大きな音をたてる。

 その瞬間、僕はまるで糸でも切れたように身体が動かなくなり、その場にばたりと倒れ込んだ。視界は霞み、耳は遠くなり、意識も薄れていく。


 小さな幸姫さんが倒れた僕の目の前に立つ。

 降りてすぐ畳の目に足をとられてちょっと慌てた彼女。深呼吸して落ち着いくと、チェックアウトする客を見送るように彼女は僕に手を振った。


 いったい、僕は何をされたんだ。


 何も分からないまま、僕の意識は畳の上で途切れた……。


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