第五話「その異常性」

 ギルド登録を終えたスクイは1階で食事を取ることにした。席は満席に見えたが、どうやら空いているテーブルがないだけで、ここは基本相席らしい。

 先程入り口にいた男に聞くと好きなところに座っていいと言われる。メニューは四方の壁にも書いていたが、せっかくなので色々見たいと言うことでメニュー表をもらった。


 適当な席に座ろうと思い飲み食いで騒ぐ男たちの中を歩く。基本4人席であり、3人か4人で座っているところが多かった。3人のところに入ろうかと席を見ていたが、その中に2人で席を使うものがいた。


 2人組であった。1人はわかりやすい大男。昼に殺した男が小柄に見えるほどの大きさ、明らかに規格外であり、4人用のテーブルがこの男1人に対しても小さく見えるほどであった。更にその男でも扱えるのが不思議なくらいのサイズをした両手剣。当然鞘に収まるはずもなく、立てかけることも床にも置けずただ床に刺してあった。

 そんなことが許される。このような目立つ人間が目立つ武器を目立つように持ち歩けば、この飲み屋ではたちまち袋叩き似合う。そうならないということが、彼の強さを表していた。


 しかしこのテーブルの主役はこの大男ではないと誰が見てもわかる。もう1人、その人間は明らかに異質であった。

 身長は低く、武器というものも見る限り持っていなかった。全身を黒のローブで覆っており、飲み物一杯が目の前にあったが、手につけた形跡もない。

 異質なのは2人の構図である。明らかに強者と言える大男が、もう1人のローブに目に見えて媚びているのがわかるのだ。


「いやあ今回も兄さんのおかげで助かりました。いやこれぞまさに神の所業!鬼もドラゴンも兄さんの前ではトカゲどこか虫以下といえましょうな!」


 などと大袈裟なほどに身振りをする大男に、身動きひとつ取らないローブ。そしてよく見れば2人の周りの席の人間は大男に合わせて頷く役目を担っていた。子分なのか、仲間なのか、強さで判断するなら前者であろう。少なくとも今現在、この酒場の客でトップ2はこの2人だと容易に推測できた。


「ここ、空いてますか?」


 その中で、極めて場違いな明るい声が場に響いた。喧騒の絶えぬ場であったが、ここは比較的声が抑えられていた。ローブは無口であったし、周りの取り巻きも相槌のみであったからだ。


 それでもスクイの声はよく聞こえた。声量ではなく、通る声なのだ。そして聞き取りやすく、親しげである。いつも彼は人好きのする話し方をする。そしていつも彼は好かれにくい状況で話し出すのだ。


 周りの男、今まで話していた大男はただ黙ってスクイを見た。

 その静寂の波紋はゆっくりと酒場全体に行き渡り、すぐに誰もが言葉を発するのをやめた。

 永遠にも思われる静寂、その後ローブの者はゆっくりと席を立つと、店を出た。


「け」


 ローブの者が店を去り、閉まったドアの反響すら消えたとき、誰かが震えることで呟いた。恐怖ではない、とある感情が熱となって酒場を一瞬で満たす。


「喧嘩だぁああああああ!!!」


 先程の喧騒が小鳥の囀り、否羽毛の落下音にすら感じるほどの歓喜の雄叫び。気づけば周りの人間は押し合いになりながらこちらに走り寄り、唯一声を発していない2人に近寄った。


「なんだあのひょろい兄ちゃん。カーマさんに喧嘩ふっかけるってのは」


「初めて見る顔だぞ」


「ランクはいくつだ?Aか?Bか?」


「少なくともタイマンならCってことはねえ」


「見た目通りなら2秒後には原型がないぞ」



 スクイは変わらず席を大男、カーマを見るばかりだった。それはつまり、席に座っていいかということだったが、その目線を、そして先程の言葉を言葉通り聞いた人間は1人もいなかった。スクイは側から見ればこの酒場のボス2人に喧嘩を売りに行ったのだ。


 カーマは怒っていなかった。喧嘩を売られることはいくらでもあった。強いていえば彼のランクがBにまで上がるとほとんど無くなったし、ローブの男といるようになってからは一度もない。ただ酒場の盛り上がりを見ると、相手がどう言う理由で喧嘩を売ったにせよ、許せてしまう気持ちはあった。


「それはそれとして殺す」


 カーマは一言呟いた。その言葉に周りはまた盛り上がる。血の気の多い人間しかいない。

 カーマは大声で入口の受付に叫んだ。


「おいフリップ!今回はこちらのお兄さんの希望だ!文句はねえよな?」


 その言葉に先程スクイを2階へ案内した受付の男、フリップは何も言わず遠い入り口からこちらを見守った。


「上等だよ兄ちゃん。こんな無礼な奴世界を見渡してもいないだろうぜ!武器は流石に無しか?場所はここでいい。いつ始める?いつ殺してもいいんだ?」


「いえ、私はそこの席に座れればいいのですが」


 カーマは大声で威嚇するように話しかける。スクイは一通り黙って聞いたあと、席を尋ねたが、カーマはそれを「席をどけ」と捉えたようだったし、その解釈は周りも変わらなかった。


 その場の空気を見て、スクイは穏便な方法を捨てた。とはいえここで皆殺しにする必要もない。今救うべき人間だとも思えないのだ。ここはある程度やりやってから死を説いてやればみな死の素晴らしさに涙を流すだろうと考えた。

 しかし物事はそのように穏便には行かないものである。



「すごいぜ!Sランク冒険者、死神様の片腕だぞ!怖くないのかあいつ!」


 そんな声が周りから聞こえた。1つでない。カーマと一緒にいたローブ、その人物は死神、或いは死神様と呼ばれているらしかった。

 Sランクというランクは先程の説明にはなかったが、スクイはそんなことには全く気にしなかった。


「死に……神?」


 死の神、という言葉を名乗る人物がいる。そんなことは初めてであった。いや、もともと存在する言葉であるし、その概念はスクイも知ったところであったが、人についているのは初めてだったのだ。


 その瞬間、周りの声がゆっくりと小さくなった。先程まで、極めて友好的に、ともすれば本当に席を一緒にしようとしたのではないかと、ここにいる血の気の多い男たちでなければ思いかねないほど穏やかな笑みを、言えばこの世界に召喚されてからずっと優しげだった青年の端正な笑顔は。


 能面のような無表情に塗り潰されていた。


 いくらかの恐怖を覚えた周りと同様に、カーマは少し目の前の男の評価を変えた。少なくともこの男は、なんの力もなくただ喧嘩を売りにきた馬鹿ではない。なにかがあるのだと、彼は感じていた。


「先程のローブの彼は死神というのですか?」


 カーマはその声が、先程の男から出たものとは思えなかった。そこにいた誰もが、今までスクイという人物が出していた声と別の声だと思ったが、明らかにその声はスクイの口から発せられていた。


「ああ、この酒場で最強だった俺が唯一頼るほどの存在だ。あの人のおかげでAランクのクエストも達成まで持っていける」


 カーマは誇るように言った。そしてスクイの目を見る。


 そして見たことを後悔した。

 暗い、暗い絶望のような真っ黒な目、先程の友好的な表情からは想像もできない落ち窪んだような目つき。

 その目の色はしかし絶望ではない。絶望的なまでに暗く、およそ人間が持ち得ないほどの。

 ドス黒い憤怒であった。


「死を、まして死の神などという冒涜」


 次の瞬間の動きをカーマは今後何度も人に言う。そしていつも同じことを言うのだ。まだ喧嘩は始めっていなかった。先に攻撃してなどいないと。したのならそれは防御だった。ガード姿勢だったのだと。


 しかし結果としてカーマは攻撃を繰り出した。それも拳ではない。床に刺した剣を、魔法の速さで加速。攻撃の直前に重みすら加えた彼の最高の一振り。直撃すればドラゴンの首すら狩るその攻撃。これをして彼はなお言い続けた。これを踏まえてもあの行動は防御にすら及ばない。


 繰り返すが、結果として彼は攻撃を仕掛けた。冒険者有数の破壊力はノーガードのスクイに激突する。直前、男は我に帰った。彼は優秀な冒険者なのだ。反射的に攻撃した刹那、その行為の是非を瞬時に考えられる。

 だから彼は剣を止めた。魔法を切り、勢いづいた剣を静止するように魔法でコントロールする。



「はあ……はあ……」


 彼の剣は、スクイの臍あたりまでを両断していた。


 浅い呼吸、血の流れる音のみが、その場に響いていた。カーマの一撃は彼の全魔力と体力を根こそぎ持っていったし、止めるのにもかなりの力、魔法を使ったのだ。そもそもが依頼後であった。もうこの大きな剣を持つことすらできない。そう感じ目の前の彼を見ると、真っ二つになった顔にあるもう何も見ていない目があった。


 剣を引き抜くこともできず床に差し込む。そしてドサリと、もう椅子に近づくこともできず、カーマは床に座り込んだ。

 いくら荒くれの多い中とはいえ殺しは問題である。次の日には彼の身は牢獄だろう。


 自分の今したことを整理したい。そう思いふと剣を見ると剣には手首がかかっていた。

 しかしそのことにどうこう思うことも、彼はできなかった。


 その手首が剣を掴むまでは。


「死への冒涜を許しはしない」


 その声は彼のずっと近くから聞こえていた。スクイの上半身は真っ二つになっており、誰が見ても絶命は避けられなかった。

 だがその体は切られた根本の部分から徐々につき始め、ぼとりと剣が弾き出されるように落ちる。


 不死の魔法、口々に周りは話し、色めきだった。実在したのか。喧嘩を売るのもわかる。条件が気になる。そんな見当外れの意見が飛び交う中、カーマだけがその異常性に気づく。


 不死は些細なのだ。自分がこの男に思わず剣を振るったのはそこではないのだから。

 彼の持つ底の見えない闇は、強さではない。だがだからこそ死神にすら届きうる。

 最も戦ってはいけない人間と相対してしまったのだ。それはつまり強い人間でなく、怖い人間である。

 カーマはそのとき、彼の体が全て回復し、こちらに歩み寄って、笑顔を浮かべて初めて。


 恐怖を知ったのだ。

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