第一話 小林清志氏の話 後編 ~残ったものの孤独と悲しみ~

 この『ナレーションに恋をして』を放置して早半月。

 体調(精神)不調、仕事が忙しい、寝たい等々があったが、少し落ち着いたので書く。

 でも、放置しておいた間、前の話が「わー! 次元の声が変わっちゃうよぉ‼」と半パニック状態で書いてあって、今読むと恥ずかしいやら情けないやら……

 故に残す。


 さて、本格的に次元の声が小林氏から大塚氏に代わった。

 大塚氏については次回に書きたい。(ええ、もろに約束破っていますね)


 改めて「ナレーター」として、小林氏について書いてみよう。


 例えば、『日本列島警察24時』『世界ふしぎ発見!』など。

 かなりシリアスなものからコメディまで振り幅が広い。

 ふと思った。

――何だろう? この変な感じ……


 例えば、子供のころ。

 小学校へ向かう途中に黄色い旗振りをしていたオジサンがいて、「おう、おはよう」「はよーございます」なんて言って旗で車を止めて横断させてくれた。

 今、私は学生時代を経て社会人に成った。

 電車通勤だ。

 その道すがら、時々、現役の小学生のために旗を振っているオジ、いやおじいさんがいる。

「……おはよう」

「おはようございます」

 たったそれだけ。

 別に何か勇気づけるわけではない。

 何か蘊蓄を語るわけでもない。

 ただ、挨拶をするだけ。

 まあ、たまにスーパーなどで顔を合わせるが、黙礼する程度。


 これはあくまで例え話だが、思えば、色々な機会で小林氏の声を聞いて育って癒されてきた。

 色々な世界をナレーターという形で見せてもらった。

 

 逆に言えば、それだけ日本人は小林清志氏の声に馴染んでいる。

 次元はもちろんだが、ナレーションでなくても妖怪人間ベムとか洋画吹き替えだと、ジェームズ・コバーン。

 トミー・リー・ジョーンズが某缶コーヒーのテレビCМで地声を聞いたときは「うわ、イメージと違う!」とビビった。


 でも、本人はどうだったのだろう?

 相棒のルパンや五右衛門(初代)は天に召され、残った自分にも限界が見えている。

 ある作家が言った。

『江戸っ子は他人に心を開かない。全部背負って生きていく』

 群馬県民(埼玉県民とのハーフ)には分からない心情だが、最近、ちょっとだけ、分かるような気がした。

 それを言葉にするのは難しいが、強いて書くのなら『人は誰も(時間の有無はあるけど)死ぬ』ということだ。

 たまに、『前世はキリスト』とか『前世はブッタ』という人がいるが、そういうのは無視。

 私もいずれは遅かれ早かれ、それがどういう理由かは分からないけど(出来れば穏やかな病死がいいなぁ)死んじゃうんだろう。


 そこから、後のことは知らない。


 あと、これは個人的な話だけど、『柴錬ひとりごと』(中央文庫)を小林氏の声で朗読してもらえたら私、凄く嬉しい。

 というか、脳内でやっている。

 何と言えばいいのか、皮肉な世相を切る言葉に小林氏の声が合う。

 ワイン用語だとマリアージュとかいうらしい。

 上の世界で著者のシバレン(柴田錬三郎)先生もお喜びになるだろう。

 

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