第36話 心が震える

 熱気が作る白いもやが、スポーツセンターを埋め尽くそうとしている。

 その対応に慌ただしく走るスタッフにちらりと目をやってから、炎陽高校卓球部顧問・パンダ先生は口を開いた。


「お互い、こうして卓球に関わり続けているのは、喜ばしいことだね」


 パンダ先生の隣、九十九未来学園高等部卓球部顧問・獅子王院ロベルト正巳はうなずいた。


「センパイとのダブルスの日々が、こうして今につながっていマス。

 同じ卓球部顧問でも、ワタシは名門校で、センパイは中堅どころデスが」


「はは、今はロベルトに上を行かれちゃったね」


 ロベルトはパンダ先生に、視線を向けた。


「ナゼでしょうネ。こうして地位や経歴を手に入れても、いまだアナタに、勝てた気がしまセン」


「何をもって勝ちとするかじゃないかな、それは」


 二人はそれから、試合会場をながめた。

 次のゲームに向けて、準備をする四名を。

 ややあって、ロベルトは口を開いた。


「ヒメ君には、死神が憑いていマス」


「それが実在のものかはともかく、妹さんが亡くなられたとは耳にしたよ」


 ロベルトは柵の上で手を組み、話し続けた。


「現代医療では、何も異常は見つけられまセン。

 それでも事実として、彼の妹は亡くなりまシタ。

 ワタシは顧問として、彼に少しでも異常が見られたら、卓球をやめさせるべき立場デス」


 組まれた手に力がこもる。

 眉間にシワを寄せ、ロベルトは話し続けた。


「正直に言えば、きつい立場デス。

 ワタシの判断ひとつで、ヒメ君の命がおびやかされるかもしれマセン。

 それ以上に、ワタシの判断ひとつで、彼から卓球を取り上げることになるかもしれマセン。

 本人の言葉を信じれバ、卓球をやめるとむしろ命の危険が増すというのデスから、難しい話デスよ」


 しばらく、二人は沈黙した。

 卓球台と選手四名をながめ、ややあってパンダ先生は、口を開いた。


「その難しい立場を、ロベルトは、逃げずにこなそうとしているんだね。

 とても立派だと、僕は思うよ」


 ロベルトは悩ましげな顔を向け、それからゆるりと、笑ってみせた。


 スタッフがドリンクを配りに来た。

 二人にペットボトルを手渡して、すぐに他へと駆けていくのを、パンダ先生らは見送った。


「大変そうだね。

 僕らもあの四人だけじゃなくて、部員全員を見ないと」


「自分の学校のトコロに戻らないとデスね」


「ロベルト、生徒みんなを見ながら、ヒメ君たちを気遣うの、大変じゃないかい?」


 ロベルトはそこで、強気な表情を作ってみせた。


「センパイの無茶苦茶なトリックショットに付き合うのと比べたら、ワケないデスよ」




 第三ゲームが終わり、ソルトとペッパーはベンチに戻り。

 タオルを拾い、口に押し当て、そしてあふれる気持ちが叫びとなった。


「うおおおおオオオオォーッ!!」


 せめて大音響で響かせまいとするタオルの抵抗は、声にくぐもりを与えたものの、観客席に届かないほど低い熱量ではない。


「取った、取った、取った……!

 これで二ゲーム、あと一ゲーム取れば、オレたちの勝ちだ……!」


「これを目指して頑張って来たんだが、いざ勝利が見えると、こんなにも震えてしまうなんて……!」


 見開かれた二人の目は、涙で濡れている。

 まだ試合は終わっていない。ここから逆転されるなどざらに起こることで、喜ぶには早すぎる。

 だからどうした。理性で分かっていようが、心がこんなに震えるのは、理屈で抑えられるものか。


「イケるぞ、イケるよなペッパー……!

 勝ちが見えてきたよなペッパー、勝てるよなペッパー!?」


「当然だソルト、そのための頑張りで、それが実を結んでるんだろソルト……!

 なあソルト、そんなに震えるなよソルト、いつもみたいに強気でいて、ボクを引っ張ってくれよソルト……!」


 互いに震える手を伸ばし、指を絡めて、握る。

 震えを止めようと握りしめ、結局その力もブレて震え続け、止まらない。

 緊張と興奮にあえぐ吐息が、熱い。


「はは、ペッパー、なあ情けねぇな、こんなにブルっちまうなんて。

 でもクソアホゲロほど満ち足りてら、メチャクチャ気分がいいんだ……!

 ありがとなペッパー、テメェがいたから、ここまで来れた……!」


「それはボクのセリフだソルト、キミに出会っていなかったら、ボク一人でこんな戦いができると思ってるのか?

 本当に、最高だソルト、キミと出会えて、ダブルスができて、こんな戦いができるなど……!」


 震えながら、互いの顔を見つめ、笑う。

 そして意を決し、手を離し、汗を拭き、ドリンクを飲み、置き、同時に叫んだ。


「絶対に勝つッ!!」


 きびすを返し、卓球台へと、戻る。




 ガーディアンは汗を流しながら、自分の手のひらを見つめ、震えた。

 勝ちたい気持ちの高揚が、汗の白い蒸気に混じって立ち上るのが、目に見えるようだ。


 背中に軽く手を置かれた。ヒメ。

 ガーディアンは振り向き、謝った。


「ごめんヒメ、勝てなかった」


「何言ってるのよ」


 止まらない汗を流したまま、ヒメは穏やかに微笑んだ。


「ここから二ゲーム取ればいいだけ。

 今のゲームを落とした代わりに、ガーちゃんはかけがえのないものを見つけた。そうでしょう?」


 ヒメの笑顔に、ガーディアンは泣きそうな顔をした。


「ヒメ、ありがとう、ごめん、ぼく、勝ちたいよ。

 ヒメやリッカのことよりも、何よりもぼく自身が、勝ちたいんだ。

 ぼくはもう、なんにも遠慮できる自信がない……!」


「それでいいの」


 ヒメは穏やかだ。

 背中で渦を巻く死の瘴気すら安らかに感じられるほど、ヒメは穏やかに、言葉をつむいだ。


「それでいい。ガーちゃんはなんにも、縛られなくていい。

 あたしが死に屈しないのと同じように、ガーちゃん、あなたは自由なの」


「ヒメ……!」


 ガーディアンは涙を流し、湧き上がる気持ちを吐き出した。


「ぼく、勝ちたいよ……!

 誰にも負けたくない、今この試合を、ぼくは絶対、勝ち切りたい……!」


「ええ、ええ」


 ヒメは優しく微笑み、それから、卓球台の向こう、相手ベンチに顔を向けた。

 その顔はもう、殺意の塊の笑顔だった。


「絶対に、勝ちましょう、あたしたち二人が」


 膨らむ殺意が、スポーツセンター全体をわずかに揺らすような、錯覚があった。


 汗を拭き、ドリンクを飲み、準備する。

 空調のキャパシティを超えた熱気が、室温を徐々に上げ、この閉鎖空間に地獄を顕現させようとしていた。

 第四ゲーム開始、最初のサーブはガーディアン、そして。


 ガーディアンは、光を放った。

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