クライマックス、フェーズ1

第26話 一年ぶりのゲームマッチ

 豪雨であった。


 天井越しに響いてくる雨音に包まれながら、スポーツセンターはすでに、これから始まる大会への期待で、熱気に満ちている。


 炎陽高校顧問のパンダ先生は、眼鏡と筋肉輝く男性と、ふわふわのくせ毛の女性に、挨拶を返した。


「やあ、ハカセ君、ナル君。久しぶりだね。

 大学生活はどうだい?」


「おかげさまで、いい同志にも恵まれて、楽しく頭脳と筋肉の追究をできていますよ」


「えへへー、とっても楽しいですよ。

 卓球のサークルなかったんで音楽鑑賞サークルに入ってますけど、みんなでコンサート聴きに行ったりとか充実してます」


 パンダ先生といくらか喋った後、ハカセとナルは連れ立って歩き、会場を見て回った。

 ナル――佐藤さとうナル、ハカセのガールフレンドは、しみじみと漏らした。


「いやー、やっぱりこの大会はいいねえ。お祭りって感じがする。

 インターハイのピリッとした雰囲気もあれはあれで好きだけどね、わたしはやっぱりにぎやかさとバチバチ感があるこっちが好きだなー」


「飾りつけも景品も、年々派手になってますしね。

 見ましたかナル、今年のぬいぐるみ、あれどうやって持って帰らせるつもりなんでしょう。

 バスで来てる人、ドアを通れませんよ」


 ナルはへにゃへにゃと笑った。

 それから、ふと遠い目をして、言った。


「シノブ君、来れないんだよね」


「……仕事が忙しいそうです。

 仕方ありませんよ。私たちとは、環境が違います」


 眼鏡を直しつつ、その奥のハカセの瞳も、残念さがにじみ出ている。

 その表情をちらりと見つつ、ナルはつとめて明るく言った。


「じゃーあー、シノブ君の分まで、わたしたちが応援したげないとねー」


「ええ。夏休みの間、全身全霊をかけて、彼があの二人を鍛え上げたんですから。

 ぜひとも勝って欲しいですし、成長ぶりを堪能したいですね」


「にひひー、わたしが応援したら、ソルト君、どぎまぎしちゃわないかなー。

 そしたらハカセ、ソルト君に嫉妬しちゃうねー」


「しませんよ。そんな狭量ではありません」


「にしし、ホントかにゃー?」


 からかい合いながら、ナルは後ろめたさを胸の内に隠した。

 自身の存在が、ハカセとソルトの関係性を気まずくさせているという負い目があった。

 一方で、ソルトが自分を追いかけて来たからこそ、ハカセとの縁ができたという誇りもあった。


(だから、よかった。

 わたしがいたからつながった、それが彼らにとって幸運だと、信じるよ)


 成せば成る成る佐藤ナル。

 それが彼女の、座右の銘だ。


 談笑を続ける二人と、長い銀髪の男はすれ違った。

 銀髪の男――ユキドリは、落ち着かなげにきょろきょろした。


「うーん、やっぱり場違いかなー、黒染めした方がよかったかなー。

 リップはおとなしい色にしたし、服も一番地味な黒ずくめにしたけど、やっぱり浮くよなー。

 会場の設営を見たらイケるって思ったけど、やっぱスポーツ少年たちの場だもんなー、こんなチャラけた見た目の人間いないよなー。

 うーん、帰ろうかなぁ」


 弱音を吐いたユキドリは、そこでパンパンと自分のほおを叩いた。


「ダメだろー弱気になっちゃ。ソルト君とペッパー君を応援するんだ。

 曲がりなりにも二人を特訓した、言ってみれば指導者の立場なんだ。しっかりするんだ。

 それに……やっぱ、見たいよな。大会で、あの二人がどんな卓球をするのか」


 ユキドリは気合いを入れ、観戦スペースの確保に向かった。

 そこで見知った顔を見つけ、なんとなく顔を合わせるのが気まずくて、気づかれる前にそそくさと去った。


 そんな様子を知るよしもなく、ユキドリが見つけた人物――ソルトの妹・マァリは、入り口の方をながめていた。


「お兄ちゃんとペッパーさん、遅いなぁ」


 ウォーミングアップをしてから行くと言って、早々に家を出るソルトを見送ってから、もうどれほど経っているか。

 結局マァリの方が先に来ていて、開始時刻が刻々と迫っている。


「遅刻して失格とか、そんなことしないよねぇさすがに。

 そもそもこの雨で、どこでウォーミングアップなんてしてるんだろう?」


 入り口から視線を外し、反対側、壁にかけられた時計を見る。

 開始時刻まで、もう一分前に迫っていた。

 他の人々も、開始を待ちわびて、視線を時計に集める。

 結果的に、入り口から、多くの人が背を向ける状況だった。


 唐突に開け放たれた入り口から、ジャングルと錯覚するような熱く湿った空気が流れ込んだ。

 その風に背をなでられた人間は振り返り、そしてぎょっとした。


 雲が、流れ込んでいた。


 見た人間は最初、この豪雨が雲ごと降ってきてきたのかと思った。

 しかし目を凝らして見れば、その白い雲の中には、二人の人間がいた。


 銀髪の男。

 黒髪の男。


 それは熱くほてる二人の肌から、汗が流れ、蒸発し、すぐに凝結してできた、汗の雲だった。

 充分なウォーミングアップを経た二人の――ソルトとペッパーの、戦意の結晶だった。


 二人の侵入に呼応するように、最奥の端から殺気が飛んだ。

 あまりの気配に人々が飛びすさり、モーセの海割りのごとく道が開き、ソルトとペッパーの視線の先に、その二人の姿があらわとなった。


 小柄な男。

 大柄な男。


 タールのように黒くどろりとした死の気配を身にまとい、その二人は――ヒメとガーディアンは、射殺すような視線を返した。

 視線を真っ向から受け、ソルトが鼻で笑い、口を開いた。


「よぉ。久しぶりだな」


 にたりと口角を上げ、ヒメが、そしてその後ろに続きガーディアンが、歩み寄った。

 歩むたび、死の気配が、清流に垂れ流された墨汁のごとく、広がった。

 ぱきり、ぱきり。

 誰かが落としたピンポン玉が、死の瘴気に屈したように、ひとつ、またひとつ、割れた。

 白い熱気と黒い殺気が触れ合うほどの距離まで来て、ヒメは唇を割り、言葉を吐いた。


「ええ、本当に。

 会いたくて会いたくて、死ぬかと思ったわ」


 互いの気圧で押し合い、渦を巻く白と黒の気流が、こすれ合って、赤くきしみ、血の香りをさせた。


 マイクのハウリング音。

 奥のステージ上で、スポンサー代表、旋風つむじかぜ嵐太郎らんたろうが、挨拶した。


『チャーオ、熱き若人の諸君ンン!

 ぶつかり合いたいだろう、戦いたいだろう、自分のすべてをさらけ出したいだろう!

 ここはそのための場だ! 熱き戦いの舞台だ!!

 キミたちの全力を、真の姿をッ!!

 この大会で、さらけ出しちまおうぜィエエエィアォッ!!』


 大会が、始まる。

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