其之三

 くだん返歌かえしうたを携え戻ったチドリ真玄さねはるにこれを見せると、それはぐ穂をゆるさぬ何とも素気すげなきもの、りとて片恋かたこいとどまるはず最早なく、爾来、猶も艶書いろぶみを重ね遣わすのであった。

 ある時、真玄さねはるが姫君のことを思いながら飄乎ふらりと河原に憧憬あくがれていると、邂逅わくらばチドリに行き逢うたをこれ好機よきおりとて「嗚呼、嬉しや。姫君にまた玉梓ふみを差し上げよう」と云って、おの装束そうぞける藍褐あいかち直衣のうし烏羽玉うばたまの漆黒に思いなずらえてすそを切り、それをせんと成してさっと歌を書き付けた。


 烏羽玉うばたまにかく玉梓たまずさのかひもあらば我にはうつせ君が心を

烏羽玉うばたま藍褐くろき衣に書いたこの玉梓ふみですから〔鴉の羽に墨書きした文字をばねりぎぬ に押し写して読み取ったという故事のように〕、貴方の心も我に移して下さいませ)


 直衣のうしすそを切ることは、【往昔おうせき、業平が平城ならみやこの春日の里をろす所縁ゆかりにてその春日野に遊狩あそびがりせし折、とある姉妹はらからを垣間見て咄嗟に、己が装う忍摺しのぶずりの直衣のうしすそを切りて、


 春日野の若紫のすり衣しのぶのみだれ限りしられず

(春日野の紫草むらさきぐさで染めた忍摺しのぶずりの衣にもじり乱れし文様の如く、麻呂の心裡こころうちの乱れもまたこの上ないことです)


と書き遣わした】(※一)まねびつつ、歌の心は【敏達びだつ天皇の御宇ぎょう高句麗こまよりの上表文が鴉の羽に書き付けてあったのを誰一人として読むあたわぬ中に、ある人がこの羽を蒸して練貫ねりぬきに写して見披みひらいた故事】(※二)まねびしものであって、何れとも人知れぬ思いの色を表せるものと思われる。真玄さねはるは、ある時は梅枝うめがえいつくしき短冊たんじゃくを附けて心を春の風に動かすとかこち遣わし、またある時は草花に露の如く儚き玉梓ふみをば結んで、思いを更に秋の色に重ぬると恨み送るなど音信おとずれは度々するものの無しつぶて……。

 

 鴉の未だ姫に艶書いろぶみを通わすと耳にした山城守やましろのかみは「先だっての不作法でさえ存外おもいのほかと思うておるに」と腹立ふくりゅうして「家中の誰も知らぬなどということはあるまい。糾問してきつく罪科に処すべし」と気色けしきばんだ。

 真玄さねはるチドリにまた玉梓ふみを託そうとすると「そのことにございます。実はかく言通ことかよわされるを我が殿の聞食きこしめされて『家中にあって誰も知らぬことはあり得ぬ、尋ね問いただして懲らしめてやる』と仰せなのでございます。露顕すればチドリは定めし耳を切り鼻を削ぎの罰を受けましょう。向後きょうこう、お玉梓ふみのこと承り兼ねまする」とかぶりを振って旋帰せんきしてしまった。

 果たして真玄さねはるむこになり損ねるわチドリにも見放されるわで、抑え難き恋しさ、事行ことゆかぬ間怠まだるさに、兎に角にも牛につづみを負わせたる様にもう〳〵朦々たん〳〵澹々とするばかり、れど「世の慣習ならいそむくことでもなし、山城殿やましろどのとて一旦はご立腹こそすれ……」などと思い直してまたしても艶書いろぶみを物すると、【中間ちゅうげん】の(※三)鴉に持たせて「山城殿やましろどのもとチドリを訪ねてこっそりこれを渡すのだ」と云いふくめて遣わした。

 中鴨に着いたこの中間ちゅうげんの鴉は「チドリや、チドリや」と尋ねたものの、折しもチドリは河のほとり求食あさりの真っ最中、なれどこの鴉がなおも粗忽に彼方此方あちらこちらと立ち廻っているのをつい山城守やましろのかみが見咎めて、それ見たことか、我が耳に達していた通りだと思いながら「うぬ何処いづくより来たる者ぞ」と誰何すいかするが早いか、「それ、その消息てがみ奪取おしとれ、彼奴きゃつくくせて縛るのじゃ」と下知すると、これに応じた若鷺わかさぎ達が飛び掛かって踏み伏せ、半死なからじにさするにも過ぐる程に鴉を打擲ちょうちゃくするのであった。

 山城守やましろのかみは鴉に向かいて「うぬあるじとくと伝えよ。身の黎黒いろくろく形いやしきその鄙容ひよう異臭においの厭わしさには鼻も向けられぬ、余所目よそめを窺うては偸盗ぬすみはたらき、世の聞こえも憚らずして横暴を働くうぬら鴉共、挙措ふるまいつたな飲食おんじき汚く、何処どこ如何どう見たとてはしたなき破落戸ならずものよ。雀の子が巣に啼けば、声を尋ねて軒を穿うが放埒ほうらつ無慙むざんの至極、これに過ぐる何事のあろうや。社殿仏閣に我が物顔で烏雲ううんの陣を張りては神仏の御前みまえに撒き散らした米をついばみ、輭紅塵中まちまちを廻りては果物を食い荒らすなどまことにこれ名は本性ほんせい体現あらわすなり、まさしく名詮自性みょうせんじしょう賊よ」と罵って「我が姫の、然るべきかたがたよりの求婚つまどいにさえいやを申すにこれ幸いと、われらの足許いえがらきを思わぬのみならず、己が涯分みのほどをも顧みぬ者が大したものよ、流石は山城とまで称される身共みどもえにしを結ぼうなどと……結句、種々の世迷言よまいごとをば放つくちさきばかりの涯分みのほど知らずな奴めが」と云いふくめると、痛めつけた鴉を追い放ったのであった。


【私註】

※一:『伊勢物語』初段「初冠」に拠る。着衣については『鴉鷺』では直衣のうしとされるが『伊勢』には「男の、着たりける狩衣かりぎぬの裾を切りて、歌を書きてやる」「その男、しのぶずりの狩衣かりごろもをなむ着たりける」とあって相違がある。

※二:『日本書紀』敏達元年五月丙辰一五日条に拠る。「天皇、執高麗表䟽、授於大臣蘇我馬子、召聚諸史令読解之、是時、諸史、於三日內皆不能読、爰有船史祖王辰爾、能奉読解、由是、天皇与大臣倶為讃美曰、勤乎辰爾、懿哉辰爾、汝、若不愛於学、誰能読解、宜従今始近侍殿中、既而、詔東西諸史曰、汝等、所習之業、何故不就、汝等雖衆、不及辰爾」とあって、高麗の上表文を史部ふひとべ(※朝廷の文筆をつかさどる部民)の誰もが読み解けぬ中、船史ふなのふひとの祖となる百済系渡来人の王辰爾おうしんにだけがこれを読み解いたとして天皇と「大臣」蘇我馬子が賞讃したとされ、続けて「又」とあることを踏まえたもの。

※三:公家や寺院などに召し使われた男で、 身分が侍と小者との「中間」にあった者。


(「 第二 七夕因位、烏化粧文、同文使打擲事」了)


※ルイ・デュレの“Divertissement for Oboe, Clarinet and Bassoon, Op. 107: III. Très animé”を聴きながら

 https://youtu.be/yWmluBw9MHg

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