其之二

 祇園林ぎおんばやしに一羽の鴉、名をば東市佐ひがしのいちのすけはやしの真玄さねはると申して、何ともはや男子なんしに生まれし一生の思い出に、心姿こころすがたこの上なくしとやかで色白く、諸芸に長けたる才色兼備の女性にょしょうと契りたいものと常々こいねがうていた。

 同じき頃、中鴨なかがもただすの森に鷺が一羽、名をば山城守やましろのかみ津守正素つもりのまさもとと申して、これは都に棲まう鳥達随一きって雅男みやびお、『春秋』を瀏覧あまねくみては武勇にはかりごとを巡らし、『詩経』に載せる周詩に心寄せては花鳥の風流ふりゅうたしなむ、文武二道に達する者であった。

 この正素まさもとには姫御ひめごがあって、その眉根まゆね調ととのかおばせは梨花が春雨を帯ぶるが如き憂愁うれいたたえ、窈窕あでやかなる容姿よそおいなど早梅はやうめが雪中にあって可憐に薫らする馨香きょうこうに異ならず、心延こころばえも年端としはの割に大人びて、能芸、振る舞いまた大人しやか、何彼なにかに付けて繊弱ひわややかで、立居も他と隔つる独特の風趣あじわいを持ち、管絃呂律かんげんりょりつの聞こえもぬきんでて、名にし負う筆の鳥跡とてもたぐいなきもの、すでに我がものとしてくつろかに散らす恋文の書き振りなど、糸垂しだるる青柳あおやぎ東風こちに揺られ乱るるが如く、紫式部の源氏を物せしもかくやと思わせた。

 和歌の道におもむきては蘆辺あしべに啼き渡るたづの如き歌仙に引けず劣らず、またつむいだす言の葉のたえなる響きも梅枝うめがえ春鴬囀しゅんのうでんに勝るとも劣らず、その歌風よみぶりこそ、あの衣通姫そとおりびめの流れ汲みし小野小町の歌にかがみて、恋に悩める女性にょしょう仮粧けわいするが如くであり、それは又【身を浮草の(※一)の構えにも似る。

 かように縹緻きりょう穎才えいさい万事よろづごとに付けて申し分なき姫に、てて加えて才学さいかく第一の乳母めのとである尼鷺アマサギが手取り足取り教えるものだから、ひとえに雪の上に霜までねんごろに加わるようにぞ思わるるのであった。


 ある時、この姫が乳母めのとに「私も和歌を詠むには詠むけれど、それも上辺うわべだけ心得こころうるに過ぎないのだわ。いつの世より始まり、いかなるいわれのあろうことやら」とうので、乳母めのとは「天地あめつちひらけてよりはじまるとは申しますけれど、千早振ちはやぶ神代かむよには字数じかずとていまだ定まりてはおりませなんだ。素戔嗚尊すさのおのみことの【出雲八重雲いつもやへくも(※二)御歌おんうたよりから初めて三十一文字みそひともじに定めてより、生きとし生けるたぐいが歌を詠まぬことなどありませず、べて虫のや風の音までも歌に詠みらされしことはござりませぬ。和歌に心寄する者は、大虚おおぞらに綺羅星の如く輝いて、最早、詠み残したる風物とてありますまいが、なれど人の心は千姿万状せんしばんじょうあたかも浜に敷く真砂まさごの粒の一つ一つをかぞうること叶わぬに似て、歌に詠み尽くすことは到底叶わぬものです。歌道うたのみちに迷える者は多く、悟れる者はすくなくはありましょうけれど、花や郭公ほととぎす、月や雪やの折節おりふししたがい、恋や無常、恨み、悦びを覚ゆる時々に付けて心惹かれるまま風流ふりゅうを先とすれば、成る程、何ゆえ涯分がいぶんに応じた歌様にこなれぬことなどございましょうや。夜雨よさめの窓打つ声、あけの嵐のとぼそたたく音までも、ねぶられぬまま自然じねん、何事か思い続くるよすがとなるのです」と古今仮名序を交えて講説こうぜちを始めた。


【私註】

※一:「わびぬれば身を浮草の根を絶えてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ」(小野小町、古今集 巻一八・雑歌九三八)。

※二:「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」は記紀に見え、本朝における和歌の濫觴らんしょうとされる。 


※タイユフェールの“Concertino pour flûte, piano et orchestre de chambre”を聴きながら

 https://youtu.be/1cEVBi0NsB0


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