第27話 凪沙の大冒険
カメラが凪沙の後ろをついていく。どうやら誰かがARゴーグルをつけて、凪沙と同じ映像を見ながら進んでいるらしい。撮影に専念するために同じ映像だがゲームに影響しないペアレントモードになっているようだ。
当のダンジョンそっちのけで巨大ディスプレイに釘付けになっている観客たちからは、
「がんばれー」
「かわいいー」
という声援が飛んでいる。完全に彼らはここに来た理由を忘れて、凪沙一人の大冒険を応援していた。
前へと進んでいくと、ARで立体化された土の固まりが飛び出してくる。丸い体に茶色の肌。かわいらしい丸い目だが、自分の理想が高く、意固地で反発するちょっと扱いにくいやつ。プレイヤーを見つけると一目散に逃げ出して隠れてしまう困ったやつだ。
「まてまてー」
凪沙はぴょんぴょんと跳ねて逃げていく土スライムを追いかけていく。迷路状のダンジョンを何度も曲がり、追い詰めた土スライムの頭に優しく友達ステッキを下ろす。撫でるようにスライムに触れると、カードになって凪沙の胸の中に入っていった。
「おともだちになったよー」
カメラを向いて、凪沙が笑う。それと同時に見ている観客たちから小さな歓声と拍手が上がった。
これが俺が凪沙のために考えた戦わないリアルダンジョンゲーム。こうして追いかけていってモンスターと友達になっていく。土スライムは仲間になると、見つけたモンスターが逃げていきにくくなる。そうして友達の力を借りながら、おいしい米づくりのためにダンジョンを進んでいくのだ。
フロアにいるすべてのモンスターを仲間にするまで粘ってもいいし、必要だと思う仲間だけ探してもいい。
フロアを上がると、拒否するように攻撃するモンスターも増えてくるが、こちらは決して殴って言うことを聞かせはしない。何度も友達ステッキで触れることで、心を通わせて友達になるのだ。
「楽しそうだろ。凪沙ちゃんが自分からやるって言ったんだぜ。祐雅の手伝いがしたいんだってよ」
画面に集中していた俺の隣にいつの間にか昌兄が来ていた。
「カメラマンは麻耶ちゃんだ。受付は勝間に押しつけてきたけど、まぁ、この通り中に入ってくるお客さんは少ないから大丈夫だろ」
そんなに早く動くと疲れてしまうんですけど、と情けなく口元を緩めている勝間の顔が浮かぶ。
凪沙のダンジョン探検は少しずつ進んでいたが、攻撃が始まる二フロアから少しずつ体力を削られはじめると、三フロアのボスである田植え機に残念ながら負けてしまった。
「まけちゃったー」
凪沙はカメラに向かって手を振ると、元気よく退室用の通路へと入っていった。そこで映像が切れ、画面は元々流れていたプロモーション映像に戻る。一つのボールのように丸く集まっていた群衆は元の通り一列に戻っていった。
「さて、凪沙のところに行かないとな」
冒険を終えた凪沙を迎えるために俺は事務所へと急いだ。従業員用通用口から事務所に入ると、まだ凪沙は戻ってきていなかった。事務所の入り口で待っていると、勇敢な冒険を終えた凪沙が飛び込んでくる。
「ただいまー。あ、おにーたんかえってきたの? おかえりー」
「あぁ、凪沙もおかえり。よく頑張ったな」
「おにーたんがなぎさにつくってくれたげーむ、たのしかったよー」
凪沙は俺の胸に走ってくる。そのまま空を飛ぶように俺の胸に飛び込んだ凪沙を抱きとめた。凪沙には伝わっていた。凪沙のためにゲームを作る。そう言ったが、それがこのゲームなのだと。
「そっか。凪沙が喜んでくれて嬉しいよ」
「うん。おにーたん、ありがとう」
ここにいる誰よりも短い人生の中で、誰よりも辛い思いをしてきた凪沙だから、誰も辛い思いをしないゲームを作りたかった。その凪沙がゲームをしている姿をいろんな人が見て、少しだけ心を動かしたのだ。
「あのね、なぎさね、おにーたんのおしごとのおてつだいしたかったの。
そしたらまやがね、げーむやってるところみせてくれたらきっとおにーたんのげーむがたのしいのがつたわるよ、っていってくれたの。
だからやってみたら、まやにもましゃにもおにーたんにもほめてもらったー」
凪沙は楽しそうに両手をめいっぱい使って俺への感謝を伝えようとしてくれている。それがあまりにも愛おしくて、俺は言葉もなくただ抱きしめることでしか今の気持ちを表せなかった。
「これからはあのモニターで凪沙がゲームしてた映像流そうか。凪沙がゲームしてるところを見て、お客さんが来てくれるよ」
「じゃあ、なぎさはまやのおてつだいもするー。おきゃくさんにね、ごーぐるとこんとろーらわたすのー」
凪沙は俺の腕の中からするりと抜けだすと、あっという間に受付の方へと走っていった。それに続いて、麻耶の困惑した声が聞こえる。冬休みの間だけ、本当に凪沙に受付をしてもらおうか。ナビゲーターそっくりの女の子がダンジョンに送り出してくれれば、きっとお客さんも喜ぶだろう。
あの人見知りだった凪沙が自分からお客さんの前に立つなんて。そもそも自分からダンジョンに入っていくなんて一緒に暮らし始めた頃は考えられなかった。
きっと凪沙の大冒険はダンジョンを出た今も続いているのだろう。だったら俺は凪沙のことをずっと守っていってやるだけだ。誰に頼まれるでもなく、そう誓った。
年が明けて、一月。アミューズメント施設に正月休みなんてあるはずもなく、初詣は仕事終わりに近くの神社に行き、おせち料理はお惣菜で栗きんとんと田作りだけ食べた。役所の仕事始めから三日目。一月六日に俺たちは何度も集まったあの会議室に来ていた。
こっち側はいつも通りの俺と昌兄。役所側は落合と浩一、企画部長の三人。担当を外されてしまったのか、勝間の姿はなかった。
「さて、お伝えしていた通り四半期決算の結果をお話しましょう」
意外なことに話を切りだしたのは企画部長だった。落合が勝手に動いて俺たちを振り回していたのだと思っていたから、企画部長が今回の賭けのような条件なんて知らないものだと思っていた。
以前の内覧のときとは雰囲気が違う。やや重苦しい重圧をまとうように机に肘をつき、目の前で両手を組んでその上に顎を乗せている。
「単刀直入に言おう。残念ながら古見さん、あなたの造ってくれたダンジョンはこの四半期で赤字を出している」
「そんなバカな! 粗利計算では黒字化できていたはずだ。何かの間違いじゃないのか?」
「いや、こちらに決算書がある。まずは査収してもらいたい」
企画部長から手渡された決算書。月ごとの売上高と様々な支出が細かい字で淡々と並んでいる。売上はチケットと回数券。支出は家賃や電気代、人件費、広告費なんかが並んでいる。特におかしなところはない。
赤字額はわずかに二十万五千円。一人の人間の生活で見れば大きすぎる額だが、地方とはいえ自治体の中でこのくらいの額なら不採算部門だと言って目くじらを立てられるようなものじゃない。
わずかな見逃しやミスがないかを探す。
詳細な品目内容を見ても、すぐにはおかしなところは見つからなかった。
「俺のせいかもしれねぇ」
一瞬誰かわからないほど弱々しい声で、昌兄が両手で顔を覆った。
「何か心当たりでもあるのか?」
「あれだよ。外に設置した巨大モニター。広報用だ、って追加予算おろしてもらったんだよ」
「いくらで?」
「六十万」
間違いなくそれじゃねえか。どうりで俺の粗利計算には入ってないわけだ。あのモニター、十分活躍はしてくれていたが、そんなに金食い虫だったとは。
「そういうわけだ。あのダンジョン施設は閉館。即刻立ち退いてもらおう。一週間もあれば準備はできるな」
まだあきらめられずにミスがないかと目を皿にして探しているところに落合の勝ち誇った声が届いた。ここでゲームオーバーか。
「さて、では古見さんには退室してもらって、楢原さんとはこの後跡地の利用方法について」
「何の話だ?」
落合のにやけ顔を叩き割るように、浩一が落合の手を強く払った。怒りのままに立ち上がり、俺に向かって一枚の紙を投げつけた。
それは、浩一のダンジョンの決算書だった。
当然と言えば当然だが、俺たちとは比べ物にならないほどの大赤字。元から採算なんてとるつもりがない明細書は真っ赤な字で二百万円の文字が記されている。だが、それよりも重要なのは売り上げの方だった。自分たちの決算書を見る。
十二月最後の売上は俺たちが三百八十万円。対して浩一は二百五十万円。想像していた以上の大差だった。あの凪沙の冒険映像がお客さんを惹きつけたに違いなかった。
「私の目的は祐雅を連れ帰る必要がないことを証明すること。だから年末の十日間限定でダンジョンを出して勝負した。売上だけ見てもこちらの敗北だったことは君がよく知っているはずだ。契約を果たせなかったのに次があるとでも?」
「しかし、古見はこれでここに残ることはできなくなったではないですか! 後はそちらで引き取ってもらえば!」
「君は、私を愚弄するつもりか?」
浩一の目が光る。視線が一瞬こちらに向いた。その目は負け犬の目じゃない。敗北の絶望と悔恨を帯びながらも次の勝負を見据えた目だった。浩一はそれ以上何も言わずに立ち上がると、呼び止める落合を無視して会議室から出ていった。
「おいおい、どうなってるんだよ?」
「俺たちに面倒な敵が増えたってことだろ」
あの様子じゃ諦めてはくれそうにないからな。次はもう少し勉強してきてくれるといいが。
浩一が出ていくのを呆然と見送っていた落合に、さらに企画部長の目が開かれる。
「さて、落合。君の企みはこれで終わったが、どうするのかな? 協力してくれている外部の技術者に行ってきた不義理の代償を払う準備はしているんだよね?」
「いや、私は」
「そういえば今日は勝間くんの姿が見えないが、彼はどこにいるのかな? まさかとは思うが、人事部を通さずに、どこかの部署のヘルプになんて出していないだろうね?」
企画部長はすべてお見通しのようだ。観念した落合はうつむいて、両手で顔を覆っている。体を震わせ、怒りとも悲しみとも憎しみともとれないものを必死に体の外に出さないように押し込めていた。
落合のゲームオーバーを確認して、企画部長は俺たちの方へと向き直る。そして、立ち上がって深く頭を下げた。
「今回は私の不手際で古見さんには多大な迷惑をおかけした。お詫び申し上げたい。なんでも部下任せにしてはいけないとこの歳になってまた学ばせてもらった。
地域振興課は地域の子どもを生き生きと育てるためにある。あなたのダンジョンは素晴らしい。私はゲームについてはわからないが、人生をあなたより長く生きている分だけこれだけはわかる。
一人の人間の夢と努力と情熱が詰め込まれた場所が、子どもたちに悪影響を及ぼすわけがないんだ。これからもあのダンジョンを守っていってほしい」
企画部長の言葉にひかれるように、俺もしっかりと頭を下げた。その瞬間、会議室の扉が大きな音を立てて開け放たれた。
「ダンジョンの閉館待ってください! こちらに地域相談窓口に寄せられた意見をまとめてきました。数は多くはないですが、どれも好評で、ぜひダンジョン施設の継続を!」
勝間は持っていた資料を企画部長の前に叩きつけるように置くと、体が直角になる勢いで頭を下げた。
「確認を、どうか確認していただけませんでしょうか!」
勝間の必死の頼みに俺は思わず吹き出す。それにつられて、企画部長も隠し切れない笑いを漏らした。
「こうやって、俺のダンジョンを信じてくれているやつもいますから」
「その、なんだ。うちの部署も捨てたものじゃないと思えるね」
「あ、あのぉ。何か私だけ置き去りですかぁ?」
勝間の情けない声にもう我慢できなかった。俺はひとしきり笑った後、ダンジョン存続の話を教えてやると、勝間は拗ねたように床に丸くなって座り込んでしまったせいで、立ち上がらせるのが大変だった。
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