第2話 見習い魔女は出勤中

 満月を見上げながら、つい欠伸がでてしまった。


 すると肩に乗っている青紫のペンギンが大袈裟に嘆いてみせる。


「はぁ、情けない」


 こんなのはいつものことだから俺は気にしない。


 この執事気取りのペンギンはシラー・ペルビアナ。親父が投げてくれた袋に入っていた人形だ。きっと相当ヤバい人形に違いないんだけど、その片鱗を見たことはまだない。


「仕方がないだろ。昼間にも働いてるんだ」

「じゃあ、せめて見習いは卒業して生活費を稼げる魔女になって下さい。そしたら昼間は働かなくていいでしょう?」

「……それができれば困ってないっての」


 この世界の魔女は通常夜に働く。なぜなら妖力という真っ黒な力を使うからだ。


 妖力は魔力と違って色んな属性がごちゃごちゃに混ざり合っているだけでなく、俺にとって未だ理解不能な夜の力が根源となっている。反対に昼の力を根源としている真っ白い力を霊力と呼ぶ。


 悲しいことにどちらの力も俺には扱えない。


 俺は妖力や霊力と違って、この世界に微々たる量しか存在しない魔力をかき集めてなんとかやりくりしているのだ。


 そのため三十五年――いや、めでたく見習い三十六年目に突入した俺が使用できる魔法は、簡単な占いに限定的な召喚魔法と動物と話す魔法くらいだ。


 覚えた魔法よりもよっぽど強力な種族的な能力も多々あるけど、やっぱり魔力が足りなくて思うようにいかない。


 まったくなんだってこんな……いや、愚痴は止めよう。辛くなる。仕事のことを考えよう仕事の……あ。


「シラー、今日はどこまで行くんだ?」


 そういえば行き先を聞いていなかった。重大な問題だ。見習い魔女が遅刻など許されることではない。


「さっきからずっと男口調になってますよ。今は魔女なんですから気を付けて下さい。そのぶんじゃ頭の中も”俺”なんでしょうね」

「分かってるよ。ええと、それで? どこに行くのかしら?」


 周りに魔女や関係者がいるわけじゃないんだから別にいいのに。まあ、母にも自分以外の魔女に”私”が男だとバレないようにと忠告されているから? シラーの言うとおりにしやってもいいけど?


「旧水底駅ですよ」


 ぶっきらぼうに答えるシラーに目をやると寒そうにしていたので懐に入れてやる。少しだけ嬉しそうな顔をした気がしないでもない。


『嫌だなぁ。旧水底駅は水溜まりのずっ~と底でしょ? ちゃんと行けんの?』


 念話を使って話しかけてきたのは私が着ているダークグリーンのローブ。外出用の姿サイズぴったりに縮んだデキるこいつは、クリソ・ベリル。この世界では宝石の名前らしいが、私はベリーと呼んでる。


「大丈夫よ。だって旧水底駅なら水色のビー玉を咥えて水溜まりに飛び込むだけじゃない」

『そういうことじゃないんだけどなぁ』


 きっとベリーは水浸しになるのが嫌なんだろう。でも私は水避けの魔法とか使えないから仕方がない。ていうか、そういうことを担当するのはベリーの役目だ。ローブなんだからさ。言うと拗ねるから言わないけど。


 あと、ビー玉なんて都合よく持ってるのかと思われるだろうが、ビー玉やちょっと綺麗な石ころだったりっていう子供が拾ってきそうな物のはたいてい魔女の必需品だ。必ず持ち歩いている。


「仕事は駅舎売店の手伝いってとこかしら」


 旧水底駅はすべての水溜まりから行けるので利用するものが多い。主に魔物とも精霊とも判断がつかない奴らだ。たまに神の使いや神様も利用しているし、稀に人間もいる。


 実は一般人には見えていないだけで、普通にJRRから延びているローカル路線の駅だったりする。つまりJRR職員はこういう一般には知られていない駅や存在を知っているのだ。


 もし、やたらと妙なお土産をくれるJRR職員が知り合いにいれば、その人はそういう駅に勤めている人とみていい。


「旧水底駅名物の新年水溜まり弁当は御利益が凄いですからね」


 シラーの言うとおり、あの弁当の御利益は凄い。一年間、雨上がりの水溜まりの中に必ずちょっとした良い物を見つけることができるのだ。ただでさえ新年は挨拶やら御詣りで駅はごった返すのに、限定の名物駅弁の販売。売店の売り子が足りなくなったのだろう。


「そこで急遽、私に声がかかったというわけね。でも変だわ」


 これは見習い魔女に頼む仕事じゃない。そもそも、本当は見習い魔女に仕事が依頼されることはない。私の場合は見習いの期間が長過ぎるが故の、前例のない救済措置――いや、今や完璧な前例として毎回当たり前のように雑用的な仕事を回してイタダイテイルけど……。


 だとしてもこの仕事は弁当の包装紙にまじなをかけたり、お客に合わせて飲み物の調合をしながら接客する難しい仕事。一人前の魔女でも難しい部類だと思う。


『間違いだったんじゃない?』

「なら帰ってもいいかな。寒いのよ」

「駄目です。これは紫様が頼み込んで下さった仕事なんですから。もし、手が足りなくなったらでいいから白緑に声をかけてくださいと」


 胸の辺りでぬくぬくしているシラーが呆れ声を出す。


 なるほど。だからさっきの母の微笑みには迫力があったのか。


 じゃあ今回は特に気合いを入れて取りかからねばならないようだ。一応、難関国立大学とされる日本魔女大学の魔女学部、現代魔女学科を最終学歴としている私だ。まじないや魔法はともかく妖力を伴わない調合なら自信がある。


「じゃ、行き先も分かったし早速、旧水底駅に行こうかしら。あそこのコンビニで水を買いましょう」

『え、買えるの?』

「おい、さすがに水くらい買えるっての」


 いくらお金が無いとはいえ、水溜まりを作る材料くらい買える。馬鹿にしすぎではないだろうか。


「無駄遣いですね。公園の水になさい。あと口調」


 シラーが酷いことを言う。公園の水で水溜まりを作ってみろ。どうせ土に水を撒くんだろ? そしたら水浸しに加えて泥にまでまみれることになるじゃないか。


「泥まみれで仕事に行くのは嫌なの。だって女の子だもん」

「あそこの公園には噴水があります」


 渾身のギャクは無視された。しかし噴水か。それはいいじゃないか。


「噴水なら文句無いわ。二人とも、ちゃんと水色のビー玉は咥えたかしら?」


 二人の肯定を確認したあと、私もビー玉を咥え勢いよく噴水に飛び込んだ。久し振りに調合でお金を稼げるとワクワクしながら。




 ――終業後、私は逃げ場のない部屋で股間を膨らませた半裸の青年と二人きりになっていた。

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