第10話 冒険

 階段の踊り場で僕とシズは病院のパンフレットを、まるで宝の地図のように見立てながら、院内の構図に指を差し合っている。


「次はどこに行こうか?」

「シズが決めた所ならどこでも新鮮だと思うから全部任せるよ」


 そうしてそれぞれ、ポーチとリュックを掛けてこの病院内を探検をしている。


 シズが予見してすぐに、僕の退院時期が決まった。


 四肢ししを全く動かせない状態から、普通に歩けるようになるまでに回復している。だからそう遠くないとは感じていたが、僕はまだ様子を見ると予想していた。


 とにかくシズが見事に、退院時期を的中させたと言えるだろう。


 その後。僕の病室に訪ねてきたシズに退院日を伝えると、両手を広げてスキップをしながら喜んでくれた。


 後日、つまりは今日になる。

 この踊り場へ足を運ぶ少し前、リュックを背負って現れたシズが僕に病院を巡ろうと提案してきた。


 それは僕が退院する二日前。

 いつかの指切りを覚えていて、約束を果たそうとしたみたいだ。


 ベッドで寝転んでいた僕はすぐさま頷き、携帯用のポーチを身に付ける。


 最初はこの病院で、一番高い所へ行こうと天を仰ぐシズを追った。


 エレベーターを利用して屋上に向かうが残念ながら立ち入り禁止で、結局その近くの踊り場で給水きゅうすいをしながら、お互い次の目的地を相談していた。


「じゃあ皆本が行ったことのない所にしよう! ほらほら指差して!」

「うん……」


 シズが僕の強引に左手を取る。

 気圧けおされながらも僕は普段向かわない場所を、一つひとつ指し示していく。


 大抵は整形せいけい外科げか小児科しょうにか以外が絡む部屋や病棟が記述きじゅつされた箇所かしょに当てる。

 シズがそれを眺めつつ、口をとがらせながら熟考じゅっこうしている。


「やっぱりそうか……全部は難しいから。

うん! 皆本、西館に行こう。きっと知らないことがいっぱいあるよ!」

「うん、わかった」


シズとならどこでも大歓迎だ。


「ついでにすぐそばにある裏庭にも行って遊ぼう! 行ったことないよね?」

「いつものお庭と違うならそうだね」

「よしっ決定。早速いこー!」


 僕とシズは西館に向かうため階段をあわただしく降りる。

 途中でエレベーターに切り替えて、受付ロビーのある一階まで降下こうかする。

 そしてシズが周りの呼び声に応えながら、迷うことなく薄暗うすぐらい通路へと歩いていく。ここからは僕の知らない道のりだ。


 同じ病院で病室の等間隔とうかんかくも変わらないのに、うろ覚えのまま巡っている気分になり、どこか家族で隣町に訪れたような雰囲気だ。


 シズが他の患者さんたちに呼び止められている以外はとどこおりなく探索が続いている。


 その最中さなか救急きゅうきゅう緊急きんきゅう治療ちりょうしつしるされた看板を発見して、僕は呆然ぼうぜんと文字を凝視ぎょうしする。


「……もしかしてこれが目的かな?」

「えっ? ああうん」


 シズの穏やかな問い掛けに頷く。

 断片的だんぺんてきにではあるが、シズもやはり僕の経緯いきさつを知っているみたいだ。


 僕が事故に遭い緊急手術をして、大袈裟じゃなく一命を取り留めた。


 仮にあのまま患部を放置していたなら、僕がこうして歩くどころか呼吸することすら出来なかった。


 それがり行われたのがおそらくこの場所だ。


 看板を頼りにその部屋へおもむくことはないけど、退院する前にちゃんと存在していることを確認しておきたかった。


「シズ。もう大丈夫、行こう」

「……うん」


 先導せんどうするシズに続いて、一フロアを漏れなく周回したのち上階じょうかいしていく。


 それを繰り返してついに西館の最上階にまで辿り着く。

その科の医師と言葉を交わしてから、またエレベーターで一階に戻り、受付の方には向かわずに裏庭を目指した。


 化粧室けしょうしつがある事以外に印象的なものはなく、ついでに誰かとすれ違うこともなくなり、しばらくすると勝手口かってぐちが見える。


 シズがそこに駆け寄り、施錠せじょうされている扉の鍵を九十度きゅうじゅうど円弧えんこをなぞって開ける。


「おー……」


 こんな所から、建物の外へ出ることが可能だとは知らなくて僕は感嘆する。


 どうやらシズは手慣れている様子だから、僕はそのまま促されてついていく。想定したよりまだ少し距離があるみたいだ。


 そうして辿り着いた裏庭は僕がよく利用している庭園とは異なる地形をしていて、でる芝生しばふ煉瓦れんがに仕切られた樹々ききに囲まれている。


 僕がぼんやりしたまま一望していた。


「とうっ!」


 すると前にいたシズがいきなり芝生へと飛び込んで行き、リュックを放り捨てて仰向けになり、心地良く息を吸い込んで吐く。


「皆本も遠慮せずおいでよ。すっごく気持ちいいから」

「え……じゃ、じゃあ……お邪魔します」


 僕も芝生に踏み込んでシズの隣に座る。

 平手でその緑層りょくそうに触れ、あまりの柔軟さに感銘を受ける。


「よいしょっと」


 寝そべってみるとまた格別だった。

 いつものベッドに不満はなく、むしろ快適過ぎるくらいだ。


 だけど芝生の不揃いな低反発ていはんぱつと夕焼けを埋め尽くそうとする巻積雲けんせきうんを仰ぐことは、この裏庭でしか難しい。


つまりは特等席のような感覚になれる。


「どう? いいでしょここ」

「うん」


僕は素直に肯定する。

というより、そうするしかなかった。


「ここって建物から少し遠くてあんまり人が来ないから、一人になりたいなってときにおすすめだよ……あ、皆本は退院しちゃうから今更かもしれないけどね」

「そんな事ない、ここに来て良かったよ」


 やがて僕は瞳を閉じてそよ風を受け入れる。


 素肌に優しく触れてくる。

 夕焼けの朱色しゅいろにごっていくのが、瞳孔どうこうを開かなくても分かってしまう。


 もうじきよるとばりが下りる。


 そんな平穏へいおんの中、突然シズが何も悪いことをしていないはずなのに白状はくじょうする。


「……実はね皆本、私もそろそろ退院出来るみたいなんだよね」

「……えっ? 嘘じゃないよね?」


僕は少しだけ身体を浮かす。


「うん、皆本よりは後になるだろうけど……って言っても、いままでも入退院を繰り返して生きて来てるから、ちょっと複雑でね。

 でも皆本の退院は、心の底から自分の事のように嬉しい。

 だけどきっと、私のときはそんな風に出来ないと思う。絶賛不可思議な感情の真っ只中だよ」

「そう、なんだ……」


 経過けいか良好りょうこうで退院することが悪では決してない。


 両親も先生も安心したように胸を撫で下ろしていて、尚更なおさら僕は感じる。


 お医者さんや看護師さんの力添えがなくても、人としての生活を難なく送ることが出来ると判断されたから、退院出来るんだと思う。


 僕の場合なら、また実家で他愛のない会話をしながら、食事をしたりワゴン車で遠出したり、小学校にも通うことになるだろう。


 けれど一度離された生活に戻ろうとすることには、不安と恐怖が付きまとう。


 実家で両親に気を遣われる姿や、何で学校をこんなに長く休んでいたのかたずねられる僕とシズの姿が目に浮かぶ。


 それを幾度いくどか体験して来たであろうシズには、同情することすらおこがましい。


「——少し疲れた。ねえ、遊ぶ前にこのまま眠ってもいいかな?」

「僕もそうしたかったから、助かる」

「良かった。寝て起きたらカードゲームがあるから、いっぱい対戦しようね」

「……うん」


 なんのカードゲームなのか分からないけど、とても楽しみだ。


「じゃあおやすみなさい皆本」

「おやすみ、シズ」


 お互いに瞳を閉じている。

 子供といえど無尽蔵むじんぞうに行動することは不可能だ。


 あんなにもわんぱくなシズも普通の人間なんだと、僕はしみじみ思う。


 意識が休息していく微睡まどろみの最中で、そういえばシズの寝顔を一度も見た事がないと思い当たりながら途切れていった。


「——————!」


 怒鳴どなりをあげながら、僕の名前を呼んでいるような気がする。


 両方の目蓋まぶたから眉間みけんまでにいたる、取るに足らない鈍痛どんつうが身動きをこばむ。


 僕の身体は休んでいるのに疲労ひろう困憊こんぱいだ。

 揺さぶられているような感覚もあるけど、如何いかんせん両眼が開きそうにない。


「もう笹伸っ! 起きなさい!」

「え……あ……」


 その混濁こんだくから無理矢理引っ張り出されたかのように、僕は目を覚ました。


 あたり一面が真っ暗闇で、軽装けいそうのせいか寝起きで体温が下がっているせいか、少し身震みぶるいする。


 そんなときに不自然な照射しょうしゃが僕のほおに当てられる。


 暗順応あんじゅんのうしているせいで、その光線を鬱陶うっとうしくなって避ける。すると直ぐに、聴き慣れた声主の謝罪の言葉が聞こえる。


「ごめん皆本、まぶしかったね」

「シズ……か?」


 僕は薄目で光線が放たれた方角を見る。


「私もいるけどね?」

「……どうして田宮さんが?」


 ちゃんと目視した訳じゃないけど、僕はその声色から田宮さんだと断定していた。


 そしてたずねた後に気付いたけど、いつもよりも、その声が低くて荒々あらあらとしている。


「何か言い分はある?」

「え……と?」


 僕は上体を起こしてひたいを抑える。

 なにやらシズが田宮さんをなだめようと腕にしがみついているが、効力こうりょくはなさそうだった。


「なら、今が何時だか分かる?」

「……十九時しちじくらいですかね」

「……そう。シズ、隣に行きなさい」


 田宮さんの指示を受け、シズは僕の隣に来て、何故か正座をしながら待ち構えている。


 僕がそれに唖然あぜんとしていると、田宮さんが雑に息を吸い込んでいた。

 そうしてき止めていたものを、僕と行儀の良いシズに対してぶつけてきた。


「シズ! 笹伸! 

 こんな場所、こんな時間で、なにを呑気のんきに熟睡してるのっ! 

 風邪を引くどころかこごえ死んじゃうかもしれないでしょ!」

「「……っ」」


 田宮さんの怒声どせいに僕は何も出来ないでいた。


 どうやらシズはこうなることを分かっていた様子だけど、何も出来そうもないのは僕と同じだった。


 一度溜息を吐いて心身を落ち着かせた田宮さんは事情をつらつらと述べる。


「二人とも十九時しちじくらいって言ったけど、もうすぐ二十二時じゅうじ

「嘘……」


 シズが信じられないとつぶやく。

 僕も言葉にしなかったけど、内心では同感だった。


「本当。それで今、シズと笹伸が行方不明になったって大騒ぎになってる。

 小児科と整形外科の人を中心に二人を探してるけど情報も錯綜さくそうしてた。

 屋上に行ったとか、西館で遊んでたとか、リュックを持っていたから病院の外へ逃げ出したとか……流石にここは盲点もうてんね」


 そう言って立ち上がる田宮さんは、僕とシズと同じ目線に合わせ交互に見る。


 そしてすぐに、僕たちの頭をでた。


「二人とも無事で良かった。帰ろっか」


 看護師とか仕事とか、相手が患者だからとかではなく、心の底から僕とシズにびせられた純粋な慈愛じあいだった。


 単純な優しさだけじゃなくて、時としてしかり、りっしてくれるからこそ、それは育まれる。


「うん……」

「はい……」


 僕とシズは芝生に向けて返事をしていた。

 恐らく、田宮さんの顔を覗くことが後ろめたくて、怖かったからだ。


 そうして僕らは病院のロビーへと帰り、捜索してくれたらしき人達に迎え入れられた。


 こんなにも穏やかだったのは、田宮さんが事前に連絡していて経緯を伝えていたからだと思う。


 その中には僕の両親もいて、見つけるやいなやすみやかにシズが謝り、僕も頭を下げる。


 それを見た父さんと母さんは、この場に似合わず、何処どこ嬉々ききとしていたのが印象的だった。


 捜索に関わった人達が安堵あんどして職場や家に戻り帰る。


 その最中、僕はシズの両親を探した。


「どうしたの?」

「えっと、シズの両親にも謝りたくて」


 母さんにたずねられて僕はそのように答えた。すると歯痒はがゆく難しい顔をしていた。


「うーん、シズちゃんのご両親はおじいちゃんおばあちゃんの家にいるらしくてね。

 ここからかなり遠いみたいで、車で急いでも日付を跨ぐらしいの。

だから笹伸はちゃんと休んでなさい。逢えたら母さんが代わりに言っておくから」

「……」


 腑に落ちないまま僕は病室に戻る。


 次の日、僕は退院前の身体検査に時間を要し、行方不明になったせいもあって、仕方のないことだけど行動を制限される。


 シズも同様の制限を課せられたらしい。

 病状のこともあってか、僕の退院日になっても、いつものように訪れず逢うことが叶わなかった。


 そうしているうちに僕は、半年以上暮らした病室を後にする。

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