13.エグラ峠の戦い 公爵サイド

 軍務省の執務室で仕事をしていると、私の副官のブレンが入って来た。またなんぞ仕事を持ってきたのだろう。そう思って肩を回しながらブレンの事を見ると、奴は何だか難しい顔をして俺の事を見ている。


「なんだ、面倒な案件か?」


「・・・ああ、ちょっとな」


 面倒な事は早く片づけたい。忙しいのだから。しかし、ブレンは眉を顰めながら何か迷っているような素振りを見せている。12歳の時からの付き合いなので奴の癖は良く知っている。


「なんだ。その書類に何か都合の悪い事でも書いてあるのか?」


 ブレンはう~ん、と唸って逡巡していたが、仕方無いというように言った。


「シュトラウス男爵令嬢に付けた忍者から、第一報が届いた」


「なに?」


 私は思わず立ち上がった。その勢いにブレンが仰け反る。


「なんだ!何が書いてあったのだ!イルミーレに何かあったという報告では無いだろうな!」


「いや!違う。違うから落ち着け!」


 ブレンが慌てて手を振る。落ち着いてなどいられない。イルミーレがいなくなって既に二週間。イルミーレの事が心配でならないし、私のイルミーレ欠乏症は深刻だ。イルミーレに何かあったという報告以外なら何でも聞きたい。


「・・・何かあったという報告では無いけど・・・。聞いてもがっかりするなよ?」


 がっかり?嫌な予感がする。もしやイルミーレが故郷にやはり恋人がいたとかいうのではあるまいな?もしそんな事になれば私は自制する自信が無い。私の目つきが剣呑になったのに気が付いたブレンがまたも慌てて否定する。


「違う違う!恋人はいなかった。今はいないようだ!と、書いてある!」


 頭に登っていた血が下がる。ふう。良かった。いや、信じていた。私はイルミーレに恋人などいないと信じていたぞ。本当だとも。


「じゃぁ、なんだ」


 私が促すと、仕方が無いというようにブレンは報告書を読み上げ始めた。


「そのな、イルミーレ・ナスターシャ・シュトラウス男爵令嬢だが、実は男爵令嬢というのは真っ赤な嘘だった」


 ブレンは言い難そうに続ける。


「どうも敵の軍務省に当たる役所の下働きをしている平民の女だったらしい。名はペリーヌ。歳は多分16歳。聞き込みをした結果誰に聞いても間違い無く平民で、貴族とは縁も所縁も無いそうだ」


 それを聞いて、予想していた事ではあったものの。私はやはり少し驚いた。目が丸くなる。その表情の変化にブレンは更に言い難そうに言う。


「どうもシュトラウス男爵を名乗る王国の貴族。軍人だったらしいが、それとも血縁関係は無いようだ。そもそもあの家族は全くの他人同士で、夫人、令息も赤の他人。帰還した後は会ってもいないらしいぞ」


 あんなに仲が良さそうだった家族が全くの他人だって?今度は私は本当に驚いた。イルミーレは男爵を慕っているように見えたし、夫人とも非常に仲が良かった。兄とも楽しそうに会話をしているのを何度か見た。


 しかし確かに良く思い返してみると、イルミーレと他の家族は仲が良かったが、その他の家族同士はそうでは無かった印象が残っている。男爵と夫人は余所余所しかったし、兄が男爵や夫人と話しているのは見たことが無い。言われてみれば不自然だった。


 なるほど。私は納得したが、そうなると疑問が沸く。家族と縁も所縁も無いのなら、イルミーレはプロポーズの時に躊躇無く家族を捨てられたのではないか?むむむ、また何故イルミーレがプロポーズを保留したのかが分からなくなってしまったではないか。


「・・・で?他には何か無いのか?イルミーレはどうしているとか、報告は無いのか?」


「え?ああ、普通に下働きに戻って働いているらしいぞ。掃除洗濯、水汲み、炊事、まぁ、何でもやる感じみたいだな。軍務省の下働きと変わらないな」


 イルミーレの手が荒れている理由が分かった。下働き仕事を何年も続ける中であんなに荒れてしまったのだろう。そして、また厳しい仕事で手を傷めているのだ。彼女の細いボロボロの手を思うと胸が張り裂けそうだ。


「他には?他には無いのか?」


「他には・・・。ああ、周囲からとても慕われているとか、記憶力が良いから重宝されているとか、帝国から帰ったら美人になって物凄くモテて大勢の男から言い寄られているとか・・・」


「なんだと!」


 ぐわっと俺が怒鳴るとブレンがうわっと引っくり返りそうになりながら慌てて叫んだ。


「だ、大丈夫だ。彼女に全くその気は無いようだと、書いてある。書いてあるって!」


 私はもはや読まれるのを待つ事が出来ず、デスクを乗り越えて手を伸ばすとブレンから書類を奪い取った。


「おい!」


 ブレンが抗議するが私は無視して書類に目を落とした。ブレンが言ったような事が書いてある。他にも帝国から持ち帰った髪飾りを枕に隠して、それを毎晩眺めているとか、たまに円舞曲を口ずさみながら一人でステップを踏んでいるとか、彼女が帝国を懐かしんでいるような様子も書かれていた。そしてその一文を読んで私は一瞬呼吸が止まった。


「ペリーヌは一日に何度か、物陰や自分のベッドで泣いている事がある」


 ぐ・・・。私は今すぐ彼女の元へ駆け付けたくなった。


 焦燥とやり場の無い怒りに手を震わせている私に、ブレンは溜息を吐きつつ言った。


「じゃぁ、これで、忍者を帰還させてもいいな?」


「は?何故だ?」


 私が意味が分からなくて問うと、ブレンの方が目を丸くして驚いた。


「だって彼女は男爵令嬢じゃ無かったんだぞ?平民だぞ?とてもお前が嫁に取れる身分じゃない事が分かっただろうが。これ以上護衛してどうする」


「馬鹿なことを言うな。彼女が平民な事ぐらい、とっくに私は推察していた。その上で私は彼女に求婚したのだ。いまさら身分など関係無い!」


「は?平民だと分かっていて求婚しただと?お前ホントに馬鹿じゃないのか?」


「馬鹿で結構だ!彼女を手に入れるためなら私は何でもするぞ!イルミーレの護衛は続行!むしろ彼女に男共を近付けるな!」


 私の勢いにブレンがドン引きする。それに構わず私は更に言う。


「彼女の職場が軍務省なら好都合だ。忍者に潜り込ませて護衛とついでに情報収集をやらせろ。公私混同の良い言い訳になる」


「公私混同の自覚はあったのか・・・」




 ワクラ王国軍が侵攻の軍を興し、王国の都を出たのは10月に入ってからだった。イルミーレが帰ってから3ヶ月以上が経っていた。のろ過ぎる。私は早く来ないかと心待ちにしていたというのに。ワクラ王国には常備軍がほとんど無く、戦役の度に地方領主に命じて兵を集めさせるらしいので、収穫の終わりを待ったのだろう。


 帝国の場合は軍務に専従する軍人が常時20万人いて、それ以上の戦いの際にのみ動員が行われる。それは帝国が豊かだから成せる技でもあるが、帝国が他国と争う事が多く毎回動員していたのでは間に合わないからでもある。


 ワクラ王国の遠征軍は7千。ワクラ王国の最大動員兵数は2万だから5千が良いところだと報告されていたのに、思ったより多かった。目標は国境から少し入った所にあるバスラ砦。一応はワクラ王国への備えだが、街道に出る山賊を迅速に討伐するための拠点としてしか使われて無いので、兵力は300人。その小規模さがワクラ王国王国が目を付けた理由だろう。


 ワクラ王国の今回の遠征の戦略的目的は、帝国に勝って国威を高揚させる事らしい。ここ数年、ワクラ王国は(一応は帝国の北東地方もだが)冷害に見舞われており、それに適切に対処出来ない王の求心力は下がっていた。ワクラ王国は封建的な国であり、王権の求心力低下は地方領主の離反を招く可能性がある。それを防ぐための戦役なのだ。


 それにしても最大動員がたかが2万の国が常備兵力20万の帝国にケンカを売るというのはどうも神経が理解し難いな。イルミーレには帝国の兵力も装備の事も話したからシュトラウス男爵も知って王国に報告した筈なのだが。まぁ、男爵が情報収集に来た段階で侵攻は決まっていたから変更出来なかったのかも知れない。


 敵は王国の王太子を総司令官に王国内をノロノロ移動していた。兵力がほぼ歩兵で街道が整備されて無い上に、兵士は普段はただの農民である。腹が立つほど遅かった。私は既に編成が終わっている帝国軍3万に命じ、私自らが率いて王都の西にあるバスラ砦へと進発した。ちなみに帝国軍は三分の一くらいが騎兵で、歩兵も鍛えられた兵士ばかりなのでスピードは段違いだ。


 予め命じてワクラ王国との国境付近に物資の集積基地を作ってあったから、輜重部隊も荷物が少なく足取りが軽い。ただ、輜重部隊には王国軍を撃退した後に仕事があるので員数は沢山連れて来ていた。戦闘部隊3万で輜重部隊含む補助部隊1万。明らかに国境防衛軍の編成では無いので不思議がる部下もいた。


 そもそもこんな小規模な軍を私が率いる事など本来は無い。部下は不思議がったが押し通した。他に任せられる訳がない。


 バスラ砦へ行軍一日の町に陣を張り、ワクラ王国の到着を待つ。この段階で国境で迎撃すればワクラ王国軍を壊滅させるなど話は簡単だが、それでは私の目的が果たせ無い。数日後ワクラ王国軍は国境を越え、殆どがバスラ砦を包囲し始めたが、2千程が分離して近くのエグラ峠という街道では無い峠道を登ってそこを占拠、封鎖した。


 私は敵の配置図を見ながら考える。エグラ峠は街道から分離した先にあり、もしも帝国軍がバスラ砦の救援の為に進撃して来た場合、牽制したり奇襲を掛け易い位置にある。多分、敵の狙いはそこで、バスラ砦への救援を妨害し、その間に砦を陥落させるつもりなのだろう。悪くは無い戦術だ。救援軍がほんの数百なら。


 我が部隊は3万なので、たかが2千が奇襲(しかも知っているのだから奇襲にならない)してきても負ける要素が無いが、砦を攻囲している部隊を攻撃している時に側背をつつかれても面倒だ。


 私は部隊の編成を命じた。1千程の奇襲部隊を編成し、それをエグラ峠の王国軍が陣を敷いた反対側に回り込ませる。かなり遠距離の回り込みになるので騎兵のみでの編成になる。そして程良い獲物に見えるよう500程の部隊を編成し、街道を進撃させた。ただしこの部隊は歴戦の強者の部隊を当てる、


 本隊は待機だ。峠の戦いが終わってからが出番になる。


 囮部隊が街道をノコノコ進撃して行くと、案の定エグラ峠の部隊が動き始める。囮部隊が通り過ぎた後、喚声を上げながら峠を駆け下りようとした。その瞬間、その背後から我が奇襲部隊が一気に襲い掛かった。


 奇襲部隊は騎兵である。スピードも打撃力も違う。それが下り坂で勢いを付けて槍先を揃えて突撃したのである。一撃で敵は大混乱となった。そこへ囮部隊も反転して逆に突入する。狭い峠道で敵は完全に挟み撃ちになり、程なく壊滅した。2千の内1千人が捕虜になり、残りは討ち取られるか逃亡した。我が軍には死者さえ無かった。完勝である。


 その報告を受けてから私は本隊を前進させた。帝国の誇る精強なる帝国軍。騎兵が勇ましく先行し、整然と槍先を揃えて歩兵が続く。残りは銃兵部隊、弩弓部隊、工兵部隊などだ。その先頭に栗毛の馬に跨がり、銀色の甲冑に身を包んだ私がいた。左右に帝国旗、軍旗がはためいているのだから遠目にも分かるだろう。


 はっきり言ってこれは戦闘の陣形では無い。まるで閲兵式だ。だがそんな堂々たる我が軍を見て敵軍はあからさまに動揺した。何しろ敵は2千減って5千。そこに何倍もの大軍が堂々現れたのだ。迎撃しようとは普通考え無い。


 ワクラ王国軍は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。撤退ではない。完全に逃亡である。物資は放置し、武器は投げ捨て、悲鳴を上げて逃げて行く。ワクラ王国の兵士は普段は農民なのだ。難局に耐えて戦う粘りなど無い。


 バスラ砦の危機は救われた。というか、敵の攻撃は準備段階で始まってもいなかったから危機でさえ無い。私は砦から出てきた守備隊長を労うと、そのまま街道を全軍を率いて前進した。


 この段階で私は別部隊を編成し、逃亡するワクラ王国軍を追跡させていた。報告によれば殆どの軍が四散した中、僅かに1千程の部隊が秩序を保って撤退中らしい。私は別部隊に更に追跡を命じた。追撃では無く追跡。追撃したら戦が終わってしまう。


 私が軍を率いて国境を越えようとすると流石に部下から異議が出た。


「別部隊が既に追撃しておりますし、本隊はここで軍を返しても良いのではありませんか?」


 参謀のフリッツ大佐が馬上で焦げ茶の頭を傾げて進言してくる。スラッグ大佐も頷く。


「これだけの軍勢で国境を越えると、完全に全面戦争になってしまいます。国際的によろしくは無いかと・・・」


 ちなみにブレンは私の後ろに控えているが、もう何も言わない。言っても無駄だと悟っている。


 私は一笑した。


「問題は無い。私は今回の遠征でワクラ王国を滅ぼすつもりだ」


 参謀連中の目が点になった。副将のファブロン将軍が慌てたように言う。


「ど、どういう事なのですか?私は聞いていませんよ?閣下!皇帝陛下の勅許はあるのですか?」


 ファブロン将軍は身分は子爵だが私の腹心で、年齢は30歳。灰色の髪とブラウンの瞳をしている。彼は慌てたように馬を寄せて来た。


「もちろんだとも。陛下は私をして軍事の大権を任せるとおっしゃった」


「そ、それはこの侵攻の事ではありますまい!この侵攻については得ているのですか?」


 ちっ、鋭い奴め。私は何食わぬ顔で言った。


「反対はなさらなかったぞ」


「ちゃんと奏上していないだけと違いますか?」

 

 私は素知らぬ顔で言った。


「反対はなさらなかった」


「つまり独断なのですね?」


 私はニヤリと笑って返事をしなかった。ファブロンが顔を引き攣らせる。


「閣下、最近おかしくありませんか?以前はこのような事はなさらなかったでしょう?軍を自分だけの判断で動かすなどこれまで無かったではありませんか。まして他国への侵攻は大問題でございます。冷静になって下さい」


 ファブロンの忠告は身にしみるが、今回ばかりは無視させて貰う。


「ダメだ。ファブロン。今回だけは私の我が儘を通させて貰う。尚も反対するなら貴様はここに残す」


 私の断固たる物言いにファブロンも漸く口を閉じる。ブレンが首を振ったのが視界の端に映った。


「では行くぞ!」


 私は全軍を率いてワクラ王国との国境である小さな川を越えた。

 



 



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