エピソード4

 俺たちは毎日お仕置きを……というわけにもいかず、たちばなの許可次第でスケジュールを決めていた。

 この感じだとお仕置きとは言わないのでは、という疑問はさておき、本日は二日空いたからOKの日だ。


 軽やかに朝の廊下を歩いていると、お姫様が顔を見せる。


「おう、橘。おはよう!」


 俺が軽く手をあげると、「やあ」と言った具合にあげ返してくれる。

 しかし少しだけ姿勢が悪いようだ。


「どうしたんだ?」

「なんでもない」


 すぐに背筋を伸ばして笑ってくれた。


「き、今日は……その……」

「めっちゃ期待してんじゃん。二日空いたもんね」

「いや、期待ってわけじゃあ……。それで、どうするんだ?」

「いいよ。放課後、いつものとこでね」


 その知らせに「ホントか!?」などと喜んでみせるも、あちらの反応は少々薄い。

 教室に入った橘を見て思った。

 飽きられてきたんじゃなかろうか、と。


 またヤキモキする中、放課後のその時を待った……。




 少し不安に扉を開けると、普段と変わらぬ様子でゲームをする橘の姿。


「やあやあ仕置き人! 現れたな!」

「そんなんじゃない!」


 からかってきたので安心したのだが、お菓子の袋がいつもよりも大きかったことに気を取られる。


「今日、多くないか?」

「まあ、ちょっと」


 いつものようにロッカーからお仕置き道具を準備する俺と、長机から距離を取る橘。「よし」と意気込んで紐を近づけると、


「あのさ……ちょっといい?」


 この空気、いたたまれない。

 長年連れ添った妻から離婚を切り出されるような、そんな切ない空気感。長年って言っても俺たちはたったの二週間だが。


「それ以上言わんでいい。橘を見ればわかる」

「え!? 嘘でしょ!?」


 椅子に座りながら目を丸くする橘。

 この顔も見納めか。


「嫌になったんだろ? 俺と、お仕置きが」

「いや全然わかってないじゃん!」

「え?」


 不思議に思って橘を見たが、なかなか正解発表してくれない。


「今朝のわたし、ちょっと変わった感じなかった?」

「あぁ……姿勢がちょっと」

「それ」

「それって?」


 未だに意図の掴めない俺が尋ねると、急に赤みを増す橘の顔。


「……昨日、痛めたんだよね。……腰を」

「なんだって!? 大丈夫なのか!?」

「ヘーキヘーキ。安静にしてればすぐ治るから」


 両手をこちらに向けて制止してくる橘。

 腰痛の原因と言えば、ベッドからの落下、もしくは階段からの落下。どちらにせよ危険因子ばかりが脳裏を過る。


「どうしてそんなことになったんだ? 階段で滑ったり、とか?」

「違う。…………現場は、お風呂でした」

「風呂で滑ったんだなっ。頭とか打たなかったか?」


 俺が橘の後頭部を何度となく確認する度に、橘の顔ばかりが赤くなる。

 たんこぶなどがないことに安心していると、


「滑ったとかじゃあないんだけど……。ちょっと、今日の予行演習をね」

「予行演習とは?」

「いや、その……委員長はもうわかってると思うけど、わたしさ、不感症の逆って言うかさ」

「それは知ってる。敏感なんだろ」

「ハッキリ言うな! だから、その、ちょっとでも耐えられるように演習を」


 ようやく理解した。そこまで勝ちにこだわっているわけか。

 それは分かったのだが、事故の原因が掴めない。自分で自分の身体をくすぐったとして制御は可能なはず。何故腰を痛めるほどの事故になる?


「何となくは理解したが、その状況からの事故が見えてこないんだが」

「わっかんないかなー。調子に乗りすぎて三回もアレが来たの……だょ」


 語尾が聞き取れないほどに小さい。

 アレっていうと何だ? お仕置き最後のビクンのことか?


「三回来るとどうなるんだ?」

「湯船からあがれなくなって、母と姉を呼びました……っ」

「なんと!? というか姉がいるのか?」

「そこ!? まあ、いますよ。ハイスペックな姉が。ってそんなことより、そのあと散々だったんだよ。ふたりには笑われて、父にもなんとなーくやってたことバレて。……自業自得なんだけど。それで今に至ります」


 真っ赤になりながら腰元を擦っている橘。その仕草だけでも可愛すぎる。


「なら今日はナシにしよう」

「有難いけど、いいの? 楽しみだったんでしょ?」

「まあな。だけど、こんな姿の橘にお仕置きなんて俺には出来ない」

「ありがとね。お礼に次回は過激度あげていいよ」

「ええぇっ!? そ、それは、流石に……っ」


 俺が慌てだすとすぐに調子に乗り出す橘。


「わたし、なーんも言ってないけど、どのくらいのレベル想像したの?」

「な、何も想像などしてないっ」

「ホントにー?」


 平静を装い、お仕置き道具を片付ける。

 背中に届く橘の声。


「今日のこれはお仕置きできないから買ってきたの」


 ロッカーに手を伸ばしながら振り返ってみると、白い袋をポンポンとさせる橘の姿があった。


「お菓子をたべましょうってことか?」

「ただ食べるだけじゃつまんないから、伝統のアレ、やってみますか?」


 はてなを浮かべる俺の前で、ゴソゴソと袋を漁り、取り出されたのはポッキーだった。


「それの何が伝統なんだ?」

「え!? 委員長知らない!? ポッキーゲーム」

「なんだそりゃ?」


 知らないと分かってすぐに小悪魔橘ちゃんが降臨する。

 数本入りの袋をひとつ開けて、ポッキーを一本取り出してみせる橘。

 その橘に、片付け終えた俺が近づいていく。


「この両端をお互いが咥えて食べていくゲームでーす!」

「ち、ちょっと待て! それだと最後は……キ、キ……」

「かもね」

「ダメだダメだ! そんなこと! お前は慣れてるだろうが、俺は初めてなんだぞ!」


 こんな提案を軽いノリでしてくる橘のことだ。中学くらいでファーストキスなど終えているだろう。

 想像するだけでムカついてくる。最初は俺がよかった……いやいや、何をバカなことを考えているんだ。


「そっかー。んじゃ、今度ナンパしてきたチャラ男とでもやってみよっかなー?」

「やめろっ! それだったら俺としろっ!」

「それじゃあ、委員長。こっち来て?」


 椅子に座ったまま手招きしてくる橘。

 もうこうなったら何十人目かの相手でも構わない。俺のファーストキスを橘に捧げてやる。


「わたし腰痛いから特別ルールね?」

「どんなルールだ?」

「わたしは咥えるだけで動きませんので、委員長が歩を進めてくださいな」

「なん……だと……っ」


 お互いに食べ進めないのならキス待ちと同じじゃないか。

 構わずに片方を咥えた橘。


「いいんだな? 俺の歩の駒は王将を取るまで止まらんと思うぞ?」


 そんな口振りを見せても、右手でOKマークを作る橘。

 この軽さで何人の男を落としてきたのだろうか。俺もこれからそのひとりになるのか……。さらば風紀委員長という肩書。今から、ただ悪女の手のひらで転がされたアホの男のひとりになります。


 意を決して反対側を咥えた。


 ゆっくりと食べ進めていく俺。ずーっとその様子を目を見開いて観察してくる橘。このくらいの猛者はキスの時でも目を開けているというのか。


 半分ほど進んだ時に見下ろした先、スカートを強く握り締める橘の拳が見えた。

 構わずに進めた次の瞬間――。


「――――ッ!」


 一瞬だけ仰け反った橘の反動でポッキーが折れてしまった。

 無惨に落ちていく橘側の切れ端。

 それは何故か橘の制服の上着の中へと消えていった。


「橘っ!」

「ご、ごめん……っ。ち、ちょっと焦っちゃって」


 ふたりで消えたところを探っていると、


「こ、こんなことが……っ」

「すごい偶然だね」


 橘の口からポロリしたポッキーは、橘の豊満なおっぱいの谷間に着地していた。ポロリされたことにキレて、ポロリさせようとしたようだが、どうやらそんな力はなかったらしい。ただ挟まっているに過ぎなかった。


「こんな奇跡滅多にないんで、ゲームを続行しまーす!」

「アホか! できるわけないだろ!」

「あれれ、お客さん? いいんですか? 今ならポッキーのおまけに果物まで食べられますよ?」

「ぐ……っ」


 割としっかり食い込んでいるポッキー。

 これを食べるとなると確実に顔を谷間に埋めることになるだろう。

 ……やりたい、是非ご賞味賜りたい。


「……お客さん。……そちらのポッキーはお控えください」

「ああぁっ! ち、違う! これはだな」


 またもや空気を読まない俺の息子。

 それを紛らわせるため覚悟を決めた。


「いただきます!」

「ああぁっ! い、委員長……あ、焦んないでよ」


 ポッキーを食べ進めるたびに甘い香りは増すばかり。揺れる果実は目と鼻の先にある。


「ね、ねえ……鼻息、くすぐったいって」


 もうポッキーは無くなったのだが、橘からは見えないだろうことをいいことに少し舐めてみる。


「あああぁっ!? ちょっと! もうポッキーないよねっ! お客さんっ!」


 もう俺の理性なんてなかった。

 舌に伝わる柔らかさ。一生舐めていたい世界最高の果実。


「も、もう終わり! また腰痛めるから!」


 橘を傷つけてはダメだという気持ちが、最後のストッパーとなった。


 デザートタイムを終えて距離を取る。橘の谷間がいやらしく光っていた。


「今、完全に理性失ってたよね?」

「すまん……。風紀委員長としての俺が……死んでいた」

「まさか舐めるとは。ビックリしたよ」

「すまん。でも、最高だった」

「……そーですか……っ。ま、まあ、キスはお預けできたからいいけど」


 赤くなった頬を人差し指でなぞりながら橘がそう言った。

 キスという言葉で思いだした。


「なあ、さっきのポッキーって橘側のヤツだったから、これって間接ってやつじゃあ……」

「――――ッ!!」


 そう告げてすぐ、声にならないような声を出して口元に両手をあてがう橘。その顔は湯あたり患者のようである。

 キス慣れしているんじゃないのか? 違う……のか?


 それからしばらく橘の放心状態は続くのだった。

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