30. 月代くんとバクが私を待っているのだ
一学期が終わり、夏休みに突入した。……といっても、ほぼ毎日水泳部の部活動で学校には行っているので、生活のサイクルは普段とあまり変わらない。まぁさすがに一日中泳いでいるってワケでもないから、昼過ぎには解散になるんだけどね。
一週間に二日程度は部活自体が休みだったので、そんな日はもっぱら月代くんと会っていた。アルバイトをしていない高校生の財力なんてたかだか知れているもんで、毎回お笑いのライブに行くワケにもいかず、近くの公園やら駅前をブラつくのが私たちのデートスタイルの常だった(※月代くんは家が遠いのにも関わらず、わざわざ私の家の最寄り駅までやってきてくれる。言っておくが私が強要しているワケではない)。しかし今日に限っては珍しく、二人はちょっとだけ遠出してとある娯楽施設へと赴く予定となっている。
私は、たまたま見ていた街ブラ番組の、お笑い芸人と女子アナが訪れた都内の動物園で、カメラにチラッと映ったバクに目を奪われてしまった。
なんだあの生き物、腹は白いくせに顔とケツが黒い。同じモノクロカラーアニマルであるはずのパンダと比較すると、可愛げという観点で十ゲーム以上差をつけられている。
見たい、死ぬ前に一度生で見たい。
私は秒で月代くんに「動物園行きたい」とメッセージを送りつけていた。月代君からは、「急だね、いいよ」と秒で返事が返ってきた。
朝っぱらからよそゆきの私服(例によってTシャツ&ジーンズである)に着替えた私はそそくさと家の玄関に向かい、「いってきまーす」と間延びした声をあげたところで、「ちょっと、アンタ」と低いトーンの声が私の首根っこを掴む。
何事かと後ろを振り向くと、何故か怪訝な顔つきのお母さんが仁王立ちをしていた。
……えっ、私なんか、やらかしたっけ――
一抹の不安を胸に抱いた私は、やや警戒したトーンで「……何?」と返す。
「アンタ、最近よくでかけてるけど、誰と何をしてるのよ?」
なるほど、お母さんはたぶん、私に男ができたのではないかと疑っているワケだ。
そしてその勘は、見事に『当たっている』。……あちゃー、どしよ。
お母さんは、私の超能力が他人に知られてしまうコトを極度に警戒している。そのため、お母さんはそもそも私が外出するコト自体をあまり快く思っていないし、彼氏を作るなんてもってのほか。「アンタの相手は、ちゃんと信用できる人をお母さんが見つけてあげるから」と私は耳で凧揚げができるくらい聞かされていた。私とて今までは、「私に恋愛なんて無理だよな」と諦めていた節があったので、まぁそれでいっかと、「うん、よろしく」とお母さんの戯言を軽く受け流していた。
……いたんだけど、今となっては話は別だ。
だって私、彼氏できちゃったんだもの。そしてそのコト、お母さんに言ってないんだもの。
――とはいえ、身にかかる火の粉は自分自身の力でなんとかしなければならない。私は脳内ろくろをフルスロットルで回転させ、なるべく違和感のない答えを模索した上でひょうひょうと返事を返した。
「いや、ヤエと買い物行ってるだけだよ。新宿とか、吉祥寺とか」
私としてはごく自然、……ごく自然な振る舞いを演じられたつもりなんだけど――
「アンタが何かを買って帰ってきている形跡なんてないんだけど。……それに、なんで最近になって急にでかけるようになったのよ。柴崎さんとは二年のころから友達なんでしょう? 去年は二人で遊びに行くことなんて、ほとんどなかったじゃない」
果たして、お母さんは鋭かった。
……いや、私がウソ吐くの下手すぎるだけかも――
しかし私とてここで引くワケにはいかない。月代くんとバクが私を待っているのだ。
「あ、あれだよ。私は買わないんだけど、ヤエが最近彼氏できたからさ、デート用の服選んだりとか、そういうのに付き合わされるようになったのっ」
……いや、コレはちょっと苦しいかな。……あっ、やっぱお母さん、さらに疑ってるような目になってる。ちくしょうっ、かくなる上は――
「ウソじゃないよっ。疑うんだったら、今からヤエに電話かけてみようか?」
私はジーンズの後ろポケットにつっこんでいたスマホを取り出して、「この紋所が目に入らぬか」とばかりにお母さんの眼前につきつけた。
果たして、玉砕覚悟の私の特攻作戦は『功を奏した』。お母さんは相変わらずしかめ面のままだったが、諦めるように私から目を逸らして、「別に、そこまでしなくていいわよ」とどこか納得のいかないような声を漏らす。……ほっ。
「そういえばお母さん、今日は仕事休みなの?」、何の気なしに私がそう訊くと、「ああ、最近まで結構忙しかったからか、なんだか疲れちゃって、今日は家でやることにしたの」と、確かにお母さんの顔には疲労がにじみ出ている。「そっか、じゃあ今日は私が夕ご飯作るよ。それまでには帰るから」と私が言うと、「そう、ありがとう」と、力なく笑ったお母さんの顔は、どこか以前より老け込んだように見えた。少しだけ不安を覚えた私だったが、月代くんとハシビロコウが私を待っている事案を思い出す。
「いってきまーす」と再び間延びした声をあげた私がガチャリ玄関のドアを開け放つと、七月の日射が私の全身を容赦なく焦がしはじめた。……暑っ。
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