第14話 相互

 すきかぜが起こすささやかな清涼感は、花瓶にけるネリネをなびかせ、彼岸ひがん繁忙はんぼうによる疲労を癒してくれているような気がした。


 でも。僕にとってその情景は、病室にある専用ベッドの上で三角座りをする、釣合人形つりあいにんぎょうのように両手を広げて揺れているシズの装飾に過ぎない。


「えっと、何してるの?」

「ベッドの上で運動不足の解消が出来る方法を探ってた」

「……ベッドは心置きなく休む所だよ」

「だって今、移動制限が掛かってどこにも行けないから、身体が鈍るんだよねー」


 シズは僕の前だとじょうに振る舞ってはいるけど、ここ最近の体調はあまりかんばしくはないようだ。


 数日前には食事すらままならず、一日寝たきりの状態だったらしい。

 ここに来る少し前に、田宮さんから一応気に掛けて欲しいとも伝えられたくらいだ。


 もしシズに変調が見られたら迷わずナースコールを押して欲しいと、遠回しに示されたように感じる。


 だからくだんの移動制限は、一連の出来事に配慮したものだと僕は推測している。


 でも今のところは特に問題はなさそうだ。

 こうして普通に会話も出来ている。


「そういえば皆本、今日は珍しく制服じゃないんだね?」

「うん、中学校の創立記念日なんだって。だから平日だけど、学校が休みになってる」

「へー……なんか、ずるい」

「……別にずるくはないと思うけど。それにシズも同じ中学だからね」


 シズは広げていた両手を下ろして胡座あぐらをかき、比較的負担の少ない体勢に直っている。


「そっか。そうだったよ」

「まあでも。連休になったから、親戚の人への挨拶に付き合わされて、逆に休めなくなったかな」

「泊まりだったの?」

「うん。お爺ちゃんとお婆ちゃんの家に」

「それですぐに学校だと、ちょっと大変だよね」


 シズが僕の身を案じてくれている。


「うん。他にも学校での成績とか友達はちゃんといるのかとか、昔からよく訊かれたのを憶えているから。気落ちはするよね」

「ふーん……あれ? 今回はあんまり訊かれないんだ?」


 シズが少し前のめりになる。


「大体の人は僕の脚の心配に変わったから。

 もう治って三年以上も経ってるけど、未だにその具合の方が気になるみたい」

「怪我の功名ってやつだね」

「……随分と物理的にだけどね」


 僕が自嘲気味に失笑すると、それを帳消しにしてくれるシズの微笑みが一輪咲く。


「……」


 だから僕はそんなシズへと縋るように、気持ちを吐露する。


「そうだね……学校での出来事を言い訳しやすくなった」

「学校……あ、成績と友達?」


 シズが手を叩いて答える。

 僕はそれに対し、呼応するように肯く。


「うん。小学校入学から今まで、どっちも上手くいっていないしね」

「そうなんだ……意外」


 するとおもむろに、シズがベッドから僕が座っているパイプ椅子の方へと、身体を左九十度旋回させ、臀部を軸にして少し跳ねると、両脚から地面に着地する。


 僕はそれに反応し、シズへの空間を作るようにパイプ椅子を膝裏で適当にりながら、その斜向はすむかいに立ち上がる。


 そうして。粛々しゅくしゅくとした未熟な連立が、狭小の一室の窓際に相対する。


「シズ、急に立ち上がるとまた注意されるよ」

「大丈夫。部屋の中で歩き廻るだけだし、いざとなったらトイレに行く途中ってことにすればいいし……あっ、葵さんとかに気付かれたら皆本も口裏だけ合わせてね」


 そのままシズは背伸びの運動をしながら、先程までの話の続きを再開してくる。


「今までってことはさ——」

「えっ? ああ……」


 それが一瞬、何のことか理解出来なかったけど、話の辻褄からして僕の台詞の反覆はんぷくだと分かった。


「——もしかして中学校で孤立してる……とか?」

「えっと……孤立というか、小学校からの流れで、特別に話をする同級生が誰も居ない感じかな……なら孤立で間違ってもいないね」


 学校生活にける客観的事実を告げる。


 それは別段、隠していた事ではない。

 両親もその事を知っているし、半年近く付き合いのある担任教師なら容易に把握出来るだろうし、とりわけ議題に挙げるような事柄でもないと思う。

 いさかいを起こした訳でもなく、単純に付き合いが希薄なだけだからだ。


 ただ、あわれみの視線に僕が晒されるだけで済むなら構わないけど、両親などの体裁ていさいは気にしてしまう。


「そう……」

「うん、とっくに慣れたものだけどね」

「あっ、いや。そういうことじゃなくて」

「え?」


 シズは身振り手振りで否定している。

 残念ながら何を指しているかまでは不明だ。どうしたんだろう。


「その、ごめん!」

「……何でいきなり謝るの?」


 急転するシズの挙動に僕は困惑する。

 突然シズに謝罪されるような悪事を働かれた身に覚えはない。


 だから僕は訊ねて静観することしか出来ずにいた。そうしてシズは無駄の多いその動作を停止させて、理由を述べる。


「あのね私、皆本のことを聞いて凄く安心しちゃったから……」

「安心?」


 この話のどこにそんな要素があったのか、僕には皆目検討も付かない。


「うん。独りなの、私だけじゃなかったんだって。それが良くないのは分かってるんだけど、どうしてもね」


 シズが取り繕うように、誰にも見られまいと僕にも背を向ける。


 けれど僕からの角度だと窓の反射で、シズのその罪悪感に満ちた横顔だけが透けて見えてしまう。


「……」


 僕にだって、シズについて知らないことはある、知られたくないことだってある。


 それが一つや二つなら気楽でいいけど、きっと無数に存在していると思う。


 例えば生徒として、またそれ以前のシズの学校生活を、少なくとも僕は知らない。


 中学校は同じだけど、未だそこで顔を合わせるには至っていない。


「……うん」


 そもそも、本来進学する予定の中学校を変更した辺りから、僕も薄々勘づいていた。

 それを悟られまいと、しらず知らずに触れないでいたのかもしれない。


 シズは入退院を繰り返したらしいから、多少は馴染めていないかもと想像はしていた。


 そしてそれは、長期入院を経験した僕にも該当する。つまりは逆もしかりということだろう。


 その安心は、僕がシズと同じような状況に置かれているかもしれない懐疑が証明されたことによる、みにく安堵あんどだった。


 シズは心のどこかで、僕が孤立していることを望んでいた。そのようにとらえてしまうことは、僕もシズに対してそうだったのかもしれない。


「……っ」


 だから僕はそれを聞いて、拍子抜けするように苦笑いをした。全てを一蹴するようにえて、慣れない顔色にしていたと思う。


「なんだ、そんなこと……」

「そんなことって、悪いよこんなの」


 シズが振り返って、再び視線が交わされた。いつもより双眸が開かれている。

 忸怩じくじたる思いで歯痒いようだ。


「……場合によってはそうかもしれないけど、僕は寧ろ、安心してくれるような人がいるなら、それも悪くないと思うよ」


 するとシズがじたばたと首を振る。


「ううん、自己嫌悪だよ。こんなに私の性格がねじじ曲がってるなんて思わなかった」

「自分だけ取り残されているような感覚になってたら、きっとそんなものだよ」

「……」


 僕とシズの関係は学校とは無縁な場所で形成されたものだ。だったからといって、それが例外に当たるとは思わない。


 もしかしたらそこでしか築けないものだったかもしれないから、互いに憂うことなんてないはずだ。


「ねえ、シズ?」

「……なに?」


 例え別の場所で上手くいかなくても、所詮しょせんは数ある建造物の一部のコミュニティに過ぎない。


 だから僕もシズも、異なる少数派の価値観を認めさえすれば、そんな劣等感にさいなまれる必要なんてない。


 そして僕からシズに伝えられること。

 他人から見れば情けない言葉かもしれないけど、杞憂な悩みを持っている、同級生の付き合いが乏しいだけのシズに対して、いずれは戯言たわごとになるような考えだ。


「僕はここ以外では一人で居ることしかない。でも例えば、学校で孤立してるかもしれないけど、この病室ではシズと一緒に居るよね? つまり独りの環境はあるけど、全く同じ境遇ばかりではないというか……その……」


 口下手が過ぎたかもしれない。

 そのせいで、意図が全然通じていないであろう自覚もある。

 それでも僕は、シズに穿うがった角度からの安心も、こうしてあると提示したかった。


 というよりシズの気性なら、少なくとも僕以上に仲良く出来る人たちが絶対居るから、本当にキッカケだけだと思う。


「うーんと……私と皆本がそれぞれ独りでいる。それは孤立してる状態ではあるけど、場所によっては一緒に居る時間もちゃんとあるよってことかな?」

「……多分そういうことを言いたかった」


 シズが即興の指人形劇と台詞で、僕の言葉を拡大解釈してくれる。


「ああ、うんうん」

「ごめん、どのみちわかりづらくて」


 不器用さに辟易へきえきとする。

 もっと巧妙な言い草だってあるはずなのに、なかなか考えがまとまってくれない。


 あれこれ僕が思考を巡らしているうちに、シズはいつのまにかベッドに腰掛けながら、柔らかく話し掛けてくれた。


「皆本は、なんていうか律儀だね」

「そうなのかな?」


 シズは笑い動きに疲れ果でた様子で目尻をなぞる。どうやら睡魔が襲っているようだ。

 副作用で体力が落ちているだろうから、無理だけはくれぐれしないで欲しい。


「私が言うなって、文句言われちゃうかもだけど、将来ストレスで病気にならないか心配になるよ」

「別に文句はないけど、そんなに危惧されるほど溜め込みそうなの?」


 僕がそう訊ねると、シズは微笑む。

 肯定しているようにも、認めた上でそうならないことを祈っているようにも見えた。


「身体はくれぐれも崩さないようにね」

「……それは、もちろん」


 シズが万全な状態になったとき、しっかりと迎え入れる身体でいないといけない。


「待っててね。私が、皆本を独りにしないんだから」

「……」


 また、口下手が発動してしまう。

 すると同じタイミングでシズの両親が現れる。僕はそれぞれの対応に追われ、真意を確かめることが出来なかった。


 そうして僕は、シズの両親に挨拶を交わしたのち、長居は良くないと入れ替わる。


「シズ、また来るよ」

「うん。またね」


 手を振ってくれたシズに応えたつもりで、僕はそそくさと部屋から退室した。


「——僕、だって……」


 閉ざされたばかりのスライド扉の前。

 その独り言は、今呟くには相応しくないと僕は飲み込む。それから黙々と通路を歩き、階段をゆっくりと降りて行く。

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