第三章

1   『都築テクノコーポレーション』


 綾乃のMAZDA6は、第三京浜を走り首都高三ッ沢線に入ると、みなとみらいで高速を降り本町通りを目指した。目的の『都築テクノコーポレーション』は、本町二丁目の角にある大きな生命保険会社ビルの5Fにあった。灯台下暗しである。


「専務さんは、いらっしゃるかしら?」綾乃は、受付の若い受付嬢に聞いた。

「申し訳ございません。高杉でしたら、只今外出中でございまして…、お約束でしょうか?」

「そうなんですけど、どういうことかしら、珍しく約束を忘れるなんて…」

「それでしたら、連絡を取ってみますので…」受付嬢は恐縮をしている。

「そうしてくれますか? 柏木正蔵の妻ですけど…」綾乃は、得意技を使った。            

 受付嬢が連絡を入れるが、電話の呼び出し音はいつまでも鳴ったままである。

「分かりました! 大事な用事なので、わたくし直接家の方に伺うことにしますわ。念のために、住所と電話番号教えて下さいな」

「少々、お待ちください」受付嬢は、パソコンの画面を見ると書き写し、綾乃に謝りながら手渡してきた。                           個人情報の不法取得である。綾乃は、心が咎めたが背に腹は代えられなかった。

「ありがとう。そうそう思い出したわ。机の上にプレゼントを置いておくって、言ってらしたから受け取ってから帰ります。 高杉専務の席は何処かしら?」

「はい、窓側の左から二番目でございますが…」

綾乃は、最後まで聞かずに事務所に入ると、目的の席を一直線に目指した。

 社員数名が、高級スーツに身を包んだ長身の女を、怪訝な顔つきで追っている。

「あったわ此処に!」綾乃は、オーバーな身ぶりで声に出すと、机の上に残されていた湯飲み茶碗をトートーバックの中にしまい込んでいた。まさに電光石火な早業である。綾乃の理解できない行動に、社員たちはかける言葉もなかった。



 綾乃は、加賀町署に戻ると間髪を入れずに指示を出していた。

「古畑巡査部長、至急この湯呑み茶碗の指紋と例のデータを照合してもらって…」

「了解です。でも警部補、どこからこれを?」

「詳しくは言えないわね。少々反則技を使ったから…」

古畑は、急いで鑑識課下村摩耶のもとに走った。時間的に鑑識作業のリミットが近づいていたのだ。

「下村さん、また急で悪いけど、これお願い出来ますか?」

「いいですよ。私だって、結果に繋がらなければ、欲求不満になってしまうしね」

「ありがとうございます。恩に着ますよ」

「それより、私との約束忘れていないでしょね」

 下村摩耶は、40代半ばのシングルマザーである。あながち、お愛想でもなさそうであった。


「古畑巡査部長、あなたの頼みだと下村さん、断れないみたいね」

「いや、深い理由はないと思いますが・・、どちらかというと、警部補と同じような性格の人ですね」

「それは、どういう意味かしら?」

「仕事となると、妥協を許さないところですかね。また、お互いに美人だし!」

「古畑くん、キャラ変わった? いつもと、違うけど…」

「そんなことは、ないと思いますけど・・・」

 寛げる時間も、束の間であった。


 鑑定の結果、指紋Bが都築テクノの高杉であることが証明されたのである。 残る 未判定の指紋の主は、柏木と謎のX氏である可能性が高かった。

しかし、いまだに犯人と思しい人物からの接触はなく、砂羽を拉致した目的も明らかにされていないままである。綾乃は、捜査の行きつく先が見い出せないでいた。



 2  砂羽と彩香は何処に・・・



 昨晩、三人の男達に拉致された形の砂羽の乗った車は、紅葉坂付近から狭い路地に入り、予め用意してあったミニバン『アルファード』に乗りかえると、新山下から3号狩場線に入っていたのであった。黒いセダンを追うよう指示していた綾乃の失態である。                                 狩場JCTで横浜横須賀道路に乗り継ぐと朝比奈ICで降り、狭い一般道を注意深く走っていた。目的地は、目の前に相模湾が望める『リビエラ逗子マリーナ』であった。

『リビエラ』で待っていたのは、『マンジャーレ』で会った数日後に、砂羽に『ストーリー』を伝えて来た背の高い秘書兼運転手であった。

「砂羽さん、ご協力ありがとうございます。さぞお疲れでしょう。温かい食事を用意しておきましたから、冷めないうちに召し上がって下さい」

「ありがとうございます。彩香は、まだですか?」

「もうすぐ、到着すると思いますよ」

「そうですか…、彩香と一緒に食べたいと思いますので…」

「それも、良いでしょうね」男は、砂羽に丁寧に応対した。


  *


砂羽が、杉下春奈との横浜デートのあと、数人の男達によって拉致されることは、 織り込み済みのストーリーであったのだ。紳士から電話で相談を受けた際、彩香の母に対する日ごろの言動から判断すると、彩香と母親綾乃の対面は、通常の状態の中では、なかなか実現は難しいだろうと、砂羽は助言をしていたのであった。

「それでは、こういう段取りはどうかな? あなたが何者かによって拉致されたと仮定して、それを苦労しながらも解決したのが成宮刑事であり、偶然そこにいた彩香さんが、母の仕事ぶりに感動し、それが母としての評価の再認識に繋がっていく・・」

「オジサマ、それ素晴らしいと思います」

「そうですか、是非あなたの協力も必要になるかも知れませんが・・・」

「彩香のためなら、どんなことでも協力しますわ」


  *


 その時、待ちかねていた彩香の到着であった。

「砂羽どういう事よ。知り合いから逗子のリゾートマンションを借りられたから、 泊まりに来てって…、おまけに運転手付きだし…、私にも都合があるんだけどな…」

「ゴメン、ゴメン。一人じゃ寂しすぎて…。こんな機会滅多にあることじゃないし、第一もったいないじゃない」

「それは、そうだけど…」

「お二人とも、温かいうちに召し上がって下さい。特別に『マンジャーレ』のシェフに作らせたものですよ」

「砂羽、この方は?」 彩香の素朴な疑問である。

「今回、この部屋を貸して頂いたオーナーさんなの。ね、濱田さん!」

 砂羽は、彩香に気付かれないように濱田にウィンクを送った。

「はい、確かに・・・。私は、そろそろ失礼をさせて貰いますのでね」

「そうですか、ありがとうございます。でも、どうしてこんなにご親切に?」

彩香は、濱田のこの部屋に馴染んでいない不自然さに、疑問を感じたのだ。


「それは、・・・いえ、別荘というのは、、普段から人が使ってないと痛むものでしてね・・・、どうぞお気になさらずに使って下さい」

彩香は、まだ納得のいかない様子であった。

「なんでもいいから頂きましょうよ。せっかく作って頂いたお料理なんだから…」    砂羽が苛立たし気に、催促をした。

「そうね。じゃあ、遠慮なく頂きますね」                  若い二人は、食欲には勝てなかったのである。


 *


 一方、綾乃は、『都築テクノ』の受付嬢から渡された高杉の電話番号に、数回に渡って掛けていた。はたして、三回目に高杉は出たのである。

「私、昼間に御社に伺った者ですが…」

「はい、伺っております。申し訳ありませんでした。仕事が立て込んでおりまして、柏木様の奥様が一体どういうご用件で・・・」

電話口から、高杉の警戒した声が聞こえてくる。

「ちょっと、お話したいことがありまして…」

「柏木さんは、独身だと思っておりましたが・・・」

「…、いえ、まあ、外ではそんなことを言っているみたいですわね。モテたいばっかりに…」綾乃は、署内の熱い暖房のせいか、久しぶりに掌に汗をかいていた。


「私が紹介した野添が、何か失礼なことを・・・」高杉の言葉の中に固有名詞があった。綾乃は、それを聞き流すことはなかった。

「ええ、そのことなんですが…」

「わ、分かりました。会社では都合が悪いので、『マリンタワー』の前でなら」

「ちょうど、良かったわ。私も10分ぐらいで行ける場所にいますので…」

 綾乃は、電話が終わると、古畑に捜査の進捗状況を説明した。


「古畑巡査部長、少しは糸口が見えて来たみたいよ。謎のX氏は、たぶん野添という男で間違いないと思うわ。引き続き高杉の身元調査をお願いね」

「了解です!」

綾乃には、高杉との接触がこの事件を解明する最後の糸口であるような気がしていたのである。チャンスを逃がさないよう慎重に『マリンタワー』に車を走らせた。

1961年以来、横浜の港を見守り続けて来たシンボルである。ウインターイルミネーションの青い光に彩られた円柱の塔が、海の上で揺らいでいる。

大勢のカップルの中に身を隠すように立っている男の影があった。まるで深海に生息する魚の慎重さを思わせた。


「高杉さんですね?」綾乃は、この場の甘やかな雰囲気を壊さないよう、優しい口調で聞いた。

「えっ、・・・」男の視線が、不自然に揺らぐ。

高杉は、50代前半の野心と狡さを兼ね備えているような男であった。

「私は、こういう者です」綾乃は、上着の内ポケットから警察手帳を取り出すと、

出来るだけ穏かに言った。

高杉の視線が、上着に隠されていた綾乃の美しい隆起の上で不安定に揺れている。

「高杉さん、よほど会社で話が出来ない内容なのかしら…」

「刑事さん、私を騙したのですか? てっきり柏木さんの奥様が、私に伝言を伝えに来たのかと・・・」

「いえ、決してあなたを騙そうとした訳ではないの。ただ、真実を知りたいだけ。

この名刺を、誰かに渡した覚えはないかしら? たぶん、野添という名前の男だと思うのだけれど…」

「何処で、これを・・・」明らかに、名刺のコピーに反応した。

「覚えがあるかと聞いているの!」綾乃の口調がきつくなる。

「・・・、たぶん同じものだと・・・」

「その目的が何であったか、教えてもらえるかしら?」


「はい、我が社は、ご存じのとおり大きな施設の電気工事を請け負っている会社でして、ある反社によるトラブルに巻き込まれていた時に、今は退社されてしまった役員の方から柏木さんを紹介されたのです。結果、有難いことに、思いのほか上手く収めてくれましてね。一匹狼なのですが、多くの反社に顔が効くといいますか、いわば、大企業と反社の仲介人のような立場の方でして・・・」

「その紹介してくれた人というのが、『コンチネンタル・ホテル』に勤めていた元役員の浅井隆さんという事ね」

「どうして、それを・・・」


「良いから、先を話して!」

「野添と私は、高校時代から何故か気が合いましてね。でも、野添が何の仕事をしているのか、私には分かりません。何も話してくれないのですから。ただ、大きな会社の秘書兼運転手みたいなことをしているのは、何となく分かっていましたが・・・。

そんな彼と、一週間ほど前に飲んでいた時のことなんですが、『大きな声では言えないが、裏稼業の『便利屋さん』みたいな簡単な仕事を引き受けてくれる人を知らないか』と聞いて来たので、以前お世話になった柏木さんを紹介したという事なのです。この名刺は、その時に渡した物だと思います」

この証言から、名刺に残されていた四つのパターンの指紋の持ち主が確定したのであった。

砂羽と彩香の行方を、野添が知っている可能性が大きくなった。

「高杉さん、野添さんと連絡を取る方法を教えて!」

「残念ながら、携帯の番号しか知らないのです」

「良いから、早く教えなさい! それと、忠告をしておくわね。反社を便利屋のように使うのだけは、止した方が良いわね。いずれ、泥沼に嵌まることになるわ。彼らを甘く見ると、最後には会社を取られることになる…」




 3  『リビエラ』



 綾乃は、通信装置のスイッチを入れると古畑を呼び出した。

「緊急指令、古畑巡査部長、今から言う電話番号の位置情報を教えて!対象者は野添修三。 番号090-17**-****」

「警部補了解しました。しかし、位置情報がオフになってなければいいのですが」

「もうそこは、運に任せるしかないわね」

位置情報を把握することは、捜査機関の強い要望により、2016年に、総務省が個人保護に関するガイドラインを改定したことにより可能になっていたのである。しかし、個人の判断で位置情報をオフにすることも出来るのである。これにより、他のアプリの使用が制限される可能性も残されていた。

暫くすると、古畑から連絡が入った。

「警部補、神奈川3号から横横に乗り逗子ICで降りるルートをとって下さい。また追って連絡を入れますので・・・」

「了解です!」

綾乃は、赤色灯をMAZDA6のルーフに乗せ、サイレンを鳴らしながらフルスピードで公園通りを駆け抜けると、逗子ICを目指した。30分とはかからない距離であった。

「警部補、降りましたら、逗葉新道を小坪港方面に向かって下さい」

「了解! 小坪って『マリーナ』のあるところかしら?」

「たぶん、その可能性はあると思います」

「了解!『マリーナ』に向かいます」


 綾乃が、位置情報を頼りに行きついた場所は、やはり『リビエラ逗子マリーナ』の駐車場であった。大きな黒いセダンの影に長身の男の姿があった。

綾乃は、バックホルスターのホックを外すと、反撃に備えた。

「成宮刑事さんですね。あなたの娘さんを含めたお二人は無事ですから、どうか安心して下さい」

「あなたは、誰? 私が警察官であることを知ってのことかしら。両手を上に上げて!」

綾乃は、S&Wsakura をホルスターから引き抜くと、男の眉間にホールドした。

「待って下さい! 私は、あなたをお嬢さんに引き合わせるために協力しただけなんです」

「協力しただけだって? そんな適当な言い訳が通るわけないじゃない!」

「本当のことなんです。私を信用してもらえませんか?」

「その前に、どうして私がここに来ることを…?」

「それは、高杉から連絡がありまして、刑事さんがこちらに向かっていると聞いたものですから・・・」

「と、いう事は、あなたが『挑戦状』を春奈さんに託して、私の手に渡るように仕組んだ謎の男,すなわち野添修三ね。タイムリミットまで設けて、緊急性を煽った意味は何?」

「それは、あなたに本気で事件解決にあたって欲しいという願いでもありました。

私にも仕事がありますので、あまり長引かせたくなかったという理由もありまして・・・。でも、そんなことは私の杞憂に過ぎませんでしたね。あなたは、やはりあの人の話していたとおりの、卓越した能力を持った警察官だったのですね」

「笑わせないで!警察官を馬鹿にするのもいい加減にしなさい!」            綾乃の怒りが収まらない。

「その証拠に、私は捜査の糸口として、一枚の名刺しか渡していないのです。結果は、どうだったでしょう? たった二日間で、ここまで辿り着いたのですから。もし無理であれば、もう一つのヒントを与えるつもりでした。その必要もありませんでしたが・・・」

「おかげで、食事にもあり着けていないわ。ダイエットの必要はないのにね」

「申し訳ございません。後ほど、このリゾート内にある『リビエラ』で食事をご一緒に・・・」

「冗談じゃない! 事件はまだ終わっていないわ。首謀者の名前を教えなさい!」

「すべてをお話しますから、その前に拳銃を降ろして頂けませんか・・・」

 綾乃は、安全装置を掛けると拳銃をホルスターに戻した。


「あの人は、あなた成宮刑事が好きなんでしょうね。それは愛していると言っても良いかもしれません。あなたに敵意を感じさせる行動をとるのも、一種の前戯だと言っても的外れではないと思いますよ。                      ある店であの人と食事をしている時でした。偶然あなたの娘さんと友達が話している会話の内容が耳に入って来てしまいましてね。

それは、あなたを母親として認めていないという事でした。あの人にとっては、ショックな事だったのでしょう。弱い人々に寄り添い、希望を与えるのがあなたの使命であると、雑誌の上でも語っていたあなたですからね。その正義感に、あの人が惚れていたとしても不思議な事ではないと思っているのです。 人は、自分が持っていないものへのあこがれもあるのでしょうからね。

           

 あなたに、母親としての資格がない事は、あなた自身が十分に感じていると想像しているのです。自分の仕事を優先にすることで、7歳の子供を捨てたと同然の行動をとったのですからね。子供が人とは違う自分の生い立ちを嘆き、母親を許せない気持ちに至ったのも十分に理解できます。                    しかし、あなたは、10年間の誠実な仕事をとうして、社会の中で弱者として働く女性たちに大きな勇気と使命感を与えるまでの存在になった。あの人は、そこを18歳になる娘さんに理解して欲しかったのではないですか、私はそう解釈しているのです」


「野添さん、それは私を買いかぶりすぎというものです。私は、そんな志の高い人間じゃないわ」


「いやいや、人間の評価なんて、自分で決めるものではないと思いますよ。歩いて来た道のりを振り返った時に、開拓された道が少しでも残っていたなら、それがあなたに対する人々の評価なんだと私は、思いますよ」


 綾乃は、野添の言葉に心の落ち着きを取り戻していた。

「あの人の描いたストーリーを忠実に再現することが、今回私に課せられた仕事であったことは、お話した通りです。あなたを騙したようなストーリーには、反省しなければいけないと思っています。

しかし、多くの弱者に必要とされる社会的な存在にまでなったことを、彩香さんに分かって欲しかったのです。それが、今回の目的だったのです。                もちろん、専業主婦も社会にとっては、必要な存在ですよ。そのことを、非難するつもりはないのです。肝心なことは、女性が自分の能力を最大限に発揮できる場所を社会が与えられるか、どうかでしょうね・・。

あの人は、そのことを、彩香さんたち次の世代に引き継いで欲しいと願っているのだと私は、思っているのですよ」


「でも、そんな素晴らしい人が考えた『ストーリー』,いえ『シナリオ』にしては、ずいぶんと軽薄な脚本を考えたものね…」

「はい、そこが、あの人の精神構造の不思議なところでして・・・、巨大組織をまとめる人間は何処か支離滅裂なんですね。あなたに執着するのも、そもそもそれが原因なのかも知れません」

「そんな事より、二人の匿われているマンションの部屋は一体誰のものなの?」

「高杉さんからお借りしたものなのです。そもそもこのマンションの開発は1971から始まりましてね。ヨットハーバーやレストランも完備されたマリーナリゾートでして、ヤシの木も多く植えられていて、地中海的な雰囲気から湘南の方にも愛されて来たのです」

「あなたは、不動産屋さんみたいに詳しいのね?」

「はい、私は、もともと『ハマシンホテルズ』にいたものですから、業界のことなら少しは分かりますので・・・」



 4  新たな『挑戦状』



 高杉の所有する部屋は、12階建て本館の最上階、角部屋であった。

綾乃は、野添に案内されるままに従った。

ドアがわずかに開いていて、部屋の灯りが細長く廊下に伸びている。

「おかしいですね。部屋の鍵が掛かっていない。私が鍵を掛け忘れたとは思えないのですが・・・」野添の顔がわずかに曇った。                                「砂羽さん、彩香さん、野添です!」


部屋の中には、人のいる気配がしないのである。綾乃は、部屋に飛び込んだ。

「安心して! 私は警察よ! 隠れていないで、出て来て…」

「何かおかしいですね!」「こういう段取りでは・・・」野添が思わず呟く。

「ほんとにこの部屋なの!」「もう、いい加減にしてくれない!」

綾乃の声が思わず、荒くなる。


「刑事さん、いるはずの二人がどこにもいません! どうしたんでしょう?」

「惚けないで!これも、予め書かれていたシナリオ通りだというの?」

「いえ、とんでもないです」

「あなたは、警察官を騙して捜査活動をさせたの。これは、立派な『偽計業務妨害』にあたるわ。現行犯逮捕もありえるわね」

「いえ、何かの間違いです。信じて下さい・・・」

その時、トイレに人の気配があった。用心深く開けられた扉の中に、若い女性の姿があった。

「誰なの? 安心して出て来て!」綾乃が、優しく声を掛けた。

そこにいたのは、砂羽であった。服の乱れは見受けられない。

「彩香のお母さんですか? 彩香が理由も分からず連れ去られたの!」     砂羽の悲痛な叫びが、部屋中に響いた。

「野添さん、私はこんなこと聞いていないわ」砂羽の疑いが、野添に向かった。

「砂羽さん、私にも、何が何だか・・」野添の狼狽えた姿が真実を語っている。


「砂羽さん、泣いていないで何が起こったか、詳しく話してくれない?」     綾乃は、一刻も早く、状況を知りたかったのだ。

「私たちが楽しく食事をしてたら、インタフォンが鳴って…、それで野添さんだと思ったからドアを開けたんです。そうしたら3人の男達が無理やり押し入って来て、

『成宮刑事の娘はどっちだ』って、聞いて来たんです。              私は怖くて声も出せなかったんだけど、そうしたら彩香が『私が、成宮綾乃の娘です』って、堂々と名乗り出てくれて……」

「彩香が、私の娘だって言ったのね」綾乃の胸に熱い物がこみ上げてきた。

「そうなんです。私彩香のあんな姿見たことなかったので…、びっくりして…」


 綾乃は、砂羽の手に握られていた一枚の紙が気になった。

「砂羽さん、あなたの手に握られているものは何かしら?」

「これは、彩香が連れ去られる際に男たちが残して行ったものです。刑事さんに渡してくれって…、」


 【  成宮刑事へ


 ここからは、俺たちが新たに作ったシナリオを楽しんでもらうために、娘さんを預かることにしたんだ。いわば、改訂版とでも言おうか。

世の中は、実に不公平にできているとしか考えられない。その存在の際たるものが、あんたの存在だろうね。本来男の従属物であるはずの女が、国家から『逮捕権』を与えられただけで、我々の存在を虫けらのように潰そうと画策し、おまけに

『チャカ』の力を借りてまで、俺たちの息の根を止めようとする。

 

 そこで、不公平を無くすために考えたことがある。それは、国家権力に守られた鎧を全て脱ぎ捨てて、俺たちに対峙することが出来るかと言うことだ。具体的に鎧とは、警察官だけが所持することが許されるすべての武器だよ。

 あんたの場合は、刑事成宮綾乃ではなく、一人の母親として我々と堂々と戦う意志があるなら、それを尊重して娘を安全に娑婆に返してやってもいい。


娘のいる場所は、マリーナに係留されている『ヴァージン・アイランド』という、 クルーザーの中だ。考えてみると、実に皮肉な名前だな。              


追伸  部屋を出る前に、ケイタイをトイレの中に水没させるんだ。   】   

                                                          


「……、これは私に向けた第二の『挑戦状』と言えるわね。野添さん、この連中に覚えはある?」

「とんでもない! 私は、ただの秘書でして、反社との関りなど考えらえません」

野添の言葉に、嘘はない様子であった。                   綾乃は腹をくくると、謎の集団の『挑戦状』を両手で強く引き裂いていた。




 第四章に続く            


 





 






 





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