砂漠を進む騎士団

 夜の砂漠は昼間とは別物だ。灼熱と極寒という両極端な顔を併せ持つ土地であるゆえ、アレス王国は長年の苦戦を強いられてきた。そして十年前の戦争を最後に、かの侵攻計画は頓挫したかのように見えた。―表向きは。


 アル・シャンマール最西にある街カティ―フ。十年前の戦争で、アレス王国が攻め落とし、一時的に支配した街だ。驚くべきことに、カティーフまでの地図や点在するオアシスは、機密情報として非公式に保持されていた。そればかりでなく、早さこそ砂馬には劣るものの、砂漠を進める大型の騾馬ラバ。加えて熱砂対策の鎧、訓練された辺境騎士団、と王国の用意周到ぶりはリュシアンの想像を遥かに超えていた。


「兄上―いえ、団長。まさかこれほど早く出立が叶うとは、思ってもみませんでした。」


 夜の砂漠を連れ立って騾馬を進める騎士たち。その先頭に立つ一人の男は、リュシアンに声をかけられ、毅然と振り返った。

 背中まで伸びた鳶色の長髪をさらりと纏めた屈強な男は、王立騎士団長―アルヴィン・ブラッドリーである。意志の強さを感じさせる太い眉に、鋭い眼光を放つ灰紫の瞳はリュシアンと少し似ている。だが圧倒的に異なる部分があるとするなら、その身に纏う威圧感だろう。そこに立つだけで、獅子すら尻尾を巻いて逃げ出すような凄味がある。アルヴィンは鼻を鳴らすと、大したことでもなさそうに淡々と答えてみせた。


「ふん。国境演習のついでだ。シャンマール攻略は、陛下のかねてよりの悲願でもある。間違ってもお前のためではなく、陛下のご意向だ。蛮族が狼藉を働いたのなら、粛清するのが筋というもの。」

「それでも、俺にとってはありがたいお話です。」


 立場と状況が相まってか、久々の再会でありながらも兄弟の間には重苦しい空気が流れている。だがその間を突如、場違いとも言える明るい声が割り込んできた。


「いや~、僥倖ぎょうこうというやつですね~! これなら問題なく砂漠を進めそうです!」


 途端に、団長アルヴィンのまなざしが刃のように鋭くなった。瞬時に、獣が獲物を探すようにゆっくりと周囲を見渡す。そして騎士たちの中に紛れ込む童顔の青年を見付けると、辺りは一瞬にして凍り付いた。


「……なんだ、貴様は」

「ああ、すみません。僕は第十三王女殿下の教育係で、セシル・オルコットと申します。」

「そうか。で、貴様の行軍を許した覚えはないが……どういうつもりだ?」


 いきなり剣を抜いて斬られてもおかしくない殺気の中、周りの者たちは誰もが目を背けながら、カタカタと鎧を鳴らして震えあがっていた。しかしながら、セシルだけはさして気にも留めず、己の熱意を込めて意気揚々と自己紹介を始めた。


「僕、こう見えても大陸の文字や文化には詳しいんです。なので、奴らのシャンマール訛りの通訳として、お役に立てるかと。何より、殿下の一大事なんですから……もう、居ても立っても居られなくて! どうしても、だめでしょうか? 僕の身はそこのブラッドリー卿―失礼、弟さんが保証しますから!」

「オルコット卿! 俺はあれほど王都へ戻るようにと―」


 その言葉の通り、リュシアンはセシルに王都へ戻る様にと忠告したのだが、結局止められず今に至るというわけだ。護衛騎士は戸惑いを禁じ得ないまま、兄と教育係とを交互に見つめていた。

 一同が固唾を飲んで見守る中、アルヴィンはしばらく睨むようにセシルを凝視していたが、急に興味を失ったのか、冷ややかな視線を外した。


「まあ、よい。戦えぬ者は異国の地で勝手にくたばるだけだ。貴様にその覚悟があるなら止めはしないが、私は責任を負わぬぞ」

「……良いってことですか? ありがとうございます!」


 無邪気に喜ぶセシルを見ながら、リュシアンは頭を抱えていた。けれども、彼の目的はただ一つ。シエナの奪還のために、気持ちを引き締めようと兄団長に今後の展望を尋ねる。


「それで……カティーフに向かわれるということですが、そこに姫様がいらっしゃるということでしょうか?」

「いかにも。使者による戯言には違いないだろうが、用心するに越したことは無い。よって、奴らを葬り去ることとする。」

「……?」


 リュシアンは今一つ要領を得ないまま、首をひねった。そもそも、こうもあっさりと行軍を許されたのも意外なことである。騎士団長アルヴィンは王令に忠実だ。ゆえに、国王からの命令がなければ自己判断で動くはずがない。まるで、彼らはアル・シャンマールへ攻め入るように、ずっと前から命令を受けていたような段取りの良さだ。


「それでは……奴らの言い分を聞かずに、宣戦布告なしで攻め入るのですか?」


 その違和感は、少しずつ嫌な予感へと変わっていく。いつのまにか、リュシアンの額をつうと冷たい汗が流れていた。


「左様だ。王女殿下をさらったという貴様の言い分に従えば、奴らが殿下を生かしている保証はない。今頃、殿下の命はないと思え。」

「―っ!」


 アルヴィンの冷徹な言葉は、いかにも蛮族に対するアレス王国の総意なのだろう。それでもリュシアンはあるじが死んだ、などと思いたくはなかった。敵ながら、あの首領の男―ザイドは、峡谷で彼を殺せただろうに、そうしなかった。むろん何か思惑があってのことだろうが、あの男はシエナの願いを聞き入れ、リュシアンを見逃したのだ。それゆえ「シエナを丁重に扱う」という言い分にも、不思議と説得力があった。

 リュシアンはそのことを口に出すべきかしばらく逡巡していたが、思い切っておずおずと切り出した。


「兄上……奴らは姫様を人質にすると。丁重に扱うと申しておりました。恐らくは……まだ生きておいでかと。」


 決して肩を持つわけではなく、客観的な事実を淡々と述べたつもりだが、その声色は兄の顔色を伺うように尻すぼみになった。


「何を腑抜けたことを。蛮族の言葉を信じるつもりか。既に殿下はなぶりものにされたはずだ。」

「な……そんなはずは!」


 しかし、彼の進言はあっけなく切り捨てられた。アルヴィンの物言いは、あたかもすでに決まり切った事実であるかのようだ。


「確か、貴様は殿下の護衛騎士であったか。さぞ残念だったな。弔い合戦と言うなら、我が部隊へ加わることを許そう。」

「……姫様が、すでに亡くなった? 団長、いくら何でも早計すぎます!」


 だが、誇り高き王立騎士団長はすでに背を向けた後だった。こうなってしまえば、もはや聞く耳を持たないのは、騎士団にいた頃の経験からわかっている。それでもリュシアンは己を曲げることができずに、一人やるせなさを噛み締めていた。


「……大丈夫、ですか?」


 そんな彼を見かねたのか、子犬のように困った眉を寄せたセシルが声をかけた。


「俺が騎士団にいた頃から、兄上が俺の話を聞かないのは当たり前だった。だが今回ばかりは……引き下がるわけにはいかない。」


 騎士団の誰もが、リュシアンとセシルから少し距離を置いて騾馬を進めている。それでも、セシルは周囲を気にするように声をひそめた。


「僕も、殿下は生きておられると思います。向こうも人質にしているなら、生かしていなければ意味がありませんから」


 夜の砂漠に砂埃が舞い、一団から少し離れた二人を覆い隠す。その間に、聡明な教育係はしばし考え込んだ後、良いことを思いついた、とでも言いたげに護衛騎士へ囁いた。


「カティーフまでは同行して、戦乱に乗じて敵地に忍び込み、殿下を探す……というのはどうですか。」


 リュシアンはごくりと唾を飲んだ。戦場での単独行動は危険極まりないことは言わずもがなだ。だが、彼の一刻も早くシエナを救い出したい、という思いがその判断を鈍らせた。


「そう……だな。このままでは、姫様がこちらの攻撃に巻き込まれてしまう危険がある。……他の者たちには悪いが、俺は姫様をお救いすることに注力させてもらう」


 砂漠の夜はまだまだ続く。一行は、日中に次のオアシスで身体を休め、夕闇に乗じてカティーフに向け移動する予定である。


 こうして、さまざまな思惑を乗せたアレス王国連合騎士団一行は、いざ蛮族の巣窟に乗り込もうと足を早めていた。


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