11.影の町 ◆日本国旧東京・渋谷区 NH.TK.syw6080:g94008


「おい、起きられるか」

 クレアはハベルのはきはきとした語りかけに、つぶっていた瞼をさらに固く閉じた。やっと状況を理解して起きた彼女は、まずは全身をくまなく触って出血がないかを確認する。

「立てるか」

「ありがとう。ててて」

 クレアは右のふくらはぎを手で押さえる。しかしどうやらそこ以外は無事なようだ。幸い右ふくらはぎにも、外傷は見当たらない。

「ここって、まさか影の町」

 物理端末ブックを開く。端末を十分な大きさに広げて開くがネットに繋がらない。上空を見て、自分が日本旧東京のど真ん中にいる現実を目の当たりにすることになった。

「影の町、ここはなんだ」

「さっき私たちがいた東京の真下。ほら」

 真上を見上げるハベル。確かに、彼の二つの目は視野の大部分を覆う巨大な影を捉えた。巨大な宇宙船が地球を侵略する直前のような緊迫感が、常に空あるのだ。

 ふと、クレアはカーネルやグエンに連絡しようと通信を試みるが、それも徒労に終わる。黒い東京国の影が、押しつぶさんとばかりに威圧的だった。

「あああーもうさいっあく! 何でよりによって日本で一番治安悪いとこに落ちなきゃならないの? おまけに接続もなし? はぁ。とにかく上に上がるしかないよね」

 物理端末ブック弾行バレットの駅を探すクレアの姿は、苛付きを経てひどくやつれている。東京国なら警察と連携がとれたかもしれないが、ここは他国だ。彼女は一般人と何ら変わりはない。

「とりあえず、南に進んだほうがいいかな」

「とりあえずでは困る」

「南に進むのだー」

 皮肉混じりの掛け声が、ようやくハベルを前進させる。クレアは歩く度に足に負荷を書けないように工夫する。我慢できないほどではない痛みを、こうして逃がした。


 端末によればやっと二キロ歩いたと記録された時、突如として銃声が響く。二人はすぐそれに反応し、廃墟らしき建物に身を隠す。

「ほんと最悪」

 前方、微かに見えていた人影が、徐々に輪郭を明瞭にしていく。近づいてくる。しかし手前の交差点で方向修正をした集団は、そのまま見えない集団と抗争に入る。

「このまま抜けるぞ」

「いける?」

 頷くハベル。どこを向いても表向きにはほぼ廃墟のこの街は、「何も無い」代わりに隠れる場所は豊富だ。向かいの商店へたどり着くと、そのまま姿勢を低くして機会を伺う。

「覚悟!」

 渋い男の大声が、あたりを揺るがした。音に耳を傾けただけで、面白いほどに一方の勢力がやられているのが分かる。二人は興味からドラム缶から顔をのぞかせる。とてつもない殺傷能力を誇る電子日刀カガタナを自在に操る男が、一人で何人も相手していた。

「今だ」

「あれ、強化パラレルなのかな」

 ハベルに言ったのではない。カーネルにでもない。紛れも無い独り言だった。


「はぁー、やっぱり影の町は嫌。足痛いし」

「いつもああなのか?」

「知らない。私東京に住んでるから」

 もっともである。

「おう、お二人さん」

 クレアは声を上げて驚き、ハベルは咄嗟にナイフを取り出す。

「脅ろかして悪かった、なあ、俺は敵やない」

 関西弁を話す小柄な男が、諸手を上げながら近寄ってくる。感情の高ぶりから、クレアに一目惚れしている。

「何の用だ」

「いや、何って、そこのラブラブ彼女さん、何でそないオシャレしてはるんかなと思うただけや」

 クレアの服装はどう見ても影の町の格好とは思えない。怪訝に思われるのも当然だった。

「ええーと、いやね、ちょっとしたいざこざがあって、いま東京から落っこちてきたの。とりあえず南のバレット駅行きたいんだけど、土地勘無いし、怖くて。あと私は彼の彼女じゃないからね」

「おお、恋人同士やなかったんか。失敬。へへ、俺は範田則雄ちゅうもんや。な、あんたらの道案内させてや」

「ここ詳しい?」

「そりゃもう、ここで生まれ育ったんやで」

「じゃあここは何区?」

「渋谷や」

「うん、まー、案内だけなら。よろしく」

 ハベルがなにかよからぬ事を言う前に、クレアがあまり考えを巡らせずに依頼をする。簡単に自己紹介をすると、直ぐに三人は歩き始めた。

「いいのか?」

「悪い人には見えないし、今は絶対道案内が必要。万が一襲ってきても、あなたなら余裕なんでしょ」

 二人だけの会話はそこで終わった。

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