52. これ、ペナルティだからね


 僕は破竹の勢いで後ろを振り返った。丸々と、限界まで大きく瞳を見開いて、『その姿』を全力で捉えた。距離にして約一メートル先、ショートカットの黒髪を揺らしながら、両手を背後ろにやって足を交差させている彼女の姿を、舐めるように見やった。

 そこには、まぎれもないその人、僕の想い人。

 小太刀茜が存在していた。


「……えっ、小太刀、さん……?」


 僕は、あまりにもバカみたいな、あまりにも呆けた声をあげる。


「はい、小太刀さんです」


 彼女は、およそ間の抜けた、およそ滑稽な声で、僕にそう返す。

 彼女は僕に少しだけ近づいて、不機嫌そうな顔で肩をすくめさせながら言った。


「あのさ、月代くん。白昼堂々、人の名前を大声で何度も呼ぶの、やめてくれないかな。恥ずかしいっつーの」


 僕は超絶に混乱していた。脳が、状況の理解においついていなかった。

 僕はまず、最初に浮かんだ疑問符をそのまま彼女にぶつける。


「あれ、なんで……、僕が屋上にきたとき、誰もいなかったはず――」

「……ああ、私、さっきまであそこにいたからね」


 彼女は屋上の入り口の突き出し建物、塔屋の上に向かって指をさした。


「あの建物、横にはしごついてるじゃん? なんか、あの上から見える景色ってどんなんかなーって、卒業するまでに一回、のぼってみたかったんだよね」


 彼女はそう言い、イタズラ好きの子どもみたいに無邪気に笑っていた。

 僕はというと、心臓の高鳴りが未だ留まる気配を見せず、彼女のように無邪気な面持ちを見せる余裕は一ミリもない。


「ちょ、ちょっと待って、じゃあ、救急車は……?」

「それね。なんか、二年生がやってる妖怪喫茶とやらで、魑魅魍魎大食いチャレンジっていう企画があるらしいんだけど、他校の生徒がそれに挑戦して、食いすぎでぶっ倒れたらしいよ。クラスのグループチャットで流れてきた」


 彼女の声が、ニュースキャスターが読み上げる地震速報のように、淡々と僕の耳に流れる。


「えっ……、でもさっき駐車場を見た時、血が――」

「血?」


 僕がそう言うと、怪訝そうな顔になった小太刀さんが、トタトタとのん気な足取りで屋上を囲う鉄柵へと向かった。彼女はひょいと身を乗り出して地面の下を覗き込む。やがて、再びこちらを向き直した彼女が、僕に対して呆れたような声を投げた。


「あれ、ペンキか何かだと思うよ。よく見ると、近くでバケツ転がってるじゃん」

「……へっ?」


 僕はこの段になって、ようやくヘナヘナと、全身から力が抜けていく感覚を覚えた。

 平静をとり戻した僕は、とある事実に気づく。

 小太刀さんに関する、彼女の命に関わる予言の内容を頭の中で反芻する。

 何度も何度も読み返したせいで、暗唱できるほど覚えてしまった、その文章。


『十月三日、夕暮れ。天津向日葵が小太刀茜を学校の屋上に呼び出し、告白する。その後、小太刀茜の身体が、屋上から地面に落下する』


 ……そっか、よく考えてみれば、『そう』じゃないか。

 ……予言では確かに、『十月三日、夕暮れ』って、そう言っていた。けど――

 ……今ってまだ、午前中じゃん。……だから、それって、つまり。

 ……予言、変わってたんだ。

 ……僕は、自らの行動で、小太刀さんの未来を変えるコトが、できていたんだ――


 僕はまともに立つことすらできなくなっていた。はぁっと大仰に息をついたのち、ガクッと腰を落として、前屈みの姿勢になった。おそらく小太刀さんは、何がなんだかわからないという様相で、八の字眉を作っていることだろう。


 だだっ広い屋上の空間を、少しの間、静寂が埋めていた。

 沈黙の隙間をぬぐうように、小太刀さんの声が僕の耳の中に放り込まれる。


「月代くんさ、私を探していたみたいだけど、何か用かな?」


 僕はハッとなって、前かがみになっていた姿勢を直した。

 上半身を起こして、小太刀さんの姿が僕の視界に再び映る。

 首を斜め四十五度に傾けながら、彼女は僕のコトを窺うように覗きこんでいた。


 僕は思い出した。僕が、ここにきた理由。

 小太刀さんに対して、何をしなければならないのかを。

 僕は、人知れずぐぐっと、握りこぶしに力を込めた。


「小太刀さん、前に僕は、君に話さなきゃいけないコトがあるって、そう言ったよね。今日は、その話をキミにしたいんだ」


 僕がそう告げると、小太刀さんは表情を変えるコトもせず、しばらくの間ジッと僕を見つめていた。やがて彼女がふぅっと息を洩らして、たゆんだ声を漏らす。


「そう。じゃあちょっと、その話をする前に、月代くん、少しだけ目を瞑ってくれないかな」


 僕は彼女の言葉が、シンプルにピンときていなかった。予想外の展開に少しだけ動揺しつつ、しかし言われるがまま、僕は「わかった」と言って瞼を閉じた。

 暗闇が僕の視界を支配して、小太刀さんが僕に近づく足音が聞こえる。

 そして、僕は、自身のおでこが弾かれるような痛みを覚えた。


「――あ痛ったぁッ!?」


 僕は大間抜けな声を洩らして、思わず目を見開いて、脊髄反射で自身の額に手をやった。

 眼前には、両腕を自身の前にグッと伸ばして、イタズラに成功した子どものように笑う小太刀さんの姿。どうやら僕は、彼女にデコピンをされたらしい。

 彼女は、してやったりと口角を上げながら、愉快そうに声をあげる。


「……たくっ、遅すぎだっつーの。これ、ペナルティだからね」


 僕はヒリヒリとした痛みを額に感じながらも、同時にスーッと、心に絡まった糸がときほぐされていくような感覚を覚えた。

 クリアになった僕の視界に、等身大の女子高生、小太刀茜の全身が映る。


「ゴメン、ゴメンね小太刀さん、そして、ありがとう」


 僕の態度があまりにもしおらしかったからか、ゆっくりと両腕を降ろした小太刀さんが、再び背後ろで手を組んで、「……おう」と照れたようにボソリこぼした。

 小太刀さんは、やっぱり優しすぎる。


 僕の犯した罪に対する罰は、デコピン一発じゃあ、あまりにも釣り合いがとれない。



 僕は彼女の姿を眺めながら、ゆっくりと自然に、喉奥から言葉を吐きだした。


「小太刀さん、僕ね、君と同じように、超能力、使えるんだ」


 ピタリと、一瞬だけ世界が止まった気がした。

 小太刀さんはまっすぐと僕の顔を捉えていて、僕たちの視線は交錯している。


「一種の、予言みたいな力でさ。イヤホンをしている時限定で、誰かもわからない声が頭の中に響いてくるんだ。そして、その声が告げる事実は、僕が何もしなければ、絶対にその通りになる。……二人で上野動物園に行った日、僕が、君のお母さんが危ないってわかったのは、その力があったからなんだ」


 小太刀さんの表情は変わらない。訝しむでも、不思議がるでもない、およそ無表情のまま、彼女は「じゃあさ」と小さく口を開いた。


「なんで、その力のコト、私に教えてくれなかったの? 病院で私がキミに聞いた時、月代くんは黙って、何も教えてくれなかったよね。それは、なんで?」


 淡々と紡がれる彼女の声に、僕は少しだけ躊躇してしまった。「それは……」と一瞬だけ言葉を詰まらせて、一瞬だけ彼女から視線を逸らして。

 でもすぐに、両掌をギュッと握った。再び小太刀さんの顔を見て、僕は無理やり口を開いた。


「僕の力を知って、小太刀さんが、僕のコト、嫌いになるんじゃないかって、僕を拒否するんじゃないかって。……そういう想像しちゃって、怖くなったんだ」


 彼女は少しだけ、寂しそうに目を細めた。僕はズキリと、心臓がえぐられるような痛みを覚える。小太刀さんが「そんなコト――」とこぼして、その先の言葉は続けなかった。

 僕は意を決した。もう逃げるものかと、自分自身にハッパをかけた。


 僕が、本当の意味で、彼女に告白するためには。

 彼女が、小太刀さんが僕にしてくれたように。

 月代蒼汰の最悪な一面を、小太刀茜に知ってもらう必要がある。

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