第44話 そして、終わりはしない

 暗闇の中にいると、ヒメは自覚した。

 浮遊するような感覚で、仰向けになっている。

 そして後頭部の感触。膝枕。

 目線を上げる。顔をのぞき込む、妹のリッカ。


「試合、見てたよ、アニキ」


 膝に置いたヒメの頭をなでながら、リッカは穏やかに言った。


「楽しそうだったな、アニキも、ガーディアンも。

 もう、大丈夫みたいだな」


「リッカ……待って」


 手を伸ばした。

 すり抜けた。

 リッカの姿が、薄れていった。


「元気でやれよな、アニキ。

 すぐにこっちに来たら、ブッ飛ばすからな」


「待って、リッカ……あたしはまだ……」


 リッカの姿が消えた。

 視界が、暗闇に閉ざされた。




 ヒメは目を開いた。

 明るい。スポーツセンター、試合会場。

 肌と耳の感覚が徐々に戻り、熱気と熱狂を感じた。

 そして自身を膝枕して顔をのぞき込む、獅子王院ロベルト正巳先生。


「……落差ひどくない?」


「エッ?」


 きょとんとするロベルトに、ヒメは尋ねた。


「先生、なんでそんなにびしょ濡れなんですか?」


「ハハ、キミが倒れるのを助けるタメに、無茶をしまシタ」


 苦笑し、横を向いたロベルトの視線を追って、ヒメも横を見た。

 観客席、流しそうめんの竹材、盛大に散らばっている。

 竹材を棒高跳びの要領で使って、ここまで跳んできたか。


 ヒメは自分の胸に目を向けた。

 ピンポン玉が、シュルシュルと音を立てて、いまだ落ちずに回転していた。

 スノードロップの強烈な回転が、肋骨の隙間をこじ開け、運動エネルギーを送り込んでいた。

 この力が、ヒメの心臓を再起動させていた。


 流しそうめんとは逆側の横に、ヒメは目を向けた。

 ガーディアンが、ヒメを見ていた。

 その目は泣き腫らして、鼻水まで垂らして。

 その顔をしばらくながめて、それから、ヒメは確かめた。


「……負けたのね」


 ゾビッと、ガーディアンは鼻を鳴らした。

 ヒメは手の甲を、まぶたに置いた。

 その目から、涙の筋が流れた。


「……負けちゃったぁ……!」




 卓球台。

 その正面、ペッパーは立ちつくしていた。

 その背中が、叩かれた。


「何をボケッとしてんだペッパー。オレたちの――」


 言いかけて、ソルトはぎょっとした。

 のぞき込んだペッパーの顔、それはもう涙で濡れて、鼻も真っ赤で、ひどい有り様だった。


「……ソルト。勝ったよ、ボクら……」


 ペッパーはソルトを見返した。

 ちゃんと前が見えてるのか怪しい顔を、さらにくしゃくしゃにして、ソルトの両肩に手を置いて、泣き崩れた。


「勝ったよボクら……! 勝ったよぉ……!」


 幼い子供みたいに泣くペッパーに、ソルトは少し圧倒されながら、周りを見渡した。

 観客たちも、拍手をしながら、泣いていた。

 あっちでは妹が、そっちでは先輩たちが。

 炎陽高校の集団では、同級生のイッキューがここから音が聞こえるくらいズビゾボと鼻を鳴らしているし、九十九未来学園の方でも、ゾベブビとひどい泣き方をしている男がいた。

 ヒメとガーディアンは、言わずもがなだ。


「おいおい、泣いてねぇのオレだけじゃねぇか?

 みんなの泣き方に引いちまって、涙なんて引っ込んじまったんだけど。

 オレが冷たいみたいじゃんかよ」


 ペッパーが、よく聞けば笑ったと分かるような音を立てて、ソルトを叩いた。

 ソルトは苦笑して、叩き返した。

 拍手の音が、二人を包んだ。


 旋風嵐太郎は、苦い顔をして見ていた。

 選手を危険な目に遭わせてしまった。スポンサー代表として不甲斐ない。

 そんな背中を、スタッフの一人が叩いた。


「お疲れ様です、嵐太郎さん。

 的確な指示のおかげで、あらゆるトラブルが致命的にならずに済みました。

 素晴らしい大会になりましたよ」


 スタッフは嵐太郎に、笑いかけた。


「あなたの出資するこの大会で働けて、光栄です」


 嵐太郎は、唇を噛んだ。

 目をぎゅっと閉じ、うつむきかけて、それから目一杯、胸を張ってみせた。


「……ふふん! そうだろうとも! ボクちんがスポンサー代表だからね!

 それじゃあこの光栄な大会を、最後まで見事にシメようじゃないか!」


「はい! 表彰準備します!」


 スタッフは、表彰台へと走った。


 ソルトはいまだ泣きじゃくるペッパーに腕を回し、引っ張った。


「オラッ、いつまで泣いてんだよ!

 勝者がナヨナヨしてんじゃねぇ、胸張って行くぞ! 表彰だ!」


 そうして歩きかけて、立ち止まった。

 卓球台の向こう、泣き続けているヒメとガーディアンに顔を向けて、しばらく見やってから、声を張った。


「ヒメさん! ガーディアンさん!

 オレたちの勝ちだ!

 この試合勝ったのは、オレたちだ!」


 顔を向けてきた二人に、ソルトは真剣な眼差しで、言葉を続けた。


「悔しかったら、また勝負しようぜ」


 ヒメもガーディアンも、ペッパーでさえも、呆気に取られたような顔をした。

 やがてヒメは、くつくつと笑い声を漏らした。

 それからいつものあざけるような表情をして、声を張り上げた。


「ええ! ええ! 何度でも戦ってあげるわ!

 これから先、何度だって、何年経ったって!!

 あたしたちは、あなたたちの前に立ちはだかってみせる!

 それまでせいぜい、今回の勝利の味を噛み締めておきなさい!

 アハハハハ……!」


 笑うヒメの横で、ガーディアンもこぶしをぐっと握り、闘志のわいた笑顔をした。

 胸を張って、会場全体に響き渡るくらい、声を張った。


「次は、ぼくたちが勝つ!!

 その次も、そのまた次も、それからもっと次だって!!

 覚悟してよね!! ぼくたちは、強いから!!」


 拍手の音は、止まない。

 四人をずっと包んでいる。


 マァリは兄たちの姿を見ながら、つぶやいた。


「次は私も、大会に出たいな。

 まだ卓球は始めたばかりだけど、きっと強くなるよ。

 お兄ちゃんたちみたいに、強くなる」


 ペッパーの母は、息子の姿を見つめて、つぶやいた。


「次は、お父さんもお兄ちゃんも誘って、四人で何かしようか。

 休みが合うか……ううん。きっと合わせる」


 ユキドリは、自分の両手を見つめて、つぶやいた。


「次は、何をしようか。

 卓球か、音楽か、バイクか、それとも漫画か、新しい何かか。

 全部、中途半端、じゃないな。

 全部、これから先に、つなげていけるんだ」


 ナルは、ソルトたちの姿を見ながら、口ずさんだ。


「ルルルー、ルルルルルール、ルルルルールールー……」


 組曲『惑星』より、木星、第四主題。


 外からの雨音は、いつの間にかしなくなっていた。

 窓の外は、夜の闇に包まれて。


 ゲームカウント三対二。

 勝利チーム、ソルト・ペッパーペア。

 最終ゲームの得点は、百四十七対百四十五だった。

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