第12話 つまらない話

・I・


 セレイラはベッドの上に座り込み、銃器の手入れをしていた。分解されたシリンダーやマガジンのそばには、イラリオンから受け取った封書が置かれている。


「一緒にいればいるほど、セレイラって不思議な人だね」

 カスピアは彼女がピストンに油を差すのを眺めながら言った。

「冷たい殺人鬼かと思えばわたしをここに連れてきてくれたし、気分次第で男になったりお上品になったりできる。わたしはわたしのままでしかいられないのに」

 自分の鼻面を指でさす。


「誰かを演じていないと生き残れないだけさ」

 セレイラはなんでもないように答えた。カスピアは彼女の顔を真剣な眼差しで見た。

「それはあなたがスパイだから? シュラフタだから? それとも、『ワルシャワの死神』だから?」


 銃口を拭くセレイラの手が止まり、カスピアははっとした様子だった。

 窓際の灯りをぼんやりと見つめながら、彼女は言った。

「多分……その全部だろうね」


「セレイラ」


 カスピアに名前を呼ばれ、セレイラは嫌な予感を覚えた。彼女が改まって名前を口にするときは、大抵厄介な質問が飛んでくる。


「その話、詳しく聞きたい。あなたはどこから来たの?」


 やはりそう来たか。

「どうしてお前に話さなきゃいけない」

 セレイラは頭を掻きむしりたい衝動をおさえ、うつむいて言った。


「あなたのことが気になるから」


 カスピアははっきりとそう言った。

 セレイラは行き詰まったように唸った。これほどまでに素直に言われると、それを突っぱねる気も失せてしまうのだった。


 セレイラは色あせた記憶を掘り返すように、遠い目つきをした。

「生まれつきスパイの人間はいないし、生まれつき死神の人間もいない。けれど私は、生まれた時からシュラフタだった」



 そう。私は、シュラフタの娘として生を受けて



「私の両親は、ベラルーシの田舎町の領主だった。ワルシャワやルブリンのはるか東だ。貧乏貴族ではあるが……これでも由緒ある、歴史の古い家だったらしい。父親は昔気質むかしかたぎ騎士ウーランでね。ベラルーシでは名の通った槍使いだった」


 二人の影が、木賃宿の薄い壁に踊る。

「セレイラはどんな子供だったの?」

 カスピアの好奇心旺盛な瞳が覗き込む。


 セレイラは深いため息をついた。

「さあな。子供の頃の記憶はほとんど残ってない。残っていたとしても、大した思い出話はないだろうさ。子守りナースは厳しかったし、上品にしろと口やかましかった。今思えば……あの頃の躾のおかげで、私には『貴婦人の社交場にも潜入できる』という強みができたわけだけれど」

 カスピアが愉快そうな笑みを作る。セレイラはそれを無視して、弾薬のケースにナイフを滑らせる。おおかた下品な妄想なのだろう。


 ボール紙の包装を開け終えたところで、彼女の手が止まった。

「でも、お……あにのことは好きだった」

……、なんなの?」

「何でもない」

「本当に?」

「……本当だ」

「ふうん」

 悪巧み顔で腕組みをするカスピアに、セレイラはやはりぶん殴ってやりたい衝動に駆られるのだった。


「わたしは長女だからわからないんだけど……お兄さんがいるって、どんな感じなの?」

「安全地帯、だな。両親とは日に一度しか顔を合わせないし、子守りとも仲が悪かった。でも、兄といる時だけは自分を解放できた。私がどんな悪さをしても、どんなに礼儀知らずでも、どんなにダンスが下手でも……奴は私の全てを受け入れてくれた」

 

「へえ、いいな。わたしもそんなお兄さんが欲しかったな。恋人でもいいけど」

 カスピアは呑気に羨ましがっている。あまりの無邪気さに、思わず頬を緩ませる。しかし、それも束の間だった。


「七年前」

 彼女の言葉に、部屋の空気はしんと静まりかえった。

「この国は列強三国に、三方から攻められた。国土の東端にあって肥沃なベラルーシは、ミハイロフの格好の獲物となった。当然、私たちの領土にも敵は押し寄せた」


 カスピアは弾かれたように顔を上げた。

「レックランド分割……」

 セレイラは頷いた。

「当時の王国は人口の四割を失い、領土の三分の一を列強に奪われた。その中には、私の故郷も含まれている」

 七年前の惨事をレックランド分割と呼ぶのは自国だけだ。

 列強では、この事件の名称は『レックランド分割』である。


「私の両親には、土地と領民を棄てて避難するという選択肢があった。実際、そうするシュラフタは多かったらしい。そうして中央に流れてきたが、レックランドの税収を食いつぶしているという話もあるぐらいだ」

 話の展開が読めたのか、カスピアは

「あっ……」

と声をあげたきり口をつぐんだ。セレイラは静かに頷いた。


「古い騎士道と、シュラフタとしての矜恃が邪魔をしたんだろうな。父親は馬に乗って打って出た。住民たちも総出で防衛戦に当たった。私と母親も、怪我人の救護に駆り出された」

 セレイラの兄は、剣をとって防衛軍の先頭に立った。すでに武勇の誉があった彼は、父親と共にベラルーシの英雄となった。しかし。


「結局のところ、城は半月と持たなかった。考えてみれば当然だ。こっちは寄せ集めの農民兵が数百。対して、寄せ手はミハイロフ王国の正規軍が二万。戦争ってのは一に人数、二に装備だ。そのどちらも劣るというのに、私の父親は目が見えていなかったらしい。まったく……今の私なら、銃で脅してでも避難させるというのに」


 実際には、生まれ育った城が瓦礫と化すのを、手をこまねいて見ているしかできなかった。屈強な騎士だった父親は、たった一発の銃弾に斃れた。

 そして兄は、押し寄せる敵軍に向かい、単身で切り込んでいった。その後、彼の姿は一度も目にしていない。


「私は家族も身寄りも失くして、孤児に身を落とした。それをミンスクで拾ってくれたのが、ドラセナってわけだ」

 モスクワに連行され、そこでウルと知り合ったことは伏せておいた。もちろん、その後に生き別れたことも。


 ウルの存在はセレイラと、モスクワ計画を知るドラセナたち数人だけの秘密だ。どこの馬の骨とも知れない小娘カスピアに、彼女の心の聖域に立ち入る資格などあるはずもなかった。




・II・


 語るべきことは語り終えた。

 彼女は窓の外に目を向けたまま、無機質な声で言った。

「遠い昔の、つまらない話さ」


 何を思ったか、カスピアはセレイラのすぐ隣に座った。わずかに肩を寄せた。

「わたしもあなたと同じ。故郷も家族も、全部ミハイロフに奪われた。だから、わたしには分かる。セレイラのことは知らないけど……でも、あなたという人間は分かる」


「喋るな」

 セレイラは唐突に立ち上がり、低く唸った。

 そのまま、つかつかと窓際へ歩く。暗い夜を見下ろし、窓枠に指を食い込ませる。


「お前に……私の何が分かる」


 分かるはずがない。否、モスクワで味わった苦痛は、アローシャにもエミリアにもドラセナにも分かるはずのないものだった。

 それを共有できるのは、ウルただ一人なのだから。


「いいよ。なんて言われたって、わたしはあなたのそばに居続けるから」

 意外にもカスピアは食い下がった。セレイラは困惑した表情で振り返った。

「カスピア……お前は何なんだ? そこまで私にこだわる理由は何だ」


 彼女は虚をつかれたようだった。しばらくして、ゆっくりと口を開いた。

「わたしは……わたしはただの、あなたのファンだよ。今は作戦を成功させるための、セレイラの助手だけど」


 余計に頭が混乱してきた。セレイラは仕切り直すように言った。

「安心しろ、ルベルスキー伯なら死なない」

 その言葉は、かのようにはっきりしていた。



「さっすがぁ!自信家だねセレイラは」

 カスピアはにぱっと笑い、セレイラに顔を近づけた。



 彼女は分解された銃を手際良く組み立てながら、意味ありげに言った。

「ただ、私が生きて帰れる保証はないな」



 毛布が床に落ちる音がした。

 セレイラが首を回すと、カスピアはメデューサに睨まれたかのようにその場に固まっていた。



「今回の暗殺計画、的にかけられているのは私だろうからね」



 カシャン、と音がなった。セレイラは球が充填された銃をくるくると振り回し、流れるような動作で構えてみせた。


 窓の外で二発、銃声が鳴り響いたのは、それとまったくの同時だった。

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