第20話 二日

 他人ひとを油断させるベッドの上、羽毛布団にくるまる事による微熱のこもりが出不でぶしょうを誘う。


「……ん」


 磁気が勢いよく外れる単音が響く。

 僕は両眼を閉じているから憶測でしかないけど、カーテンが開かれたらしい。


 窓越しの陽光が顔面に差すまでには距離があり過ぎて、大した効果はない。


 ベッドでの生活には慣れている。

 自宅でもそうだし、怪我を負っていた時期は病室のベッドに寝たきりの状態だったから、睡眠を邪魔されない処世術が意図せず染み付いている。


「おーい、朝だぞ」

「……」


 それは僕だけ贔屓した呼び掛けではない。

 生徒達が寝静まっている数部屋を、手当たり次第に起床時間を告げて回る先生の声。


 逆説的に考えると、それだけ余裕のある時間帯だと推測出来る。誘惑に勝てず、僕はもうしばらく籠城を決め込む。


「皆本、おーはーよーっと——」

「——ぐふぇっ!」


 その声は先生ではなく、隣で就寝していた武藤たけふじによるものだ。


 丁度良い塩梅の布団の斤量きんりょうに、おおよそ五十キロは優に超える武藤が闇雲に僕の身体へとのしかかって来る。


 柄にも無くうめかされたのはそのせいだ。どうにも修学旅行は、生徒たちのテンションを微妙におかしくさせてしまう。


「武藤……これじゃあ起き上がれない」

「おお、確かに」


 たちまち武藤が重荷では無くなる。

 同時に、一つアドバイスをくれた。


「早く起きとかないと朝飯の時間が潰れるらしいから、愚図ぐずらない方がいいぞ」

「……了解」


 僕は眩む視界を誤魔化しながら、早朝の支度を済ませ、飲食施設へと向かう。


 六つある長机の周りには、三年生全員と教師陣への丸椅子が余剰にあり、既に半数以上は集まっているようだ。


 朝食はビュッフェ形式。

 僕はトレーを手に取り、羅列された品々の気に入ったお皿をトレーへ移す。


 食材をトングやお玉でよそう必要が殆どないので自由度は低いけど、各自で食事のバランスを組み立てやすくはある。


 僕は焼鰆やきさわらを主食に据え、雑穀米、わかめの味噌汁、小粒納豆、五種のサラダ、バナナ半切れに緑茶と、基本的に和を重んじた食を揃えた。


 座席はクラスで分けているけど大雑把だ。

 手招きしてくれた武藤と、バス移動でも隣だった同室の真鍋まなべとの間に挟まれる形で僕は、トレーを置きつつ着席する。


 武藤と真鍋を含め、魚をメインにしている生徒がいないことに孤独感を否めず苦笑しながらも、僕はそれとなくシズを探していた。


 恐らくは女生徒で固まっている中に居るはずだから遠くの席だろうと踏み、僅かながらに背筋を伸ばす。


 すると案の定と言うべきか、僕達がいる長机と異なる斜向かいの片隅。シズを含めた三人の女生徒が横並びで着席しているのが分かる。他二人は太田おおた友野とものだ。


 水彩色のジャージに、寝癖だけ直したストレートな髪型がよく似合っている。


 どうやら、四人部屋で同室だった二人のようだ。ちなみにもう一人は種川たねがわだけど、その姿まで捉える事は出来ない。


 僕たちよりも先に食べ始めていたらしく、シズを含めた三人の眼下にあるトレーの品々は、かなり減っているように見えた。


 種川がいないのはもう食べ終えてしまい、移動準備に向かったのかも知れない。


 個人的にそれは意外な行動に映る。


「皆本食わねえの?」

「え、ああ、うん」


 僕が見回している間に、右隣の武藤は生姜焼きの豚肉に玉葱を挟んで頬張っている。


 旅のしおりには起床、朝食、移動準備の時間が一括りにされており、足並みを揃えて食事を取る必要が無い。


 時間内なら、各々のタイミングで手を合わせることが可能だ。


「頂きます」


 僕は両手を重ねて、箸を持つ。

 まずは水分補給で喉を潤し、サラダを摘む。そこから一口ずつローテーションしつつ食べ進める。


 和食特有の塩分量過多を、サラダと納豆で相殺したような気分だ。


 実際にそんな効果はないと思うけど、全体的に釣り合いの取れたセレクトの自負はある。


「……少し多かったかも」


 そうして僕が食事を終えた頃にはシズたちや真鍋は移動準備のため自室に戻っていた。


 寝巻き姿から制服へ衣替え、大荷物を纏め、別途奈良研修用のナップサックの管理など、存外にやる事は山積みだ。


 それらを一旦後回しにする。武藤は歯間に爪楊枝を突いており、僕は途中で追加した緑茶を飲み、お互いにほのぼの寛いでいる。


「時間は?」

「余裕はあるね。じゃないとのんびりお茶なんて飲んでないよ」

「ははっ、そりゃそうだ」


 口角を大袈裟に引き伸ばして笑う武藤を一瞥し、僕は最後の一口を啜り音を立てる。

「おーお前ら、朝食は食べ終わってるな?」


 そう背後から声を掛けてきたのは、僕と武藤の担任教師である千条先生だ。


「はい。先生はこれからですか?」

「ああ、生徒全員が起きてからって決まりがあってな」


 武藤の質問に、千条先生が空笑いしながら答える。


「へー、てっきり寝坊だと思ってました」

「こら、先生が生徒に示しがつかないことするわけないだろっ」


 千条先生が武藤の脳天に手刀を見舞おうとして、その武藤が仰々しく回避している。


 元より当てるつもりも無かっただろうし、仮に打ち付けていたとしても痛くはないが微妙に痒い、程度だったと思う。


「……ところで皆本、メニューを先生に教えてくれないか?」


 千条先生が唐突に僕へと話を振ってきた。

 危うく中身のないプラスチック製のコップを落としそうになる。


「えっと……僕ですか?」

「ああ、前々から皆本の弁当のバランスが良いと思ってな。そんなお前のチョイスなら信頼出来る」

「は、はぁ——」


 弁当を作っているのは僕じゃないことを説明しようともしたけど、千条先生の期待の羨望に根負け、今日のメニューを述べる。


「——こんな感じです」

「和食がメインか……聞いただけでもバランス良さげなのが伝わってくるな」


 想像しながら頷いているようだ。


「だと良いんですが」

「おう、ありがとな。品切れはあるだろうが、なるべく今言ったやつを選んで来るぞ」


 そう言って千条先生は意気揚々と、食品の陳列前へ向かおうとする。

 しかし何かを思い出したように振り返ると、僕と武藤に対して訊ねる。


「そうだ、お前ら種川と同じ班だよな?」

「えっ? ああはい、そうですけど——」


 即座に反応した武藤がそのように答え、僕もそれに頷いて同意見であると態度で示す。


 すると千条先生が物憂げな表情をしながら、端的に事実を話す。


「——あいつ昨晩から体調が良くないみたいだから、配慮してくれると助かる」

「……」


 僕と武藤は、すぐに返事が出来なかった。


 種川が体調不良なのは、かなり珍しい。

 当然、普通の人間なのだからそういう日も偶にはある。


 けれど僕ら同学年の共通認識の中で種川は、非の打ち所が殆どない優等生で、学校に通えば必ず居て存在感を知らしめる人だ。


 だから僕も武藤も言葉に形容し難い驚きが露わになってしまう。


「ああでも、熱を出したとか風邪を引いた訳じゃないからな。食欲とかが無く倦怠気味なだけで、今のところ参加は出来るみたいって話になってはいる」

「……やっぱり、だからか」


 武藤が合点がいったと呟いている。

 僕も種川が、まだクラスに馴染めたとは言えないシズよりも事前準備を優先させるのはどうにも腑に落ちなかった。


 理由はなんであれ、やはり心配だ。


「当の本人は誰にも言うなって釘刺してきたから、出来ればここだけの秘密な。

 皆本と武藤、あと楠木もだな。さりげなく気に掛けてくれたらうれしい。

 どうしても体調が駄目そうならすぐ先生に連絡してくれ。楠木にケータイ所持を学校側から許可したはずだから、それでな」


 シズのあのスマホはちゃんと了承を経たものだったのかと所感する。


 それよりも今は、千条先生の懸念している内心が詰まった言伝ことづてが僕と、きっと武藤にも響く。


 一回り大きく見える背中への呼応に異論などあるはずがない。


「分かりました」

「……種川のことだからすぐ無茶とかしそうだしな、りょうかいっす」


 千条先生は頼んだと言いたげに手を挙げ、去っていく。


 僕と武藤は一度見合ってから頷き、互いに完食している食器を乗せたトレーを洗い場の近くに置き、部屋に戻る。


「……うん」


 僕は黒スウェットから学生服に着替える。

 五月下旬の夏日、この装いは窮屈に感じてしまう。


 一通り身支度を済ますとボストンバッグを肩掛け、鏡の前で髪型の流れを気にしている武藤の側へ向かい、一緒に一室を出る。


 階段を下り、ロビーと対にして存在している自動ドアを通過しホテルを出る。

 ホテル外の片隅にあるバス近くで整列している、同じ中学校の生徒たちの後方に武藤がかがみ、僕もそれに倣う。


 昨日も担当していたガイドさんが点呼を始めようとする。名前は鳥井さんだ。


 そのせいか。僕と武藤よりも後に来た生徒は皆、大荷物を抱き軽減させながら一所懸命に小走りしていた。


「そうだシズは……」


 探すとすぐ、列の中程なかほどよりも後ろ。僕と武藤よりは前方にシズがセーラー服姿で跪座きざしている背後ろを見つける。


 どうやら前に居る生徒の背中を撫でているようだ。僕の角度だと誰か分からないけれど、恐らく種川と思われる。

 あまりそのことが表立っている様子はない。


 点呼を終え各種注意事項の後、駆けつけたホテルスタッフの方々に一礼をして、僕たちは整列順でバスに乗り込んでゆく。


「皆本、窓側愛好家だろ? 俺は何処でも構わねえから奥行けよ」

「愛好家かどうか分からないけど、武藤がいいならそうさせて貰おうかな」


 列に並んだ順番だから当然かも知れないけど、僕と武藤はまた隣同士になる。

 そしてシズが右斜め前の席にいて、隣にはタオルを頭上から覆っている女生徒。


「……」


 武藤が注視しているのを傍目で感じ、僕はそれが種川であると確信に変わる。


 間を置いて。僕らを乗せたバスが、京都府から奈良県へ向けエンジンを奮わせる。


 道中。ガイドの鳥井さんによる小粋な話術が取り止めもないまま一時間近く、県境を越えても継続する。


 奈良県には天然記念物にも指定されたシカでも有名な公園へ行き、徒歩圏内には太刀甲冑など時代を表す文化的工芸品がある平安の大社、大仏で有名な寺院などを巡る。

 いずれも修学旅行には定番の名所だ。


 昨日のネタバレのせいで解説の新鮮味には欠けていたけど、歴史の教科書で見た光景が目と鼻の先にあるのは感慨深いものがあった。


 ただ旅のしおりに記載されている奈良滞在時間を大きく超過したせいか、先生やガイドさんが急かしに急かし、こちらものんびり鑑賞とはいかなかった。


 二泊三日の修学旅行で数千年以上の歴史を学びつつ娯楽まで考える必要があると、どうしても時間が不足する。


 これらを含め、訪れることの出来なかった名所の魅力を知り得ないなさを残留させたまま奈良県から直行で大阪府へ向かう。


 そこで僕らが急遽一泊する予定のホテルに大荷物を置き、その後にテーマパークへと向かう。閉園時間になる二時間前まで班別の簡易的な自由時間を過ごす予定だ。


 四人一部屋から二人一部屋への変更こそあったけれど、難無く円滑に事が運び、ホテルからテーマパークまでは然程さほどら移動に時間は掛からなかった。


 バスから下りて入場口が視野に入る片隅で、事前に決まっている四人一組を作り、別のクラスから順番にゲートを潜る。


 僕らのクラスは最後になり不平不満を口にする生徒もいたけれど、今回ばかりは順番に感謝するべきかもしれない。


「「「「……………………」」」」


 種川を班長とする僕らの班が沈黙する。

 というより。各々全員が気を遣い合った結果、こうなってしまった感じだ。


「おーい。お前らの班、まだ話がまとまって無さそうだから、後回しにしていいか?」


 その沈黙を破ってくれたのは、四人のうちの誰かではなく、僕たちの担任で事情も把握している千条先生だった。


 周りの班は待ち時間を加味して、どのアトラクションから効率よくパーク内を巡るかの作戦を練っている。


 なのに種川班は手付かずで、会話の一つも交わされていない現状を、千条先生はおもんぱかってくれたと思われる。


「はーい、最後でお願いします」


 僕たちの中から口火を切り、返事をしたのは武藤だ。さりげなく双方合意の上で後回しになるための言葉まで選んでいる。


 武藤が先生たちに手を振り、体調が優れなく俯いたままの種川にシズが寄り添い、僕がその中間に棒立ちしている。


 僕と武藤は種川の体調のことをシズに伝えてはいなかったけど、種川と同室のシズの方が事態を理解しているようだ。


「さてと——」


 武藤が振り返り、種川を除いた三人の視線が交錯する。取り敢えず世間話でもいいから、この状況だけは打破しないといけない。


「——あの……」


 僕が発言する。すぐに虚を衝かれたと武藤が目配せをしてくる。


 率先して意見するのが想定外だったらしい。もしそうなら、同感だ。


 あまりこういうのは得意ではないし、いつもクラスや学年では種川が担ってきた役割だから、本人の前だと気が引けもする。


 代わりに武藤がやってくれただろうから、僕の出る幕なんてなかったのかもしれない。

 だとしても、加勢する人数は多いに越したことはないはずだ。


 そうして僕は、旅のしおりを確認しよう、なんていう業務連絡のような台詞を頭に浮かべ、言葉が消えないように息を吸い、発言しようとする。


「……たび——」

「——はいっ! ヘンリー・イーターのアトラクションに行きたい、コマーシャルでよくやってるから」


 種川の腰辺りに添えている右手をそのままに、僕の姑息な意見を遮る逆手を挙げる。


 今日は毛先をウェーブさせ、イギリスの魔女みたいなヘアスタイルのシズが、中学生として初めて自身の主張を口にした瞬間だ。


 そのシズの勇姿と台詞に僕は色々と同時に奪われてしまい、たちまち呆気に取られる。


「あれ……ダメ、かな?」


 シズが余計なことを喋ったかもしれないと、僕たちの顔色を窺っている。


 実際はその反対だけど、こんなにもいきなり純度の高い意見を聴かされると上手く反応することが難しい。


「……いや、今日は入場制限がないみたいだし逆にチャンスだってのと、やっぱり滅茶苦茶人気だから待ち時間どうかなってのが混ざって直ぐに反応出来なかった。

 うん、俺はいいと思うよ。こうして楠木が行きたいって言うなら尚更な」

「……うん」


 僕よりも先に、武藤が平然とシズに答える。

 この意見は打ち合わせの段階では言及すらされなかったものだ。


 種川が班長ということもあって、テーマパークよりも最終日の自由時間の方に注力していたから、こちらの計画は少し、言い方が悪いけどなおざりになってしまっている。


 ライド系を最低一つ。時間が合えばライブ系。残りはストリートでお土産の購入と館内探索に充てる予定だけど、具体的に何処へ向かうか、それは当日の盛況具合で判断するつもりだった。


 念のため第一候補として恐竜ライドと記してはいるけど、四人のうちの誰かが行きたいと言った訳でもなく、それをモチーフにした映画シリーズの最新作を武藤が観に行った話をしたからというだけで書かれたため、大した意味はない。


「制限あるんだ。私、知らなかった」

「そうそう、休日とかは整理券を配ったりしてる。しかも配布時間が分からない。

 打ち合わせのときに俺がヘンリーを挙げなかったのは、制限があると修学旅行だし午後からだと難しいかなって思ったのが理由」


 武藤が異様に詳しいため、僕はただただ感心するしかなく、相槌を打つだけになる。


「そうなんだ。皆本はどう?」

「えっ、僕?」


 唐突なことに、僕は間抜けた声が出る。

 班での話し合いだから当然の流れではあるんだろうけど、クラスメートがいるのにシズが僕と二人のとき以外に名前を呼んだのは、記憶違いがなければこちらも初めてだ。


「学年で他に皆本なんてヤツいないだろ?」

「……そうだけど」


 武藤に諭されながら頷く。気を取り直し、シズの立案に僕なりの思考を交える。


 制限はない。平日ということで来場客自体が少ないことが理由だろうけど、そうなるとまず考慮すべきなのは、別の班や他の団体客とのバッティングだ。


「僕も賛成。でも、最初にそこへ行くと他の班と被る確率が高いかな?」

「ああ確かに。待ち時間が長いことを想定して一番にしてる班は多いかもな。あと同じ中学でごった返して、再現舞台とかが自由に巡れなかったりするのはな……」


 武藤の首肯に応えて続ける。


「うん、だから第一候補とか別の方を選ぶと効率よく回れる気はするけど、どうする?」


 僕は議題の中心人物であるシズに訊く。

 これは混雑を覚悟した上で、シズが行きたいと言ったヘンリーのアトラクションに重点を置くか、または効率を重視してテーマパーク内を回りやすくなる代わりに時間切れでヘンリーに入れないリスクを取るか。


「うーん。じゃあね——」


 この班の行く末はシズに一任される。


 例えそのシズがどちらを選択したとしても、僕たちが決めあぐねていた中、意見してくれた人に付いていくのだから、後悔なんてあるはずがない。


「——タネ、こういうときこそ班長の出番だと思うから、お願い」

「……」


 シズは、ここまで一言も発せないでいた種川の方を横見る。その視線は、本来ならこのような話し合いすら無く、次々と臨機応変に指揮を執る予定の僕たちのリーダーを信じて揺るがない純然としたものだった。


 僕と武藤は数秒見合わせたけど、お互いに同じ質問を実行しようとしていたことを察し、さりげなく微笑む。


「そうだな。不公平は良くないし、一言だけ頼むわ」

「同じく」


 僕もシズも武藤も裁決を見守る。

 体勢を変えないまま、種川からいつもより幾らか細い声質が発せられる。


「私で、いいの? 足手……まといだよ」


 僕たちは即座に頷く。角度的に見えていないかもという一抹の不安はあったけどちゃんと見えていたようだ。


 種川はいつもより少しやつれた顔を上げながら、簡潔に答える。


「さっきまでの話なら、皆本の意見が、良いと思う。だって今日はイベント前の平日だから、志津佳の行きたい所も、後から行ける確率も高い……それにもし、ダメだったら、またこの四人が、ここに来る理由になる、でしょ?」


 力無く掠れ気味な発声でなんとか凌ぎながら、種川は断続的に主張を紡いだ。


 僕たちがその意向にどう応えたかなんてもはや言うまでもなく、ただ瞳を長く閉じる。

 これだけでも十分、意思疎通は叶う。


 方向性が決まったのとほぼ同時に、種川班が入場する順番だと先生が告げる。

 既に僕たち以外の生徒は、テーマパーク内へ足を踏み入れているようだ。


 先生の呼び掛けに応じ、それに続く。

 四人が歩幅を合わせながら入場する。


 オフホワイトのきらびやかなゲートをパスして、僕は所在地を確認しようとナップサックから事前に支給されていたパンフレットを取り出す。


 そこに俯瞰したエリアマップ一覧がある。


 第一候補の恐竜ライドが含まれるジャングルエリアと、シズ発案のヘンリー・イーターの舞台を模すウィザードエリアの位置を把握しようとする。


「おぉー。何これ凄い、異国だよー!」


 種川班の中で最前にいるシズの感嘆がエントランスを駆け回る。

 いや実際には大声で叫んではいないけど、僕はその形象けいしょうさせられた。


「あっ皆本、ここなんていうエリアかな?」


 振り返ったシズは僕がパンフレットを持っていることに気付いたようで、すぐに訊いてきた。


「えっと待ってシズ……ノーランドエリアって言うみたい。一九三◯年代、映画で栄えた西部の街並みを再現した場所らしい」

「へぇーこんな感じなんだ。この光景そのものが映画みたいだよ」


 僕らが住み過ごす街との対比で、本当にシズの言う通りだと思う。


「そうだね。あっ、ランドの中にノーランドがあるのが売り文句らしいよ」

「ははっ矛盾してるねー」


 そう言って、シズは街並みの方へと惹き寄せられていく。我が儘に真意を求めて旅をする冒険者のようだ。


 恐らくは当てずっぽうで歩いているんだろうけど、道のり的には間違っていない。


「「……」」


 右隣にいる武藤と種川も、シズに続く。

 体調の優れない種川はともかく、あの武藤までも無言だったのは少し気になる。


 ノーランドエリアから東部の街並みを再現したスクウェアエリア、水の旧都スプラッシュエリアを経由する。


 途中。閉鎖が近日予定されているらしいドックフィーチャーライドの勇姿に敬意を表し、僕たちはジャングルエリアに入る。


 名の通りの密林と苔に塗れた岩石のレプリカが迎え、喬木きょうぼくを仰ぎながら、恐竜ライドの付近に到着する。


 待ち時間は約十五分、予想した時間の半分程度。やはり今日は余裕があるみたいだ。


「……私は向こうのベンチで休むから、三人で楽しんで来て」


 待機列に並んですぐ、種川は僕たちを突き放す一言だけ伝えて離脱しようとする。


「え、おい——」

「……」


 武藤の制止も虚しく鈍い足取りで独り、休憩地点へと歩いて行く。


「——具合、そんなに悪いのかな」

「……奈良県を巡っていた時もクラスの列から離れて、ベンチで横になったりしてたからな。あのときは先生が側に居てくれたから良かったけど……」


 相変わらず武藤は種川を良く見ている。


「タネ、さっきから大分我慢して付いて来てたからね。でも一人は心配だよ、私が一緒に……は、逆効果だよね……」


 心許ないシズが確かめるように僕を見る。

 体調不良の種川と、病み上がりシズの二人を残すのは明らかに得策とは言えない。

 となると、僕の選択肢は二つ。それを見す見す逃すようなことをする筈がない。


「僕が残る」「俺休むわ」


 僕と武藤の同時宣言だった。

 その後待ち時間の半分程。シズをほったらかし、互いに譲らず散々協議を行った結果、シズと武藤が恐竜ライドに乗り、僕が種川と休憩するという二手に分かれる。


 僕は種川の後を追う。


         ▽


「帰って」

「いや、今からだと横入りになるから——」


 種川が座るベンチに近づくと、額を抑えながらありがた迷惑だと手を払う。


「——誰の差し金?」

「……全員かな」

「そう。何で、皆本?」

「話し合いの上で——」


 僕が言い終わる前に種川が溜息で制する。


「——どうせ脚の怪我のことでも、言い訳にしたんでしょ」

「……」


 種川の推測が的確過ぎて、僕は図星の沈黙をしてしまう。


 武藤はなかなか折れなかった。けれど僕が膝の怪我の影響をほのめかすと、それが口から出任せだと分かっても無碍むげには出来なかったようで、渋面じゅうめんながら一任される。


「もう大丈夫じゃないの……登下校で徒歩通学なの知ってるよ」

「……うん」

「自転車は難しいんだっけ?」

「努力はしてるつもりだけどね」


 話しているうちに、さっきまで健康だという体裁を保とうと必死だったのが伝わる。


「飲み物は?」

「あるよ。ホテルで補充したお茶だから味気ないけど」

「そっか……」

「……隣、座って待ったら?」


 ベンチの空きスペースを種川が叩く。

 素直に甘える。


「そうするよ」

「脚に響いたら、大変だからね?」


 皮肉めいた口調。

 すると嫌味に聴こえることを気にしたのか、種川が無言で頭を下げる。


「うん。今は落ち着いているのかな?」

「まあね。胃痛はまだあるけど、寝不足と頭痛の方が辛い。バスの中って振動が凄くて、睡眠に適してないのが良く分かった」


 僕は体調不良の主な要因が胃痛だと知る。

 そういえば腹部に圧力が掛からないようにしている。


「種川が体調を崩すって珍しいよね」

「そんなことない。生徒会選挙とかディベートとか、緊張で胃痛自体はよくある」

「緊張するんだ?」

「するよ。気を張ってないと、視界と思考が真っ白になるくらい」


 そんな素振りは一切見受けられなかった。


「そう、なんだ」

「でも昨日は酷かった……ベッドの上で、のたうち回ってたからね——」


 種川が力無く苦笑いしている。


「——あんまり記憶がないけど、志津佳だけが私を見て冷静だったのは覚えてる。

 楽な体勢、呼吸の仕方、飲み物、胃薬に整腸薬。あと精神が不安定だと症状が悪化したように感じてるだけだよって励まされた」

「そっか……く、楠木が——」


 シズの長年の経験の為せる処世術だろう。

 多分だけど僕と居る時も、時折り体調を崩していると思われる。けれど大事になった日は一度もない。恐らくは痩せ我慢だ。


「——名前を言いにくそうな皆本に訊きたいんだけど、いいかな?」

「えっ……」

「……答えなくてもいいからね」

「……うん」


 種川が無理して前のめりになる。

 飛沫が舞い散るくらいの静寂。


「じゃあ……皆本と志津佳が出逢ったのって、皆本が入院してた時期じゃない?」


 種川の問いに、僕は答えられなかった。

 本当のことを言えば、シズの隠し事を勝手に明かすと同義の裏切り行為。


「……」


 けれどその沈黙は得てして、肯定を表してしまう。


「ごめん、忘れて」

「いや……いいよ」


 目蓋を平手で覆う種川を遮るように、ずぶ濡れのシズと武藤が笑顔で戻って来る。

 随分と派手にやられたみたいだ。


 その後、一時的に体調が良くなった種川を含め、四人でウィザードエリアのヘンリー・イーター・アンド・アストルフォ・ジャーニーに搭乗する。


 時計塔の真下。世界観に没入するシズの横顔に、自然とエピスキーを掛けられる。


 もしかしたら僕が今日も健やかなのは、そのお陰かもしれない。

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