ツッコミに忙しくて謎解きどころじゃない!

キッチ

罪と野獣と美女と罰 第1話




「なにこれ、くっせ!」


 巨木ほど、昼夜でその印象が逆転する存在もないだろう。

 陽の下での雄大な佇まいは陰るにつれて威圧を帯び、夜の帳が下りる頃には恐怖ばかりを撒き散らす。

 この木もそうだ。

 校庭の中央にそそり立つ、樹齢数百年のハルニレの木。こうして薄暗い中でまじまじ見上げてみると、やはり面妖極まりない。


「でもほら見て! ちょっとこれ見て! 凍ってきたわ!」


 風にさらわれた小雪が舞い、どこかの教室で明かりが消えた。

 あつらえたように妖しさの増す放課後の校庭で、吹き荒ぶ風雪を言い訳に目を閉じる。そこはかとない不安を取り払うように。どこにあるかもわからない、不可視の恐怖と目が合ってしまわないように。


「ねぇ見てる!? いつも以上に見てる!? 必要以上に見てる!?」


 こぼれそうになる悲鳴を抱きしめながら、逃げるように潜ったまぶたの下。底へ底へと身を落とし、逃げ切れただろうかと辺りを見渡す。


「ごらんなさい! ごらんなさい!」


 海中で羽ばたく鳥。森でのたうちまわる魚。そして背後には……。


「ごらんなさい! ごらんなさい!」


 背後には……。 


「タオルがだんだん凍って……くっせ! おえっ! おえーーーーって熱っ!! やだこれ熱っ!」


 あ、もう無理だわこれ。


「うるさいっての!」


 白息を纏わせて声を荒げる。


「えっ、なんで急に怒ってるの? ごめんなさい! ごめんなさい!」


 なんとなくそんな雰囲気なのかなと思って格好つけながら巨木に思いを巡らせてみたけど、一緒に校庭に下りてきたアホが全身を使って全力で阻止してくる。

 格好なんてつくはずがない。あれだけ見ろ見ろと強いられた光景はほら。氷点下、頭に戴いた蝋燭の炎とスカートをはためかせ、真夏のライブ会場ですら怒られるほどに濡れタオルを振り回す女子高生の姿なんだから。

 巨木のたもと、なまじ雪景色に映えるその光景は美しくも意味不明で、なにより気色悪い。


「充分かしらね……」


 かろうじて聞こえるほどの声量で呟き、乱れた髪を手ぐしですく果奈はてな

 やっと落ち着いたかと思ったのも束の間、今度はタオルと足を大袈裟に引きずりながらこちらに歩を進めた彼女が、「うぅー……、うぁあー……、くっせ……」と唸り声を上げ始めた。


「…………」


 こいつのことだからこれはおそらく、『使えないけどなんとなく武器を握ったまま徘徊するゾンビ』のマネとかだろう。そうなんだ。こいつはこういう奴なんだ。

 ちょっとだけ後退り、なにが悲しくてこんな状況に身を晒してんだとわなわなするが、その答えは考えるまでもなく向こうからゆっくりとこちらに近づいてきている。足とタオルをズルズル引きずり、チラチラとツッコんで欲しそうな顔をしながら。

 そう、全てはこいつのせい。僕がこうして名状し難い感情に苛まれながらグラウンドの新雪を踏みしめているのは、所属するディベート部で次に行われる討論の議題を挙げたのが、彼女だったから。

 そしてその彼女が残念なことに、母親のお腹で漫才を聞いて育ったような、ご覧の通りのボケ体質だったからだ。


 輪厚果奈わっつはてな


 致命的な短所と、それを補えず余りもない長所を兼ね備えた彼女は岸川きしかわ高等学校の一年生で、僕と同じディベート部員。さらには、なんちゃって占い師でもある。

 学校の最寄駅に隣接して店を構える『ムチがアメ』というふざけた名前の漫画喫茶。彼女はそこの一室を年間契約で間借り、もとい寄生して、部活動のない放課後や休日なんかには、入り口に『はてな』とだけ掲げられたその個室で占いに勤しんでいるらしい。

 漫画喫茶の一室で占いだなんて奇抜がすぎる気もするけど、店からすれば労せずして部屋が埋まるわけだから上得意といえば上得意なのだろうか。

 閑話休題。

 ディベートのテーマは部員が順番に持ち寄る決まりで、今回お鉢が回ってきたのが果奈だった。

 そしてそのテーマが例に漏れずまた面倒なもので、僕たちはこうして凍て空に身を晒しながらプルプルと下調べを敢行していたというわけである。


「寒いな」


 震えるほどの気温のせいで、あまりにもつまらない台詞を漏らしてしまう。


「すこぶる寒いわね」


 あまりしっくりこなかったのだろうか、いつの間にかゾンビ状態から回復して僕の隣に並び立った果奈が、すくった雪で頭の蝋燭の火を消しながら漫然と巨木を見据える。


「頭と腕は火傷したのに、体は全然あったまらなかったわ。タオルはカチカチで嬉しいけど、どうにも虚しいわね」


「普通なら恥ずかしさで体も火照るはずなんだけどな」


「やっぱり横着はダメね。せっかく蝋燭は見つけたんだから、たとえ時間がかかったとしても、凍らせたバナナでこの木に藁人形を打ちつけた方がマシだったわよ。その方がウケたかもしれないし、趣もあるもの」


「お前には驚きしかねーよ」


 今時、『~わね』や『~わよ』なんて台詞はそうそう使われることはないけど、ここ最近の果奈はこんな口調が多い。これは別に彼女の育ちの良さからくるものじゃなくて、単に流され易さやのめり込み易さの現れだ。

 占いと言っても所詮果奈だし漫画喫茶だし、滅多に客の取れない彼女はその待機時間の大半を、漫画喫茶では本来こうあるべきという姿で過ごす。

 スポンジのような彼女の感受性はそうして読破する数多の物語の影響を受けてすくすくと成長、あるいは退行を続けていて、一時期不安定だったキャラ設定も今の形でようやく落ち着いたらしい。もっとも、今はたまたまそういうキャラが出てくる漫画にお熱ってだけかもしれないけど。

 なんにせよ、ブロッコリーに紐をつけて散歩させてたあの頃や、邪馬台国を探してくると書き残してしばらく失踪してたあの頃に比べれば、外見とキャラが合致してる分、今はいくらかマシだろう。


「この木、あらためて視察する必要あったか? 毎日毎日見てるのにさ」


 袖に付着したやけに綺麗なままの雪の結晶を払いながら、物言わぬ巨木を見上げる。

 校庭の真ん中にそびえてるんだから、登下校時や授業中はもちろん、体育の時間なんて見てるというより見られてるようなものだろう。

 見守られてる、だったらずいぶんマシなんだけど。


「あらためて見に来たんじゃなくて、あらためてに来たのよ」


 鼻に人差し指を当てがい、ウィンク付きで得意がる果奈。


「それで、どうなのさ」


「さっきから聞こえてたでしょ? しこたまくっさいわよ。すごくすごいわ」


 そう言うと、しかめた顔をマフラーに埋めて小刻みに体を震わせる果奈。見るからに脂肪の足りなさそうなその体は、寒空の下で風を受け続けることには適さないのだろう。


「嗅ぐもの嗅いだし戻りましょうか。もう我慢できないわ。おしっこ」


「あ、おしっこ我慢してたの?」


「えぇ、急にきたわ。言っておくけど、これはもう尿意なんて生易しいものじゃない。殺意よ。内側から私を蝕んでる。だから早く戻らないと、お互いタダじゃ済まないわね」


「お互い!?」


「当たり前じゃない。だって……あ、やべっ」


 風が止んだ気がした。

 キャラを崩しながらおもむろに虚空を睨む果奈。服を着替えるようにキャラを変える女ではあるけれど、これはおそらく本意ではないだろう。


「そんなヤバいの?」


「うん……。いや、もうどうでもいいかも。ところで空音そらね、喉乾いてない?」


「乾いてない……ってか、えっ? なんで今? 質問のタイミングがすげー不穏なんだけど」


「なに勘繰ってるのよ。乾いてないなら、ビニール袋でも持ってないかしら」


「ビニール袋におしっこすんの!?」


「私がそんなはしたないことするわけないじゃない。パンツが濡れたら代わりに履くのよ」


「その発想はなかったよ! 足通るかな!?」


 あまりの衝撃に、よくわからないツッコミを返してしまった。


「どんな物にもね、思いもよらない使い道ってのがあるのよ。目からウホホでしょ?」


「お前なんとなくで言葉覚えるのやめた方がいいぞ」


「ふふっ」


 一連の応酬に満足したように目を細めた果奈が、親の仇でも挟んでんのかってくらいに左右の内股を密着させる。なんの作用か、よく見るとアゴも少しシャクれてきており、このままじゃ怖くてこっちが漏らしそうである。


「ほんとヤバそうだからとっとと戻るか。目の前で漏らされたらたまらねーわ」


「えっ? たまらないってあなたやっぱり……」


「そっちの意味じゃねーよ! てかやっぱりってなに? 片鱗どこ?」


 いつの間にか、揚げてもいない足をがっちりと掴まれていた。


「大きい声出さないでよ、この性癖マイノリティ! テメェ次会ったら覚悟しろよ? 顔覚えたかんなっ!」


「今さら!?」


 言うが早いか、小股走りで校舎に駆け出した果奈は、一度大きく反対に膨らんでから正面玄関の方へと曲がっていった。大型車かな?


「漏らしそうだってのに、よくやるよ……」


 パタパタと遠のく後ろ姿を眺めていたら、どうしてか愛おしい気持ちが溢れてきた。このままだとおしっこフェチとまではいかずとも、おしっこ我慢女子フェチくらいには手が届きそう、というか足を踏み外しそうである。


「いや、ないだろ」


 僕はそれ以上はなにも考えず、ただ黙して果奈に追従することにした。

 その時、さっと吹いた風を受けたハルニレの木が、背後でやにわに声を上げた。まるでなにかを訴えるように、ざわざわ、ざわざわと。


「お前も面倒な奴に目をつけられたな」


 振り返らず歩みも止めぬまま、芝居じみた台詞を後ろに投げかける。

 この木は果奈の好奇心に魅入られた。魅入られてしまった。


 偏執狂でいて移り気。

 物理的にもにも鼻の利く果奈のバイタリティは、全方向へ過干渉。

 暗々のうちに謎を嗅ぎつけ、嬉々として喰らう。

 得てして、周囲を巻き込んで。

 その謎の答えが、およそつまびらかにしてはいけないものであったとしても。


 僕が校舎の入り口に差し掛かる頃には、すでに巨木はぎゅっと口を閉ざしていた。

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