8 「好き」の代わりに

 



 放物線を描きながら飛んでいく野球ボールを見上げ……汰一は唖然とする。



 今のは、もしかして……

 カマイタチが、弾き飛ばしてくれたのか?



 あの細長い獣の姿を思い出しながら、汰一が自分の首にそっと触れると、



「刈磨くん、大丈夫?」



 蝶梨に後ろから声をかけられ、ハッとなる。


 彼女からは、今の光景がどう見えていたのだろうか?

 不自然に思われていたら、釈明するのが厄介だ。


 鼓動を速めながら、汰一がゆっくり振り返ると……蝶梨は立ち上がり、



「あんな硬いボール、手で振り払ったの? 痛くなかった?」



 と、彼の身体を心配そうに見つめた。

 どうやら風で弾き返した様子は見えていなかったようだ。


 ほっと胸を撫で下ろし、汰一がそれに答えようとすると、




「すみませーん! ボールこっちに飛んで来なかったですかぁー……って、刈磨先輩!」




 後ろから元気な声がし、振り返る。


 そこにいたのは……美化委員の後輩・裏坂うらさか未亜みあだった。

 いつもの制服姿ではなく、ジャージに黒いキャップという装いでこちらへ駆け寄って来る。

 彼女は美化委員だが、野球部のマネージャーでもあるのだ。


 汰一は「はぁ」と息を吐きながら、未亜の方を向く。



「裏坂……頼むから変な方向に飛ばすなって部員に言っといてくれよ」

「えへへ、すみません。って……」



 と、未亜は汰一の隣にもう一人いることに気が付き、あからさまに顔を引きつらせる。



「なっ……なんで校内一の美女である彩岐先輩が、こんな冴えない刈磨先輩と一緒にいるんですか?!」

「おい。確かに彩岐は美人だが、ついでに俺をディスるな」



 ……しまった。つい本音が溢れ『美人』と言ってしまった。


 汰一は「んんっ」とわざとらしく咳払いをしてから、花壇をビシッと指さし、



「花の手入れを教えていたんだよ。彩岐も庭いじりが趣味だって言うから」



 という紛れもない事実を伝えるが、未亜はジトッとした目で汰一を見つめ返す。



「本当ですか……? 彩岐先輩にそんな泥臭いイメージありませんけど……刈磨先輩がナンパして、無理矢理中庭へ連れ込んだんじゃありません?」

「ナンパでもなければ無理矢理でもない。第一、ナンパするような奴は中庭になんか連れ込んだりしないだろう」

「でも、校内で先輩の居場所と言ったら中庭ここしかないじゃないですか」

「否定し辛いことを言うなよ、傷付くだろ……本当にたまたま花の手入れの話になって、一緒に来てみただけだよ」

「ふーん……まぁ、無理矢理じゃないならいいです。それよりボール、どこへ行ったか知りません?」

「あぁ、それならあっちの方へ飛ばしちまった。悪いな」



 と、カマイタチが弾き飛ばした方を指さす。

 未亜は最後にもう一度、汰一と蝶梨を交互に見つめて、



「……それじゃ、お邪魔しましたー」



 意味ありげな視線を残し、ボールを探しに去って行った。


 やれやれ、と汰一が首を振ると、後ろで蝶梨が、



「……よく喋るね」



 と、平坦な声で言うので、汰一は肩を竦めながらそれに答える。



「そうなんだよ。いい奴なんだけど、思ったこと全部口から出るタイプと言うか……」

「違う、刈磨くんのこと」



 蝶梨の声に遮られ「え?」と聞き返す。

 彼女は、汰一の顔をじっと見上げ、



「教室ではあまり喋るイメージがなかったから……こんなに喋るんだって、少し驚いた」



 そのストレートな言葉に、汰一は……

「はは」と、苦笑いをする。



「実は……自分からはあまり他人ひとと関わらないようにしているんだ」

「どうして?」

「…………俺の不運体質に、巻き込みたくないから」

「不運体質、って?」



 ぐっと近付けられる、ガラス玉のような瞳。

 その美しさに、汰一はドキッとして目を逸らす。



「……昔から、とにかくツイていないんだ。ほら、彩岐が知ってるだけでも事故に遭って入院したり、二日連続でエラーボール飛んで来たりしてるだろ? 他にもいろいろあってさ。彩岐も気をつけた方がいい、俺なんかといると……不運に巻き込むかもしれないから」



 と……途中から自分にも言い聞かせるように、彼女に告げる。



 そうだ。やはり関わるべきじゃなかった。

 確かにこの不運体質を利用して"厄"をこちらに集めれば、彼女を護ることに繋がるのかもしれない。

 だが、"厄"を引き寄せる力が強すぎるせいで、近くにいる彼女をかえって危険な目に遭わせる可能性がある。

 現に今も、ボールは彼女に当たりそうになった。


 だから……

 彼女とは、今まで通り『接点のないクラスメイト』という距離感が、一番いいのだろう。


 彼女は蝶で、自分は雑草。

 それも、本当は毒を持つ雑草だ。

 近付き過ぎれば……蝶を、殺してしまう。


 だから、これで。

 関わり合うのも、おしまいにしよう。




「……今日はありがとうな。さっきも言ったけど、怪我のことで気を遣ってくれているならもう大丈夫だから。中庭ここの手入れも、一人でやれる」



 そう言って、穏やかに笑ってみせる。

 笑ってみせた、つもりだったのだが……

 蝶梨は、その言葉が真意ではないことを見抜いているかのように汰一を見つめ、




「──大変だったね」




 と。

 真っ直ぐな視線で、語りかける。




「もしかして、小さい頃からずっとそうだったの? たくさん痛い思いをして、でも一人で我慢して……」



 耳に流れ込む澄んだ声と、真剣な瞳。

 心の奥まで射抜かれるような視線に、汰一は言葉を失う。




「もしそうなら、私が想像できないくらいに大変だったよね。でも、安心して。私、昔からすごく運がいいの。一緒にいたら、刈磨くんの不運を相殺そうさいできるかもしれない。だから……一人になろうとしないで」




 思いがけないセリフに、汰一が「え……?」と聞き返すと。


 彼女は、女神のように優しい笑みを浮かべて、




「ボールから護ってくれてありがとう。お花のこと、これからも教えてね。刈磨くん」




 そう、言った。

 その笑顔と声に、汰一は……



 嗚呼、本当に、彼女は『神さまのたまご』なのだろうと。

 柴崎の話を、信じずにはいられなくなった。



 きっと彼女は、誰に対してもこうなのだ。

 多くは語らないし、感情表現も豊かなわけじゃない。

 だから、"麗氷の蝶"だなんてクールなあだ名をつけられているけれど……


 じっと相手を見据えて、その人が必要としている行動を、言葉を、そっと与えることができる。

 だから彼女は、誰からも好かれ、頼られるのだ。


 柴崎の話はどれも半信半疑だったが……確かに彼女は神になるべき人間なのだと、思わざるを得なかった。



 そして。

 そんな女神の御心に触れたせいか、抑えていた愛しさが胸の中で溢れ……


『好き』という言葉が、心臓の高鳴りと共に今にも口から溢れ出てしまいそうになって。




「…………す」



 あ、駄目だ。これ出ちゃう。口から出ちゃう。


 しかし、ここで言えば全てが台無しになる。彼女の側で彼女を護るためには、今フラれるわけにはいかない。



 耐えろ、俺。

 耐えてくれ、俺の口。



 そう念じ、汰一は持ち得る理性を総動員させ……




「すっ………………ストレプトカーパス!!!!」




『好きだ』と言いそうになる口を無理矢理ねじ曲げ、そう叫んだ。


 いきなり唱えられた意味不明な呪文に、蝶梨は首を傾げる。

 汰一は叫んだ勢いのまま続けて、



「ストレプトカーパスって花があるんだ。ちょうど時期だから、苗を買ってきて植えようと思ってて……彩岐、今度手伝ってくれないか?」



 そう、捲し立てるように言った。

 蝶梨は驚いて、長いまつ毛を何度か上下させるが……すぐに小さく笑って、 



「……うん、一緒に植える。次はちゃんと、家から軍手持ってくるね」



 髪を耳にかけながら、そう答えた。

 その最高に綺麗で可愛い笑顔に、汰一の心が溶かされていく。




 彼女を傷付けるのは怖い。

 けど、彼女のことがやっぱり好きで……本当はもっと近付きたいのが本音だ。


 遠くから見ているだけだった。

 それで良いと思っていた。

 けれど……

 不運な自分を、彼女が受け入れてくれるのなら。



 彼女の側で、見えない脅威から護ると誓おう。

 例え……何を犠牲にしようとも。




 そんな誓いを立て、汰一は蝶梨に微笑み返す。



「ありがとう。あ、でも、万が一忘れても大丈夫だぞ。軍手なら物置に腐る程あるから……って、彩岐に限って忘れ物なんてしないか」

「そんなことない。私、結構するよ? 忘れ物」

「本当か? そんな風には見えないが……」

「私だって人間だもん、忘れ物くらい普通にする。今日もヘアゴムとブラシを忘れて……髪がなんだか落ち着かないの」



 そう言って、また耳に髪をかける。



 そうか。だから今日、何度もその仕草をしていたのか。

 完璧超人だと思っていたけれど、彼女も自分と同じ普通の人間なのだ。



 なんて、そんな当たり前なことに今ごろ気付いたような、不思議な気持ちになりながら。

 汰一は、恥ずかしそうに髪を押さえる蝶梨を、愛おしげに見つめた。


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