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 私も自然の成長には抗えずに大人になった。数えきれないほどの反芻を経る中で、あの映像はいつしか引き延ばされ、切り刻まれ、荒い粒子となって、私の脳内に取り込まれていった。そして気が付けば、もう私の中で怖いものではなくなっていた。胎児でさえも、生まれたてはちょっとグロテスクで気持ち悪いもの。それだけだった。その程度の感想なら、きっと公言しても袋叩きにはされないだろう。

子供のかわいさは、赤ちゃんモデルや幼児モデルを見せられれば、視覚的な造形美の一形態として理解は出来た。美しい子供に掛けられる、将来が楽しみですね、という言葉の意味を私は情念ではなく、観念で理解していた。それが未完成の美であることを裏付けるものだと知っていたから。現に思春期の私は他人からそう言われた時に、ありがとうございますと、礼儀正しく言って、素直に喜んだ後に、後腐れなく忘れることが出来た。その意味でそれは、免罪符のような観念だった。

その観念が胎児とどう結びつくかは、最初は分からなかった。が、ある時、現役の産婦人科の看護師と当事者の母親達の間でも、あのグロテスクさが普通に緊張をほぐす冗談のネタにされていると知った。知ってからは、そこに糸口を見出した。胎児が醜いあひるの子なのだとすれば、それを育てることは、白鳥のような気品ある心で、その成長を支えるということなのか。自らと同じ姿になれるように巨大な杖となって、寄り添うということなのか。

蛹の羽化を待つ母なる自然の感覚を想像した。自然を選んだのは、一番巨大で、かつ温かな有機物と無機物の混合体に思えたからだった。人間の延長物に過ぎない動物は私にはまだ生々しすぎた。

自然の視点で考えるならば、胎児は初めから蛹として生まれてくる。だから蛹化のプロセスは理解しなくても良い。それは自然現象で、私達人間は、それを感じられはしても変えられることではないから。だとしたら、胎児が子供になる羽化のプロセスは? これもまた、理解ではなく、流れとして感じろということなのか。‥‥‥理性で理解するのではなく、ただ動物としてのヒトの本能に身を委ねて感じることなら、出来るかも知れない。そう思った。  

この仮説を強固にするために裏付けを探した。今度はジェンダーが私の助けになってくれた。表向きは誰も何も言わないかもしれないけど、これが直感的に理解出来ない人間は、主に母性を持ちようがない男性側に、きっとたくさんいるに違いない、と私は考えた。男性にそれを直接確認することなど、実際に出来るわけがない。だけど事象から推論することなら、いくらでも出来る。私は何食わぬ顔で日常生活を送りながら、密かに裏付け証拠の収集に没頭した。壊れに壊れて破片になった証拠が多かった。言葉をぶつけ合った結果なのだから、仕方がないと言えば仕方がないのだろう。そして、最終的にはそれを信じた。信じた途端に、それは蜂蜜のように長い糸を引く甘い観念に変わった。それは巨大なアメーバのような形をしていて、私の心をすっぽりと包み込んだ。

私は安堵と自虐の混じった生暖かい思いを、随分長い間、おもちゃのようにこねくり回していた。心の奥底から沸き起こるその温かさはそれ自体が、私の本能に根差した母性に基づくものなのだと言っているようだった。多角的な無数の甘えの象徴のようでもあったが、それを取り込むことが私が人として生きる運命なのだと、誰かに言われているようにも感じた。その誰かが誰だったのかはいまだに分からない。だが、私の中の母性「らしきもの」が私の理性を許しているという事実だけがそこにはあり、突如として現れた穏やかな母性「らしきもの」に連動して得意げに蠕動する感情の下で首根っこを掴まれた理性は、この世界でこのまま生きていたいのならば、それに従う方が利口だし、その方法しかない、と私に囁いているようだった。この世界で生きていたいのなら、また演じることよ、と理性は言った。自然に身を任せて演じていれば、感情は後から付いてくるから。そうなったら後はこっちのものよ。だって今までだって、そうだったでしょう。

私は、心身ともに大人になった。あのおもちゃは、その実像がそうされる運命に従う形で、抱いた違和感ごと葬った。

利己的な私の感情はこの決断に満足したらしかった。平静を取り戻したであろう感情はフラッシュバックを見せなくなり、やがて正常の範囲に動きを沈静化させた。理性で悪夢に打ち勝った後には、あの時の感情の残りかすだけが残っていた。理性で復讐し尽くしたがゆえに無害になったその残りかすを、私は散々持て余した末に、あの観念に対して抱いた嫌悪感は思春期の青臭い感傷なのだと位置づけて、当時の違和感ごと取るに足らないものとして処理した。これが間違いだとは思わなかった。

 あの時の映像ちょっと気持ち悪かったよね、と後に語り合った友達も、クラスが変わってからは少しずつ疎遠になった。けして嫌いな訳ではなかったのに、大学に進んでからはキャンパスですれ違ったら挨拶を交わすだけの仲になった。風の便りでいつの間にか結婚し、自然の流れで妊娠・出産していった。皆記憶喪失になることで幸せに暮らせているのだった。


 だから私も結婚した。

 皆が出来ることを出来ないはずがないと思っていた。

 でも出来なかった。なぜだか分からないけど出来なかった。

 歯を食い縛る思いで頑張っても出来なかった。


 結論から言うと、母性の覚醒は私には起こらなかった。少なくとも、はっきりと自覚出来る形では怒らなかった。初めから素材として無かったからなのか、それともあったのに壊れてしまったからなのか、今となってはもう、分からない。

私は、世間で言われている妊娠の喜びを、一度も感じることが出来なかった。はるか昔に、心の底で危惧した通り、妊娠は私にとってただのグロテスクそのもので、妊娠中は得体の知れない肉腫が腹に宿ったような粘着質な不快感と、茫漠とした不安だけが私の中にはあった。思えばこれが、悪夢の蘇りの予兆だったのかも知れなかった。他の光に相当するものは何もなく、暗雲のように立ち込めては消える掴み所のない不安と孤独に翻弄されるだけの毎日だった。こんな得体の知れない未来に続く道を、ただ辿るような毎日になるのなら、いくら激務でも仕事を辞めるべきではなかったと、何度悔やんだか知れない。

 毎日後悔していた。でも宿ってしまったものは仕方なく、過ぎた時を戻せる訳もないから、これが誰にでもあるマタニティブルーなのだ、と自分を洗脳した。普通の子供好きな母親になれるのだ、と自分の母性の芽生えを待ちながら、孤独な日々を綱渡りするように生きていた。

後戻りが出来る最後の期間を、揺れ動くレールの上で耐えるように消化した。今でも覚えている。堕ろせなくなった日の夜にこんな悪夢を見た。月面で、巨大な白い赤ん坊と対峙する夢。死を連想させる青白い岩石群の上から仰ぎ見た夜空は塗りつぶしたように真っ黒で、安っぽい舞台セットに描かれた書き割りの夜空のようだった。なぜ星が全くないのにこんなにはっきりと周りが見えるのか。後々考えれば不思議だった。が、光源のありかを探したいとは微塵も思わず、あのテレビや図鑑で見慣れた青い地球も全く見えなかったのに、あの時の私はここが間違いなく月面だと直感ではっきり認識していた。しばらくすると地球の代わりに別のものが、日が昇るように上ってきた。宇宙空間を覆いつくすほどの巨大な顔を持った異形、もとい赤ん坊だった。「それ」は白塗りの能面のような顔をした、赤ん坊の化物だった。

夢の中のファンタジーゆえなのか、あるいは奇跡的に初見で恐怖を理性で処理出来たからなのか、不思議と怖いとは感じなかった。お仕着せの顔を宛がわれたように見えるその目には、命を持つもの特有の感情の光が微かに宿っていた。その光が、それがただの化物ではないことを暗に告げていた。が、それは人の目の輝きを成していなかった。客観的に言えば、まだ成していなかったと言うべきか。少なくともそれは、その時点では、可能性に満ちた未完の美を感じさせるものでは到底無かった。例えるならば、肉の身体を与えられて、それを魂になじませている途中の日本人形。これから光にも闇にも、何にでもなり得る存在のような、そんな不可解で、どこか哀れなおぞましさに満ちていた。

赤ん坊は真っ裸で、時折宇宙空間で胎動するようにうごめきながら私の眼前に迫ってきた。ただの自然の運動のようでいて、自らの巨大さを誇示するようにも思える身のよじり方には、無意識的に全ての母と呼ばれるものに対して媚びを示すような、幼稚なエゴがあった。不意に巨大な真っ白いボンレスハムのような腕が私の眼前を横切った。直感で分かった。殺す意図は無く、ただ己の力を誇示したいだけなんだと。自分が腕を振るえばお前など一思いに殺せるのだと、私に示したいのだと思った。赤ん坊が身をよじる度に、光を反射させるようなきらめきが眼前を横切った。ドーランの上からラメ入りのパウダーを全身に塗りたくったような艶めきが、私の視界を覆った。脅しが通じないなら、今度は己の美しさで屈服させようとしているの?自分を認めさせようとしているの? だとしても、無駄よ。はるか昔の、あの視覚の暴力のデジャブが、次元を超えて静かに呼び起こされた。

私はいつの間にか、自分の意思に反して、赤ん坊のおもちゃとして生を受けたような感覚を抱き始めていた。水滴が滴るようなエゴの矛先が自分であることに、居心地の悪さを感じた後で、この状況に対する苛立ちが、ふつふつと湧いてきた。

「それ」に対峙していた私は、なぜか全身真っ黒なスーツ姿だった。宇宙服じみたスーツではなく、そのまま仕事に行けそうな格好だった。宇宙空間なのに普通に生身で息が出来ていて、どこか作為的な雰囲気が漂う月面の上で、あの妖怪のような赤ん坊を怖いという感覚は依然としてなく、ただ相手を説得しなければならないという、誰に言われたのか分からない自然の使命のようなものだけが私の意識を貫いていた。だがはっきりと自覚出来ていたのはそこまでで、あの赤ん坊と会話出来ていたようだが、何を話したかは全く分からなかった。でも会話をしたことだけは確かで、目覚める寸前には、喉がからからで、喋り疲れてくたくたで水を飲みたいという疲労の感覚だけがあった。

あの赤ん坊が最後まで、私の身体がすっぽりと入りそうな程巨大な眼球で私を見ていたという記憶だけが、目覚めた後もなお、記憶にこびりつくように残っていた。不思議なことに、あの化物と視線を合わせること自体は私は苦痛では無かったと記憶しているのだった。確かに妖怪じみていたが、目だけを切り取って見ると幼さゆえの甘えが明らかにその巨大な眼球に表出していた。事実あの化物が私を見つめる時の視線は常に泳いでいたし、隙だらけだった。あの目だったら勝てると、あの時の私は思っていたのだった。私はあの時丸腰だったが、もし細長い武器があったら、それを突き刺して、その生意気な目を両目とも潰してやれるとすら思いながら、あの赤ん坊を睨みつけていたのを覚えている。だが、心の底では妙に冷めた自分がいて、実際に武器があっても私はそうはしないだろう、と同時に思ってもいたのだった。「あれ」のためではなく、自分のためにそうしないだろうな、と。だから言ってみれば私のあれもまた、あくまでも威嚇のためのポーズだった。つまり言ってみれば私達は互いに、ただ威嚇し合っていたのだった。

互いに目を逸らしたら負けと思っていたのか、「あれ」とは、随分と長い間見つめ合っていた気がする。そんなに私を見続けても何も変わらないわよ、と思った所で確か目が覚めた。目覚めた時にまず思ったのは、あの赤ん坊と私は赤い糸で既に繋がっているのだということだった。もう後戻り出来ないという罪悪感があれを見せたのか。だとしたら、あれは赤い糸で繋がった因果関係だけの薄い夢に違いなかった。目的も結果も分からない。支離滅裂な夢だった。

目覚めた日の朝は寝汗が枕にまで染みるほどだった。当初はあれが悪夢だとは分からず、ただ奇妙な夢を見た、という意識の高ぶりだけが、痣のように強く残っていた。女の生理が見せたメランコリックな夢としての気持ち悪さは感じたが、当時の私は目を閉じて見る夢をただの記憶の整理だと見下していたし、ましてや予知夢などという非科学的なものは信じたくは無かった。その意味で、あれは誰かが意識的に私に見せた悪夢なのかもしれなかった。悪夢ではなく記憶のバグが見せたおかしな夢と思わせて、あの選択には間違いが無かったとミスリードさせる。事実、あの悪夢は遅効性の毒のように効いてきた。立ちくらみやむくみに代表される体調不良の不快感の中で、いつか見た夢は違和感を伴ったまま赤黒く濁って、現実に溶けていった。慢性的な寝不足の中で、夢とうつつが視界の端で赤黒く濁りながら溶け合う頃に、違和感は確信に変わり、確信は絶望に変わった。また例のごとく酷い空気でも生きるために吸うしかないのだった。程良く毒が回った後の日々は、死刑執行を待つに等しい気分になっていったのを覚えている。なぜあの時、堕ろさなかったのか。私もまた、結局あの小市民の母と何も変わらなかったのか。無意識のうちに世間体を選んで、自分の蟲の知らせを亡きものにした。

蟲。私は、子供の頃から蟲と名の付くものが嫌いだった。潔癖症の気があったから嫌いになったのか。現実の蟲は一様に異様な外見をしていて、無機質な目をして何を考えているのか分からない。一般的に美しいとされる蝶であっても、異様に長い触手と異星人じみた巨大な複眼を持っている。至近距離でみれば無数の毛に覆われた胴体が肉眼であっても確認出来る。捕まえてみれば手のひらの上でもぞもぞと蠢く長い手足。美の象徴である羽の部分も、手で触ると鱗粉がはげる。まるで自意識過剰なおばさんの付け焼刃の厚化粧さながらに。それなのに、皆は蝶を美しいと持て囃す。ここまでよく観察した上で美しいと言っているのだろうかと、子供の頃の私は、訝しがったものだ。

最も美しい蟲である蝶でさえもそうなのだから、他の蟲に対しては言わずもがなだった。哺乳類でさえない、明らかに人心を介さない異形になぜ皆心を許せるのか。私は生理的に無理だった。姿の無い想像上の蟲に対しては恐怖に近い嫌悪感だった。「蟲」という字体そのものが示すおぞましさを、私は十二分に感じ取っていた子供だったと思う。だから現実の蟲は殺せなかった。だから、少なくとも自分の心の中に巣くっていた架空の蟲は、出てくるやいなや、全部殺してしまいたかった。

あの時の蟲は益虫だったのかもしれないが、そうだったとしても飼える訳ない。

飼うと考えただけでも虫唾が走る。私は蟲には頼れなかった。頼りたくもなかった。

 我が子を出産した時の感想は、生まれなくてもいいのに生まれてしまった、だった。かわいい、という感情は初めて対峙した時から抱いたことは全くなかったと思う。産んだらかわいくなるという他人の言葉を疑いつつも、心の底では縋るように信じてここまでやってきた。

 今、「これ」に対してはよく4歳になるまで生きてこられたな、という冷酷無比な感想しか持てない。もう何も考えたくない。だって、考えれば考えるほど、私は私の心の中の、底なし沼のような懸念に心を潰されそうだから。この苦しみが他人に対して私にも最低限の母親の情があることの証明になるのなら皮肉なことだと、他人事のように思う。だって普通の子供ですらなく、世が世なら名前も呼ばれずに、池沼と呼び捨てられていた子かも知れないのだ。

犬猫の方が賢いと思えるほどの知能しか有していないことが、日々の暮らしの中で、じわじわと明らかになっていこうとしている。そのことに、それを産み落とした母の立場で、恐怖している。心が擦り切れるような苦痛を感じている。このエゴの矛先がどちらに向いているのかは、自明。だから考えたくもない。

 子育ては大変だと聞いていたが、こういう意味の大変なのか。いやそんなはずない、そんなはずは、絶対にない。でもだって現に。現に……。毎日闇の中で、いつ終わるかも知れない、当てのない問答を繰り返していた。この悪魔の問答にあの大昔の回想に基づく、幾度もの夢に増幅された強迫観念が絡む。あれのせいではないが、あれが絡んだせいで、問答のラリーが加速度を増していくのだ。問答の速度はいつの間にかジェットコースターさながらの破滅的なスピードを帯びてくる。目まぐるしいスピードに翻弄されながらも、考えることを止めるという選択肢はない。確かにそうだけど、結論を急いではいけない、もう少し良く観察してから。根が臆病な私は、いつも答えを保留にする。でも気が付けばまた考えてしまうのだ。分からないという答えはあり得ない。制限時間内に答えを出せと迫られている状況は堪らないが、自制しないといつもこうなる。でもすぐに答えを出すのは、声だけの何者かの言いなりになってしまうようで、癪というプライドもあり、いつもその板挟みになる。

子育てが万人にとってこれほどの徒労なら、人類はとっくに滅んでいる。ではやはりこれは私個人の宿命の問題なのだ。すなわち、これまでに出会った人間の中で、一番劣っている人間にこれからなろうとしているものを、母親の責任の名の下に申し分の無い愛情を込めて育てなければならない、という宿命。

 これでもかつては毒親なりに親の欲目を持っていたこともあった。我が子の成長の遅さを、自分達に似ていて欲しい、という期待の裏にある己の優越感に対する罰なのではないかと思ったこともあった。だが、いくらそれを懺悔したとしても、期待する成長が見られることはなかった。人並みでもいい。少し鈍い位なら受容するし、努力で何とか出来るように支援もしたいから、それでも構わない。だが、その願いも全て叶わず、延々と続く球技の壁打ちのような自問自答の日々が始まったのだった。

自分が母親失格だと思う反面、こう思うこともあった。そもそも、心の底で優秀な子の片鱗を見せて欲しいという気持ちを持つことは、そんなに悪いことだろうか、親として当たり前の感情ではないのか。これは出産後に最初の違和感を抱いた時から、子育ての傍らで常に考え続けてきた問いでもあるが、未だに答えが出ない。現状に甘んじているだけではだめだと、同じ境遇にある親達の回答を読み漁った時期もあった。だがどの回答も、まともに答えていないように思えた。愛、母性、愛、母性、愛、愛、愛……。最後はどの回答も愛に帰結して終わる。何でも母性愛。オフィスワークにおけるコミュニケーション同様に、耳当たりが良くて、便利な言葉。でもともすればそれは、現実逃避の欺瞞と、自分が人殺しになりたくなかったがゆえの言い訳のカモフラージュにもなりはしないか。

 癇癪持ちで、抑制が効かない。同世代の子と隣に並ばれると恥ずかしくて顔から火が出る思いだ。臆病な癖に好奇心が強い。恐らく自分の興味の範疇のものには怖さよりも好奇心が勝るのだろう。好奇心が発動するタイミングを予測しようと観察したこともあった。日常生活が駄目でも一生食える才能があるのならそっち方面の才能を伸ばせば、最悪、何とかなるから。が、無駄だった。将来食えそうな職業に繋がる法則性などいくら探しても無く、「これ」は、ただその刹那の気分だけで動いていた。享楽的で白痴めいたテレビのバラエティ番組に一番興味があるようなのには、母親として情けなさを通り越して生理的な嫌悪感すら覚えた。

挙句の果てには一人っ子で、毎日召使いのように付き従って子育てをしているのに、赤ちゃん返りが始まった。内でも外でもどこでも構わずはいはいする。叱っても、イヤと叫んで泣き喚く。イヤ以外の言葉を忘れたのかと思うほどだ。埒が明かないので抱きかかえようとしても、身をのけ反らせて、けたたましい声で大泣きするだけ。ただでさえ普通の子と違うのに、もう勘弁して欲しい、の一言だった。それ以外の感想を持てと言う方が無理な話だった。

 藁をも掴む気持ちで駆け込んだ区の子育て支援センターの保健師には、理解出来ないと言ってもしなきゃ、と居丈高に言われた。サル山のボスのような中年保健師の姿には、過去の管理職時代の自分の姿がダブった。反射的に同属嫌悪に近い感情を抱いたが、これでも行政側の人間だから、すぐにチェンジすることは出来ない。こういうことは変えるにしてもそれなりに上手くやらないとクレーマーだと思われてこちらが不利になるのが関の山なのだ。  

区を跨いでやってきたのに、またハズレを引いたと思うと、身体中から生気が抜けていく思いだった。

そうですか、としょげた演技をしながら、心の中で毒づいた。誤解しないで。あなたと私が似ているのはベテラン社員だったという部分だけ。私は顧客に対してこんな言動をとったことは一度もない。

実際この手の人間は見慣れていたのだった。一般企業でも専門職に良くいるタイプだ。私は新卒から9年間、ずっと同じ化学メーカーでキャリアを築いてきた。社名を明かせば国内で知らない人間はいない、日用消費財メーカーの雄とも言うべき老舗メーカーで、私はそこでマーケ部門のマネージャーをしていた。

自分で勝ち取った、誇りの仕事。仕事柄、協力関係にある関係会社の研究員や、臨床医のキャリアを持つ研究開発部の社員達とは、企画立案のためのリサーチ依頼や、それに付随する会議の場で頻繁に顔を合わせていた。

 職業柄、愚鈍な世間から、救世主に等しい眼差しを向けられることに慣れている人間達は、その眼差しを初対面で顔を合わせた人間から十分得られなかったと感じた時に攻撃的になる傾向があるらしい。アドバイスを素直に聞き入れないとか、頷きが足りないとか、そういう些細なことだ。理性的な彼らの大半はその感情を御して軌道修正することが出来るようだが、そうでない人間もいる。このように理系らしからぬ情念を剥き出しにして、専門家である私の考えに間違いなど無いんだからさっさと私を敬え、としゃあしゃあと迫ってくる輩の態度が良い例だ。

 そんな輩に出会った時は、私は俯いたまま殊勝な演技をして頷くことにしていた。ちなみにマーケの職場で出会った大人子供の上司にも、いつもこの態度を取っていた。けして目を合わせてやらない所がポイントだった。

 来たるべき時が来たら必ず復讐する。だから、今は利口になって黙っておく。けして同じ土俵には立たない。我ながら殊勝な心掛けだった。だが、忍耐で得る誇りのほとんどは、必ず犠牲が伴うものだ。この会話のケースの場合の犠牲は、私の体内で生まれた言葉の刃が私を内側から傷つけていくことに密かに耐えるということだった。理屈では分かるのだが分かってしまうがゆえの苦しみもある。私はこの手の類に関しては記憶力が良かったがゆえに余計にだ。

 あんなことがあったのはもう半年前のことなのに今思い返しても腸が煮えくり返る。あの時、保健師にはっきりと言えるものならこう言ってやりたかった。あんたね、あんたの子どもがこんなだったとしても同じことを言えるの。私はあんたに聞かれたから、結婚前の経歴を雑談として話した。でもあんたの説明には依然としてロジックがない。私のどの質問についても他の母親と同じ回答を繰り返しているのが丸わかり。他の母親なら騙されるかもしれない。でも、私は騙されないわよ、と。

 あの保健師は良くて困惑の笑み、悪ければ冷笑を浮かべるだけだろう。なぜ私の指摘が図星で、かつ今までこんなことを指摘されたことが無く、自分で考えることもしてこなかったから、咄嗟に質問されても適切な答え方を知らないからだ。


 ここまで分かってるから、逃がしてあげる。

 何も言わないまま、何も知らないままで逃がしてあげるわ。

 ねえ、私って優しいでしょう?


 こんな風に、実現しない対話の捨て台詞を定期的に考えては、溜飲を下げている。これが今の私の唯一のストレス解消法でもあるから、駄目だと思っても手放せない。驕りの混じった感情が私の心を更にどす黒くする。自分で驕っていると十分自覚出来るがゆえに余計にだ。一体これは誰得の攻防なのだろう、と思うが、ただの徒労だと自分で結論付けたらその瞬間に立つ瀬が無くなるので、それ以上は考えず、浮かんでは消える攻撃の言葉を反芻しては脳内で繰り返す。


 あなた今日、何回その言葉を繰り返しました? あなたの専門らしき発言の部分については、もう自分で調べてるから知ってます。やんわりと指摘して、あなたも小声で、ああって言いましたよね。私は時間を無駄にしたくないから指摘したんですけど、察するにあの時、あなた私のこと、めんどくさいって思ったんですよね。頭でっかちのめんどくさい母親だって。だからああいう風にやり込めたくなったんですよね。

 お母さん、だからそういうこともあるんですよって、笑って終わり。確かに私はあなたよりも若いから、ああ言えば、嫌でも納得させられる。確かにきれいに終わりますよね。

 でもあなた、本当にあの態度で良かったって思ってます?

 こちらが頼ってるのを良いことに、好奇心剥き出しで人の経歴の話ばかり聞き出して、あれは育児のアドバイスに必要だったんじゃなくて、あなたが個人的に知りたかったことでしょう? 現にあなたあの時、ワイドショーの芸能レポーターそっくりのトンボみたいなギラついた目をしてましたよ。鏡で見せてあげたいくらい酷かった。私から聞いたこと、あの後誰に話したんですか。

 あの結論についてもです。

 巷の育児本に溢れてる程度の専門知識でくたくたに疲れてる人間のことを引きずり回して、おざなりの感情論でかく乱した末の結論があれですか。私が無言であなたのこと見つめたら、あなた自分自身に言い聞かせるみたいにその結論繰り返しましたよね。あれ、自分だっておかしいと思ってたんじゃないですか。現にちょっと、目が泳いでましたよね。

 あの時人間止めてたんですか。まるで「うちの子」みたいでしたよ、あなた。だってあの結論を連呼することしか出来なかったんだから、そうでしょう?

だとしたら、あなたのこのセンターにおける、ひいてはこの社会における存在意義って何ですかね。発展途上のAIでももう少しましな答え方が出来ると思いますよ。


 ははは、言いすぎ。それに話が長い。ここまで言ったら完全にただの頭のおかしいクレーマーだと嗤われるのがオチよ。

 ……でも本当に、何であの時、疲れていたとは言え、疲れた態度で事務的に流してしまったのか。

本当はこんな風にもうはっきり言ってやりたかった。態度で示してやりたかった。人間じゃない人間に対して、人間的に振舞えと言うのが無理な話だって。せめてタメ口になりたかった。あんなこと言われても、当事者としてわが身を犠牲にしてきた身としては、到底理解出来る訳ないじゃん、って。


 でも無理。そんなことしたら墓穴を掘るだけ。勝手な噂が広まって、助けてくれる人が本当にいなくなる。

 だから。

 ……ああ、自分を含むこの世界の全てに吐き気がする。

 こんな世界、いつ壊れても構わない。


 ――そうなのよ、と同意を求めるようにベビーカーの中を覗き込んだ。

完全なる無反応だった。何も言わないのは賛成しているのと同じことよ、と心の中でまた毒づいた。

ただどちらにせよ都合が良かった。知性の欠片も感じられない寝顔を直視したいとは思わなかったから。

 ……うちの子はもう4歳になるのに、まだベビーカーに乗っている。私は歩かせたいのだが本人が乗りたいと言ってぐずるのだ。最近は出かける時はベビーカーの前に陣取って動かない。

 いつもそう。今朝もそうだった。機嫌良く朝食を食べている時に、今日はお天気がいいから少し遠くまでお散歩に行こうか、と声を掛けただけなのに、癇癪が始まった。泣き叫んで暴れまわったおかげで予定していた電車に乗れず、こっちが折れてベビーカーに乗せたのにぐずりが止まらなかった。電車の中でも手足をばたつかせながら、終始泣き出す寸前みたいな癇に障るぐずり声でウンウンギャーギャー喚く。ネットで見た池沼の子そのものの言動で、寒気がした。周囲に普通の躾のなってない子供ではないことが悟られていやしないかと思うと、情けなさと恥ずかしさで消えたくなった。

 声が大きくなる度に小声で注意した。だが言うことを聞かず、おもちゃで気を逸らそうとしても無駄だった。すぐに放り出してしまうのだ。家と同じ感覚でおもちゃを床に投げ捨てるのにはほとほと参った。車内が比較的空いていたのが唯一の救いだった。

すいませんすいません、と小声で必死に謝りながら、座っている乗客の足元に跪いておもちゃを拾って、やっとの思いで顔を上げると迷惑そうな顔で睨まれる。同じことを二度してしまったからイライラしているのだろうけど、こっちだって好きで迷惑を掛けた訳じゃない。 すいません、なんて、仕事をしていた頃は、ほとんど使うことの無い言葉だった。謝るのが嫌いだったから、新人の頃にバカになり切って散々謝ったら、後は同じミスをしないように数値関連はエクセルをフル活用する形でチェック体制を工夫して構築して、自分が本当に悪い時だけ謝ればいい体制をバリケードのように作り上げた。出世して管理職になってからは、こんな言葉、冗談で言う以外では、使ったこともない。

 でも今は、すみませんが口癖になりつつある自分にぞっとする。人の足元に這いつくばって物を拾わなければならない、という現実に対しても、随分落ちぶれてしまったと、情けなくなる。子供を人質に取られている気すらする。

睨まれる度に心をナイフで薄く輪切りにされていく思いだった。前乗った時は、電車はお気に入りだったみたいなのに。なぜ今日は素直に寝ていてくれないのか、普通に寝てくれるだけでいいのに。こっちだって眠ってもらうために、乗るまでに色々工夫したのに。なぜ寝てくれないのか。


お願いだから、ママの言うことを一度でもいいから、聞いてくれない?

 もし今寝てくれたら、今までされた酷いこと、全部忘れてもいい。


 不可能に近い仮定の前で言説を弄することなど無意味だと分かっていたはずなのに、なぜこんなことを考えてしまうのか。何が出来て何が出来ないのかは、こっちが分かってる。ここまで出来ない相手に何を言ったってしょうがない。もう次からは電車に乗るのは止めて、生活圏を徒歩圏内に留めよう。遠出する時は自分の貯金でタクシーを使おう。生きていくためにはそれしかないと思った。夫に話せばタクシー代をくれるだろうが、必ず理由を聞かれるだろう。そして私の方を見てちょっと首をかしげて笑う。これが優しい我が夫の攻め方だ。本人は誰も傷つけていないと思っているのが笑える。でもそれだけで十分だった。夫も私も、自分の子が動物に退化してしまっていることを認めたくない。誰だってそうだ。

 ぬいぐるみやおもちゃを片手に出来るだけ邪魔にならない位置に、ベビーカーを何度も移動させた。降りる必要の無い駅で何度も途中下車した。通勤ラッシュは過ぎていたものの、私の視野圏内には、営業周りのサラリーマンやお使いの途中と思われる若手OL達の姿があった。私が動く度に彼らの冷たい視線が身体中に突き刺さった。次はどんな迷惑を掛けるの、と視線でマークしているのだろう。社内外で板挟みになって働かざるを得ない彼らにとっては、飛んで火にいる夏の虫、いい退屈しのぎだと思われているのかもしれなかった。分かりたくない感情ほど手に取るように分かってしまう。他人の感情が分かることは罪に違いない。そこに理性が介在する余地があるから美点に変わっているだけだ。ただそこに同じ感情しかないのなら、感受性が鋭い人間は己の感受性に殺されてしまうだろう。

 かつて彼らと同じ空間に身を置き、彼らと同等の地位の人間達を管理していた身の上だから、彼らがなぜあんな態度を取るのかは理解出来る。

だからこそ、無知の鎧すら纏えず、ただ丸腰でいるしかないのだ。

 NHKのパレスチナ空爆映像で見た自動追尾弾さながらの視線。ホームで電車を見送った後も、彼らのじっとりと湿った悪意の視線は背中に染み付いたままだった。背中に伝った冷や汗と混じることで、禍々しい化合物に変化したようなそれは、凍り付くほど冷たく、鉛のように重かった。悪意の刺青のようなものか。服を脱いで風呂に入らない限り、消えることはないように思えた。


 全てはストレス。仕事のストレスが、プライベートのストレスが、彼らをあそこまで残酷にさせる。


 あれは陰険と言って良いほどの視線だった。ただ自分が働いていた時は彼らにも、子連れで電車に乗っていた母親達にも、あんな態度を取ったことは無かったのになぜ、という恨みも正直あった。


 一度だけなら勘違いだと思い込める。だが、同じことが何度も続くのだ。なぜか。

そうだ。思えばあの時もそうだ。

たった一日、結婚したら夫と共に青年海外協力隊として途上国を回るという親友の結婚式に行くために、私は、自業自得とは言え、夫の知り合いに気が遠くなるほど何度も頭を下げた。

 この子といると、世界が灰色になる。いつもそうだ。

 杉並に住む、夫の知り合いだという初老夫人は良い子にしてましたよ、と引きつった顔で手土産を受け取っていた。こちらは無心で涙声を作って頭を下げるだけ。その方が話が早く終わるから。あからさまな嫌味に気づけない、鈍い母親を演じさえすればそれでいい。少なくとも恥の上塗りにはならない。

私は託児所にお金を払って預けたいと言ったのに、夫が勝手に、知り合いで預かってくれる人がいるから、と決めてきた。子ども好きだから、ただでいいって。私は止めろと言ったのに。でも夫は聞かなかった。

 今だから白状出来るが、あの時の私は夫の無知を内心あざ笑いながら、本当は夫がこのまま言うことを聞かなければいいと考えていたと思う。少なくとも、性善説で生きている夫の脳内お花畑の返答を聞いた後で、言葉では止めながら裏では密かに計算していた。夫のことは好きだが、目には目を、の形で現実を示すのも懲らしめるためには悪くないと思っていた。

「いいって、お金払って預けた方が後腐れなくっていいって」

「後腐れとか、そんなこと考えなくていいよ、大丈夫だよ」

 無知でいられることに対する嫉妬も混じっていたと思う。この子がどんな子かあなたも知っているはずなのに、大事な知り合いとやらを人身御供にでもするつもりなの、と。

 内心ほくそ笑みながら、夫との攻防を繰り広げたあの夜。そして負けるが勝ちとあっさり折れたあの時のあの瞬間。あの気位の高い老女を、事実上の夫婦喧嘩の駒として使ったのは確かに申し訳なかったと思う。だからこそ何度も頭を下げたのだ。

顔では笑いながら瞳の奥ではこちらをずっと睨みつけていたあの贄の顔は今でも思い出せる。でも同じように恨むなら、金を払ってプロに依頼すべき仕事に対して、素人なのに知人の圧力でしゃしゃり出てきてただ働きをしたいと言った自分のお人好し加減と、同じお人好し仲間の夫も一緒に恨んで欲しいものだ。

私は失敗した時のことは全部覚えている。もっと慎重に行動すると言う意味で、同じ轍を踏まないように時々思い出して悔しがっている。

それでもこの子がもう少し育てやすい子なら、というのは大前提だが、それを差し引いてもあの老女と縁が切れたのは将来のトラブルを避けられたという意味で、逆に良かったのだと思うこともあるのだ。人間関係は定期的に整理しないと、絡まり合う一方で、逆にこちらが翻弄されて、疲弊してしまう。蜘蛛の糸のように複雑に絡まって、身動きが取れなくなってからでは遅い。  

人間関係の整理は嫌いでは無かった。網のようにまとわりついてくる煩わしい人間関係の糸をこちらから切ってやった時には、ある種の爽快感と優越感が身を突き抜けるものだ。おざなりで続いていた関係ならなおのこと。気を抜けばざまあみろ、という言葉が口を突いて出そうになることさえある。働いていた頃は、仕事でこんなことがあると自分の判断の詰めが甘かった、と自責の念を感じたものだけど、子供が出来てからはもうそんなことは思わなくなった。

仕事をしていた頃は、夫に邪魔されたと思ったら内心イライラしたものだけど、今はもうそんなことも思わない。だってあえて言うなら、あれは事故。もっと言うならこの事故を誘発したのは私の方。人の噂は、特に女のコミュニティではすぐ広まる。夫の知り合いにはもうこの子のお守は二度と頼めなくなったことだろう。

夫の面子は丸つぶれ。もっとも、能天気なあの人はそんなこと何とも思っていないようだけど。


そんな夫は今あのビルの中にいる。


 ……ごめん、でもあなた、あんな甘いマインドでちゃんと仕事、出来てる?

 

突風さながらのビル風が吹き、ビル達が噂話をするようにさざめいた。これもいつもの光景だった。著名な建築家達の作品でもある、洗練された外観を持つビル達は、ここで働く人間達同様にプライドが高い。彼らは知能を有しているかのように、この街の歩道を歩く人間を、ルーチンの日光浴の手慰みがてら、一日中選別している。神経質な人間さながらに、従うべき自分達の主人と、それ以外の人間を峻別している。彼女らにとっては、自分達を見上げる人間が部外者だ。部外者に対しては、いつも鏡張りさながらの反射光を当てて攻撃する。彼女らの主人であるビルの住人達は、ビル達がこんな風に攻撃していることすら気づかない。見慣れた景色だからあえて見る必要もないし、他にやるべきことは山ほどあるからだ。

 お前なんかが見るな、という拒絶の姿勢は、性格の悪い役員秘書のようだ。だが、それでも厚かましく見てくる人間も中にはいるだろう。例えば私みたいな。腸が煮えくり返る思いだろうけど、おあいにく様、とでも言うべきか。

 今では夕方からしか出歩けなくなった私の目に、超高層ビル群の鏡張りさながらの反射ガラスに照射され、ぎらつきを強めた初夏の日差しが容赦なく差し込んで来る。この街の中でも一際目立つ、流線型の超高層ビル。私のかつての職場の、白を基調としたガラスは直射日光を反射すると白金色にきらめく。その白金を基調として、所々に空中庭園の緑をアクセント的に配したデザインは、お世辞抜きで、西新宿のビルの中で最も洗練されたデザインだと思っていた。夜はオフィスの窓から見える夜景がホテル並みにきれいだった。深夜残業で煮詰まると、一人っきりで空中庭園に出掛けて、あの辺のバルコニーから、両手いっぱいのダイヤをばら撒いたような夜景をぼんやりと眺めながら自販機で買ったコーヒーを飲んだものだ。


 あなた、随分長い間通ったのに、辞めたら速攻で忘れるとは現金なもんね。


 自分への鼓舞も兼ねて、そんなことをうそぶいてみる。

 あの職場は、名目上はオフィスカジュアルだった。でも管理職は外部のクライアントに頻繁に会う都合上、事実上はスーツ勤務がデフォルトみたいなものだった。無論私も例外ではなかった。最初のチームリーダーへの昇進の時にサブマネージャーからそれを告げられて、やっぱりそうだったかと諦めつつも、昇進出来たのは嬉しいが、着られる服の幅が狭まるのは正直抵抗があった。でもどうせスーツしか着られないのなら、今の自分で手に入れられる範囲の最高級品を着たいと思った。

 スーツを職場で身に纏う最高の鎧にしたいと思って、昇進した最初のクオーターのボーナスでグッチのスーツを買った。今は勝負スーツだけど、いつか日替わりでこれを着まわしてやるのだと思いながら、毎日必死に頑張った結果、マーケのナンバー2のマネージャーの地位を正攻法で得られた。自分の仕事の実力だけで勝てたとは思ってはいない。情報整理が上手かったのは昇進に影響したかもしれないが、それもずっと希望通りのマーケ畑を歩めたのが前提にあってのこと。タイミングの良さ、もっと言えば運の良さも大きかったと思っている。

 初めは服に着られている感じがして、他人に嫌味交じりに指摘されたこともあった。随分恥ずかしい思いもしたが、自分で買った好きな服を着て何が悪い、と負けん気を起こして素知らぬ顔で着続けていたら、チームリーダーになって2年目には、身も心も慣れてきたのか自分でも気負いが無くなった。嫌味を言ってきた相手はいつの間にか会社からいなくなっていた。

 昇進する度にスーツを買い揃えては同じループを繰り返した。これは無意味な徒労じゃなくて上へと続く螺旋階段なのだと気づくと、繰り返しが楽しくなった。マネージャーになってからは、新人の頃に夢見た通り、グッチのスーツを日替わりで着回しながら、オーダーメイドのパンプスのヒールを巧みに履きこなして歩いた。

 このビルの中で一番大きな会社で、男顔負けの管理職として働いていた私。大手化学消費財メーカーのマーケ部門のマネージャーをしていた私。嘘だと言われるだろうか。……だったらここで叫んで証明しても構わない。知り合いだった人間一人位は出てくるかもしれない。……やるわけないが。でもそう思われても仕方ない、ということも自覚していた。今はこのなりだし、私はもうあのビルに入ることすら出来ないのだから。

 高級ブランドで彩られた華やかな過去は死んだ。母親として擦り切れる毎日の中で知らない間に死んでいた。命日など分かるはずもない。真っ黒なベビーカーを引く、黒Tシャツに暗めのデニム姿の今の私は、よく言えば喪服を着た巡礼者のようだ。あのグッチのスーツを着ることは、もう私の人生ではないと思っている。流行遅れになったものもあるし、定番のものでも仕事以外では私が着たくないのだ。

 呆れたことに私は今着ているTシャツを5セットは持っている。何を着ても汚されてしまうし、常に駆けずり回って汗を掻くから高い服は着られない。

その点このユニクロの黒Tシャツは丈夫だ。どんなに乱暴に扱っても痛まない。

ほんと、憎らしくなるほどに。スーツが職場のドレスコードなら、ユニクロのTシャツは主婦のユニフォームだ。

 ここに来てかつての職場を見上げる度に、四方八方から来る白い照り返しの中で意識が遠のいて、生きながら幽体離脱してしまうような感覚に陥る。主婦のユニフォームを着たもう一人の私が、幽体になった私の背後に立っている。物言う入れ物の主婦の「わたし」は毎日を生きることで精一杯。だから昔のことなど忘れてしまえ、と叫ぶ。あんな過去の幽霊みたいな思い出に縋って何になるの、と私だけに聞こえる声で叫ぶ。

 でも私は言うことを聞かない。幽体になった私に幽霊の無意味さを解いても説得力ないわ、と思う。世間様が一番怖い主婦の「わたし」もとい「彼女」の発言は感情的で根拠のない決めつけが多すぎる。それに、世間のデマにすぐ影響を受けるせいか考えが浅い。だからこう言ってやりたい。人を説得する時は、もっと言葉を慎重に選ぶべきだ。そんなんじゃ、皆話半分にしか聞いてくれないよ。

彼女は自分が無視されることを苦々しく思っている。そして自分がどう思われているか、全て知っている。私の分身だから当たり前だが。彼女は可能性と言う言葉が好きで、それにミーハーじみた憧れを抱いている。その可能性の中に入りたいと考えている。そうすれば私の頭の中で私を差し置いて主導権を握れるからだ。

彼女は短絡的だけど、手が早くて物覚えはいいから厄介だ。だから私は彼女を嫌いになれないのだが。例えば、自然発生的に沸き上がってくる問いに見せかけて、私が身体に戻る寸前にこんな天然じみた物言いで私を攻撃する。

「やっぱり私も、いくら考えても分かんないんだけど、何で今更ここに?」

 ……ほんと、憎たらしい。私の劣化版のくせに、物覚えの良さと発言のパクリだけは一人前。なのに、私に対する殺し文句だけは馬鹿の一つ覚えみたいに覚えている‥‥‥。

またいつもの後悔が、私の黒い心の奥底から腫瘍のような水泡と共に沸き起こっていく。食欲のみで生きるアメーバさながらの胡乱な動きをした後で、黒いタールのような染みになって胸一杯に広がっていく。攻撃された私は、黒い感情に圧されて息が詰まりそうになる。文句を言おうにも、完全に器に戻った彼女は無言の業だ。私は職場に大事な心の一部を置いてきたのかもしれない。だってどこにいても、気を抜けば4年も前に辞めた職場のことを考えて、定期的に足が向いてしまって、あの頃のことを考えてしまうのだ。私の心はあの職場にあるのかもしれない。だとしたらこれは、主婦としての「わたし」が言った言葉じゃなくて、やっぱり自分の情念から生まれた問いに違いないのか。そうじゃなかったら私の身体全体を容易に捉えて、これほどまでに動けなくさせるものの説明がつかない。もういっそのこと、私はベビーカーで自分の成功体験を反芻する聖地巡礼をしているのだ、と思おうか。私は年よりも若く見られるそうだから、悪く言えば場違いなバカ母に見えている、ということだが、少なくともここにいる理由が出来るだけましだ。これがただの問題の先送りになるか、現状打開の糧になるかは私次第。そう、全部私次第。

 ……こんな時、無知な人間が本当に羨ましい。無知の知とは、よく言ったものだ。本当にバカのポジティブ表現でもあるな、としみじみ思う。バカという言葉は生産性が無い無価値な言葉だと思っていたけど、間違いだった。…ああ、本当にバカになれればいいのに。バカになれれば、何も感じずに全ての悪意に無自覚に楽しく生きていけるのに。

 

 いつの間にか目が潤んでいた。

絶対に泣いてはいけないと思った。

いい大人がこんな所で泣くなんて、死ぬのと同じだ。


何かに駆り立てられるような手つきで、ベビーカーバッグからスマホを取り出して時間を確認した。11時45分だった。もうすぐ昼という、また新たな残酷な事実を眼前に突きたてられたように思った。

 もうすぐ、たくさんの人間がこの地上に降りてくる。そう思うと、熱に浮かされたようだった集中があからさまに切れていった。昼休憩に出てきたかつての知り合いに不意に見つけられるかもしれない、という不安がそうさせるのだった。焦燥が募っていく傍らでもう一人の理性的な「わたし」が今、主体の座にある私の浅慮をあざ笑う声が聞こえた。一体何を焦っているの、見つかったら見つかったで誤魔化せば良いし、私はそれが出来るじゃないの。でもそれに従ったとしても誤魔化しているというこちらの意識はどうにもならない。自覚していてかつ経験で知っているからこそ厄介なのだ。自分を騙すやましさは渦を巻いて水になり、やがて粘度の高い沼に変わる。この沼に絡め取られたら今度こそ逃げ場はない。ただ沈んでいくだけだ。

 取りあえず12時になるまでに逃げなくてはと、直観的に思った。これでも逆にまだ猶予を与えられているのかもしれない。12時になったら、あのビルとあのビルに囲われている無数の他人の「あんた誰?」の視線に晒されるのは、分かり切っているのだから。もういい加減認めるべきだろう。私は怯えているのだ。人格を持ったあのビル達の巨大な化物のような目と、あのビルから吐き出される無数の目に。


 逃げよう。早く、早く逃げよう。


 立ち去る間際にあのビルの屋上はまだ開放されているのか、と未練がましく思った。夫があそこにいるかもしれない、と思うと胸が詰まりそうになった。これはただの嫉妬に違いなかった。今更そんなことを思って何になるのか。それにあの思い出については、反芻する必要すらない。ただの味の無いガムを噛むなんて無意味。だから、そんなことをするのは本当に空しいから止めよう。今すぐ止めよう。

私は自分の感情を必死で宥めながら、足早に駅に急いだ。

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