8 初配信の後で

「あー疲れたっ!」

無事初配信を終わらせた詩音が、伸びをしながら満足そうに言う。

「上手くいったな」

「レイフ君のおかげだよ~。配信で使う絵や音楽の準備も配信中の場面の切り替えも全部やってくれたおかげで、台本を頭に叩き込むことだけに集中できたからね」

確かにそういう補助はお手の物だ。

配信中に効果音を付けたり映像を流したりするのは一人では中々しんどいことだが、僕という存在が全て解決してしまえるのだ。

作業補助を謳い文句に配布したものの、まさか配信の補助に使われるとは思わなかったが。

「リスナーの反応も良かったみたいだし、滑り出しとしては上々かな~」

詩音の言葉に画面の中から頷きを返す。

そしてSwitterで配信後の感想を書いてくれているリスナーをリストアップし、詩音に見せた。

「概ね良いことを書いてくれているリスナーが多いみたいだな。期待してくれているみたいだぞ」

「どれどれ? ふむふむ、やっぱりサイコパスネタに触れている人は多いね~。同じサイコパス系のVTuberと比較している人も多いかな。スターの原石なんて言ってくれている人もいるね! なるほどなるほど……お?」

そんなことを言いながらスクロールを続けていた手をふと止めた。

「このままお淑やかなキャラでいてくれるなら、ガチ恋になりそうかもって書いてる人いる! ねえねえ、これってすごくない?」

そう言いながら嬉しそうな顔を向けてくる。

「いや、いくらなんでもその人が異常だろ……」

一回配信見ただけでガチ恋になるとかどれだけ調子良いんだ。一目惚れか?

「いや~一目惚れのガチ恋作っちゃったか~。私って罪作りな女だな~」

「人の話を聞けよ……」

ここにも調子の良いやつが居た。あながちそのガチ恋も普通なのかもしれない。

ただ一言言っておかないといけないことがある。

「ガチ恋には気をつけろよ。アンチもそうだけど、何してくるか分からない奴もいるからな」

好き嫌いどちらかの感情が強すぎて執着してくる存在は一定数いる。

執着のあまりそのVTuberの前世、つまり中身の人の特定をしてストーカーしようとする人だっている。

もちろんそのような人は少数だが、ここはインターネットの世界。特定されてしまうと一瞬で広まってしまう。

詩音は普通の人間であり、特定されてしまうと日常生活に支障をきたす可能性が高いのだ。

僕の場合は特定される要素が無いので問題なかったが、詩音は気を付けなければならない。

「あー人間どう転ぶかは分からないからね~」

詩音が苦笑を浮かべながら頬を掻く。

まあ詩音なら心当たりのあることも多いことだろう。

「でも実際何に気を付けたらいいの?」

踏み込んで質問してくる。経験者に頼るのはいいことだ。

「特定されるのにつながるような情報は出さないことだな。住んでる場所や名前とかの個人情報はもちろん言わないよう気を付けているだろうけど、部屋の間取りだとか交友関係、他のSNSにアップした画像との一致で特定されるケースは多い。特にバレたくないアカウントでシオンのアカウントと同じ内容の投稿をしないことは大事だ」

簡単に守れるようで意外と難しいのがこれだ。有名なVTuberの中の人間の結構な数が素性が明らかにされているが、バレるきっかけはこのSNSの使い方の問題が多い。

もちろん声や歌い方が人気実況者のそれと似ているだとか、どうしようもないバレ方をするVTuberも多いが、SNSに投稿した内容の一致などは注意しておけば避けられるものだ。

だがそう器用な人間は意外と少ない。

喋ることを生業とする人間は「これって前に喋ったかな?」となることも多々ある。ましてやそれを複数に分けて行っている場合、どっちのアカウントで喋ったか忘れたなどということは日常茶飯事なのだ。

「怖いね~。まあ私は積極的に発信しているSNSのアカウントも持っていないし、そこら辺はある程度は大丈夫かな。でも個人情報の流出は気を付けないとね」

確かに詩音はあまりSNSを使わない人間なので問題は無いだろう。しかし、

「気は引き締めておいた方が良いぞ。今まで関わった人間からバレるなんてこともあるし」

残念ながらこれは芸能界に昔から付きまとう問題だ。あのアイドルの出身の小学校はここ、この歌手の親の住所はここなどという話は今でも絶えない。

大抵そういった情報が出てしてしまう原因は、知人が言いふらしてしまうことだ。

たとえ仲が良くても自慢したいという他人の気持ちをコントロールすることはできない。

知人が第三者に自分のことを言いふらすという前提で、どのようにその情報をネットに書かれないようにするか、もしくは第三者にその情報を偽情報と認識させるかといったことに気を配る必要性が生じるのだ。だが──

「すっかり忘れてた……」

やらかした。そんな声が詩音の方から零れてくる。

まさかと見やるとひきつった顔が画面に映りこんでいた。

「一人気づきそうな人がいるんだよね」

そういいながら詩音は僕に向かって苦笑する。

そんなVTuberに詳しいような人はいただろうかと怜輔の記憶を掘り返すが見つからない。

詩音の次の言葉を真剣に聞く。

「大学の先輩なんだけど、VTuberが好きでずっとその話題を振ってきてた人がいるの。もし私に人気が出たら気づかれるかも……」

初耳だ。そんな先輩がいたなんて──もしかしたら友達になれていたかもしれないのになんで詩音は教えてくれていなかったんだろう。

少しどうでもいいことを考える。すぐに詩音の方から答えが返ってきた。

「少し苦手な人でね、できれば気づかれたくないんだ」

ああ話すのもいやなタイプの人なのか。

──ただ非常に困ったことになった。

名前を変えるわけにもいかない上に声も変えていないのだ。

知っている人が見れば一発でバレてしまう。

怜輔の知識だけで詩音のことを分かりそうなVTuber好きな人はいないだろうと判断してしまっていたのが問題だったか。

活動を始めるうえで最初に伝えておくべきだった。

「今からでもボイスチェンジャーをかけるか?」

対策するとすればこれぐらいしかないだろう。

初配信を見た人でも違和感を抱かない程度に少しだけ声を変えるのが最善の方法だとは思う。

「そうだね、お願いするよ」

詩音も納得してくれたらしく、同意の言葉を返してくれた。

「ただ、これでもバレるときはバレるからな? その先輩のことは注意して見ておいた方がいい」

これはいわば応急処置なのだ。声質や高さを少しいじったところで口調や喋るリズムは中々変えられないし、無理に変えてもVTuberの活動においてそれを維持していくことは難しい。

バレることはある程度覚悟しておかないといけないのだ。

「今からじゃそれぐらいしかやりようがないもんね。バレたらもうその時はしょうがないよ」

何とかしてみせるよとあまり信用できなさそうな言葉を吐きながら詩音は笑う。

こちらも何か手は考えておかないといけないな。

「でも────」

詩音の続く言葉に、対策を考え始めた思考のリソースが割かれる。

見ると、さっきまでの無理な笑いとは違った笑みをその顔に浮かべていた。

「ありがとう。レイフ君のおかげで心強いよ」

久しぶりに見た本心からの笑顔に、少しは気を許してくれたのだろうかと考える。

また自分にその顔を見せてくれていることへの嬉しさと、今向けている笑顔の相手はほんものじゃないという気持ち悪さを掻き混ぜながら。

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