32. 肘鉄


 瞬間的に、彼の声以外の、一切の音が私の世界から消えてしまった。

 月代くんはたぶん、明確な意志を持って私の心の中に踏み込もうととしている。


 ふいに、私の左肩に、ポンと透明な手が置かれた。思わず心の中の私が振り返る。案定そこには、真っ黒な顔で一切の表情がわからないもう一人の私がいた。彼女はゆっくりとかぶりを振っている。

 私は思案していた。私が『恋愛しない宣言』をしていた理由。それを知っているのはまごうことなく私だけだ。親友のヤエにすら言わなかった。私が『超能力』っていう、厄介な秘密を抱え込んでいるってコトを差し引いても、人に言うのは違うかなって。私が私自身に対して強いた勝手なルールだったから。

 人に言えなかったワケじゃない。……思い出したくないっていう意味では、そうなんだけど――、なんとなく、「人に言うようなことじゃないよな」って。人に言ったところで、「だから?」って話だし、迷惑かなって、私は勝手にそう思って。


 私は、私の過去をずっと一人で抱え込んでいる。

 だから私は、今まで人を好きになるコトができなかったのかもしれない。

 人に対して、本当の意味で、心を開くコトがなかったのかもしれない。

 だからこそ、私は――


「あのさ、月代くん」


 ちょっとした、賭けに出てみるコトにした。


「私の家、母子家庭って言ったじゃん。お父さん、私が中三の時に、家から出て行っちゃったんだよね。そして、お父さんが出て行っちゃったの、私が原因なんだよね」


 やけに、冷めたような口調だな――、我ながらそう思った。私は両腕をテーブルの上に落として、胸の前で腕を交差しながら、だらんとした姿勢で月代くんの顔を眺めてみた。私が思った通りというか、月代くんはポカンとした表情で、何も言わない。

 私は、自身に語りかけるように心の吐露を続ける。


「私が超能力を使えるって自覚したのは、小学校高学年の時。……なんだったかな、タンスの隙間に、お気に入りのアニメキャラのシールが落っこちちゃったとか、そんなんだったと思うけど。手を伸ばしても取れなくてさ、私、『浮け!』って念じてみたんだ。したら、そのシールがフワフワ浮き始めて、私が頭の中で描くままに、手元まで移動してきて――、びっくりしてさ、そのあと、近くのリモコンとか、クッションとか、いろんなものに『浮け!』って念じたら、全部思うがままに動かせるんだよね。興奮した私がお父さんとお母さんにその力を見せたら、二人とも呆気にとられて――、でも、『この力は、あんまり使っちゃダメだからね。余所でやったら絶対ダメだからね』って。私もなんとなく、あんまりおいそれと使っちゃいけない力なんだろうなって、子供ながらに思ったし、素直に言うコトを聞いたワケよ。でもね――」


 そこまで言って、私はちょっとだけ躊躇した。『あの人』の顔が脳裏によぎると、身体の奥から胃液が逆流して、喉の奥がふさがったみたいに声がつっかえて、呼吸のやりかたがよくわからなくなる。

 ……ああ、やっぱ、自分でも思い出さないようにしていたんだろうな。


 人間の身体って、ホントよくできている。身体に入った悪性ウイルスを白血球が全力で退治するように、私の脳は、都合の悪い記憶を頭の片隅に排除してくれているらしい。普段は、思い出すコトすらさせないように。

 ……でもさ、今はそういうタイミングじゃ、ないんだよね。


 私が、人を――、月代くんのコトを、本当の意味で好きになるには。

 フタを閉めて、重い石をのせて、目を背けているままじゃ、きっとダメなんだ。

 受け入れてくれる保障なんかないけど、コイツなら大丈夫だろうって、私が、そう決めた相手。

 月代蒼汰に、小太刀茜の最悪な一面を、知ってもらう必要がある。


 そう決意した私は、私の左肩に置いてある透明な手をはらいのけたあげく、

 真っ黒な顔をしたもう一人の私に対して、肘鉄をかました。



「私ね。自分のお父さんに対して、超能力を使ったんだ。お父さんを、殺そうとしたコトがあるんだよ」


 私はまっすぐに、月代くんの顔をジッと見つめていた。彼は表情筋をピクリとも動かさなかったし、私から目を逸らすこともしなかった。相変わらずポカンと、事態を呑み込めていない子供みたいな顔をしている。私は無表情のまま、口元だけを動かした。


「今からちょうど三年前、中二の夏休み明け。部活の帰りに友達と喋ってたらちょっと帰りが遅くなっちゃって、お父さんがそのコトで私に小言を言ったの。普段は、ハイハイ、って聞き流すくらいなんだけど、なんかその時は、虫の居所が悪くてさ、言い返したら、お父さんもカチンと来たらしくて――、まぁ、結構な勢いの喧嘩になっちゃったんだよね。その日お母さん、仕事で遅くて家にいなくてさ、私らの喧嘩を止める人、いなくて。……私の口から、ひどい言葉がどんどん飛び出していった。口を開けば開くほど、私の頭に血がのぼっていくのがわかった。お父さんのコト、嫌いってワケじゃなかったんだけど。まぁ私も一応女子だし、いっぱしに、反抗期ってヤツだったんだよ」


 フッと、乾いた息が私の口から漏れた。自戒のこもった嘲笑を、私は自分自身に向けた。


「お父さんも、引かなくてさ。私たちはお互い、怒鳴り続けて――、私、お父さんの声聞くの、耐えられなくなっちゃって、心の中でこう思ったの、頭の中でこう念じたの。お父さんなんか、死んじゃえって。……そしたらさ、お父さんの身体、すごい勢いで後ろにふっとばされた。壁に背中から思いっきりぶつかって、はりつけみたいな恰好になって。そのままお父さんは、自分の両手で自分の首を絞めはじめた。お父さんの顔、すごい勢いで青くなっていってさ、妖怪みたいに開いた目が今にも飛び出しそうでさ、苦しそうに、口からよだれ垂らしてさ」


 どこか薄ぼんやりとしていた記憶のイメージ。私が言葉を紡ぐたびに、段々と鮮明になっていった。心の奥底で、熱のこもった感情が溢れる。やり切れない気持ちがこみあげてきて、私は下唇を強く噛んでいた。そして、あるコトに気づく。

 ……ああ、そうだったのか。


 私、後悔していたんだ。自分が、やったコト。自分が犯した、罪を。



 私の声が震えはじめた。視界がじわりと滲んで、水晶体の表面が熱くなる。それでも私は月代くんから目を逸らさなかった。嗚咽が漏れそうになるのを必死にこらえて、私は喋り続けた。


「私、ハッとなって、急に怖くなって、心の中で、やめてって叫んだ。お父さん、糸が切れた人形みたいにその場にへたりこんで、思いっきりせきこんでさ。……心配になった私が近づいたら、お父さん、ヒッ、って、聞いたことないような弱々しい声、出した。まるで犯罪者を見るような目で、私を見ていた。――その日からさ、お父さん、私に妙によそよそしくなって、お母さんと口喧嘩するコトも増えて、一年もしない内に、家から出て行っちゃった」


 一度あふれ出た言葉は、もう止まらない。息継ぎもままならずに声をだしているからか、喉の奥が裂かれるように痛む。けど、私はそんなコト、気にしていられない。


「急に怖くなってさ。私の力って、簡単に人を殺すコトもできちゃうんだなって。ああ、私ってもう、フツウじゃないんだな。『おかしな人間』なんだなって――、『おかしな私』なんて、誰にも愛されるわけないよね、受け入れられるワケ、ないよね。……お父さんですら、私から逃げちゃったんだもん。そう考えるようになってからさ、それまで仲良くしていた友達も、私の超能力のことを知ったら、離れていっちゃうのかなって。私は、人と距離を置くようになったんだ。表面上は仲良くしていても、決して心の奥までは踏み込まないし、私も、本当の意味で人に心を開くコトはなくなった」


 私はそこまで言うと、ふぅっ、と大きく息を吐き出した。テーブルの上にのせていた両肘をグッと前に伸ばす。「んんっ」と小さなうめき声が私の口から洩れて、幾分か心が軽くなった気がした。月代くんはというと、黙って、長い前髪から覗き見えるその瞳で、ひたすらに私の顔を見ている。私は言葉を続けた。


「中学の卒業式の時にね、部活で一緒だった男の子に告白されたの。俺、小太刀のコト好きだったんだって。私が、私のどういうところが好きなの? って聞いてみたら、私の、裏表のない性格が好きって。……笑っちゃうよね。裏表どころか、私自身、誰にも心なんて開いてないのにさ。私はその子にゴメンって言って。そん時に、思ったんだ。ああ私、一生恋愛なんてできないんだろうなって。……だから、さ――」


 私は、凝り固まった頬を思いきり引き延ばして、無理やり笑ってみた。


「私に恋愛なんて、到底無理。だから私は、『恋愛しない宣言』をしていたんだ」


 ……でもね。

 月代くんに告白されて、最初は戸惑ったけど、キミと一緒の時間を過ごしてみて、私はたぶん、キミをどんどん好きになっていった。こんなにもはしゃいでいる自分が信じられなくて、誰にも言えなかった私の過去、私の、最悪な一面ですら知って欲しいって。

 知った上で、こんな『おかしな私』でも、キミなら受け入れてくれるんじゃないかって――



「月代くん、私ね。キミのコト……、って、えっ?」


 再び口を開いた私は、しかしすぐに言葉を失っていた。

 ポカンと大口を開いて、私は呆気にとられてしまった。

 何故なら、眼前の月代蒼汰の目から、長い前髪がかかっている大きな瞳から、大粒の涙がこぼれはじめたからだ。

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