ここのつめのかたり「旅立つに 盗人達、童をかどわかしにけり 」

 翌朝、朋彦とナオヨシはいつも通り夜が明けて少ししてから目が覚めた。

「おはよー朋彦さん。」

 のそのそと羽毛布団から起き上がったナオヨシの顔はまだ少しだけ腫れぼったい様だったが、心のつかえが取れたのかすっきりとした表情をしていた。

「おはよー。」

 朋彦も挨拶を返し、まだ少し眠い頭でのろのろと立ち上がると顔を洗おうと洗面所に向かった。

 ナオヨシも遅れて立ち上がると、朋彦の後に続いた。

「――朝飯、何にするかな・・・。」

 洗顔と歯磨きを済ませて台所にやって来た朋彦は、懐の道具袋に手を入れたまま流し台の前に立った。

「ナオヨシ、何食いた・・・。」

 そう尋ねながら、先にテーブルの前に腰を下ろしたナオヨシを朋彦が振り返ると、ナオヨシはぼんやりと窓の方を向いていた。

 恐らくはナギシダ村や、昨日のタカキ夫婦の事を考えているであろうナオヨシへ、朋彦はもう一度声を掛けた。

「・・・タカキさんとトヅコさんだっけ・・・? 昨日の。」

「・・・!! あ!! う、うん・・・!!」

 その声にナオヨシは驚いて肩を震わせ、朋彦の方を向いた。

「・・・ちゃんと村まで帰り着いたかなって・・・。」

 そう言ってナオヨシはまた窓の外へと目を向けた。

「そうだな・・・。」

 朋彦自身はタカキ達とは殆ど関わりが無かった事もあって、その無事についてはさして気にはしていなかった。

 だが、ナオヨシがいつまでも気にして落ち込んでいるのは可哀想だと思い、懐の道具袋へと手を突っ込んだ。

「じゃあ、マジナイの人形に占ってもらおうぜ。ちゃんと村まで着いたかどうか。」

 いつもの蛙人形を取り出し、朋彦はナオヨシの顔の前へと突き出した。

 朋彦に掴まれた人形は相変わらずの調子で白目を剥いたまま、力なく項垂れていた。 

「占い・・・?」

 目の前の蛙人形の様子をナオヨシは不思議そうに眺めた。

「タカキさんとトヅコさんが村までちゃんと着いたかどうか、答え給え~。」

 蛙人形を掴む手に力を込め、朋彦は答えが出る様にと精神を集中した。

 どんな願いも叶える蛙人形は、当然の事ながら答えが知りたいという朋彦の願いを叶えた。

 蛙人形の口からいつもの白いゲロの様な物質の塊がテーブルの上へと吐き出され、すぐに小さな木札の形へと変化した。

「神社の御神籤とか言うヤツみたいだな~。」

 ナギシダ村での生活では神社も御神籤も見た事は無かったが、ナオヨシは目の前で白い物質の塊が木札へと変化する様子を面白そうに眺めた。

「あ!」

 変化を終えた木札には筆文字が浮かび上がり、ナオヨシは驚いて木札を手に取った。

 ――こたえ。ぶじについた。

 蛙人形がナオヨシの読解力に合わせたのか、文字は全て平仮名で書かれていた。

「そ~か・・・。良かった。ちゃんと帰れたんだ・・・。」

 平仮名を一つ一つたどたどしく読み終えると、ナオヨシは笑顔を浮かべほっと息を吐いた。

 昨日見送ったタカキとトヅコの後ろ姿や、今迄村で色々と庇ってくれた時の様子がナオヨシの脳裡をよぎっていった。

 だが――、一瞬目を伏せた後ナオヨシは顔を上げ、それっきりタカキとトヅコの事は思い返す事をやめた。

 顔を上げたナオヨシに朋彦は微笑みかけながら御神籤の木札を手に取った。

「朝飯にしようぜ。何食う?」

「んーと、山芋の煮付けと油揚げの味噌汁と・・・。」

「あいよー。」

 木札を道具袋に仕舞い込むと、朋彦は蛙人形を握り朝食を作り出し始めた。



「――うーん・・・。どうしたもんかなー。」

 朝食を終え食器を片付けた後、朋彦とナオヨシは再びテーブルに向かい合って座った。

 二人の間には板状の携帯端末機が置かれ、ナギシダ村のあるこのニシガヨリヒラ島の地図が映し出されていた。

 朋彦は地図とナオヨシを何度か見比べながら考え込んでしまった。

 ナギシダ村や他の村から離れた場所を選んで今の場所にやって来たものの、山で迷った偶然とは言え――またナギシダ村の人達がこの近くまでやって来る事があるかも知れない。

「やっぱりここを離れた方がいいのかな・・・?」

 端末機の表面を指先で撫で、意味も無く地図を拡大したり縮小したりしながら朋彦は呟いた。

 いずれ何処かに定住するにしても、旅をするにしても、ナオヨシの事やナギシダ村の事を誰も知らない様な場所に行った方が安全だとは言えた。

 ――せいぜい好きな様に生きて我を楽しませるがいい。

 あの不可思議な夕暮れの空の世界でパイライフが告げた言葉を、朋彦は再び思い出していた。

 パイライフに与えられた蛙人形の力で、朋彦は何処にでも行けるし、何でも出来る。何でも自由な筈だった。

 だが、自由過ぎるが故に却って朋彦はその自由を持て余してしまうのだった。

 ふと、朋彦がナオヨシの方へ顔を上げると――ナオヨシも彼なりに考え込んでいた様で、真剣な表情で朋彦の手元の携帯端末の地図へ目を向けていた。 

 しかしすぐにナオヨシは顔を上げ、彼なりの結論が出た様で朋彦に笑い掛けた。

「オレは朋彦さんに何処にでもついて行くよ!」

「そ・・・そうか・・・。」

 信頼し切ったナオヨシの笑顔に朋彦は苦笑いを浮かべたが、すぐに気を取り直し、

「よし! 折角だし少しこの島の中だけでも旅をしてみるか。俺達の他にも「産めぬ民」は居る筈だし、そいつらにも会ってみたいしな。」

 この世界のまだ見ぬイモカワイイ兄ちゃん達とイチャイチャしまくってから引きこもっても遅くはないし――。

 朋彦はそう決心すると、早速携帯端末に表示していた地図の倍率を上げて現在地近辺の様子を映し出した。

 ナギシダ村から三十キロ程・・・現在地から二十キロ程南西に進むと、シモアサダ(下朝田)村という小さな村があった。そこもナギシダと似た様な規模の、小さな山村の様だった。

 朋彦が少し意識を向けるといつもの知識の参照が半ば勝手に行われ、シモアサダについての情報が頭の中に流れていった。

 村の人口は百五十人程で、大した産業は無く規模の小さな林業と田畑で何とか飢えをしのいでいるといったところだった。

「・・・ナギシダの人とシモアサダの人ってしょっちゅう行き来はしてないよな・・・?」

 朋彦の問いに、ナオヨシは頷いた。

「うん。ごくたまに作物や山の獲物を物々交換しに村長様と何人かが出掛けるぐらいだったよ。」

 村で見下されていた為に当然の事ながら、その一行にナオヨシが加わっていたという事は無かった。

 しかし今となっては、シモアサダの村人達にナオヨシの顔が知られていないというのは都合が良かった。

「他に道も無いみたいだし、シモアサダ村を経由して他の町や村に行こうかね~。」

 朋彦は指先で端末機の表面を撫で、シモアサダ村の更に南側へと地図の表示を切り替えていった。

 シモアサダ村の更に南側――ナギシダやシモアサダを含むこの辺りの山地が終わりニシガヨリヒラ島南方の平野部へと続く辺りには、カミイシダ(上石田)村というこの辺りでは比較的規模の大きい村があった。

 規模が大きいといっても辺境の山地の村々の中では、という事なのでたかが知れてはいたのだが。

 半ば反射的に行われる知識の参照を今は拒まず、朋彦は情報が頭の中に流れるに任せた。

 カミイシダの人口は三百人程。広く開墾された田畑と林業のお蔭で、この近辺の村々の中では飢える事が少ない村だった。

 そしてこの村には相撲の神や精霊の眷属の内、一霊の女の精霊が神社を任されて派遣されていた。 

「相撲だって!?」

 勢いよく頭を上げた朋彦の声に、地図を見ていたナオヨシは何事かと驚いていた。

「え? 朋彦さん・・・?」

「あ、悪い。えーと、この辺りの村の事を調べてて・・・。」

 蛙人形の事は一応説明していたが、知識の参照能力の事についてはまだナオヨシに説明していなかったと朋彦は気付いた。

 知識の参照についての説明はひとまず後回しにして、朋彦はテーブルの上に置いていた蛙人形を握ると平仮名と写真主体の地理の説明が表示される様にと念じた。

「わー、すげぇ!」

 ナオヨシの眼前の空中に、何枚かの紙状の立体表示が瞬く間に展開された。

 驚きながらも説明を何とか読もうとし始めたナオヨシに、朋彦は廻し姿の青年達の写真が何枚かある一枚の表示を指差した。

「ここ、ここ! カミイシダ村に相撲の精霊が居るって。」

 但し女だけど。

 朋彦は非常に残念な思いを飲み込み、ナオヨシへと説明を続けた。

 朋彦の好みを忠実過ぎるくらいに反映されたカミイシダ村の相撲に関する説明の写真は、若くて筋肉質な男達ばかり映っており、しかも背中や尻、腕等にこれでもかというくらい接近していた。

「・・・う、うん。」

 ナオヨシは眼前に展開される鮮やかな色彩と質感を持つ若者達の相撲の写真に、胸と股間をときめかせてしまい顔を赤らめてしまった。

 そんな「産めぬ民」にとってはこの上も無く魅力的な相撲の写真の傍らには、秋の収穫を祝う祭りと相撲大会についての解説が書かれていた。

「後二週間くらいしたら相撲大会があるって書いてあるぜ。」

 平仮名の多い空中の説明文をナオヨシに指し示しながら、朋彦は既にこれからの予定を頭の中で決定してしまっていた。

「相撲大会に間に合う様に、シモアサダ村を経由してカミイシダ村に行こうぜ!」

「う・・・うん。」

 実に嬉しそうにそう宣言する朋彦の勢いにナオヨシは少し呆れながらも頷いた。



 思い立ったが吉日と、当面の目的と目的地を決めた朋彦はナオヨシと共に早速シモアサダ村へと出発する事にした。

 瞬間移動も出来ないではなかったが、まだ秋祭り――相撲大会までは二週間もある為、朋彦とナオヨシは徒歩での旅を選んだ。

 今まで着慣れていた褌と袖無しの上着から、一応行商人に見えるように二人は着替える事にした。

 旅の行商人という設定を通せば、ナギシダ村の時の様に余り怪しまれずに移動する事が出来るだろう。

 朋彦は蛙人形から、ナオヨシにもきちんと丈の合った筒袖の着物の上着と下穿き、足袋と草鞋を作り出して着せてやった。

「・・・何かごわごわして落ち着かねえ・・・。」

 もぞもぞとハーフパンツくらいの長さの下穿きの裾をつまみながら、ナオヨシは不安げに朋彦を見た。

「大丈夫だよ。似合ってるし。」

 行商人の着物も勿論似合っているけどナオヨシはやはり裸チョッキ褌が一番だと、朋彦は内心残念に思った。

 飛脚の人足よろしく草履に褌だけで山道を連れ回すのも良いかも――!! 

 そんな思い付きににやつきながら――機会を伺って実行してみようか等と朋彦は思いつつ、何度も行商人姿のナオヨシを見た。

 旅の行商人に見える様にと、中身は空だったが一つずつ背負いの行李箱を最後に用意し、朋彦とナオヨシはそれを担ぐと玄関へと向かった。

「何かどきどきするなあ・・・。」

 生まれて初めて着る行商人風の着物姿で出歩く事に緊張している様で、ナオヨシは少し汗ばんだ手で朋彦の着物の裾を掴んだ。

「大丈夫だってば。大体、暫くは誰も居ない山道を歩くんだし。」

 朋彦は自分の着物の裾を掴むナオヨシの手を握り苦笑した。

 そのまま二人が玄関に立つと、いつもの様に家の外へと転送された。

 次の瞬間には家を支える鉄柱の側に朋彦とナオヨシは降り立った。

 朋彦は片手を道具袋に入れて蛙人形を掴むと、家が元の掌の大きさに戻る様にと念じた。

 するとすぐに鉄柱ごと家の輪郭がぼやけ、縮んでいった。

「じゃあ出発しようか。」

 朋彦はナオヨシの手を握ったままもう片方の手で「俺達の家」を拾い上げ、道具袋の中に仕舞い込んだ。

「うん!」

 旅への楽しみが勝ったのか、先程迄の不安な表情は消え、ナオヨシは明るく頷いた。

 朋彦達が今まで刀で刈り払って出来た藪の中の小道を進み、昨日の山道まで出て来ると、少しだけナオヨシは寂しそうな目でタカキ夫婦を見送った方向を見た。

「・・・。」

 だが、すぐに反対側へ顔を向けると歩き出した。

 朋彦も何も言わずにそのままナオヨシの後を追った。

「・・・ほんと・・・昔の人・・・っていうか、この世界の人って大変だよな・・・。」

 途中何度か休憩しながら山道を歩き続け、朋彦はまた小道の脇の石の上に座り込んだ。

 二人が進む道は、一応ナギシダ村とシモアサダ村を繋ぐ道ではあった。

 だがきちんと整備されている訳でも、ましてや舗装されている訳でもない小道は人一人か二人分の横幅しかなく、山歩きにまだ慣れない朋彦にとっては厳しい道行きだった。

「ゆっくり行けばいいよ。慌てる訳じゃねえし。」

 ナオヨシはそう言って笑い、自分は疲れてはいなかったが付き合いで朋彦の隣の地面に腰を下ろした。

「それに、日が暮れたらまたその辺にでもあのお屋敷を出して泊まればいいし。」

 むしろナオヨシは「俺達の家」で泊まる方が楽しみな様だった。

 「俺達の家」――あの時、タカキ夫婦を見送った後で帰ろうと言った時のナオヨシの言葉から、そのまま何となくあの家の名称は「俺達の家」で定着してしまった様だった。

「まあ、そうだけどさ・・・。あ、でも相撲大会には間に合わせたいな。」

 朋彦は道具袋をまさぐり、竹筒の水筒を出して水を一口飲んだ。

 慌てる理由は無いが相撲大会は間に合わせたい。廻し一つで取っ組み合う男子達の姿を堪能したい――そんな煩悩にまみれた言葉は流石に朋彦は飲み込んだが。

 木々の茂みの間を延々と続く細い道がずっとあるだけで、そこをひたすら歩き続けると言うのは考えていたよりも体力的にも精神的にも大変なのだと朋彦は思い知った。  

 少し溜息をついた朋彦の顔をふと微風が撫でていき、遅れて赤く色付いたモミジの葉が一枚頬を掠めた。

 昨日は化生やらタカキ夫婦の事やらで気持ちに余裕が無く気が付かなかったが、改めて辺りを二人が見回すと山の中はすっかり秋らしい景色へと移っていた。

 モミジを初めとする木々が赤や黄色に染まり、山菊やツワブキ等の下草も可憐な花をつけていた。

「もう・・・一か月・・・いや、二か月近くは経ったのかな・・・。」

 朋彦は、傍らに座るナオヨシと近くに咲く白い小さな菊の花を交互に見ながら呟いた。

 きちんと暦を数えてきた訳ではなかったが、朋彦とナオヨシがナギシダ村から脱出しておおよそ二か月近くが経とうとしていた。

「・・・そうだね・・・。」

 そう相槌を打つナオヨシの表情が少しずつ翳っていくのに朋彦は気付いた。

 モミジやハゼ、クヌギの鮮やかな赤や黄色に、秋の日の光に反射する楠や椿の葉のきらきらとした緑色・・・。

 そうした昼間の鮮やかな山の景色と、寒々とした夜の山の中に佇んだ自分の姿。

 昼間の色を全て暗く包み込む秋祭りの夜の空気――ナオヨシは、村娘からの誘いを断って逃げ出した祭の夜の山の中を何度か思い返していた。

 紅葉も、秋の野草の開花も綺麗だし、ナギシダでの貧しい生活と比べて今はそれらをゆっくりと観賞する気持ちの余裕も出てはきたけれども。

 しかしまだ、ナオヨシは心の何処かに――ナギシダ村でずっと感じていた何となく落ち着かず居心地の悪い様な気持ちを今も持ち続けていた。

 秋の山も、村の娘達も。

 綺麗だとは思うけれども、好きなのかどうか・・・。

「じゃあ、そろそろ行こうか。」

 ナオヨシの沈みがちな表情の意味は朋彦には判りかねたけれども、努めて明るくナオヨシへと声を掛けて立ち上がった。

「あ、うん!」

 はっと顔を上げ、ナオヨシも気を取り直して立ち上がった。

「もう少し歩いたら昼飯にでもしようぜ~。何食べたい?」

「もー。朋彦さん、食べる事ばっかりだな~。」

 歩きながらナオヨシの尻を撫でる朋彦に、ナオヨシは呆れながらも笑った。

 まだまだシモアサダ村までの距離は遠かった。



 背丈を超えて生い茂る下草をがさがさと掻き分け、白や黄色の小さな花をつけた名前も知らない秋の草花を踏みつけながら、チヅコはまだ四歳になったばかりの弟のツルオの手を引いて山の中を逃げていた。

 必死に駆けているつもりではあったが、八歳のチヅコの足では大人が歩く速度とそう変わりはなかった。

「チ、チヅコ! すぐ向こうに岩があるでござる! 左によけて行くでござる!!」

 チヅコのすぐ頭の上でせわしなく飛び回る雀の姿をした精霊の子供――サダロウが、慌てて声を上げた。

「う、うん!」

 サダロウの声に従いチヅコはとにかく左へと足を向けた。

 チヅコ達の姿に驚いた何かの虫がぽんと大きく飛び跳ね、また草木の茂みの何処かへと消えていった。

「姉ちゃーん・・・。」

 疲れと緊張で震えながらもチヅコが握り締めた手が痛かったのか、ツルオが泣きそうな声を背後で上げた。

 自分だって泣きそうになりながらも、チヅコは唇を噛み締め、少し手を緩めた。

 ほんの少しだけ立ち止まり、それからまたチヅコはツルオの手を引いて山の中を走り出した。

 チヅコとツルオはシモアサダ村の子供だった。

 ナギシタ村よりは暮らし向きは幾らかは楽だったとはいえ、子供も常に山や田畑の仕事の手伝いに駆り出されていた。

 二人は村で修行をするようにと遣わされた精霊の子供サダロウと共に、今朝早くから村の近くの山に分け入って秋の時期に採れる薬草を集めていた。

 まだ八歳と四歳の子供の事でもあり、大人達も村の家々が見える範囲の里山で薬草を採る様にと言い含めていたし、二人と一霊も言い付けをしっかりと守っていた。

 そこに――いつの間にか。ほんの一瞬の隙に、彼らの背後に余所者の大人達が忍び寄っていて、大きな布袋を被せてきたのだった。

 大きな声を出して助けを呼ぶ間もなく、気が付けば山の奥の小さな洞窟に捕らわれていたのだった。 

 洞窟の外からは小さく川の流れる音が聞こえていた。

 女の人が一人と、男の人が四人――。チヅコには彼等が何者なのかはよく判らなかったが、彼等が何事か相談している話を聞きかじったサダロウによると、今迄もあちこちの村や集落で盗みを働いてきた盗賊との事だった。

 チヅコとツルオ、サダロウの三人と引き換えに身代金代わりに、村人達がこの時期に集めた薬草をよこせ――彼等はシモアサダ村にそんな要求を突きつけるつもりの様だった。

 盗賊達は一通り相談し終えると、子供だからと油断していたのかチヅコ達を縛ったまま洞窟の中に寝かせて食べ物を探しに全員出払ってしまった。

 その隙にサダロウの嘴で縄をちぎり、急いで逃げ出した・・・のだが。

「全く!! 面倒を掛けるんじゃないよ!!」

 盗賊の頭らしい髪の長い若い女が苛々とした調子で怒鳴る声が、チヅコ達の近くに聞こえてきた。

「!! もう追いついたでござるか!?」

 サダロウがチヅコの肩に止まったまま振り返った。

 必死で山の中の草むらを掻き分けて走るチヅコ達だったが、盗賊達にすぐに気付かれた様で、追い掛けて来る女の声はどんどんとチヅコ達に迫っていた。

 とにかく逃げなければと、チヅコ達は闇雲に前へ前へと走った。

「!!」

 だが、チヅコ達の背丈を超える草むらを掻き分けて進み出た先には――急な斜面が広がっていた。

 急と言っても大人であればゆっくりと下っていけば充分に降りられる高さと角度だったが、子供――幼児であるチヅコとツルオには無理だった。

 大人が見れば斜面の下を流れる川も、山の中の浅く緩やかに流れる小さな谷川でしかなかったが、追手の迫る彼等には急流の迸る大きく深い河の様にも見えていた。

「やっと追いついた・・・!! ほんとにもう!!」

 女の声がチヅコのすぐ後ろで聞こえ、それに続いて他の男達の姿も辺りの草むらの中から現れた。

「まあまあ姐さん、すぐに見つかったから良かったじゃないですか。」

「そうそう。山の中で迷子になられちゃこっちも寝覚めが悪ィし。」

 呑気な調子でひょろっと背の高い痩せた男と、こちらもやはり痩せ気味で少し小柄な男が女を宥めた。その背後では小柄ではあったがやや太めな体格の男が女頭目の剣幕に困った様な表情で立ち尽くしていた。

「こ! こ、ここここの盗賊どもめ!!」

 サダロウががたがたとチヅコの肩の上で震えながら、ピイピイと空しい威嚇の叫び声を上げた。

 盗賊達の姿にチヅコとツルオは身を固くし、思わず後ずさった。

 弟を庇わなければ、という思いにチヅコが反射的に自分の背後にツルオを押しやろうとしたが・・・。

「お、おいおい御嬢ちゃん!!」

 頭目の女の横に立っていたすらっと背の高い長髪の優男が焦って声を上げ、思わずチヅコ達へと手を伸ばした。

「!!」

 チヅコの背後へと庇われたツルオは足を踏み外してしまい、斜面からあっという間に転がり落ちてしまったのだった。

「ツルオ!!」

 チヅコとサダロウの叫び声にツルオは悲鳴の様な泣き声を返す事しか出来ないまま、川の中へと落ちて行った。

「サダロウ・・・!!」

 肩の上に止まるサダロウへとチヅコも半ば泣きながら声を掛けた。

「めめめ、め、面目無い!! 拙者、まだ未熟者ゆえ助けられる程の術は覚えてござらん・・・!!」

 黄色い嘴をぱくぱくとさせながら、サダロウも涙目でチヅコに答えた。

「――タケハル!」

 優男は盗賊の二番手なのか、頭目らしい女に伺いを立てもせず、痩せ気味の小柄な男――タケハルにツルオの救出を命じた。

「ちょっとテルヒサ!! 勝手な真似は・・・。」

「へい!!」

 女頭目の言葉を今だけは無視し、優男――テルヒサの指示にタケハルは小さく頷くと、すぐに素早い動きで斜面を駆け下りていった。

「全くもう!! ほんと余計な手間ばっかり!!」

「まあまあキヨミ・・・。お前だって余計な死人は出したくないだろ?」

 苛立つ女頭目――キヨミに優しく言い聞かせる様にテルヒサは微笑み、それからすぐに怯えたまま立ち尽くすチヅコの所にやって来て屈み込んだ。

「タケハルは目もいいし身も軽いからすぐにツルオを助け出せるよ。心配しなくてもいいさ。」

 テルヒサの優しげな口調にも警戒心を露わに、チヅコとサダロウは泣くのを必死に堪えながら盗賊達を睨みつけていた。

「・・・全く・・・。ほらお前達! さっさと寝ぐらに戻るよ!!」

 チヅコとサダロウの様子には構わず、キヨミは肩まで流れる黒髪を苛々と掻きながらテルヒサ達を急き立てた。

「はいはい。」

 テルヒサは肩を竦め、軽く溜息をついて立ち上がった。

「テルさん、この子等は・・・。」

 唇を噛み締めたまま立ち尽くすチヅコと、羽毛を膨らませて精一杯の威嚇をするサダロウをどうしたものかと、残った二人の男――背の高い方がスエハチ、小柄で太目な方がシチゴロウ――がテルヒサへと声を掛けた。

「嫌だろうとは思うけど、取り敢えず戻ろうか?」

 チヅコ達を怖がらせない様になるべく優しい口調を心がけてテルヒサは話し掛けたが、口を引き結んだままのチヅコとサダロウは立ち尽くしたままだった。

「・・・やれやれ・・・。」

 テルヒサはまた溜息をつくと、チヅコに背を向けて座り込んだ。

「ほら、おぶさりなさい。」

 テルヒサに促されても少しの間チヅコは困惑したまま立ち尽くしていた。

 しかし、自分とサダロウには盗賊達の言う事を聞く以外に選択肢は無いと子供ながらに悟り、チヅコはそろそろと怯えながらもテルヒサの背中におぶさった。

 その様子にシチゴロウとスエハチもほっと息をつき、三人は先に行ってしまったキヨミの後を追った。

「・・・む、無念・・・。再び捕えられるなど・・・。」

 チヅコの肩の上で今はもう羽毛を膨らませるのをやめたサダロウが、悔しそうに嘴をぱくぱくとさせながら呟いた。

 男の癖に肩口まで髪を伸ばし、しかも丁寧に櫛で梳かされて艶々としたテルヒサの後頭部をチヅコは睨みつけたが、今のチヅコにはどうしようもなかった。

 山の中の道とも言えない道をテルヒサの背に揺られながら歩く内に、チヅコは今朝畑仕事に出掛けるのを見送ったばかりの父親の事を思い出していた。

 一緒に山仕事で柴刈りや山菜採りに行った帰りには、時々チヅコを背負ってくれる事もあった。

 早く家に帰りたい。父ちゃん母ちゃんに会いたい――。 

「・・・っ!」

 堪え切れずしくしくと泣き出し始めたチヅコの姿に、テルヒサの後ろを歩くスエハチとシチゴロウはただおろおろとお互いの顔を見合わせる事しか出来なかった。

「・・・やれやれ。泣かないでおくれよ~。俺の着物が台無しだよ・・・。後で洗わなきゃな・・・。」

 テルヒサは努めて明るい口調でへらへらと独り言を漏らした。



 キヨミ達盗賊の一味が一時的に寝ぐらにしていたのはシモアサダ村から二~三キロ程離れた山の中の小さな洞窟だった。

 チヅコとサダロウを背負ったテルヒサ達が洞窟に戻ってくると、先に戻っていたキヨミが洞窟の入り口で黒い木の実を何粒か石の皿の上で潰していた。

「・・・子供は奥に繋いどきな。鳥の方は籠があった筈だよ。」

 キヨミはちら、と、テルヒサ達を一瞥し、またすぐに木の実を潰す作業を続けた。

 テルヒサの背から下ろされたチヅコの手をシチゴロウが引き、洞窟の奥の方へと連れて行った。

「シチゴロウ、少しの間、付いてやっていておくれ。」

 シチゴロウの背にテルヒサが声を掛けた。

 テルヒサの声音が子守を頼む様な優しい調子だったのを、キヨミが打ち消す様に声を荒げた。

「ちゃ、ちゃんと見張っとくんだよっ!!」

「へ、へい・・・!」

 シチゴロウはチヅコの手を引いてそそくさと奥へと向かっていった。 

 スエハチの方はキヨミの近くに雑然と放り出されていた幾つかの行李箱や布袋を漁り、小さな籠を見つけるとシチゴロウの後を追った。

「・・・ったく。こんな山奥じゃあ、墨汁も何も揃ってないったら・・・。」

 ぶつぶつと誰に言うでもなく文句を言いながらキヨミは木の実を潰し終わり、絞り滓を摘まんで洞窟の外へと放り投げた。

 そんなキヨミを浮かない表情でテルヒサは見つめ、キヨミの向かい側に腰を下ろした。

 行李箱も布袋も、その中に入っている干飯や魚の干物、針と糸の裁縫道具、少し錆びた包丁に手斧・・・全てが今まで流れてきた町や村でキヨミ達が盗んできた物だった。

 紙や筆、墨汁も盗めればよかったのだが、貧しい村の多いニシガヨリヒラ島ではそもそもそれらは高級品で貴重品だった。

「・・・何見てんのさ。暇なら筆でも削ってよ!」

 テルヒサの視線に気付いたキヨミは不機嫌そうに口を尖らせ、手近に置いてあった木の枝と小刀をテルヒサの手に押し付けた。

「はいはい・・・。」

 テルヒサは溜息をつきながらも軽く微笑み、木の枝を削って即席の筆を作り始めた。

「・・・タケハルのヤツ、遅いわね・・・。」

 長い黒髪を苛々と掻いたり、石皿の墨汁を小枝の先で掻き混ぜたりしながらキヨミは小さく呟いた。

「まだ半時も経っていないじゃないか。大丈夫だよ。ちゃんとツルオを連れて帰って来るさ。」

 呑気な口調で木の枝を削りながら、テルヒサは洞窟の奥のチヅコ達にも聞こえる様に応えた。

 木の枝を削り終わると、いつの間にか戻って近くに座っていたスエハチが小刀をテルヒサから受け取って行李箱へと片付けた。

「まあそれまで、シモアサダ村への脅迫状を書かなきゃね・・・。」

 テルヒサはまたうかない表情に戻り、キヨミを見ながら溜息を吐いた。

「言われなくても書くわよ・・・!」

 キヨミは苛立たしげにそう言って立ち上がり、行李箱の方へと行くと中から一枚の和紙を取り出した。

 三十センチ四方の粗末な作りの紙で、所々厚かったり薄かったりと出来も余り良くない物だった。

 盗んだぼろい和紙に、木の枝を削った筆と、木の実を潰した墨汁――。

 脅迫状一枚書く為にどれだけ手間が掛かるのか。

「・・・ちゃんとした神社なら紙も墨汁も幾らでも置いてあるってのに・・・。」

 神社ならばそうした物に不自由した事は無かったのに・・・。キヨミは途中で言葉を飲み込み、気を取り直して木の枝の筆を手に取った。

 鉛筆の様に尖らせた木の枝の先に墨汁を染み込ませ、紙の上で少し手を止めると、

「ええと・・・村長へ・・・。子供達は預かっている・・・と。」

 一枚きりしかない紙に失敗する訳にもいかず、キヨミは予め文章を呟きながら少しずつ平仮名で字を書いていった。

 毛筆と違ってかりかりと紙に引っ掛かる様な木の枝の感触に、キヨミはまた少し溜息をついた。

「全く・・・書きにくいったら・・・。」

 枝先の墨汁はすぐに紙に吸われ、途中で字が掠れてしまった。

 石皿の上の墨汁の残りを気にしながらキヨミはまた筆の先を浸した。

「・・・預かっている・・・と。返して欲しければ・・・アキノヒラガ草を・・・全部寄越す様に・・・と。」

「ぜっ、全部っ!? あ、姐さん、いくらなんでもそらぁ・・・。」

 キヨミが字を書く様子をテルヒサと共に見守っていたスエハチが思わず声を上げた。

 アキノヒラガ草はシモアサダ村近辺に多く生えている薬草だった。秋の開花時期に一番薬効が強くなる為、この時期には村人総出で採取していた。

 チヅコとツルオ、サダロウも親の手伝いでアキノヒラガ草を採集する為に、村の近くの里山に出掛けていたのだった。

「・・・仕方が無いじゃないのさ・・・!!」

 反対するスエハチを睨みつけ、キヨミは低く絞り出す様な声を漏らした。

 アキノヒラガ草は医術や薬剤が充分に発達していないこの国では確かな薬効により割合に高値で売買されていた。

 貧しいシモアサダ村の数少ない現金収入の手段を、キヨミ達は子供達を人質にして奪い取ろうとしていたのだった。

「・・・けど姐さん・・・。秋の収穫がダメんなりゃ、冬越しだって・・・。」

 自身も寒村から口減らしに奉公に出された過去を思い出し、スエハチはシモアサダ村の今年の冬越しの困難さに同情していた。

 しかもそれが自分達の手でもたらされる事になると――スエハチには胸の潰れる様な思いが湧いた。

 口にこそ出さなかったが、傍らで胡坐をかいたまま座っているテルヒサのうかない表情からも、多かれ少なかれスエハチと似た様な事を考えていた様だった。

「・・・急いで・・・。急いで大金が要るのを忘れたのかい!?」

 半ば自分にも言い聞かせる様に呟いたキヨミの言葉に、スエハチはそれ以上何も言えずその場に腰を下ろした。

 秋のこの時期、アキノヒラガ草はツワミナトの町等で買い取ってもらえる。その金と、今まで盗んで貯めた金で何とか――。

「あたし達がこうしている間にも、タカコの病は・・・。」

 キヨミは焦りに苛々と唇を噛みつつ、再び筆を取った。

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