兄妹ゲンカ

 毘奈と話してからもう数日経っていた。妹の状況は改善するばかりか、日を追うごとに更に悪くなっている気がする。

 大会が近づくにつれ、伊吹は部活以外でも夜一人で練習を始め、肉体的にも精神的にも憔悴しきっているように見えていた。



 「おい、伊吹どうしたんだよ!?」



 ある夜の夕食後、麦茶でも飲もうと僕が一階に降りてみたところ、玄関に運動着姿の伊吹が倒れていた。

 これはヤバいと思い、僕は慌てて妹の元へ駆け寄る。



 「……お、お兄ちゃん? あれ! 今何時?」

 「もう九時過ぎだぞ! もしかして、こんなところで寝てたのか?」

 「嘘!? 早く走って来なきゃ!」



 伊吹は心配する僕の手を振り払い、真っ暗闇の中を外に飛び出して行こうとする。



 「おいおい、ちょっと待てよ! ぶっ倒れてたのに、まだ練習とか正気かよ?」

 「別にお兄ちゃんには関係ないでしょ? ほっといてよ!」



 伊吹のつっけんどんな返答に、今回ばかりは妹を心配していた僕もイラッとしてしまった。



 「そういうのってオーバーワークって言うんじゃないのか? そんなんで、記録が良くなるとは思えないけどな」

 「お兄ちゃんに何が分かるっていうの? 何も知らないくせに、知ったようなこと言わないで!」

 「ああ、分からないな。毘奈みたいになりたいからって、身の丈に合わない夢見て、潰れそうになってる奴のことなんてな!」



 あーあ、反抗的な妹に不満が溜まってたからって、つい本音をぶちまけてしまったよ。案外伊吹も自覚していたのか、顔を真っ赤にして僕に食ってかかってくる。



 「そ……それの何が悪いの? 毘奈姉に憧れて何が悪いの!? お兄ちゃんに何か迷惑かけた!?」

 「そういうとこだよ! 記録が自分の思うように伸びないからってな、周りに当たり散らされたって迷惑なんだよ!」

 「うるさいうるさいうるさい!! 私は一年で全中に出て、毘奈姉みたいになりたいの! 何も頑張ってないお兄ちゃんが、邪魔しないで!!」



 ダメだダメだ。このまま僕までヒートアップしてしまっては、状況が悪くなる一方だ。

 僕は少し頭を冷やし、血走った瞳に涙を滲ませる妹へ、諭すような態度で言う。



 「お前は伊吹だ。毘奈にはなれないし、なる必要もないんだよ。あいつは勉強も運動も、普通にやってるだけでトップになっちまうような、特別な奴なんだよ」

 「知ってるよ、そんなの! だから憧れるんでしょ! 特別だからって、お兄ちゃんは毘奈姉に負けてばっかりで、何とも思わないの? 悔しくないの!?」

 「悔しいこともあるさ、でもな、ああいう本当に特別な人間と本気で張り合ったところで、お前みたいに自分の身を滅ぼすだけなんだよ」



 言われるまでもなく、僕だって毘奈にコンプレックスは持ってる。今まで散々劣等感を抱きながらも、何とか割り切って生きてきたんだ。

 そして、ついに妹の行き過ぎた毘奈への憧れと、僕の諦めのような毘奈へのコンプレックスが激しくぶつかり、単なる兄弟同士の言い争いは、最悪の結末を迎えてしまう。



 「私はお兄ちゃんみたいに、最初から諦めて何もしないような負け犬にはなりたくない! どんなに努力してでも、頑張って毘奈姉みたいになるんだもん!!!」

 「だから、お前なんかじゃ無理だって言ってんだよ!!!!」



 伊吹が僕のことを負け犬なんて言うもんだから、ついカッとなって大人げなく怒鳴り散らしてしまった。

 すると、伊吹はいよいよ大粒の涙をボロボロ流しながら感情を爆発させ、大声で喚き散らすように泣き出したんだ。



 「うう……ああぁぁあぁぁぁぁー!!! もう嫌い嫌い嫌い嫌い、大っ嫌い!!! お兄ちゃんなんか大っ嫌い!!!!!」

 「あ……その、伊吹?」



 伊吹の尋常じゃない大泣きに、母親が一体何事かと二階から下りて来る。僕ではもう収拾がつかないので、ある意味良かったとも言える。だがどう見てもこれは……。



 「吾妻! あんた中学三年にもなって妹を泣かして! 一体どういうことなの!!」

 「いや、それは……ええー!?」



 理由はともあれ、僕はいい歳して妹を泣かしたことについて母親からこっ酷く絞られ、そしてその後、伊吹は本当に僕と口をきいてくれなくなった。

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