第2話 転生という現象の存在について

 私が何者であるかを問うためには、どうあっても「転生」という現象を解き明かさねばならないと思う。ここで、私の先ほどの脳内メモをもう一度参照したいと思う。


 ・転生とは本当にある出来事なのか。

 ・転生後の世界では転生前の世界と同じ法則がはたらくのか。

 ・心身一元論をとる場合、この現象をどうとらえるか。

 ・犬であるということは、人間であるということとどのように違うのか。

 ・私は犬であるか、人間であるか。


 一つ目の問題、


 ・転生とは本当にある出来事なのか。


 これについて、演繹的に考えてみよう。

 演繹法。とある現象が証明されていて、これに当てはまる現象があるのなら、その現象は真実普遍的なものである……というやり方だ。

 さて、転生という現象は真理ではないということがほとんど証明されている。なぜなら先ほども述べた通り、心身二元論は完全に否定されているからだ。つまり転生は不可能であるということになる。


 気を取り直して、帰納的に考えてみる。

 帰納法。複数の現象に共通する事項を取り出して、それを普遍的なものであるとする手法だ。

 ところがこれは最初から行き詰まる。転生という現象は少なくとも私には一回しか確認できていない。共通項を探すべき類似の現象に巡り合っていない。

 というわけで証明失敗だ。


 こうして、「大陸合理論」たる演繹法と、「イギリス経験論」たる帰納法は、このキテレツな現象を前にして敗れ去った。

 この時点で私は私の存在について大いに自信を喪失してしまったが、まだまだ望みはある。とりあえず、次は「ドイツ観念論」の出番だ。


 ここまで使ってきた理論だと、「人間の認識は対称に依存している」といえる。つまり何かというと、客観的な現象をもとに人間の主観が作られるという立場だ。

 ところがカントという人がこれをひっくり返した。「対象が我々の認識に依存している」。客観的な現象とは人間の主観をもとに作られているというのである。確かに私たちは自分の色眼鏡を使って見た世界しか知らない。

 その後なんだかんだあって、ドイツ観念論はこんな結論にいきついた。事物は事物そのものとして存在しているのではない。世界を作るのは人間である。認識と存在は相関関係にある──いや、むしろ、人間の認識こそが世界そのものなのだ。


 これは便利な理論だ。これを使うと、こうなる。


 私は転生という現象を現実のものとして認識した。つまり、世界には転生という現象が存在する。よって、転生という現象は、ありうる。


 もちろん、そもそもの転生という認識がにせの記憶である可能性は無きにしもあらずだ。が、この説はひとまず否定しておく。私がもと人間でなかったとしたら、解せない点が多すぎるのだ(生まれたてホヤホヤの仔犬がどうして哲学を認識している?)。


 ……これでひとまず答えは出た。かなり乱暴な論理ではあるが、仕方がない。私があると言ったらあるのだ。これはもう絶対だ。


 そろそろ二つ目の問いに着目したい。


・転生以後の世界では転生前の世界と同じ法則がはたらくのか。


 これがイエスかノーかでだいぶ話が違ってくる。

 ノーなら話は簡単だ。世界の常識が違うんだ、なら転生などというトンチキな出来事に見舞われても不思議はないか。これで片付いてしまう。

 だが私はここであえてイエスを選択したい。すると転生は、これまで通りの世界の法則の中に位置付けなくてはいけなくなる。


 何故私がこのような面倒臭い答えを選択するか。理由は二つある。


 第一に、哲学とは、普遍的な真理を探究しようという姿勢が出発点である。哲学で考えられてきた法則は、たとえどんな世界であっても通用すると考えるべきだ。

 第二に、私の認識が世界を作るという説を採用すると、そもそも転生前であろうが転生以後であろうが、世界はさほど変わらない。転生という重大な事件によってパラダイムシフトが起きたにしろ、世界の真理そのものが揺らぐことはないのだ。


 よって、転生前でも転生以後でも、世界には同じ法則がはたらいている。

 同じ法則の中で、転生という現象が起きたことになる。


 さて、ここまでで確認できたことは、以下の通りである。


 ・転生とは本当に起こったことである。

 ・転生という現象は、世界の法則から逸脱しない。


 続いて確認したいのが、三つ目の問い。


 ・心身一元論をとる場合、この現象をどうとらえるか。


 世界の法則が同じなら、当然、私は心身一元論を採用することになる。しかし転生という現象はどうやら心身二元論に近いものである。この矛盾をどうするかだ。


 その時、ズムッと私の背中を踏みつけにするものがあった。


「キャオン」


 私は驚いて、か細い鳴き声をあげた。

 私のきょうだいのうちの一匹が、私をじゅうたんか何かのように踏んでいったのだ。私はうずくまって痛みに耐えた。

 母親が近寄ってきて、私の毛並みをなめてくれる。母親はやつれているが、優しい。


 しかし人間は優しくない。


 ここは人間の家の中であるにも関わらず、環境が悪すぎる。餌やりも掃除もなってないし、おとなの犬たちが散歩に出ている様子もないし、どの犬も小汚くて毛並みが悪い。それに人口、いや犬口密度があまりにも高い。同じ犬種――おそらくサモエドというまっしろいおおきなかわいい犬――の家族たちが、ぎゅうぎゅうとひしめきあっている。部屋の隅には人間不信になった犬たちが丸々と縮こまっている。中には明らかに病気を抱えて痩せこけた犬もいる。


 私が人間であったころの記憶に照らし合わせると、これは多頭飼育崩壊というやつだ。しかも、悪徳ブリーダーがサモエドを売るためにむやみやたらと繁殖させておきながら、売り払えずに持て余しているようだ。


 私はこの先の未来を想像して、暗澹たる気持ちになった。


 飼いきれなくなった犬の行きつくところは一つ。──死。このまま力尽きて死ぬか、保健所での殺処分かだ。


 落胆――恐怖、そして絶望。

 私はきっと犬として長生きできない。天寿を全うできない。


 いや、……望みを失うのはよくないことだ。未来への希望を失ったものから死んでゆくのだから。


 私はお気に入りの段ボール箱の陰に身を隠した。そこで前足に顎を乗せて、考えた。

 我思う、故に我あり。

 考え続けよう。それが私の使命だ。


 いずれは、死についても考えることになるだろう。

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