魔族の勧誘
コンコン
心地よい朝だというのに来客のようだ。アリスなどやや憤慨しながら玄関を開け放った。そこには鱗の生えた皮膚に魚のような顔をして二足歩行している人……いや、魔族が立っていた。
「賢者様、今少しよろしいですかな?」
あくまでも物腰は柔らかにそう言った。
「ダメといったら?」
「はてさて……困ってしまいますな……ご都合が良くなるまでこのあたりで
魔族は人間を食べる、忌々しいことだがこの魔族は俺たちに脅しをかけているのだ。
「分かりましたよ、家の中で話をしましょうか」
「物わかりのよろしいことだ、賢者様は長生きしそうで何よりです」
そう言いながらさっきまで水中にいたような姿をした魔族は家の中へと入ってきた。
「いやあ、人間の家に入ったことなど何年ぶりですかなあ……」
アリスは毅然として言う。
「余計な御託は無しにしましょう。用件はなんですか?」
「まずは自己紹介といきましょうか。私はブレロ、魔王軍の参謀をやっておりましてな」
「それはどうも、私はアリス、この村で農業をやっています」
ブレロは驚いた顔をした。
「おや、ここが賢者様の家だと聞きましたがな」
「賢者なんてものは勝手に皆さんが言っているだけです。私はただの農民のお兄ちゃんの妹です」
その言葉にブレロは戸惑った様子だったが、一応アリスが賢者と判断したらしくそのまま話を続けた。
「単刀直入に言いましょう、魔族に付く気はありませんかな?」
「無いですね、ゼロです、微塵も存在しません。今なら妄言ということで無事に返してあげますからもう顔を見せないでもらえますか」
にべもないアリスの反応にブレロはまだ交渉を続ける気持ちを失っていないようだ。
「しかしですな……我々の計画では魔王様の復活まであと一歩のところまで来ているのですよ。人間などになすすべがあるとも思えませんがな……ここで我々に付いた方が得だと思いますぞ?」
「余計なお世話ですね、私は私とお兄ちゃんさえいれば人間がどうなろうと魔族がどうなろうと知ったことではないのです」
ふむ……と小声で言ってブレロは何か考え込んでいる様子だ。そして手をポンと叩いていった。
「あなたを敵に回したくはないですがな、一ついいことを教えておきましょう。魔族において婚姻関係を結ぶのに一切の規制はないのですよ。何しろ人間との戦争で数が減りましたからな、繁殖のために手段は選べなかったんですぞ。つまりは……もうこれ以上いう必要もなさそうですな」
アリスはその言葉に少したじろいでいた。鋼のメンタルのアリスにしては珍しいことだった。魔物を平気で狩っていくアリスだが何故か先ほどの言葉には動揺している。
「まあ、魔王様の召喚の儀ももうしばらくかかることですし、色よい返事を期待しておきますぞ?」
そう言って黒い煙と共にブレロは消えてしまった。後には奇妙な形をした足跡が残っているのみだった。
「何も規制が無い……ふむ……」
「アリス? 大丈夫か?」
「へ!? ああ、大丈夫です。アイツも答えは急がないそうですし放って置いてもいいんじゃないでしょうか?」
「断らないのか?」
アリスだったら即お断りしてもおかしくない交渉だったはずだが。
「まあ……お兄ちゃん次第ってところですね。お兄ちゃんがもう少し硬い意思を持っていれば迷わなかったんですがねえ……」
「何を言ってるんだ?」
アリスは困り果てたような顔をして言う。
「お兄ちゃんがそんなだから私が困るんですよねえ……」
やれやれと肩をすくめてアリスは部屋に戻っていった。人の心は分からないな……
なんにせよ、俺はいつもの仕事をするとしようか。
畑に農具一式を持って歩いていく、道具がこんなに重かったなんて収納魔法に頼っていたせいですっかり忘れていた。アリス頼り一辺倒の生活を送っているといつか苦労することになりそうだ。
畑についてふと思い出す。そういえばあの魔族に水掻きは付いていただろうか? もしアイツがずっと俺たちを狙っていたなら?
いや、俺は関係ないはずだ。あくまでもアリスを引き入れることが目的なのだろう、俺を仲間にする意味なんて無いはずだ。
そう考えながら畑を見渡すが変化しているところはなかった。俺は一人で畑仕事をするのが寂しく思えて投げやりに種芋を埋めて帰宅することにした。どうせ明日には畑に芋が大量にできているんだ。
なんだか言い知れない寂しさを感じながら帰途についたのだが、ポータルって便利だったんだなあと思い知らされたのだった。
帰宅後、アリスは相変わらず部屋にこもっていた。俺は夕食を作ることにした、多分アリスもこの様子じゃあ作る気は無いのだろう。なに、昔は俺が料理も作っていたんだ、その頃と同じになるだけじゃないか。
自分で料理を作っているとアリスがまだ小さかった頃を思い出した。その頃アリスが好んで食べていた肉を焼いて調味料を振る。当時はロクに調味料も無いのにアリスはいつも喜んで食べてくれていた。そんな昔の思い出を振り返りながら料理を皿にのせてアリスを呼びに行った。
「アリス、晩ご飯ができたぞ」
「はい、すぐ行きます」
やはり元気が無い様子でそう答えてきた。
料理の前でしばらく待っているとアリスがやってきた。
「お兄ちゃん……私は……」
「細かいことは言いっこなしだ。とりあえず肉を食って元気を出せ」
「お肉ですか……」
「ああお前が好きだった料理だぞ。昔は随分喜んでたろ?」
アリスは微笑んで頷いた。
「そうですね! 余計なことは考えずに食べるとしましょう!」
もしゃもしゃと勢いよく肉にかじりつくアリス。やはり美味しいものを食べると悩みなんて消えてしまうのだろう。だんだんといつもの調子に戻っていった。
「お兄ちゃん……お兄ちゃんは私がどうするべきだと思いますか?」
「俺は……そうだな、アリスがどんな風に決めるにしても最後まで付き合ってやるよ」
キョトンとした後でアリスは大笑いをした。
「ハハハ……なんだ……そうですか! 私としたことが、悩むことなんて何も無いじゃ無いですか! どうやったってお兄ちゃんがいてくれるんじゃないですか!」
俺はよく分からない顔をしているだろう。アリスが楽しげに食事を食べ始めたのを見てなんだか上手くまとまったのだろうと思った。
そうして翌日、魔族のブレロは早朝からやってきた。
「やあやあ、朝早くからすまないね、賢者様、答えはどうかな?」
「ふん、お断りですね! 人間やめなくてもお兄ちゃんは手に入るみたいなんでね」
「なるほど、後悔しても知らんぞ?」
アリスは迷い無く言う。
「はっ! 私たちに好待遇を提示しなかったことを後悔するのはあなたたちですよ」
「言うではないか! いいだろう……きっと後悔するぞ」
「うるさいですねえ……私を引き入れたいんだったらお兄ちゃんを狙うべきでしたね、私はもう迷いませんよ」
「ふん……」
ブレロは黒い霧になって霧散した。一体何を考えていたのかは分からない。とにかく魔族がアリスを引き入れようとしたことは失敗に終わったことがハッキリしたのだった。
「じゃあお兄ちゃん、畑に行きましょうか!」
こうして俺たちはいつも通りの楽ちん農業を続けるのだった。
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