閑話 あの事件のあらまし(下)  色んな人視点

・ある忍者の証言。


 私はイルミーレ様を先導して帝宮へと来ました。帝宮周りは特に騒ぎにはなっていないようです。スティーズ将軍の兵士はまだ来ていないのでしょうか?城壁の門は開いており、一応は出入りを禁ずるお触れが出ているようでしたが、門番は少し押したら通してくれました。あまり真面目にとらえていないようです。


 イルミーレ様は用意周到な事に用意していたワクラ王国兵部省の下働きのお仕着せを着て、私が貸したスカーフで特徴的な髪を隠しています。高い背は隠しようがありませんが、これなら下働きに見えるでしょう。


 二重目の城壁までは越えられましたが、一番上の城門は閉められています。門前では入れないでいるお貴族様から官僚、兵士、下働きにいたるまで何百人が集まって大騒ぎです。この門は有事にしか閉められ無いものです。これはイルミーレ様が言ったように大問題が起こっていると考えるしかありません。


 私は緊急時の抜け道を使う事にしました。例の下水道ルートです。幸い、二重目まで来てしまえば下水道に浸かるまでは必要ありません。まさかイルミーレ様を下水道を泳がせられませんし、そんな事をしたら中に入れても何も出来なくなります。


 秘密の入り口から下水道に降りるとイルミーレ様が流石に面食らったような顔をなさいましたが、必死に付いて来ます。流石に並みのお嬢様ではありません。


 下水道を上がり、下働きの通路に出た所でイルミーレ様がお仕着せとスカーフを脱ぎました。スカーフで靴を拭いても良いかというので許可しますと、さして汚れてはいないブーツを入念に拭っています。まさか表に出るつもりでは?貴族エリアに出ればイルミーレ様は有名人です。すぐバレてしまうでしょう。宰相の手の者がどこにいるか分からない今、そんな事はさせられません。危険過ぎます。止める私にイルミーレ様は首を横に振りました。


「時間が無いのです。一刻も早く皇帝陛下に会わなければなりません」


 イルミーレ様は譲りません。この方も大概頑固です。


「出来れば、私が帝宮を抜け出すタイミングで兵士の気を引いてくれると助かります」


 何をする気だか知りませんが、イルミーレ様のお願いはもはや命令です。私は仕方無くイルミーレ様に言いました。御身をお大切に。そう言おうとして、イルミーレ様にはこちらの方が届くだろうと思い直します。


「あまり無茶はするんじゃないよ?ペリーヌ。あなたに大女神のご加護があります様に」


 彼女がワクラ王国で大事にしていた髪飾りを髪に挿して上げます。イルミーレ様としてのあなたではなく、ペリーヌとしてのあなた自身に大女神のご加護がありますように。


 イルミーレ様と分かれて帝宮の秘密通路を走り、帝宮に入っていた仲間と合流します。状況は悪いです。皇帝陛下のいる東館は兵士に囲まれ、窓の外からとはいえ皇帝陛下は監視されています。皇帝陛下は宰相と皇国大使と話をされていて、とても皇帝陛下と皇妃様をお救い出来る状況ではありません。


 私達は皇帝陛下と皇妃様をとりあえず見守って、いざという時はお救い出来るように備えました。忍者の一人は侍女として皇帝陛下のお側に仕えています。宰相との会談が終わったら陛下と避難なり脱出なりを密かに相談させましょう。


 すると、皇妃様の所にイルミーレ様が現れたとの報告がありました。どうやってか無事に皇妃様のところまで来れたようです。私が安心していると今度は皇妃様の侍女長から帝宮の侍女服を借りて身に着け始めたそうです。何をする気なのでしょう。そして、皇妃様の部屋から共用部分を突っ切り、私が天井裏で警戒していた皇帝陛下の部屋に繋がる扉で扉の向こうに聞き耳を立て始めました。これは明らかに何事かしでかすつもりです。


 そう言えば、脱出のタイミングで外の兵士の気を引いてくれとか頼まれましたね。私は一人に、皇帝陛下を見張っている兵士たちの気を引くように頼みました。


 やがて、イルミーレ様は皇帝陛下の部屋に入ります。ほぼ同時に庭園で騒ぎが起こり、庭園の兵士達が騒ぎ出しました。するとなんとしたことか、イルミーレ様が皇帝陛下を背負って共用部分に飛び込んで来たのです。な、何をしているのですか!背中から侍女に扮した忍者に手伝われながら必死に走るイルミーレ様はあっという間に皇妃様のお部屋に飛び込んでいきました。


 これは急いで追いかけなければ!と思っている内に、イルミーレ様はまた共用部分に駆け込んで来ました。?何でそのままお逃げにならなかったのでしょう。イルミーレ様はそのまま皇帝陛下のお部屋に飛び込んで行きます。一体何が起こっているのか分かりません。


 そして私達も皇帝陛下のお部屋に踏み込もう、と、していたその時、イルミーレ様がまた共用部分に飛び込んで来ました。飛び込むと同時に侍女長が扉を閉めます。向こう側から扉が激しく叩かれて出しました。これは庭園から兵士が入って来たのでしょう。


 私達はイルミーレ様を追いました。




・エルダー子爵令息の証言。


 その日、東館入り口の当直を交代してすぐの事でした。


 庭園を警備していた騎士が本館に飛び込んで来たのです。「宰相閣下と皇国の大使が兵を連れて乗り込んで来た!」というのです。穏やかでは無ありません。私達も本館エントランスに駆け付けましたが、確かに数百の兵がエントランス前に集結しています。本館を警備している騎士はせいぜい50人です。とても相手にならないでしょう。


 良く見れば、その兵士達は帝国軍の装備をしてはいました。しかし、兵権の無い宰相閣下がどうして兵を率いているのか。しかも、帝宮本館前まで兵士を入れるとは。宰相閣下は一体何を考えておられるのか。さっぱり事情が分かりません。


 宰相閣下は皇国大使と思われる人物を連れて本館に乗り込んで来ました。騎士隊長が必死に止め、兵士達の侵入は阻止します。兵士達は庭園に戻り、東館を囲んだようです。東館は皇帝陛下のお住まいです。これはただ事ではありません。


 宰相閣下は東館の入口に立つ私達4人に言いました。


「これから私は皇帝陛下と大事な話がある。誰も通してはならぬ」


 宰相閣下が入ってすぐ、東館の使用人達が大勢出て来ました。皆、不安そうにしています。私達は危険だから西館に避難しておくよう言いました。


 それから暫くは動きがありませんでしたが、やがて、庭園の兵士達が慌てて城門に向かうのが見えました。帝都を守備するスティーズ将軍が来たのでしょうか?いずれにしても私達は東館を守るしかありません。緊張しながら槍を握りしめていました。


 と、そこへ、エントランスをゆっくりと横切ってくる女性が見えました。こちらへ向かって来ます。長い緋色の髪がなびいています。彼女は階段を上がり、真っ直ぐにこちらへ。東館への入口に向かってきました。何者でしょう。私達は槍を構え牽制しました。しかし彼女はそのままゆっくりと近付き、私たちの前で止まりました。


 緋色の髪。そしてすらりと高い背丈。服装は青い膝丈のドレスにブーツという活動的な服装でしたが、その物腰は優雅で明らかに高貴な身分の方です。彼女は私達を見て微笑みました。美しい女性の微笑みでしたが、微笑まれたこちらの表情が引きつってしまう程の迫力が秘められていました。


「入れないさい」


 その声色には、人を従わせる何かがありました。反射的にドアを開けてしまいそうになるのを堪えます。すると、一緒にドアを警備していたブレナンが彼女の正体に気が付きました。


「し、シュトラウス男爵令嬢ではございませんか?」


 なんと?私はもう一度改めて彼女を見ます。その高い背と髪色に確かに覚えがあります。一時期、下位貴族の夜会で噂を攫った貴族商人の令嬢、イルミーレ・ナスターシャ・シュトラウス男爵令嬢。確かにその人です。私も噂を聞いて夜会に行き、一回だけ踊った事があります。当時は貴族令息の間でイルミーレ様は大人気で、私も密かに憧れ、恋人の座を狙っていたものです。


 ちょっと待って下さい。シュトラウス男爵令嬢と言えば確か・・・。


「いかにも。イリシオ公爵の婚約者たるイルミーレです。ここを通しなさい」


 そう、イリシオ公爵であるアルステイン様の婚約者になった筈です。イルミーレ様に懸想していた貴族令息達はそれを聞いて「敵うわけが無い」と嘆いたものでした。


 ブレナンが首を横に振ります。


「さ、宰相閣下の命でここは封鎖しております。通す事は出来ません」


 慌てて私も言います。別に意地悪で言っている訳でないとイルミーレ様に言い訳しておかないと、アルステイン様の不興を買うかもしれません。


「良く分からない兵が内庭に沢山おります。危険です。令嬢はどこかに隠れていた方が良いです」


 しかし、イルミーレ様は嫣然と微笑み、私を氷の様な色の視線で見据えると言いました。


「聞こえませんでしたか?私を通しなさい。イリシオ公爵。いえ、次期皇帝のアルステイン様の婚約者であり、次期皇妃の私が命じます。通しなさい」


 イルミーレ様が上げた左手の薬指には、幾らするのか想像もつかないような巨大なエメラルドの指輪が光っています。アルステイン様の婚約指輪でしょう。アルステイン様は元皇子で、事実上の皇太子だと言われています。その婚約者なのですからイルミーレ様の言葉はあながち間違いでも無いのです。


 圧倒的な権威の前に私達は震えあがりました。しかしブレナンが果敢に反論します。


「い、イルミーレ様が公爵様の婚約者である事は存じておりますが、アルステイン様が次期皇帝だとかあなたが次期皇妃だとか言うのは、不敬ではありませんか」


 イルミーレ様の目が細まりました。笑顔なのにこの世のものとも思えない程恐ろしい表情です。何ですかこれは。以前に見た夜会での華やかな笑顔と同一人物の笑顔とは思えません。


「あなたが与り知らぬ事ですから仕方がありませんが、その日が来た時に後悔せぬように。ブレナン伯爵令息」


 名指しされたブレナンが悲鳴を上げます。


「次期皇妃の道を阻んでタダで済むと思わないようにね?エルダー子爵令息、メルヘル伯爵令息、ファーウエイ伯爵令息?」


 イルミーレ様は笑顔で私達を一人一人睨みつけて、それぞれの名を呼んでみせました。ひー!なぜ!なぜ私たちの名前を憶えていらっしゃるのでしょうか。そもそもあまり親しくなれてはいない上に、公爵様の婚約者となられ上位貴族の夜会にしかお出でにならないイルミーレ様とはもう二年くらいはお会いしていないのに!


 これはまずいです。逃げられません。しかし、宰相様の不興を買うのも恐ろしいのです。私は冷や汗を盛大にかきながらイルミーレ様に言いました。


「わ、分かりました。中で宰相様に許可を取ってまいります。少々お待ちを・・・」


 その瞬間、イルミーレ様の表情から笑みが消えました。笑顔で辛うじて覆い隠されていた怒りがイルミーレ様の体中から黒い炎のように噴き出してくるのが見えます。イルミーレ様は平たんな声で言いました。


「宰相と次期皇妃の私と、どちらが怖いですか?」


 私はもう動けません。こんな恐ろしい方だとは、夜会でお会いしていた時には全く分かりませんでした。こんな凄まじい方を恋人にしようとしていたとは、当時の私は何と命知らずだったのでしょう。こんな怖い方と婚約したアルステイン様はやはり只者ではありません。


 イルミーレ様はまた笑顔を作ります。しかしもうその笑顔はひたすら恐ろしいだけの笑顔です。

 

「私を通さば、後でアルステイン様には悪いように言いませんよ?どうでしょう?」

 

 私達に頷く以外の何が出来たでしょう。



「私が入った事は宰相や皇国大使やその手の物には内緒にするように。それと、皇国兵士が乱入して来たら逃げなさい」


 とイルミーレ様は言い残して東館に入って行かれました。


 宰相閣下の言いつけに背いたわけですが、宰相閣下などよりイルミーレ様の方が千倍も恐ろしいのですから仕方がありません。庭園ではまだ騒ぎが収まりません。どうやら城門でなにやら揉めています。やはりスティーズ将軍が来たのでしょう。


 スティーズ将軍が軍を向けて城壁を攻撃して来たら、庭園内の兵士が本館内部に逃げ込んで来るかもしれません。そうしたら大変です。少ない騎士たちで皇帝陛下、皇妃様、イルミーレ様をお守りしなければなりません。私達は高まる緊張感に冷や汗をたらしながら立っていました。


 と、突然、ドタバタと足音が響き、背後のドアが開きました。何やら数人の人物が飛び出してきます。驚いて見ると最初に見えたのは緋色の髪です。先ほどとは髪型も違い、服も違いましたが、その髪色と付けている髪飾りで分かりました。イルミーレ様です。へたり込みそうになるイリミーレ様をお助けしようと手を伸ばすと、その前にイルミーレ様が叫びました。


「エルダー子爵令息に命じます!」


 私は反射的に直立不動の姿勢になってしましました。


「陛下を本館三階一番奥まで運びなさい!急いで!」


 は?陛下?


 私はイルミーレ様を良く見ます。そう。イルミーレ様は何か大きな物を背負っています。ものというか、人?・・・そう人です。ぐったりとイルミーレ様に持たれている銀髪の・・・。銀髪!


 私は慌ててその人物を横抱きに抱き上げました。顔が良く見えるようになります。


 ・・・皇帝陛下ではありませんか?皇帝陛下はイルミーレ様と何か話していますがこちらは勿体なくも抱き上げてしまった皇帝陛下にパニックです。それどころではありません。そこにイルミーレ様の叫びが突き刺さりました。


「エルダー子爵令息!お願いします!」


 私は反射的に駆け出しました。近衛の騎士として皇帝陛下をお守り出来るのは誉です。イルミーレ様の言われた三階の一番奥に向かって皇帝陛下をお抱きしたまま走ります。皇帝陛下はちょっと嫌そうに言いました。


「抱き上げ方を変えてはくれぬか?」


 私にはそんな余裕がありません。


「急ぎますればご容赦を!」


 一度エントランスに降り、それから階段を駆け上ります。三階の一番奥は確か、小さな謁見室だった筈です。ここに一体何が・・・?扉の前で陛下をお降ろしすると、陛下は立ち上がり、腕からブレスレットを外しました。


「ここはもう良い。私は無事に脱出したと皇妃とイルミーレに伝えよ。戻ってイルミーレを助けるように・・・」


「分かりました。陛下!ご無事で!」


 私は陛下の命に高揚して東館入り口に駆け戻ります。そこには同僚と今度はさっきとは違う女性がいました。紫色のドレスの女性です。髪は薄い金色。


 ・・・こ、皇妃様ではありませんか。皇妃様は心配そうに東館の方を気にしています。そしてすぐにまた足跡が響きました。私達はドアを開きます。イルミーレ様が物凄い勢いで飛び出してきました。


「皇帝陛下は!?」


「無事、お届けしました!」


 イルミーレ様はほっとした表情になり、それから皇妃様を見て驚いています。皇妃様は真剣な顔で言いました。


「イルミーレ様はお逃げ下さい。私がお父様を食い止めます」


 そしてイルミーレ様に沈んだ声で何か言います。しかしイルミーレ様は目をくわっと見開いて皇妃様を怒鳴りつけました。


「うるさい!」


 皇妃様の目が点になります。それはそうでしょう。皇妃様を怒鳴りつける存在などこの帝国には皇帝陛下いらっしゃいませんし、陛下は皇妃様を怒鳴りつけるような方ではありません。しかしイルミーレ様は皇妃様の腕をひっつかむと「行きますよ!早く!」と皇妃様の意向を無視して走り始めました。


 そうです。皇妃様も逃げて頂いた方が良いのです。見ると、東館の廊下に兵士が現れました。イルミーレ様達が危ない。私はイルミーレ様に言いました。


「我々が食い止めます!お早く!」


「ダメです!あなた達も逃げなさい!そして、城壁の外のスティーズ将軍に皇帝陛下の脱出を伝えなさい!」


 イルミーレ様はそう言い残して皇妃様の手を引きながら逃げて行きます。


 イルミーレ様はああ言われましたが、まさか追っ手を放置して逃げるわけにはいかないでしょう。我々は騎士です。お守りするのは皇妃様と次期皇妃様。役目に不足があろうはずは有りません。


 私達は顔を見合わせて頷きました。皆、同じ気持ちです。私達は東館の厚いドアを閉め、4人で全力で押さえに掛かりました。直ぐにドアをドンドンガンガン叩く音と衝撃が来ます。私達はがっちり押さえます。このまま時間を稼ぐつもりでした。


 しかし、音が止みました。?私達が首を傾げていると、一拍遅れてドカーン!と物凄い衝撃が来て、私達は跳ね飛ばされました。兵士たちがタックルを組んでドアに体当たりしたために私達は跳ね飛ばされたらしいのです。私達は衝撃で転がり、したたかに頭を打ち付けてしまい、そのまま気を失ってしまいました。面目ない話です。




・ある忍者の証言。


 我々が東館から中央館に出ると、中央館のエントランスをイルミーレ様と皇妃様が走っているところでした。イルミーレ様は兎も角、皇妃様は走るには不向きなご格好ですし、そもそも走るのに慣ていないらしく、すでにフラフラです。


 と、東館のドアが壊れた音がしました。兵士たちが一斉に走り出てきます。


「いたぞ!」


 まずいです。イルミーレ様と皇妃様が見つかりました。二人は階段を上り始めましたが、遅いです。イルミーレ様もばて始めたようです。しかし、上の階に行くというのは予想外でした。すっかり外に出るのだと思いこんでいたので、先ほど陽動に出した者たちは外に待機させているのです。今ここにいるのは私と侍女に扮していた者の二人だけです。この人数では正面から兵士を防ぐのは無理です。


 恐らく、二人は脱出装置を目指しているのだと思われます。それはどこなのでしょうか?そこに逃げ込めるように何とか兵士を妨害するしかなさそうです。


 と、お二人は三階への階段も上り始めました。三階はその階段からしか上がれませんし、廊下は謁見室で行き止まりです。つまりそこに帝宮の脱出装置があるのでしょう。


 兵士たちは間近に迫っています。もうここしかありません。私ともう一人は一気に駆け寄り、兵士たちに催涙弾を投げつけて、お二人を抱えるようにして三階へとお運びします。


「無茶をしてくれるなと言ったろう!」


 苦情の一つも言いたくなったのは許して頂きたい。イルミーレ様は私の顔を見て表情を輝かせると、最後の力を振り絞って廊下を走ります。そして謁見室の前で腕からブレスレットを抜きました。やはりあそこが脱出装置のようです。その仕掛けは忍者も見てはならぬものです。お二人から離れ、私達は催涙弾を追加で投げ込み、兵士たちの妨害のためにまきびしを撒いて、見えぬ中にやたらと手裏剣を投げ込みました。


 ドアが閉まる音がして、見るとお二人はもう中に入られたようです。私達は呼吸を合わせ、その場を脱出しました。




・スティーズ将軍の証言


 公爵邸で異変を確認した私は、その時点で分かっている事を記した書簡を作成し、前線のアルステイン様の所に走らせた。そして、手配した2千名の兵士と共に帝宮へと向かった。幸い、帝宮の城門は塞がれていない。私は警備の兵を𠮟りつけつつ帝宮の丘を駆け上がった。しかし、最後の城壁の門は閉じられていた。私は城門前で騒いでいた連中を追い払い、城門に開門を命じた。


 しかし、門は開かない。城壁の上から顔を覗かせる連中は先ほど公爵邸の前で捕えた連中と同じで皇国兵の特徴が強い者たちだった。奴らは子馬鹿にしたような顔でこちらを見ている。私は歯噛みした。この程度の城門を破るのは簡単だが、皇帝陛下と皇妃様、あるいはイルミーレ様も中におられるのだ。うかつな攻撃は出来ない。


 私はとりあえず帝宮の本宮を囲む城壁を完全に包囲させた。敵の逃亡を防ぐためだ。しかし、それ以上の事は出来ない。イルミーレ様の書いてこられた通り、無理な攻撃は皇帝陛下を危険にさらしてしまう。さりとて、この城壁は帝都落城時の文字通り最後の砦として築かれている。そう簡単に潜入出来たり破壊出来たりするものではない。私は包囲しつつ降伏を勧告するしか無かった。


 ところが、手を打ちかねて数時間が経った頃だった。城門を見上げて唸っているところに、伝令が走り込んできた。


「閣下、大変です!皇帝陛下が見つかりました!」


「は?」


 私は意味が分からず間抜けな声を出してしまった。良く話を聞くと、なぜか帝都の水路の小舟に皇帝陛下と皇妃様と思われる方が倒れていたという報告だった。訳が分からない。しかし、報告していたのは伯爵の位を持つ者で、陛下の顔を良く知っているらしい。聞き流すには重大な情報過ぎた。私は慌てて馬に飛び乗った。


 その水路の踊り場に行くと、小舟が引き上げられており、その中に三人の人物が倒れているのが見えた。寒風を避けるためか身体には上から毛布が掛けられている。私が近づくと直ぐ近くに跪いて控えていた伯爵がこちらを見る。他の者はかなり離れた所に後ろ向きで立っていた。玉体を好奇の目に晒させないためだろう。


 私も跪いてそっと見る。・・・!その鮮やかな銀髪は紛れもなく皇帝陛下。そしてその隣には薄い金色の髪の皇妃様。な、なんでこんな所に!


 しかし、帝宮で危機に陥っている筈の皇帝陛下ご夫妻が何らかの手段で脱出しているのは間違い無い。私は安堵で腰が抜け掛けた。


「どうやらこの侍女が陛下を落ち伸びさせたようですな」


 伯爵が私の表情を見て自分の見間違いでないと分かってほっとしたような声で言った。侍女?そう言えば三人いたな。私はやはりぐったりと気を失っているもう一人の人物を見た。・・・私は口があんぐりと開いてしまった。


 侍女服を着ているし、緋色髪が固くひっつめてあるが、それは間違い無くイルミーレ様だった。皇帝陛下と皇妃様に負けず劣らずの重要人物だ。


「イルミーレ様!」


 私が叫んでしまうと伯爵も改めてその姿を確認し、同じように腰を抜かしてしまった。


「なぜ!なんでイルミーレ様がこんな所に!」


 私達は顔を見合わせてしまった。と、兎に角、この今の帝都で最も高貴なお三方をこんな寒風吹きすさぶ川の小舟に乗せて置く訳にはいかない。私はなるべく豪華な馬車を三台持ってくるように命じた。とりあえずお三方は公爵邸にお運びする事にした。皇帝陛下と皇妃様を直ぐにお泊め出来る格のお屋敷など公爵邸しか無いし、イルミーレ様を一刻も早くお屋敷に帰さなければならない。


 その一方、私は帝宮に戻った。皇帝陛下ご夫妻とイルミーレ様が帝宮にいないと分かればもう遠慮はいらない。大至急、帝宮を解放する必要がある。私は部下に帝宮への総攻撃を命じた。


 帝宮を占拠していた兵士は練度も低く、数も少なかった。帝国軍精鋭の本気の攻撃にあっさり城門を割り、突入した帝国軍兵士に次々と討たれるか捕えられた。帝宮本館に逃げ込んだ兵士も捕え、中にいた者はとりあえず全て拘束した。


 その中に宰相閣下と皇国の大使がいた。明らかに今回の事はこの二人の手引きだろう。私は厳重な監禁を命じたが、皇帝陛下とアルステイン様の命があるまでは私には判断が出来ない。私は全て終わった事を書簡に記して、アルステイン様に早馬を送った。




・トマスの証言


 お屋敷で奥様の身を案じていると、城壁を守る兵士の一人がこれ以上無い慌てぶりで吹っ飛んできました。


「お、奥様が!」


 奥様に何かあったのでしょうか?私は青くなりました。エルグリアもガタガタと震えて立っていられない有様です。私はエルグリアを支えながら何事かと問いました。


「門前に、奥様を乗せているという馬車が来ています。トマス様に確認して頂きたく!」


 奥様を乗せた馬車?変な言い方です。奥様がお帰りになられたのなら奥様が姿をお見せになり開門を命じれば良いことです。私は城門まで駆け付ける事にしました。するとエルグリアが私の袖を掴んで言いました。


「私も行きます!」


 断る理由はありません。私はエルグリアと共に馬車で一番下の城門まで駆け付けました。


 城門の覗き窓から見ると、帝国軍の兵士が数百名と豪華な装飾の馬車が3台止まっています。騎馬の騎士が私の方を見上げてなんだか困り果てたような顔をしています。


「カルステン伯爵か?」


「フロイデン伯爵でしょうか?」


 確か帝国軍にいらっしゃった方ですが既に半分引退状態で、治安維持部隊の取りまとめをやっておられる方です。帝宮に勤めている頃に何度かお会いしました。顔見知りの方に警戒心が解けます。


「何の御用でしょうか」


「その、公爵邸で貴人を預かって頂きたいのだ」


「貴人?」


「その、皇帝陛下なのだ?」


 は?一体何を言っているのか分からず混乱します。フロイデン伯爵は更におっしゃいました。


「それと、イルミーレ様もお連れした。門を開けて頂きたいのだが」


「奥様がいらっしゃるのですか!」


 エルグリアが私の後ろで悲鳴を上げました。今にも門を飛び出しそうな勢いです。しかし、門は奥様のお許しが無ければ開ける事が出来ません。困りました。


「馬車に乗っておられるのですか?」


「気を失っておられるのだ。早く介抱して差し上げて欲しい」


「と、トマス!早く奥様を!」


 エルグリアが騒ぎますが、奥様の許しが無い上に事態が事態です。フロイデン伯爵が敵でないとは限りません。私は考えた末に、通用口を細く開かせ、私一人が出る事にしました。私が出ても特にフロイデン伯爵は態度を変えません。というか物凄くほっとした顔をしています。


「こちらだ」


 一台の馬車に案内してくれます。帝宮の物ではありませんが、どこかのお屋敷から借りて来たらしい豪奢な馬車です。護衛の兵士が扉を開いてくれたので乗り込んでみました。


 座席の周りを物凄い数のクッションで埋め尽くしてベッドにしてあります。その中に埋もれるようにして一人の女性が寝かされていました。帝宮の侍女服を着て髪を使用人風にひっつめていますが、その御顔を間違える筈がありません。


「奥様!」


 私が思わず叫ぶと、エルグリアが通用門をドカンと開けて駆け寄ってきてしまいました。そして馬車の中に飛び込み奥様を確認すると、涙をボロボロと流しながら奥様を抱き締めました。


「奥様!ご無事で!」


 奥様はそれでも目覚まさないようでしたが、表情は穏やかですし、呼吸も静かです。どうやら大丈夫のようです。エルグリアは奥様の髪を解き、衣服の締め付けを緩めたりしてお世話を始めています。奥様の事は任せて良いでしょう。


 私は馬車を降りてフロイデン伯爵の案内で他の馬車を確認します。・・・なんと、本当に皇帝陛下と皇妃様です。お二人も完全に気を失ってクッションに埋もれています。何がどうしてどうなったのでしょう。


 いえ、分かります。本当は分かります。奥様がお二人をお救いして帝宮を脱出したに違いありません。方法は分かりませんが、このお三方の状態を見るに、相当無理をしたのでしょう。


「帝宮が賊に占拠されているのだから何が起こるか分からぬ。公爵邸で皇帝陛下ご夫妻をお守りして欲しいのだ」


「分かりました。イリシオ公爵邸の名誉に懸けて皇帝陛下をお預かりし、お守りいたします」


 私は城門を開かせ、三台の馬車を入れて、また直ぐに城門を閉じさせました。




 ・エルグリアの証言


 馬車の中に横たわる奥様を目にした瞬間、私はもう溢れる涙を止める事が出来ませんでした。奥様は汚れた格好でぐったりとしています。お呼びして抱き締めても全く反応がありません。髪を解き姿勢を楽なものにして、お腹を周りを緩めます。


 あのタフな奥様がここまで消耗されるのです。どれほど無理をしたのか無茶をしたのか想像も出来ません。その甲斐あってか、他の馬車には皇帝陛下ご夫妻が乗っておられたようです。奥様はやり遂げられたのです。さすがは私の奥様です。


 奥様が自分の使命を果たされたのです。後は私達が全力で自分の仕事を果たす番でしょう。私はお屋敷に戻ると使用人全員に号令を掛け、皇帝陛下ご夫妻をお泊めする準備をさせました。


 何しろ皇帝陛下ご夫妻です。普通の客間にお泊めする訳には参りません。ここは離宮ですから、皇族の方がお泊りになるように特別なお部屋が用意されています。ですが本来はそこでも皇帝陛下がお泊りになるには格が足りません。ですからそのお部屋の装飾の格を陛下に相応しい物に変更し、家具も旦那様が離宮にお入りになった時に入れ替えた先代の陛下がお使いだったものと入れ替えます。


 皇妃様も同じですが、奥様は先代皇妃様が使っていた家具をそのままお使いなので格の高い家具がやや足りませんでした。皇妃様がお目覚めになったらお詫びしないといけません。代わりにと言っては何ですが、温室から沢山の花を摘み、方々に飾りました。そして旦那様付きの侍女を全員皇帝陛下ご夫妻のご看病に回します。


 幸い、皇帝陛下ご夫妻はお部屋に運び込んですぐにお目覚めになりました。特に異常も無く、特に皇妃様は元気で、真っ先に皇帝陛下のお見舞いに向かわれました。


「イルミーレ様のお陰なのです」


 皇妃様はしきりに私にそうおっしゃいました。奥様がまだ目覚めないと分かるとしきりに心配されています。お二人には事情を説明し、しばらく公爵邸に滞在して頂きたいとお願いします。お二人には快く了承して頂けました。


 皇帝陛下ご夫妻はお目覚めですが奥様は中々目覚めません。心配です。皇妃様曰くそれはもう物凄い大活躍だったそうで、奥様がいなければ皇帝陛下ご夫妻はご自害まで覚悟していたとおっしゃいます。私は奥様が誇らしくて、それでも心配で、無茶をした奥様をお叱りしたい気持ちもあり、実に複雑な思いで奥様を看病しました。とても他の者に任せる気にならず、付きっ切りで見守ること二日。漸くお目覚めになった奥様を見て私はまた泣いてしまいました。


 奥様は筋肉痛で呻いていらっしゃいますが、その程度で済んで本当に良かったのです。皇妃様のお話では何度も命の危機さえあったというではありませんか。ご自分を大事にしない奥様には本当に腹が立ちます。


 これは旦那様がお帰りになったら是非お説教して頂かなければなりませんね。しかし、奥様に甘い旦那様が果たして奥様を叱責できるでしょうか?旦那様の威厳が問われそうですね。


 そう思いながら私はかいがいしく奥様の湿布を貼り換えます。まぁ、奥様に甘いのは旦那様だけではありませんね。


 

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