第20話 霊験を改めよ

 夜空には薄雲がかかっており、星もまばらなので境内は暗かった。

 

 「そこの痴れ者は連れのようなものでな。もう長い間、その行く末を見ているが、ついに運も力も尽き果てたようだ」


 暗闇から話す狼は、どことなく昔馴染みに対する情を滲ませている。


 「それは結構やけども、そちら様も妖怪ですか?」


 人語を解する狼とは古今東西でも出くわした伝えはあるまい。源之進に出会ってしまったせいで霊感を高くしたのだろうか?ともかく問われたので惣兵衛は普通に返事をしてしまった。


 「グル…」


 すると、狼が低く唸って目をランランと研ぎ澄ませる。


 「ひっ!」


 「人間でワレに臆さない奴に会ったのは四百年ぶりぐらいだ。半妖怪のこいつで人外に慣れたのかもしれんが、命が惜しくば礼儀を持って話せ。…どちらにせよ人間に教える義理などないのだよ」


 「…これは無礼をして申しわけない」


 狼の気分を害したようで、惣兵衛は焦って謝罪する。


 「だから森を下るのは嫌だ。ともかく、こいつは人の世で過ごしすぎた。もはや眷属の端くれですらなく、人間の言うところの妖怪でしかない。お主に与えた傷を身代わりする力すら残っておらん」


 惣兵衛の傷を癒したのは本当だったのだろうか?あまり信用も出来ないけれど、この狼を包む雰囲気は威厳を湛えており、謀っている様には感じない。その狼が言うには源之進と名乗る路銀を盗んだ化け妖怪は、このままでは力果てて一貫の終わりだと言う。


 「…とても恐縮なんですけど、連れなら助けたらどうです?」


 「ふん。そいつの宿命には介入しない約束でな。しかし、ヌシの助力を得られるなら、もしかすると霊験を回復するかもしれぬ」


 「はあ…」


 では、どうすれば救えるのか?惣兵衛の疑問に対し、この神社の社にまで源之進を引きずって行って、そこで一生懸命にこの妖怪のために祈るのだと答えた。


 「へえ、それで…」


 口にはしないが、惣兵衛は半信半疑である。


 「人間風情に疑われるのは心外だな、そう思うのなら人間どもの神に祈るわけを知りたいものだ」


 「いえいえ、重ねて恐縮です。それにしてもなんで妖怪を助けるのですか?」


 すると、狼は虚空を睨みながら遠い日の記憶を思い出す。


 「………暇なので森で人間を眺めておったのよ。そいつは衆生における万物の真理を極めんとして修行に明け暮れておった。古来の神々や霊魂との対話を求めて、人界から半歩だけだが我らの領域に足を踏み入れ、そこをウロウロと練り歩くものだから迷惑したものよ」


 そんな人間がいるとは摩訶不思議に尽きる。


 「そいつは礼儀に長けていたからな、たまに話し相手になっていたのだ」


 「なるほど」


 「そいつに半妖怪の行く末を見てほしいと頼まれたのよ」


 「その方の名は?」


 「………」


 暗い境内で狼は惣兵衛に名を教えた。


        ○


 「…こいつ重いわ」


 疲れていた上に源之進の体を引きずりながら、石段を登るのは苦行であった。狼は見守りながら手を貸してくれず、本殿の前まで案内するのみである。


 「ところで、どれほど祈ればよろしいのですか?」


 「…一晩だろうな」


 「そんなに?」


 「新参者のお主などでは、むしろ足りないのだよ」


 殺されかけたのに何故そんな祈念をと思ったが、惣兵衛に霊験を分け与えたから死にかけていると言う言葉を心のより所に体を社まで引きずる。


 「はあ…、やっとたどり着いたわ」


 初めて祈る神様に、この妖怪は根が悪い奴ではないかもしれないので、どうか助けてやってほしいと一晩近くも祈りを捧げるとは、どうにも滑稽ではないかと思える。それに途中で誰かに見つかれば源之進を殺めたと思われかねない。


 「頼み申す、頼み申す。…はように意識を取り戻せや」


 四半刻後…、


 それでも源之進の顔を平手でたたいて、口元にかざしてみると、呼吸は少しずつ強くなっていくのを感じる。


 この時にはもう、狼の姿は見えなかった。

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