第10話 見習い魔女の修行の地

 さ、寒い。


 昼とはいえ真冬の野外。寂れたJRRの駅前は雪こそ降っていないけれど、凍てつく冬の風が駆け抜けていく。そういえば今年の正月は何十年かに一度の大寒波だとニュースで言っていた。


 パジャマ姿の俺は既にヤバい眠気に襲われつつある。もちろん母に放り出された心理的な影響もあるだろう。現実逃避には睡眠が一番だから。しかしこうなると、いつも状況に合わせていい感じの服になってくれるベリーのありがたみがこれでもかと身に沁みる。


 あれ、言ってしまえばハグだもん……。


「凄い! 瞬間移動だ! 紫さんの魔法だよね!?」


 良司さんは俺そっちのけではしゃいでいる。悪いがそんな珍しくもなんともないことはどうでもいい。とにかく寒い。一先ず良司さんは放置だ。


 えっと、一緒に放り出されたスーツケースの中に何か防寒できるものがないかな。


「うおっ!?」


 スーツケースの中から音がする。ドンッ、ドンッと、まるで外に出せと言わんばかりの迫力……ええい、少し怖いが構うものか。


 今にも寒さと悲しみにKO負けしそうな俺はスーツケースを開け放った。


 と、同時に飛び出してきたのは――


「くそが!! あんのジジイめ、なんてことしやがる!!」

『うぅぅ、僕の体がちょっぴり燃えちゃったよぉ』


 怒れるシラーとベリーだった。おお、神よ。これでこの凍てつく寒さともお別れできます。


「あああああベリー! 会いたかった! 今すぐ暖かい服になってくれ! このままじゃ――」

『やだ!! 白緑のせいでこうなったんだからね!! 見てよここ、勝蔵の息でこんなことになっちゃったんだよ!』


 半泣きでポカポカ殴りかかってくるだけでベリーは暖かい服になってくれない。せめてそのローブお前を羽織らせて欲しいが、無理そうだ。


「じゃ、じゃあシラー! 大きくなって、俺を腹の下に入れてくれ!」

「断る!! 私の腹の皮は卵や雛の為にあるんです! 白緑みたいな加齢臭漂うオッサンの為にあるわけじゃない!!」


 か、加齢臭!!? 


「お、俺が加齢臭なんてありえないだろ! 種族的特徴でいつでもふんわり香る良い匂いなんだ! 柔軟剤要らずで経済的だって誉められるのに! 撤回しろ!」

「加齢臭は自分じゃ気付かないっていいますもんね!」


 そ、そんな馬鹿な……掴みかかったベリーの反論に心が折れそうになる。


「み、白緑君は加齢臭なんてしないよ。君の言うとおりいつでも良い香りだ」


 ぱさり、と良司さんが自分の上着をかけてくれた。ああ、暖かい。暖かいが、今度はヒョロヒョロ体型の良司さんが酷く寒そう……そうだ。良いことを思い付いた。


「ああ、暖かいなぁ」


 チラッ。


「しかも良司さんの上着は今までで一番の着心地で最高だ」


 チラッチラッ。


「きっと凄い素材で作られてるんだろうなぁ」


 ベリーをチラ見しながら上着を誉めまくる。案の定、ベリーは良司さんの上着に嫉妬と対抗心を露にしていた。ふふふ、もう一息だな。


「はぁぁ! 良司さんは使い魔になってまだ日が浅いのに、なんて素晴らしいんだ! やっぱりこの世界の使い魔の方が格段に優れて――」

「はぁぁぁ!? 聞き捨てなりませんね白緑! 私の方がどれほど優秀か! ひよっこ使い魔と私を比較するなど、こんな侮辱は初めてですよ!」

『そうだそうだ~』


 あ、あれ? シラーがキレたぞ。


「あ、なにしやがる!」

「こんなドブ臭くてみすぼらしい上着は白緑に似合いません!」


 シラーが俺から上着を剥ぎ取って、駅のゴミ箱へ投げ入れた。そしてカッと目を光らせらかと思うと強大化、あっという間に俺を下っ腹に押し込んだ。


「はほぅぅぅ」


 なんという温もり……極寒地獄から温泉郷にでもワープしたかの如き心地よさ。一瞬で身も心もとろけそうになった。


「見なさい良司! 私の足の上で下っ腹の皮に包まれた白緑の顔を!」

「み、白緑君……公共の場でそんな顔しちゃ……ああ、ちょっとごめんトイレ」


 んん? 


 良司さんが駅のトイレに駆け込んだ。そういえば頻尿なんだっけ。


「ふはははは! 良司のやつめ、私の凄さに驚いて逃げ出しおったわ!」


 高笑いするシラーだが、ちょうど目の前を通りすぎていく親子が言ってるぞ。「パパ~、あれなに?」「ん、ああ……見ちゃ駄目だよ」ってな。


『ねぇねぇ、たぶん勘違いしてるだろうから言うけどさ、見ちゃいけませんの対象は白緑だよ。はたから見たら、大きなペンギンのぬいぐるみの下っ腹から顔出してるヤバい奴だからね。今の白緑』


 な、なんだって!? この大魔法にも匹敵する究極防寒形態がヤバい奴!?


「そんなわけない――え? あ、はい。すみません。いやちょっと寒くて……あ、はい。はい。す、すみません」


 くそっ、ここ無人駅じゃなかったのかよ。三十代くらいの駅員さんがやって来て、俺を不審者扱いしてくる。慌てて飛び出してきたようでかなり息が上がっている。


 怒られたから仕方なく天国から極寒地獄へ戻ろうか。くぅぅ寒い。


「パ、パジャマ!? ご、ごほん。じゃあ色々聞きたいことがあるから、あっちの小屋へ」


 駅員さんが俺の手をガシッと掴んだ。引っ張られていく俺を見て、例の親子がまた同じ会話をしている。


「ちょっと、なにしてるんですか!?」


 落ち込んでいた俺の耳に良司さんの怒声が入ってきた。


「あなた誰ですか? この発天馬駅に駅員はいないはずです。それにそのJRRの制服、偽物ですよね。生地やボタンが正規のものじゃありません。どういうことですか?」


 トイレから駅員さんに一瞬で詰め寄った良司さんの迫力たるや怒った母に通ずるところがある。


「ちっ、お前もこいつ狙いか? 横取りなんて――いやまて、三人てのもいいな。どうだ? 誰も損しない良い考えだろ? 上と下に突っ込んでヒィヒィ言わせてやろうぜ?」


 にたぁっと笑った駅員……いや偽駅員。なんてこった。いつものあれじゃないか。これだから素顔で外にでるのは嫌なんだ。


 おい、シラーもベリーも笑ってないで助けろよ。


「お断りします。この駅に併設された小屋がそういう場所だってのは知ってます。けど、僕はJRR職員ですからね。それに――」


 良司さんの話の途中、偽駅員がもの凄い速さで逃げて行った。追いかけるかなと思ったけど、良司さんは俺を心配するように近付いてきた。


「ああ、そんな呆けた顔して。あそこの小屋は有名な野外ハッテン場なんだよ。僕、JRR駅員だったからよく知ってるんだけど、あの偽の制服を着た人のことも要注意人物ってよく聞いてたんだ」


 見知らぬ土地に訪れるとままあるハプニングだ。特に夜。美しい樹木を求めて公園やなんかに赴くとそういう場所で、とんでもないイケメンが来たとムラついた男共がワラワラ寄ってくる。


 ていうか良司さんJRR職員だったんだな。


「あ~、まあ慣れてるんで平気です。でもありがとうございました。ところで良司さんここがどこか分かってます……よね?」

「慣れてる!? そ、それはつまり……」

「ああ違います! 絡まれ慣れてるだけで、そういうことはしてないですから!」


 良司さんの誤解を解く。パパ活とかもしてるけど俺の貞操観念はしっかりしてるんだ。強引に手を出してくるやつには容赦しない。そう、シラーやベリーがな。


「そ、そうか。それなら良かったよ。あ、ここがどこかだったよね。ここは白緑君が住んでる所からJRR駅五つ離れてる発天馬駅だよ」


 駅五つ……またえらく近場に放り出されたもんだ。


「この駅、僕の家の最寄り駅なんだよ。きっと紫さんもそれを分かってたんじゃないかな」


 そういうことか。母は俺にとってどこまでも女神のよう魔女だ。


「じゃあ衣食住は確保できたようなもんですね。これからお世話になります。とりあえずこの姿は目立つんで、いつもの外出用姿に変身しますね」


 ペコリと頭を下げてから、”私”に変身完了。嫌がるベリーを羽織って良司さんの家を目指すことにした。


「あら? 白緑?」


 歩いて直ぐ、最初の信号待ちで声をかけられた。


 声の方に振り向くと、少し先に真面目で純朴そうな若者と色気駄々漏れの美女が立っていた。

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