第七話「植物の才」

「うわあ!」


 異世界2日目の朝、スクイの部屋に飛び込んできた女の子はこの旅館の店員、メイだった。ノックもなく急に入ってきた彼女に対してまだベッドの上だったスクイは笑顔で手を振った。


「おはようございますメイさん。朝食ですか?」


「いや朝食ですかじゃないですよ旦那!」


 そう慌てふためくメイを尻目にスクイは少し眠そうに外を見る。もう明るくなっていた。なんとなく感じてはいたがこの世界でも昼夜の感覚は似たようなものらしいとスクイは思った。正確には少し違うだろうか、睡眠時間は二時間ほどだったように感じ、できればもう少し寝たいと感じていた。


「昨日帰ってこなかったじゃないですか!私心配でとりあえず部屋掃除して早めに開けて待ってようと思ったんですけど」


「ああ」


 納得してスクイは起き上がった。メイはスクイがここにいたのが不思議だったと気づく。確かに閉まっていた宿に人がいれば完全に不法侵入である。


「すみません表は閉まっていたので窓から入りました。幸い開いていたようで助かりました」


「いやここ2階っすよ……?」


「まあ、そういう魔法もあるんですよ」


 スクイははぐらかすように言ったが、メイは納得したようで、なるほどと言い嬉しそうに頷いた。


「旦那は一流旅人っすからね!色々持ってて羨ましいっす!あ、朝食作りましょうか?おとーさんはまだ寝てますけど起こしますよ」


「いや、それならもう少し寝ます。あとメイさん」


 スクイは一言付け加えた。


「今後部屋の掃除はしなくて大丈夫です。自室を触られるの苦手なタイプでして」


 そう告げるとメイは元気に了承し、階下へ降りていった。

 スクイは昨日のことを考えた。裏路地で人を救い、とりあえずこの部屋には大金が置いてある。ギルドに登録し図らずしも知り合いができた。そして帰ってきて閉まっていた表の扉の鍵を開け中に入った。


「死神とか名乗った人には早めにその不敬を理解してもらうとして」


 とりあえず今日も少し出歩こうと考え、スクイはまた眠りについた。


 朝食はまた簡素なものだったが、相変わらず野菜の質は高かった。メイはこちらで生計を立てた方が良いのではないかと、昨日の酒場の野菜と比べてもそう思う。

 当たり前のように一緒に朝食をとるメイにその話をしたが、旅館の人手が父親とメイだけで足りてない今、新しくそういったことは始められないとのことだった。


「旦那がここで働いてくれればできるかもっすよ?」


 とのことで、スクイは笑顔ではぐらかしたが、別に冒険者に職業を絞る必要もない。稼ぎが欲しいわけでもないしもし本気で誘われることがあればそれもまた一興かもしれないとも考えていた。


「あ、でもここモーテルの館なんでそうなると旦那は私と結婚することになりますけどね」


「それは関係あるんですか?」


「そりゃあモーテルの館っすからね。苗字をモーテルにしてくれないとこの宿は任せられませんよ。せっかくなんで宿紹介しましょう!あ、農園みます?」


 驚くべきことにモーテルは苗字だったらしい。スクイはそこ以上に、誘いどころか跡を継がせるつもりだったのかとメイの誘いの厳しさに思考がいった。今日も朝から誰もいない宿を残念ながら継いでいこうとはスクイも思わない。


 それはそれとして農園には少し興味が湧いた。この古宿の裏に農園と呼べるものがあることが既に驚きであったし、彼は意外なことに植物が好きなのだった。


「じゃあ早速見に行きましょ!ほら早く食べてください!行きますよ!」


 そう急かし、父親に食器洗いを任せると、メイは宿の裏手にスクイを連れ出した。


 宿の裏には想像していた以上に立派な畑があった。植えられているのはせいぜい4種類ほどであるが、これを姪が1人で切り盛りしていると思えば立派なものである。14、5の少女と思えばなおさらだ。


「立派なものですね。これだけのものだと管理も大変では?」


「まあそうっすねー毎日手入れするんで結構洒落にならないんすけど」


 メイは立派という言葉に嬉しそうにしながら話す。


「元々ここおじいちゃんがやってたんです。おじいちゃんはここの宿を建てた人で、その頃は人もそれなりにいたんですけど今は随分寂しくなっちゃって。そのときこの宿で人気だったのがおじいちゃんの作ってた野菜だったんすよね」


 メイはスクイにもたれかかるようにして、思い出すようにしながら畑を眺めた。


「おじいちゃんが死んじゃって、おかーさんもいなくなって、宿の手が回らなくなっておとーさんも農園をずっと手入れできなくなったっす。質は下がってもどこかから仕入れてって話もありましたし、所詮朝食付きなんておまけなんですから適当でもよかったんですけど、なんか、ここを疎かにしたら二度と前みたいに人が来てくれない気がして、すっごい大変なんですけど、正直楽しいとか以上にしんどいくらいなんですけど、でも、やめれなくて」


 メイはゆっくり話して、目を閉じた。寝ているのかと思ったが、ただ思いを馳せたようだった。

 スクイは寄せられた肩にも届かぬ頭に、そっと手を乗せる。


「家族思いですね」


「そんなことないっすけどね。旦那も家族は大事でしょ?」


「もちろん」


 大事にしてましたよというとメイは、やっぱりと笑った。


「メイさん、よかったら私が泊まっている間、畑の管理手伝わせてもらえませんか?」


 そういうスクイにメイは驚いた顔をする。


「やることもないですし、これでも畑仕事は嫌いじゃないもので」


「手伝ってくれるのは正直助かりますけど……」


 客に対して良いものかという困惑が見えるメイだった。今ならわかるだろう。メイがスクイを重宝するのは何も利益ある太客だからだけではない。

 単に嬉しかったのだ。誰も来ず潰れるのを待つ宿に、他のどこでも泊まれそうな大金を出してまで泊まってくれたことが、朝食を一緒に食べおいしいと笑ってくれることが。

 誰にも出せない野菜を、信じて作り続けてきた彼女には他に変えられない喜びだったのだ。


「ひとつ条件があるっす」


 メイはいつも通り元気な声で言い放った。


「ここのことは畑じゃなくて農園と呼んでください!」


 午前中、彼女の元スクイは畑の手入れをした。

 雑草を抜き、雑草を抜き、いらない葉や枝を切り落とし、気づけば昼前になり、その日の畑仕事は終わりを迎えた。


「男手があると全然違うっす!思わずいつもしないくらい仕事しちゃいましたね!」


 と晴々とした表情で満足げに笑うメイ。手伝うと言えばとことんまで人を使うあたり彼女は経営の器があるとスクイは思った。男手といったが他の男なら音をあげているだろう。もっとも、スクイは息一つ切らさず、笑顔で話ながら仕事を終えた。

 せっかくということで昼飯を出してもらい、食べ終わるとメイは仕事に戻ると言う話だったが、気が変わったようで。


「せっかくなんで農園の用具を買いに行くっす!荷物持ちがいる時じゃないと買えないものがあります!」


 といい近くの植物売り場にスクイを連れていった。

 昨日行ったような出店でなく店舗であり、見たこともない植物が蠢いている。

 スクイは農業用品は植物屋で買うのか?と疑問に思ったが、大量の本に謎の器具を見ながら、植物ならここにくればいいという気持ちもわからないではないと感じた。そのくらい、悪く言えば雑多な店だったのだ。


「おばちゃーん」


 メイが大声で声をかけると店の奥から怪しげな老婆がのっそりと現れた。

 明らかに関わってはならない人相であったが、この店の規模を考えると売れていないということはないはずだが、それにしては客の寄り付かなそうな容姿であった。


「ああ……メイちゃんか。そちらは?」


 老婆は口を開く。内容はまともであったが、そのしわがれた声はあまりにも人を寄せ付けない雰囲気に拍車をかけていた。


「この人はうちのお客さんっす!荷物運びしてくれるんで今日はたくさん買ってくっすよ!」


 老婆とは真逆にメイは明るくはっきりと会話するが、内容は明らかに老婆よりおかしかった。そもそもこの老婆と普通に話していることが驚嘆というべきかもしれない。


「そうかいそうかい。何日ぶりのお客さんかねえ。メイちゃんはもう3日以上泊まってくれる人がいるなら結婚して逃さないようにするなんていってたくらいだけど」


「そ、そんなこと言ってないっすよ!」


 とメイは話を逸らすように肥料や魔道具の話をする。魔道具は明らかに買えそうになかったが、土や虫除けなどはいくつか買い揃えることができた。

 明らかに成人男性では持てない重量が目の前に積まれる。


「お兄さん大丈夫かい?この量は持てんだろう」


「いえいえなんとかなりますので」


 そう軽く返すスクイの目をじっと老婆は覗くように見た。


「ふうん、目を逸らさないか」


 そう呟くと老婆はすっと奥に戻ったかと思うと、一冊の本を持ってきた。


「これをお前さんにやろう」


 本は一般的な植物辞典のようだった。なぜ?と問おうとするスクイを差し置いてメイが声をあげる。


「おばーちゃんこれすごい高価な本っすよ!何さらっと出してるんすか!」


 そう聞いて考えればこの世界では本を刷る技術などないと気づいた。よく見ればどの本も手作りであったし、老婆の出した本は図鑑、表紙から察するにほとんどカラーだろう。そう考えると並大抵の労力でない。


「そりゃあ高いもんさ。でもね、この男には植物の才がある。私にゃわかるのさ」


 それに悪い奴には思えんしねと言いながらポンと本をスクイに手渡した。


「植物は育てようでどうともなる」


 もっとも、あんたはそのくらいわかってるだろうけどねと言いながら、老婆は奥へと戻っていった。

 ぽかんとするメイを横目にスクイは荷物をまとめ、持ち上げてから図鑑をメイへと手渡した。


「じゃあそれだけ持ってください」


 そういうとメイはすぐさま図鑑を開き、嬉しそうに帰り道、まだ植えていない野菜の話をするのだった。


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