いつつ

 それから二十年の月日が経った現在、僕はその〝つくてな村〟を目指して歩いていた。

 先程、日に一本しかないというバスを降りたところだ。つくてな村までは、徒歩で十五分ほどかかるらしい。

 一本道だから、迷うことはないだろう。僕は電池残量の少ないスマホをポケットにしまうと、暑い日差しが照り付ける中、景色を眺めながら開けた山道を歩いた。

 バスに乗っていた時から感じていた、随分と使っていない引き出しを開けたかのような感覚が、また襲ってくる。僕は七歳の頃、確かにここを通った。叔父さんの車に乗せられて。

 この坂の先に、つくてな村がある。僕が人生で唯一、安息の時を過ごした場所が———。




 やがて、僕は荒れ果てた廃村に辿り着いた。

 ……ここが、つくてな村?

 村の入り口を前に、呆然と立ち尽くした。記憶の中の景色と比べると、随分と変わり果てている。あちこちに点在する家屋は朽ち果てているものがほとんどで、中には山に半分呑み込まれているものもあった。田んぼや畑があったはずの場所は、身の丈ほどもある雑草が生い茂った荒れ地になっている。

 二十年という歳月は、これほどまでに人の息遣いを消し去るものなのだろうか。

 だが、村をグネグネとなぞるように通る砂利道には、タイヤの轍が残されていた。ということは、まだ残っている村の人がいるのだろうか。

 もしかすると———。

 僕は僅かな期待を胸に、村に入った。タイヤの轍を追いかけるように、グネグネと曲がりくねった砂利道を歩いていく。

 荒れ果てた村の風景を眺めながら登っていくと、ふと見覚えのある景色が目に留まった。

 近くに小川が流れる、鬱蒼と茂った竹林。その中に続く小道の入り口に設けられた石柱の門。

 あれは———。

 その時、背後から車のエンジン音が迫ってきたかと思うと、プァン!とクラクションを鳴らされた。

 振り返ると、ボロボロの白い軽トラが狭い砂利道を登って来ていた。慌てて雑草が茂る道の脇に避けると、軽トラはブロロンとエンジンをふかしながら前進し、僕の真横まで来て停まった。

「おい」

 運転席の窓から、痩せぎすの老人が顔を出した。

「あんた、こんな所で一体何やってる」

 しばし面食らったが、僕は素直に、

「祖母の家を訪ねてきました」

 と、答えた。瞬間、老人はしょぼくれた目を見開き、僕の顔をじっと見つめてきた。

「……あの、何か——」

「乗れ」

 僕は言われるがままに、軽トラに乗り込んだ。




「あの、ここは——」

「俺の家だ」

 老人はそう言うと、軽トラから降りて家の中へと入っていった。取り残された僕は軽トラから降りると、老人が入っていった家を見つめた。

 ———懐かしい。

 そこは、紛れもなくおばあちゃんの家だった。屋根がトタンになっていたり、壁が塗り直されていたりと、あちこちが若干変わっていたが、ほとんどは当時のままだった。

 感慨に耽っていると、庭に面している縁側から老人が出てきた。手には、コップが二つ乗せられた盆を抱えていた。もてなしてくれるのだろうか。おずおずと、縁側の方へ向かう。

 縁側に腰かける老人に倣ってその隣に座ると、礼を言ってコップを手に取った。中には、麦茶が注がれていた。

「あの、この家には昔、僕の祖母が住んでいたと思うのですが——」

「知らんな」

 老人は僕の言葉を遮りながら否定した。

「……二十年ほど前です。多分、一人だけで——」

「知らんと言っとるだろう」

 僕は諦めると、話題を変えた。

「あの、あなたはずっとこの村に?」

「いや、何年か前にここへ来た。だから、前にこの家にいた者の名など知らん」

「……そうですか。この村には、あなたの他に誰もいないのですか?」

「ああ、俺だけだ」

「どうしてです」

「何がだ」

「なぜ、こんな廃村に一人で暮らしているんですか。便利も悪いだろうに」

「……俺は好きで残っているわけじゃねえ。理由があってここにいる。いなきゃならねえんだ」

 老人は遠い目をしながらそう吐き捨てると、麦茶を飲み干した。よく見ると、コップを握る右手の小指の、第二関節から先が無かった。

「それを飲んだら出て行け。街まで送ってやる」

「いえ、歩いて帰りますから、結構ですよ」

 そう告げると、老人は怪訝な顔をした。

「……街まで歩いて下るなら一時間はかかる。いいから遠慮せずに乗って行け。それを飲んだらな」

 老人は若干語気を強めて言い放つと、盆を手に家の中へ消えていった。

「…………」

 僕は麦茶を飲み干すと、静かに立ち上がって家の外へと歩いて行った。

 

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