#003 あなたの眼前の風景
折しも一人の男がすれ違いざま、あなたに声を掛けて去っていく。
「雨が降りそうだぞ、急ぎな」
あなたは彼に返事する。
「わかった、ありがとう」
今、あなたはひょっとして、本当の自分ならばそんなことはしないし言わない、と困惑しただろうか? なぜこの「あなた」は勝手に右手をかざし、ペラペラと喋るのか、と。
どうか、そのような困惑――それは得難い経験だ――を忘れずにいつつも、物語が記す「あなた」の言動に慣れていってほしい。「あなた」の振舞いを、あなた自身に馴染ませていってほしい。
物語はあなたの行動を隅から隅まで記述するのではない。あなたが望むなら、あなた自身が想像する物語も展開する――もちろん、物語が記述しない展開は、あなた自身が想像したり書いたりすることになるが。例えばあなたは旅の途中で寄った町や村で、物語展開の合間を縫って、人々の願いに応えて難事件を解決するかもしれない。物語の余白に、そのようなあなた自身の冒険を書き込む余地が、あることだろう。
とはいえ、あなたは万能ではない。あなたは一介の、三十路の男の旅人である。あなたはこの先、いくつもの選択を迫られるだろう。そこで提示される選択肢にはあなたの望むものがないかもしれない。他方で、選択したいときに選択肢が示されないかもしれない。
どうか、そのように選択を迫られる、または特定の行動を強いられることにも慣れていってほしい。あなたには「あなた」の役を演じ、「あなた」に成りきってもらいたい。あらかじめ言っておくと、あなたは旅の途中で主役の座を下ろされるかもしれない。それでも、あなたはあなたである。あなたは自分の置かれた状況を冷静に弁えながら、あなた自身の旅を続けねばならない。
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