第20話 再会
まだ戦火の続く城下の街ザ-ル。闘技場周辺は燃え盛り、闘技場の観客席にいた観衆達は逃げ遅れ、炎の中で逃げ惑う地獄と化していた。
少し離れた小高い丘の木陰にやっと逃げ出した人々が集まり出していた。そこへ、闘技場からフレイアを連れ去り、ヘルメスの追っ手を巻いたと思われるあの白馬も駆け付けて来た。集まった人々を避け少し離れた場所で、馬上の女は手綱を強く引き馬を止めた。
「あ、お姉ぇ、ご苦労様!」
「もう闘技場周辺は、火の海だよ」
そう声を掛けたのは、驚いた事に大地の村にいたメデサであった。馬上の女は丘の上から見えるザールの街を再度眺めると、悲し気な表情をする。
「そうみたいね……」
「また、大勢死ぬのね……」
「そうだね……」
女は腰にへばりついたまま気を失っているフレイアを確認すると、そっと降ろし地に寝かせた。暫くはフレイアの顔を覗き込み眺めていたのだが、まだ目覚めぬと見た女は白い布を取り出すとフレイアの顔に付着した血を拭い始めた。女の透き通る様な白い細い手が、何度も丁寧に辿っていた。クムの掛けた魔法はまだ有効なのであろう、フレイアの身体はボンヤリと微かな白い光を放っている。
「そう云えば、ルーはどうしたの?」
「なんか良く判らないけど、お城見に行った……」
「え!まさか!……」
女の驚くのも無理はない、ルーとはフレイアとメデサが話していた10年振りに帰って来る筈の彼氏のことだ。久しぶりに会ったと云うのに、それも束の間。フラフラと出かける彼にメデサの怒りは爆発寸前だ。文句を云うメデサはふくれっ面になっていた。
「そんな事より、お姉ぇ、ここも、危ないかもよ……」
「そうね、もう少ししたら移動しましょう……」
「それで……その子はどうなの?」
メデサと女は姉妹という訳ではないが、何故かメデサは親しみや尊敬を込めて『お姉ぇ』と、そう呼んでいる様だ。そして、メデサの腕の中にはピクリとも動かぬ黒焦げのクムが抱かれていたのだが、首を何度か横に振ると、抱いていたクムの亡骸をそっと地に降ろした。
「最期に使った
「全く、馬鹿げているよ……」
「そう……」
だが、自分自身も過去に同じ思いをした事があった。身内、友人達の生け贄を見てきたメデサにとって、その気持ちが理解出来ない訳ではなく、分かるからこそ、やるせない気持ちでいっぱいであったのだ。その気持ちの現れであろうか、死者に対しそっと毛布を覆せ、手厚く扱う彼女であった。
その、メデサの言葉を聞いていたのかどうか、女は白く輝くフレイアの身体を切なそうに見つめていた。
「でも、この魔法……
「魔法のみならず、武力に対してもある程度の防御が可能な筈……」
「子供がこんな魔法を使うなんて……」
毛布にくるまれたクムを、何か秘められたる者でも見る様な目付きで、じっと見つめる女であった。言葉にはしなかったが、彼女はクムが何者であるのかと、何か心に引っかかるものがあったのである。
「あ、お姉ぇ……気がついたよ……」
フレイアの、瞼の微動に気付いたメデサの言葉に、女は、フレイアの顔を覗き込んだ。そして、そのまま、暫く様子を伺っていた。
ゆっくりと瞼を開き出し、2度3度と小さく唸るフレイア。しかし、まだボンヤリした意識の中で、彼女が目にした者を認識するのには、暫くの時間が掛かっていた。自分の様子を伺う女にフレイアは不思議そうな顔をした。
「あ、あなたは……」
「気が付きましたね……」
「あたしの名は、ルイーズ・アルマティアと申します……」
ルイーズはそう云って目を細め優しく微笑えむと、ゆっくりと右手を差し出し握手を求めた。彼女がここ数ヶ月姿を見せなかった、ルイーズ・アルマティアであったのは驚きだ。自己紹介時に握手を求めるのは彼女の習慣なのだろうか、フレイアは差し出された右手をギュっと握りしめると、声を荒げた。
「あなたが、あの噂のルイーズ・アルマティアさん?」
「わ、わたくしはフレイアと申します、お慕い申しております…… お会い出来て光栄です……」
お慕いしておりますと云われ照れるルイーズ、メデサに少し苦笑いを送るが、メデサも思わぬ展開に困惑し、苦笑いをルイーズに返していた。
ルイーズはメデサ同様に化粧をするでもなく、又、身を飾っている訳でもないが、彼女のその貴品と云うか、整った容姿と身なりに、女ながらも、魅せられるフレイア。
それもあってか、フレイアは己のいる場所を錯覚してしまいそうになる。それは、自分を闘技場から助け出された時の事だ。女性の手で自分をあの場から助け出す事は考えられない。ルイーズは何処かの王女か何かで部下でもいるのかと考える程だ。しかし、何処にもそのような者達は確認出来ない。
「お姉ぇ優しいから安心しなよ」
「あなた方が……助けて下さったのですね?」
ふと、メデサが米噛みに右手の人差し指と中指を当て軽く敬礼した。それは、フレイアには『また逢ったね』の挨拶に見て取れた。その見覚えのある顔にフレイアは微笑んだ。
「お姉ぇって、元剣士さんなんだよ……」
「でも、ごめんなさい……」
「あたし、自分の名前意外の記憶がなくて……」
「何処かでお会いしていても、覚えていないと思うわ……」
ルイーズがそう云ったのも、フレイアが自分の名を知っていたからであろう。自分の事を知っている者を、自分は知らないと云う不安感があったと思われる。ガルディに収監後、どう云う経緯を辿り大地の村に行き着いたのかは不明だが、ルイーズが記憶を無くすほど酷い仕打ちを受けたと思って良いだろう。
「でも、どうしてここに?」
「メギディス様はあたいの村の生贄の代わりだよ」
「気にならない方がおかしいってもんだよ……」
「そ、それもそうですね……」
メデサの言葉を聞いてフレイアは確かにごもっともな事だなと思った。そう云う会話を交わしている間も、自身の身体が白くぼんやり輝いているのだが、それにやっと気づくとフレイアは慌て出した。
「はっ、そう言えば!!」
「ク、クム、クムは?」
「……ま、まさか……」
フレイアのクムを気遣う言葉に、急にメデサは黙り、鼻筋を掻いては、ためらいを見せている。ルイーズの美しい顔にも、陰りが見えていた。その様子に何かあったのだと察するフレイア。
「村に来た時に一緒にいた子だろ……」
「そこに、寝かせてあるんだけどさ……」
「え!……」
フレイアは、メデサの示した毛布にくるまった物を見て、我を疑ったのは言うまでもない。その物体と化した前で、半ば放心状態となってしまっていた。
「そ、そんな……」
「自分の命を呈して、あんたに
「お涙もんだねぇ」
「メデサ、そんな言い方、無神経過ぎるわよ」
「謝りなさい」
「うっッ……」
「ご、ごめんなさいッ!!」
ルイーズの言葉に、口を両手で押さえるや、失敗を悔いるメデサ。彼女の口にする言葉には、決して悪気がある訳ではないのだが、口の悪さがより印象を悪くしているのは確かだ。
メデサを睨みつけたルイーズの怒り顔は、一瞬であったものの、背筋が凍る様な威厳さを持ち、且つ、非常に神聖さをが感じられた。あまりの事に、メデサは息を詰まらせる程の驚きを見せていた。
だがそんなメデサを他所に、フレイアはクムの亡骸を唖然と眺めるのみであった。
「ちょっと、ほら元気出しなよ」
「もう、死んじまったものは、しょうがないじゃんか」
「……そ、そんな……」
「メデサ……あなたって……冷たいのね」
「そ、そんな事言ったって……」
メデサの言葉を聞いた途端、涙混じりの顔でフレイアはメデサを睨み付けていた。出来る事なら、何とかしたいと思うのは当然である。
しかし、確かにメデサの言葉も一理ある。人は死ぬと、二度と生き返らないなんて事は、頭の中では解っている筈なのだから。でも、それをあの様に口にするメデサを、冷酷な人間だと思うのも又、当然と云えば当然であろう。
父を亡くし、連れをも亡くしたフレイア、もう彼女には目的があろう筈がない。これから、どうすれば良いのかと、途方に暮れるばかりであった。そんな彼女には、現在のライテシア城の状況は判らない。いや、知らぬ方が良いのかも知れない。ライテシア城からは炎が上がり始めていた。
- つづく -
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