第11話 平穏な日々
それからしばらくして、佐川は日常の解放感に気づいた。
友則からの絡みが激減していたのだ。相変わらず連絡は密だが、すべてが薄くなった。あまりの変わりように、佐川が「落ち着いたな。」と確認するほどであった。落ち着いたもなにも、いままでが異常であったのだが、もうなにが普通かわからない。
「アンタが嫌でも一緒に居てやると思っていたが、俺が、嫌な女性に付きまとわれたら、と、アンタの立場で考えた。俺がバカだった。」
至極当然なことを言う友則には拍子抜けしたが、実際このところ職場でも忙しそうだった。
よくよく見ていると、会社の一社員としての仕事のほかに、「三井友則」として、各所に顔を出したり、来客を出迎えてアテンドしている様子が佐川にも分かるようになった。どう見てもVIPの外国人の女性、年配の男性、若い女性、若手の起業家風男性、年齢も国籍も様々な人々にそつなく対応している。ここは海外事業を展開している部門の会社ではないので、グループ全体の関連事業の提携先や顧客なのだろう。よくもまああんな育ちも文化も違って、それぞれに卓越した人間たちを、朗らかにスマートにエスコート出来るものだ。佐川は自分との立場や世界の違いを実感させられる。
一方で、同僚とはぎくしゃくして、意志の疎通もうまくいっていないのはどういう仕組みなのか友則に問い詰めたいとも思う。
さて、そんな一人の男への謎の執着熱が、冷めて落ち着いたかのようにみえる友則だが、それでも少なくても週に一度は、帰りに佐川と食事を共にする。休日に二人で出かけることもあった。
「いやいや、まだ会い過ぎだろ。」
自分にそう言い聞かせるが、常識的な距離間での存在としての友則を、佐川は少し物足りなくも思った。
しかし、突然・急・アポなしという状況への対応がなくなったので、佐川は自分の生活のペースが戻った。手持無沙汰な夜は、勝手知ったる住み慣れたジャングルに繰り出して、思う存分己の牙を研いだ。
「リョウヘイさん、最近おとなしいね。ちょっと前までモッテモテのアリゲーターみたいだったのに。」
佐川はカウンターでトムコリンズを飲む。マスターと、しゅうちゃん、その隣にしゅうちゃんの仲間がいる。
「アリゲーターって、なんやねん。そういえば、こう、なんか物足りないんだよな。旨い肉の味を知っちゃって、普通の肉に手が出なくなったような。」
「なんなん、ええ男見つけて、いままでの男は用済みっていう言い方ぁ?」
たとえ話だと勘違いされて、佐川はあわてて説明する。
「っちゃうねん。ホントの肉の話。神戸牛食べたら、肉の概念変わって、他の肉はわざわざ食わんとこって、節制してる話やねん。」
ええ男、と言われた時に、佐川は友則が思い浮かんだ。ショータより先に、だ。
「ふーん…」
「一緒やん。いいモンしか食いたくないちゅう話やろ。」
「まあ最近前ほどモテとらんもんな。」
「えっ。」
「リョウヘイさんは優しいけど、心開かんもん。ベタベタせえへんし、つまらんわ。満たされんちゅうか。」
佐川だってそうだ。もてあます長い夜に張りきって繰り出すのは、満たされたいからだ。
これまで、付きまとわれていた友則の目を盗むようにして繰り出した夜遊びが楽しくてたまらなかった。しかしいざ解放されると、充足感がない。
友則は、いないから。
今はその、空いた時間を埋めるために遊びに出て空回りしている。
「俺こういうの、初めてなんだよな。」
釈然とせずにぼやく佐川に、マスターは不思議そうだ。
「アナタだって恋人見つけに来てるんじゃないの?」
恋人。佐川は衝撃を受けた。「恋人」。そんなもの、自分にはいなかった。だって、恋人扱いしていた10年来の親友は、実際恋人ではなく、結局フラれて離れてしまった。佐川には、恋人など、いたことがなかったのだ。
「あっ…。」
佐川は久しぶりに泣きそうになった。
強く相手を思う気持ちがあったにも関わらず、あいまいに、伝えず、楽な関係がいいと言い聞かせ、ついに行き場を失った、虚しい自分の長年の想い。
そこに突然現れて付きまとうようになった男は、その心の傷の癒しになり、いつのまにか支えになっていた。
その支えは、佐川の意思に従うものではなく、自分の意思を持っているのだ。
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