18.公爵邸での生活

 そんなこんなで始まった公爵邸での生活。いくらお嬢様を装ったって私は私だもの。そうそう変われるものじゃないし、ボロが出ない訳が無い。多分、エルグリアやトマスはおかしいな、とは思っていたと思う。ただ、エルグリアたちは公爵様が臣籍になり公爵家を興す時に帝宮を辞して公爵様に付いてきたくらいのバリバリの公爵様第一主義者だったので、公爵様が選んだ私を尊重して何も言わないでいてくれただけだと思う。


 公爵邸の生活は起きて着替えて朝食が終わったら、まず宮廷儀礼の講義を受ける。これは外部から先生を招いて行う。先生はかなり年のいった旧皇族の侯爵未亡人で、おっとりしたお優しい方だった。宮廷儀礼は挨拶、立ち方、並び方、皇帝陛下の口上に対しての返答パターン、儀式に使う器具の扱い方などからなり、殿上に上がる時の衣服や髪形にも様々な決まりがある。意味があるのか無いのか分からない決まりが多いな?と思っていると、実際そういう意見が強くなり、現在では儀式や神事でしか使われないらしい。でも、公爵様は皇族に準ずる方なので儀式や神事に出る事もあるので正夫人になるなら私も出来なきゃダメらしい。


 宮廷儀礼が終わると、トマスに帝国の歴史や内情を習いながら字を習う。教科書に使う歴史書や地図、資料などを教えられながら読んで単語を覚えて行く。カストラール帝国は成立してから現在で19代630年に及ぶ歴史があるらしい。その歴史はなかなか波乱万丈で聞いていて面白かった。帝国は大陸の北の海から南の海まで縦断する程の大きさなので、北と南では気候に大きな差があるらしい。帝都は北寄りに位置している事が分かった。


 授業は午前中で終わり。昼食の後は予定が(ドレスの仮縫いとか)が無ければ自由時間だ。ところが私はこれが一番困った。私は今まで自由な時間というのをあんまり持ったことが無い。兵部省の下働き仕事には休みはあったが、その時は自分の服の洗濯や繕い物などで忙しく、時間があれば街へ日用品の買い物に行くくらいで、遊ぶという事をした事が無い。ましてやお貴族様のお嬢様が日ごろ何しているかなど知る筈も無い。


 かと言って暇だからゴロゴロすると言ってベッドやソファーでのびのびする訳にもいかない。お嬢様はそんな事しないだろう。でも景色を眺めながらお茶を飲むのも花壇を見て歩くのにも限界がある。私は考えあぐねた末に「公爵邸を知るために」という名目でお屋敷の中を案内してもらう事にした。何しろ広大なお屋敷であるから何日かは時間が潰せると思ったのだ。


 エルグリアは喜んで案内してくれたのだが予想以上にお屋敷は広かった。細かく見て歩けば数日どころか数カ月は掛かりそうな規模だ。


 このお屋敷はそもそも皇帝の所有していた離宮の一つで、公爵様が公爵家を興す時に下賜されたものだという。そもそも公爵様は子供の頃はこの離宮でお育ちになったそうで、慣れた離宮を下賜されて大変喜んだらしい。帝都にある5つの丘には全て帝宮と離宮が建てられ、どこも城壁に厳重に守られているがこれは帝都が攻められ内部に侵入された時に最後に立て籠もる場所になると想定されているからなのだとか。


 実際お屋敷は丘全体を囲む城壁、中腹を囲む城壁、本館を囲む城壁の三重の城壁に守られている。お屋敷とはいうが実情は要塞とか砦に構造が似ているらしい。しかしながら無骨さは全く無く、非常に美しいお屋敷だ。巨大な本館以外にも丘のあちこちに建物が点在しており、その中には昔の皇帝が引き籠るために建てた小屋だとか、趣味に没頭するために作らせた別棟などがある他、下級使用人寮や上級使用人が住むための家がある。


 お屋敷本館は北に大庭園を抱え、南側は絶壁に張り出すような形で作られている。概ねコの字型で中央館、西館、東館があり、あの時夜会をやった大ホールは中央館から南側に半島みたいに飛び出している。私の部屋や公爵様の私室があるのは東館の一階だが中央館より位置的に少し高いため、中央館の二階が東館の一階になる。建物はどれも4階建てだが、私の部屋もそうだが複数階を吹き抜けにしている部屋も多いから外観と内部の階数が一致しない。


 何しろ物凄い数の部屋があり、エルグリアでさえ数を把握していないらしい。何年も開けたことが無い部屋があるとか冗談めかして言っていた。ホールだけでもあの大ホール以外に本館の大ホール中ホール小ホール、西館の大ホール中ホール小ホール、鏡のホール、絵画のホール、陶磁のホールという感じで幾つもあり、談話室などテーマに合わせて数えただけでも17つもあった。何に使うか分からないというか何にでも使える部屋が多数あり、お嬢様もお好みの部屋が欲しければ適当な部屋を改装いたしますよ?と言われたのでお嬢様はお部屋をお好みに改造して暇をお潰しなのかもしれない。


 内装に統一感が無いのは増築や改装が繰り返されたからだそうだ。私の部屋は歴代の皇妃様が(!)お使いの部屋だったそうで、そりゃベッドも最高だわねという話である。幾らでもお好みに改装いたしますよと言われたが、あまりに恐れ多いので謹んでご遠慮したい。


 本館の北側の大庭園は春になれば多数の花が咲き乱れるとの事だったが、さすがに新年早々の今はほとんど花の気配は無い。しかし隣接した温室には見たことも無いような花がたくさんあって興味深かった。


 一つ目の城壁と二つ目の城壁の間の幾つもある小屋や別棟はさっきも言ったが皇帝や皇族が好き勝手に建てたもので、様式にもデザインにも統一感が無くて面白い。お嬢様もお好きな建物を、と言われたが小娘に建物を考えろというのはかなりの無茶振りでは無いだろうか。ちなみにこのエリアには貴族の使用人の住む家があり、エルグリアが家族と住む家もある。ミリアムの様な独身の貴族は本館4階の使用人用の部屋に住んでいる場合もある。




 続けて二つ目の城壁を抜けてその下に行こうとすると、私を案内しつつ日傘を差し掛けていたエルグリアに難色を示された。


「その、その下のエリアは下級使用人の寮がございます他、畑などもございまして、お嬢様が立ち入られるのは・・・」


 しかしエルグリアのその言葉に私はピクリと反応する。


「畑?畑があるのですか?」


「え?ええ。あまり大きくはありませんが野菜などを栽培しております」


 おおお、畑!元農民の私だが、王都に移住してからは間近に畑を見たことがほとんど無い。懐かしいし、帝国の畑は何を育ててるのかちょっと見て見たい。私が期待に目を輝かせているのを見て、エルグリアは困惑したようだ。更に言う。


「それに、豚などを飼育しておりますので、少々臭いがいたします」


 今度こそ私の心は大きく動いた。


「豚?豚がいるの!?」


 私の勢いに日傘を持ったままエルグリアがドン引きする。


「え、ええ・・・。数頭飼っている筈ですわ。他に、鶏、ヤギ、後は旦那様の馬を世話する厩もございます。ですから結構匂うのです」


 後半は聞いちゃいなかった。鶏!ヤギ!馬!どれも子供の頃は馴染み深かった生き物ばかりだ。しかしもう何年も間近に見ていない。懐かしいのとここしばらくの慣れない生活のストレスが相まって、どうしても見たい触りたいと思ってしまった。お嬢様としては有り得ないかもしれないが我慢出来ない。


「ぜひ!ぜひ見たいです。エルグリア!お願い致します」


 私のあまりの勢いにエルグリアは同意するしかなかったようだ。先ぶれを走らせて準備させると、渋々という感じで私を促した。他の3人の侍女も渋い顔だ。


 確かにこのエリアはお嬢様の立ち入りを想定していないようだった。雑然としている。私には単に馴染み深いだけだが、侍女たちは表情を歪めている。寮などがあるところを抜けてしばらく行くと木で出来た壁があり、その壁の扉を抜けると、臭ってきた。


「ひっ!」


 侍女たちが泣きそうな顔で立ち止まる。は~。堆肥の臭いだわ~。私には懐かしい臭いも貴族の侍女たちには耐えがたいものであったようだ。私が動いても付いてこない。


「お、お嬢様!戻りましょう!」


「大丈夫ですよ。すぐ慣れます」


 私は構わず進んだ。お嬢様を放置して逃げ戻ったら大変な失態になってしまう。侍女たちは天を仰いで女神に恨み言を述べた後、決死の覚悟を決めた表情で私に続いた。


 残念だが畑には作物が無かった。そりゃ、冬だもんね。土は起こしてあり堆肥が混ぜてあるようだ。湯気が立っている。それで臭うのだろう。故郷ではどうだったかな?などと懐かしく思い出しながら小さな畑を抜けると小屋が幾つかあった。小屋の前で農民風の男が恐縮した風に頭を下げている。


「ここが豚のいる小屋ですか?」


 私はウキウキしながら訪ねたのだが、飼育員だという男は首を振った。


「そうですけど、お嬢様が入れるようなところではございません。止めた方が・・・」


「良いから、中を見せて頂戴!」


 お嬢様の我儘が炸裂だ。飼育員は仕方無さそうにドアを開いた。


「うわぁぁ!」


 中には仕切りの中に豚が5頭いた。そしてなんと!


「か、可愛い・・・!」


 子豚が5頭ほどいた。ピンク色のお尻を振りながらぷひぷひチョコチョコ歩き回っている。私は感激のあまり思わず膝から崩れ落ちそうになり、おっと今ドレスだったと我慢した。


「子豚!子豚ですよ!ねぇエルグリア!可愛いわよ!来てみなさいよ!」


 テンション爆上がりで私はエルグリアを呼ぶ。臭いに苦しんで放心状態だったエルグリアだが、私に無理やり子豚を見せられて目を丸くする。


「か、可愛いですわね・・・」


「そうよね!分かるわよね!」


 私があまりに可愛いを連呼するので他の侍女も恐る恐る中に入って来て子豚を見て目を丸くする。


「こ、これは・・・。可愛いとしか・・・」


 侍女たちも釘付けになっている。その様子を飼育員が怪訝な顔で見ていた。


 しばらく子豚を愛で、隣のヤギ小屋では仔山羊を見つけてまたフィーバーし、鶏小屋ではヒヨコに歓声を上げ、厩では仔馬を撫で捲った。その頃には侍女たちも臭いを忘れて一緒に動物の子供に夢中になっていた。うんうん。可愛いは正義よね。


 すっかり満足した私は決意した。私の暇つぶし、ストレス解消はこれしかないと。


「エルグリア。私、毎日あそこに行って動物を愛でることに致します」


 私の宣言にエルグリアは遠い目をした。


「本気ですか?」


「ええ。汚れても良い服を準備してください。ブーツも欲しいわ。汚れるものだから誰かのお古でも良いわよ?」


「お嬢様にお古など着せられません!ちゃんと準備致します。それと・・・」


 エルグリアは私をキッと睨んだ。


「あそこに行ったらすぐにお風呂で身を清めて頂きますからね!」


 私は即座に風呂場に追い立てられて洗い流された。


 しかしエルグリアは私の珍しい我儘を聞き入れてくれて、服を用意してくれたし臭いに耐えてそれから毎日のように豚小屋まで付き合ってくれた。まぁ、本人も子豚を見ると頬が緩んではいたけれども。




 子豚のお陰で大分潤いは出たのだが、日々の生活はやはり緊張するし部屋の中ではやる事が無い。せめて侍女達が雑談に付き合ってくれれば部屋の中ではリラックス出来るんだけど。あの豚小屋みたいに一緒に共通の話題に盛り上がれれば仲良くなって気安く話が出来るようになると思うんだけどな。


 仲良くなりたい筆頭はエルグリアだった。この侍女長は優しく穏やかで頼りになるお姉さん(29歳らしい)なのだが侍女としての分を弁えて私に対して常に一歩引いている。侍女長がこれなので他の侍女も気安く話をしてくれないのだろう。


 しかしエルグリアはあまり話し掛けても話題に乗ってこないのだ。


「エルグリアは結婚しているんでしょう?子供はいるの?」


「居りますよ」


 終了。


「帝都では今、何が流行っているのかしら?」


「私はお屋敷からほとんど出ませんから、あまり流行には詳しくありません」


 終了。

 

 むう。手強い。そもそも私も帝都や帝国に詳しく無いのでエルグリアと共通の話題を探すのが難しいのだ。共通の話題。話題ね。あ、ならあれしかないじゃん。


「エルグリアは公爵様にお仕えして長いのですか?」


「そうですね。もう20年になります」


「え?公爵様がお生まれになった頃からですか?」


「ええ、そうでございます。母が旦那様の乳母を勤めておりまして」


 いつも通りの微笑みに見えるが少し頬が赤い。いつもならそうでございますで終わりの所が続いたし。この辺にポイントがありそうだ。


「そうなのですか!素敵ですね。公爵様はさぞかし可愛い赤ちゃんだったのでしょうね」


「それはもう!」


 エルグリアの目が輝いた。勢い込んで言う。おお、釣れた釣れたよ!


「どんな風に可愛かったのですか?是非聞かせてください」


「ええ、もちろんですわ。私がお会いした時のお坊ちゃまと来たらもう天使そのもので!いえ!天使すら敵わないと申し上げても過言ではありますまい!銀色の御髪はフワフワでキラキラで、つぶらな緑の瞳はひたすらに愛らしく、小さなお手てがワキワキと動いて!ナニコレこの可愛さはどう言う事なのと私は、私はもう・・・!」


 それからはエルグリアの独演会だった。公爵様が赤ん坊のころから如何に可愛く優秀であったかをいつもの冷静さをかなぐり捨てて語りに語り捲ってくれた。他の侍女の目が点になっているのにも気が付かない。


 私は相槌を入れ、適当に促してどんどんエルグリアを煽って語らせる。途中から彼女を対面のソファーに座らせ、お茶を入れてもらい、他の侍女も着席させて一緒に公爵様話で盛り上がる事に成功した。


 エルグリア曰く、幼い公爵様にお仕えして心酔し、この方に一生お仕えしてお守りしようと固く誓い、縁談も蹴っ飛ばしてひたすら公爵様にお仕えしていたのだそうだ。その過程で同じように公爵様に心酔して一生お守りすると決めたせいで婚期を逃していたらしいトマスと意気投合してトマス45歳、エルグリア24歳で結婚(なんと夫婦だった)。公爵様独立に当然夫婦でくっついてきて共に最側近としてお仕え出来て大変に幸せ、だそうだ。


 そんな彼女の今の野望は公爵様の選んだお嬢様(私だ)を磨き上げて公爵様に相応しいお嫁様に仕立て上げる事と、私と公爵様が結婚して子供が生まれたら同時に子供を作って乳母になり、自分のお乳で公爵様の子供を育てる事だそうだ。・・・頑張れトマス。


 エルグリアの話だけでなく他の侍女も当然公爵様のファンで、色々エピソードが聞けて楽しかったし、この日以来侍女たちと大分打ち解けて雑談ぐらいは気安く出来るようになった。エルグリアは公爵様の話題を振れば自重できない事も分かったし。


 我に返ったエルグリアは頭を抱えていたし、この話をしたらトマスもしばらく額を押さえて俯いたまま顔を上げなかったけども。


 そんな生活を一か月過ごし、少しは公爵邸の生活に慣れた頃、私は帝宮で行われる皇妃様主催の園遊会に出席した。


 

 


 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る