第8話 お披露目ナビゲーター

 遊び疲れた凪沙を家に寝かせて、事務所に向かった。岩山は今日送ってくるって言ってたが、どのくらいのクオリティで上げてくるのか。あの作風だからな、やる気になったといってもリテイクは覚悟しないといけない。早めに届いてくれるといいんだが。


「グラフィッカーはなんとかなったのか?」


 メールボックスを眺めていると、昌兄が後ろから声をかけてきた。今日もスーツの胸元は緩んでいる。いっそのこと私服で来ても構わないと言ったんだが、いつ役所に呼ばれるかわからないから念のためなんだそうだ。公務員も大変だ。


「あぁ、凪沙のおかげでな」


「凪沙ちゃんの? よくわかんねえけど、まぁいいか。こっちも数人手伝ってくれるやつが見つかったぞ」


 嬉しい報告だった。これでなんとか計画を前に進めていける。プログラムも大きな変更箇所から仕様書を作っていかないとな。

 資料をまとめていると、岩山からメールが来た。ファイル共有サイトのアドレスだった。どうやら初稿はもう上がったらしい。


「どれどれ、ってなんじゃこりゃあ!」


「おい、どうした急に。ん、これ頼んでたイラストか?」


 昌兄が俺のパソコンの画面を覗き込む。そこには一人のかわいらしい女の子のイラストが描かれていた。岩山の今までの作風とは似ても似つかない。でもその雰囲気からは嫌々描いたようには見えなかった。


 切り揃えられた前髪に長い黒髪、栗色のまんまるな瞳。白いノースリーブのミニスカートのワンピース。エフェクトなのかはわからないが天使の輪のようなものも頭に浮かんでいた。


「凪沙ちゃんみたいだな」


「みたいじゃねえ。あいつ絶対凪沙をモデルに描いただろ。電話する。電話して抗議する!」


「落ち着けよ、別にいいイラストじゃねえか」


「そんなことはどうでもいい。凪沙はやらん、って言ってやる」


「お前もう全部ダメなんだな」


 昌兄は呆れながらも素早い動きで俺のスマホを奪い取った。クソ、なんでどいつもこいつも凪沙のことを好きになってしまうんだ。いや、凪沙はあんなに可愛いんだから当たり前だろ。


 セルフツッコミを脳内で繰り返して落ち着きを取り戻す。凪沙がモデルということを除けば出来は完璧に近い。派手過ぎないから教育目的という大義名分にもよく合っている。清楚で飾り気もないから大人から子どもまで人気の出そうなデザインだ。


「大枠は同意。ただし、ノースリーブは半袖に、スカートはロングに変更すること」


 ただし気に入らないところは即メールで返しておく。凪沙はそんな媚びるように肌を見せたりしない。そんな安易な考えで動くような子じゃないんだ。岩山はそこんところが全然わかってない。


「お前さ、もう解釈違いで文句言う厄介オタクだろ」


 昌兄は肩をすくめるだけじゃ足りないらしく、俺に聞こえるようにわざとらしく大きな溜息をついた。何とでも言ってくれ。俺には俺の言い分がある。

 岩山からの返信はすぐに返ってきた。


『修正する。ARグラフィックとモーションもこのキャラだけは全部作る。限界まで完璧に近づけたい。六月十八日の十一時までに完成品は送る』


「完成品は十八日だってよ」


 たっぷり時間使いやがって。でもあの岩山が本気になってくれたんだ。これほど嬉しいこともない。俺は笑いを漏らしながらそう言った。その瞬間に昌兄の顔が曇る。


「おい、十八日ってグラフィック披露の会議の日だぞ」


「はぁぁぁ!? 何時からだっけ?」


「十一時」


 岩山の野郎。企画書やスケジュールは目を通したって言ってたよな。それを読んだ上で本当にギリギリの時間を指定してきやがったってことか。すぐに電話をかけるが、電源が落ちているらしいアナウンスが返ってきた。あいつ、集中するときはいつも連絡手段を断ちやがるんだ。


「くそっ、もう一回東京行ってくる!」


「待て待て。そんな何回も行かれたら経費の説明がつかなくなるぞ。凪沙ちゃんも何度も連れまわせないだろ」


 一応メールだけは入れておく。一時間早く締切は十時だと伝えておくが、これがどれほどの効果があるかはわからないな。


「結構仕事に問題があるやつって言ってたよな。実際来ると思うのか?」


「岩山はな、他人に決められた締切は絶対に守らないが、自分で宣言した締切はどんなに無茶に見えても必ず守るやつだ」


「めちゃくちゃ難儀な性格してるやつだな」


 会議が十一時だとしてピッタリに来たとしたらダウンロードや設定の時間が足りないぞ。

 なんとかうまくいくと思ったのに。不安を残したままだけど、遠く離れた錦糸町の部屋に引きこもっている岩山にここからできることはない。あいつの宣言を信じて他の作業を進めるしかないな。


「会議の前置きができるネタ作るぞ。シナリオでもゲームシステムでも何でもいいから」


「はぁ。ゲーム屋ってそんなのばっかりなのか? 俺は公務員でよかったよ」


 昌兄は俺には無理、とソファに突っ伏せた。


 作業が目の前に山積みになっていると、日々は彗星のように早く過ぎ去っていく。進捗会議の予定日、六月十八日はあっという間にやってきた。

 なんとか会議開始時間をずらせないかと昌兄とおじさんが交渉してくれたが、落合は譲らなかった。別に時間くらいいくらでも調整できるだろうに一秒でも猶予を与えたくなかったのだ。


「キャラって届いたのか?」


「いや、まだだ。岩山のやつ、本気で十一時に送ってくるつもりだな」


 まぁ気持ちはわからないでもない。俺たちの仕事は少しぐらい時間に遅れてもなんとか許してもらえることは少なくない。岩山ほどのクオリティを出せるならなおさらだ。でも今回ばかりはそうもいかないんだ。


 ARゴーグルの準備も万端だ。キャラデータをダウンロードしたらソフトに読み込ませればおそらく映ってくれるはず。チェックすらできない。一発勝負だ。


「準備はぁ、できていますかぁ?」


 のんびりとした声でハシビロコウ、勝間が会議室に入ってきた。心なしか前に見た時よりテンションが高い。こいつは本当にゲームが好きなのかもしれないな。


「もちろんですよ。ただお楽しみは最後にとっておいてもらおうかと思っていますんで」


「僕はすぐにでもぉ、見たいんですけどねぇ」


 うるせぇ、黙って座ってろ。口から飛び出しそうになった言葉を慌てて飲み込んだ。予定時間の五分前には落合も会議室に入ってきて、参加者が揃ってしまった。


「少し早いが、始めてくれないか。議員は忙しい身でしょうし」


「いやいや、時間はきっちりと守れるように予定を組んでいますから、お気遣いなく」


 おじさんが急かす落合をかわして答える。せめて時間通りに始まってくれないとどうしようもないぞ。


「さぁ、時間になったぞ。早く始めてくれ」


 無難な世間話で時間を稼いでいたが、落合は時計を見つめて、秒針まできっちり確認して五秒前にそう言った。


「おい、祐雅」


「来た!」


 メールが来たのとパソコンのデジタル時計が十一時になるのは完全に同時だった。メールのラグまで計算してるのかと思うほどだった。


「よし、始めるぞ」


 今日の会議は俺の代わりに昌兄が進行を務める。その間に裏で俺はファイル共有サイトからダウンロードを始める。


「サイズでけえよ!」


 小声で愚痴をこぼす。あいつ、たった一ヶ月でどれだけ作り込んでやがるんだ。


「ですので、今回のシナリオでは米作りの障害を擬人化、キャラクター化し」


 無駄に分割した資料スライドを少しずつ進めながら説明していく。映っているのは俺が描いたヘタクソなラフイラストばかり。落合の口角が少し上がった。準備できていない、と思ったのだろう。勝ち誇った表情で一度鼻を鳴らした。


「もういい。その話は後で資料を見させてもらう。それより約束のキャラクターはできているのか?」


「それは……」


「どうした。そこにあるメガネみたいなのをかけたら見えるんだろ。勝間、かけてみろ」


「あっ」


 落合はぶくぶくに太った腹を揺らして立ち上がると、俺の手元にあったARゴーグルをひったくって勝間に渡した。


「どうだ、勝間。キャラクターはできているのか?」


 勝間はぼうっとして、座ったまま何も言わない。いや元々全然動かないやつだったけど、時が止まったように指先一つ動かさない。


「やはりできていないようだな」


「いや、もしかすると、機材が」


 昌兄が何とかごまかそうと適当な嘘をつく。でもパソコンを操作している俺にはわかっていた。ダウンロードしたデータは読み込めた。画面には完璧なナビゲーター、凪沙の姿が映っている。なのになんで勝間は何も言わないんだ。映ってないと言い張ることで、俺たちを立ち退かせようと思ってるんじゃ。


「おい、なんとか言えよ!」


 俺は立ち上がって勝間に文句を言おうと詰め寄ろうとした。すると今まで少しも動かなかった勝間が俺を制するように手をかざした。

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