第7話 保護者は兄です

「たっだいまー!お兄ちゃん!愛しい妹が帰ったよ!」


 由美の声でハッと目が覚めた。あ、昼間の買い物から帰った後、ちょっと横になろうと思って、座布団を枕代わりにしてそのまま寝てしまったのか…。

 外を見ると、なんとなく暗くなり始めていた。どんだけ寝てたんだ、俺は。


「お、お帰り…。いや、悪いな、由美。昼に洗濯と買い物はしたんだけど、そのまま疲れて昼寝しとった…。今から、夕飯作るよ。ご飯は炊いといたから。あ、トースターも買ったからな」


 俺がヨロヨロと立ち上がると、


「いいよ、お兄ちゃん。疲れたんでしょ?フラフラしてるもん。夕飯は何作ろうと思ってくれてたの…。フムフム、この材料だとハンバーグかな?じゃ、アタシがハンバーグ作ってあげる」


「当たり、ハンバーグだけど…。いいのか?由美も疲れてるんじゃないのか?」


「いいのいいの、帰ってきた勢いでこのまま作るから。あと、この置きっぱなしのお野菜は買ったの?これ」


「ううん、今朝、他の部屋の方に俺と高校生の妹で2人で済むことになりました、って挨拶に行ったら、何故かいくつかの部屋の方に同情されてさ、両親がいなくなった可哀想な兄と妹でも思われたのかな、とりあえず大根とかニンジンとかキャベツをもらったんだ」


「アハハッ!悲劇の兄と妹になっちゃったんだ?っていうか、アパートの方への挨拶、忘れてた~、アタシとしたことが。明日でも、アタシも挨拶するね?」


「いいよ、俺が全室回ったから。皆さん良い方ばかりで、妹は高校で忙しくて、って言ったら、またお顔見ることもあると思うから、その時でいいわよって」


「本当?挨拶しないのはアタシの理念に反するんだけど…」


「まあそんな水泳部主将の顔を出すなよ。明日日曜だから、チョコチョコ出入りして、もし誰かに会ったら、今度引っ越してきた伊藤由美です、先日兄が挨拶させて頂きまして…みたいに言えばいいだろ」


「そう?お兄ちゃんがそう言ってくれるなら…。じゃ、アタシはハンバーグ作るから、お兄ちゃん、洗濯物取り込んでくれる?お風呂は昨日、アタシとお兄ちゃんしか入ってないから、今日は沸かし直しでいいよね?」


 流石にこういうテキパキとした部分は、由美が母の血を引いているなと思う部分だ。


「ああ、じゃ風呂沸かして、洗濯物取り込んでくるよ」


「お願ーい!」


 由美はカバンを2つ持って帰ってきていた。1つは高校に置いてきたのだろう。そのカバンを由美のスペースに置いてから、制服姿のまま台所へ向かった。


 俺は風呂のガスのスイッチを入れてから、洗濯物を取り込んだ。

 2/3が由美のものなのでちょっと恥ずかしかったが、由美が特に気にしていないのが助かる。


「由美のものは、由美のスペースに置いとくぞ」


「はーい」


 とりあえず洗濯物を全部取り込んでからテレビを入れたのだが、新聞を取ってないのでどのチャンネルで何が入っているか全然分からない。

 かと言って押し売りがきっと来ると思うが、そんな連中とは契約したくない。


 父が言っていたのが、新しく引っ越してきた住人を見付けると、必ず来るのがNHK、Y新聞、新興宗教だそうだ。


 NHKは嫌かもしれないが、ちゃんと契約しておけ、とも言われた。

 その他怪しい押し売りが来たら、由美を出すな、お前が矢面に立つんだぞ、とも言われた。


(明日とか日曜だから、家にいたら危なそうだな~、色々来そうで)


 そう思いつつ台所に立つ由美を見ていたら、スリムで背が高く髪の毛もベリーショートで姿勢もよくて、男子からも女子からも人気があるんだろうなぁ…と感じた。


「お兄ちゃん、風呂のガス止めた?」


 由美がハンバーグと、サラダを作りながら声を掛けてくれた。


「あっ、まだや!」


「結構時間経ったから、釜茹でになるかもよ~」


 慌てて風呂のガスを止め、浴槽のお湯に触れたら、沸騰したのかと思うほど熱かった。


「沸かし過ぎた~。カップラーメンが作れるぞ、これは」


「昨日一度沸かしてるから、すぐに温かくなるんだよ。昨日と同じ時間、沸かす必要はないんだ。お兄ちゃん、良かったね~、アタシが気が付いて」


「ははぁ…」


 すっかり兄の威厳が無くなった状態で、由美が作ってくれたハンバーグとサラダが出来た。


「はい、出来たよ~。お兄ちゃん、材料買いすぎ!明後日までハンバーグが続くから、ちゃんと食べるんだよ!」


「な、なんかポンコツだな、俺…」


「でもトースターは買ってくれたじゃん。これは大助かりよ。お風呂は1時間ほど冷ましてからじゃないと入れないかな?先に食べよう、お兄ちゃん」


「ああ、そうしようか」


 いただきまーすと2人で合掌してから、夕飯を食べ始めた。テレビではクイズダービーが始まっていた。もう7時半か…。


「そうそうお兄ちゃん、担任の先生に引っ越したーって報告したら、なんかね、いろんな書類を書かなきゃいけないらしくてね、後で見せるから、書いてね」


「ああ、分かったよ。俺も大学に何か出さなきゃいけないんだろうなー」


 と2人で夕飯を食べながら会話していたら、突然由美がこんなことを言った。


「ねえお兄ちゃん、アタシってブラコン?」


 俺は思わず食べていたサラダを噴き出した。


「あーっ、お兄ちゃんったら…。何噴き出してんのよ。でもビックリさせたのはアタシよね、ゴメンゴメン」


 由美はテーブルを拭きながらそう言った。


「なんなんだ、突然。誰かに言われたの?」


「そう。今日体育の着替えで友達に言われたの。朝礼の後に、担任の先生に、両親が引っ越したので、アタシとお兄ちゃんでアパートに住むことになりました、って言ったら、ちょっとビックリされてね。その上で色々書類がいるから、お兄さんに書いてもらって…って、放課後に職員室に取りに来るように言われたんだけど、その話を聞いてた友達が、体育の前に体操服に着替えてたら、アタシにそう聞いてきたのね。『お兄ちゃんと2人暮らしなんかするの?もしかして由美ちゃん、ブラコン?』ってきたのよ。ねえお兄ちゃん、アタシってブラコンなの?」


 ブラコンという言葉は知っていたが、改めて聞かれると意味がよく分からない。

 ブラザーコンプレックスの略だと思うが、俺のイメージでは、ちょっと濃い少女漫画の世界の話じゃないかと思った。


「由美はどう思うの?」


 逆に投げかけてみた。


「えーっ、ブラコンを漫画とかで見るとさ、お兄ちゃんと妹が、禁断の恋に落ちるのがブラコンじゃない?だからさ、アタシは違うと思う。お兄ちゃんとキスとか、それ以上しようなんて思わないもん」


「俺だって、お前とキスなんか…」


 何故か俺はそこで言い淀んでしまった。


「お兄ちゃん、何でそこで止まるの〜。もしかしてアタシのこと、女として意識してんの?」


 由美はちょっとからかうように言った。


「いや、そんなんじゃないよ。ヘタな言葉使ったら、お前を傷付けるかもって、ちょっと考えただけだよ」


「そうなの?まあいいや。アタシはブラコンじゃないってことでいいよね!」


 丁度食べ終わったので、2人してご馳走さまと合掌した。


「俺が台所の片付けやるから、由美は荷物片付けたり、洗濯物畳んだりしてろよ」


「本当?ありがとう、お兄ちゃん」


「そうそう、一つ聞きたい洗濯物があるんだけどさ…」


「何?」


「ベージュのパンツ。母さんのパンツだろ、多分。間違ってこっちに来たのか?と思ったから、一応お前に確認してから、金沢に送ろうかと思ってさ」


「アハハッ、ベージュのパンツ?アタシのだよ」


「え?由美ので良いのか?」


「あのね、競泳用水着を着る時に、そのベージュのパンツ…インナーって言うんだけど、それを穿いて、下半身を守るの。これは女の子に限らないよ。男子もインナーパンツある…はずだよ、知らんけど」


「そうなのか?知らんかった…」


「水着と同じ数あるから、もう数枚あるよ。慣れてね、インナーってのに。あと、パンツはもう少しちゃんとした形にしてから干してね。クシャクシャのままじゃん。畳むの大変だから」


「ごめん、ごめん。恥ずかしくてさ。色々勉強になったよ」


「これからは妹のパンツを干すのに恥ずかしがってたら、生活出来ないよ。あ、そうそうお兄ちゃん、これだけのプリントを、お兄ちゃんに書いてもらわなきゃいけないの。放課後に担任の先生にもらってきたから、テーブルに置いとくから、見てね」


「はいよ」


 俺は台所を片付け、テーブルに置かれたプリントを見た。


(住所変更届、保護者変更届、緊急連絡先変更届、通学路略図……一杯あるなぁ。保護者変更って?)


「なあ、由美。保護者変更って、もしかして俺がお前の保護者になるってこと?」


「そうだよ。お兄ちゃんが、アタシの保護者になるの」


「待てよ、ってことは、俺が保護者会とか懇談会に行かなきゃいけないのか?」


「あっ、そうなるね〜」


「ちょっと待ってくれ!え?先生がそう言ったの?」


「うん。懇談会とかの為に、その都度金沢からお母さん呼ぶ訳にいかないでしょ?だからお兄ちゃんに保護者になってもらって、って先生に言われたの」


「俺が?保護者?えーっ?」


 何やら先行き不安になってきた。もしかしたら結構強固な父母会のある水泳部関係でも保護者会とかに行かなきゃいけないのか?


 …保護者になるとは…ひょっとしたらという思いもゼロではなかったが…困ったことになったな、これは…。


【次回へ続く】

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