第13話 転機


「姉上ー、今日は冒険者やりますか?」


「やるっ!」


 二つ返事で手を挙げるドリアに、リカルドは苦笑した。


 満面な笑みのドリアと冒険者装備に着替えて、二人は街へ繰り出していく。


 両腕をピーンと伸ばし、ドリアは窮屈な御貴族様を脱ぎ捨てた。


「あーっ、ひっさびさだわ」


「ですねぇ。あ、屋台で何か買っておきましょう」


「うんっ」


 リカルドは時々こうしてドリアに息抜きをさせてくれる。

 冒険者家業の長かった彼女に、王都のギルドで仕事をやらせてくれるのだ。

 心配だからとリカルドも冒険者登録済み。

 二人は楽しそうに肩を並べて、王都のギルドを目指し歩いていった。


 二人はリカルドの魔法で髪も眼も色を変えてある。黒い髪に茶色の瞳。以前リカルドが考案した変化の魔法だ。

 ただし周囲には秘密。これだけ見事に変色させる魔法は悪党に利用されかねないから。


 この色目のおかげで城下町では誰も二人を御貴族様とは思わないだろう。現に顔見知りになった冒険者らも、二人を姉弟だと信じている。


「ドリア、リカルド、久しぶりだな」


 ギルド受付の職員が二人に声をかけた。


「やっふぁい、ギデアス。何か良い依頼ある?」


 零れるように至福の笑みを浮かべ、如何にも楽しそうなドリアの姿に、リカルドの顔にも笑みが浮かぶ。

 こうした、不埒な下心のない人々との交流は、良い気分転換だった。


 そりゃあ、ここでも姉上は注目の的だけど、高嶺の花な感じで誰もちょっかいはかけてこないからなぁ。


 来ても蹴り倒すが。


 欲望、陰謀おてんこもりな社交界に比べ、バッサリ力の優劣で上下が決まる市井の暮らしは、リカルドにも一時の安息をもたらした。

 深く考えず、やりたい事がやれる。良い暮らしである。


「リカルドー、これにしよ?」


「キラーパンサーですか。少し遠くないです?」


「リカルドの異空庫あるし、身軽だから大丈夫しょ」


 にかっと笑うドリア。淑女の仮面など何処にもない。


 そしてリカルドは心底思う。


 この姉上に自分は惚れたのだと。


 もの言わぬ絵画の少女。肖像画なのに生命力溢れるその姿に魅入られ、今にも動き出しそうな彼女に熱心に話かけていた自分。

 あれは.... あの絵の魅力は、姉上の御祖母様もまた市井の出であったからだろう。


 この姉上は僕だけのもの。


 他の誰も知らなくて良い。この無邪気な姿はリカルドだけが知っていれば良いのだ。


 二人だけの秘密な遊び。こうしていられるだけでリカルドは、心の底から幸せを噛み締める。


 楽しい一時は瞬く間に過ぎ、翌日、二人は王宮から呼び出しを受けた。




「侯爵家が御取り潰しですか。思い切りましたね」


 冷めた眼差しで国王を見据え、リカルドは嗤いを噛み殺す。

 娘の暴挙を揉み消せず、侯爵は自ら爵位を返上してきたらしい。領地も返還し、辺境伯を頼って一家で身を寄せるのだとか。


 当の御令嬢は逆凪で死んでいるしな。


「返還された領地を今回の被害者に分けようと思ってな。侯爵令息と男爵令嬢にも。異論はないか?」


「ございません」


 国王陛下の言葉に頷き、リカルドは御前を辞した。


 そして継ぎの間に足を踏み入れた時。


 リカルドの目の前が真っ赤に染まる。


 そこにはドリアと、何故か王太子がいた。


 側近を連れ、ソファーに腰かけたドリアに話しかけ、にこやかな笑顔を浮かべている王太子。

 彼女は困った感じでやや眉を細め、リカルドがいる事に気がついた途端、眼を輝かせた。


「リカルド。国王陛下のお話は終わりまして?」


 ドリアは助けてと言わんばかりに立ち上がり、リカルドの元へやってくる。

 それに笑みを返し、リカルドもドリアの横に寄り添った。


「はい。飛び地で領地が増えるみたいです。今度、視察に参りましょう」


「そうですか。楽しみにしていますね」


 ゆったりと会話する二人に、件の王太子の側近が近寄ってくる。

 彼は王太子の幼馴染み。宰相の息子でアンドリウスと言う名前だった。

 オレンジに近い茶髪と灰青色な瞳。王家に近い血縁者で、貴族にありがちな美貌で、御婦人方から熱烈な視線を集める中々の貴公子である。


「ミッターマイヤー公爵閣下。王太子様より昼食の御誘いです。是非ともお越し下さい」


 側近の言葉にリカルドは王太子をチラ見した。


 薄く笑みをはき、悠然と佇む彼の顔から真意は読み取れない。


 だが断る訳にもいかないか。


「喜んで。御無沙汰しております、殿下」


「久しいな。息災で何よりだ公爵」


 リカルドと挨拶しながらも、王太子の視線はドリアに向いている。

 淑女然としつつも、内心、彼女が困惑しているのをリカルドは感じ取った。

 今までキチンとした距離感を心得ていたはずの王太子の急接近。何かが起きたとしか思えない。


 食事をとりながら、リカルドは注意深く周囲を窺っていた。


 そんなリカルドに気づきもせず、王太子は目の前のドリアに夢中である。

 市井で暮らしていたと聞くが、その美しい所作や完璧な礼儀作法に問題はない。

 滑るようなカトラリーの動き、微かな音もさせぬ淑やかな振る舞い。

 自分の食事も忘れ、うっとりと見とれる王太子を、アンドリウスが後ろから突つく。


 はっと我に返り、慌てて王太子は人好きする笑みを浮かべた。


「綺麗な所作ですね。さすが公爵令嬢です。教育が足りないので社交を遠慮していると聞きましたが、これならもう十分なのでは?」


 言外にリカルドへの非難を込めた王太子の言葉。


「畏れ入ります。しかし、社交は作法だけで務まるものではありません。市井の暮らしが長かった姉上は、言外を読み取る事に疎い。人の悪意にも鈍い。あらぬ言質を取られぬよう、社交は控えております」


 今のようにな。と、リカルドは軽く眼を細めた。


「なるほど。しかし、それでは御令嬢のためになるまい。経験が浅いのならば、むしろ蓄えねばならぬだろう?」


「必要ごさいません。姉上は僕が全力で守ります。既に婚姻が決まっているのですから、社交は僕が全て引き受けます。姉上は....サンドリヨンは心安らかに暮らしていれば良いのです」


 リカルドが慈愛に満ちた眼差しでドリアを見つめる。それに笑みを返し、彼女も親愛のこもった眼差しでリカルドを見つめた。


 言葉にする必要もない。


 二人の間に流れる親密な空気は、誰にも侵す事の出来ない、まことしやかな雰囲気を醸し出していた。


 カトラリーを握る王太子の指に、思わず力が入る。


 真綿でくるむように愛おしんでいるのだと、あからさまに見せつけられた。

 彼女もそれを享受し、欠片の疑いもなく身を委ねている。

 頭一つ分の身長差がある二人でなくば、さぞお似合いのカップルだった事だろう。


 挑戦的な光を眼に浮かべ、リカルドはドリアを伴い王太子の前を辞した。


 残された王太子は、思わず脱力し、テーブルに突っ伏す。


「完敗だな」


「言うな」


 幼馴染みが溜め息のように呟いた。


 探りのつもりで誘ったのに、痛恨の一撃を食らうとは。


 リカルドが優秀な魔術師である事は知っている。領地経営にも問題はなく、見てくれが十歳程度にしか見えなくとも中身が十五歳の男子だという事も。

 それでも、あの身体では彼女のパートナーを完全に演じ切る事は不可能だ。

 そこを突き、社交界で彼女と懇意になろうと画策してみたが。


 見事に撃沈。一刀両断に切り捨てられた。


 既に結婚する事が決まっている二人に付け入る隙はない。むしろ、社交は不要、彼女に負わせる苦労は全て自分が引き受ける。一切の苦労はさせないと、あの公爵は言外に言い放ったのだ。

 高位貴族であれば、奥方とて社交や親交で力をつけ、夫の助けとならなくてはいけない。


 だが、彼はそんなものいらないと言い切った。


 わずらわしい事や苦労は全ては自分が背負い、彼女には心安らかな平穏のみを与えると。


「見てくれはアレだけどさ。男前だな」


「.....ああ」


 あれでは、まさか、妃に望まれているのだとは口が裂けても言えない。

 妃。それも王太子妃となれば苦労と努力と研鑽の毎日だ。無論、十分に労り支えるつもりではあるが、あの溺愛ぶりから見れば、寝言は寝てからほざけと言われる事だろう。


 王太子は静かに眼を閉じた。


 だが、本当に彼女は公爵を愛しているのだろうか?


 あの姿形。まだ子供にしか見えない公爵が彼女の恋愛対象になるだろうか。

 貴族の婚姻は契約だ。愛情など必要ない。

 歳の差が二桁あるような夫婦もざらにいる。それを思えば可笑しくもないのだが。


 あの二人の間には、それを物ともしない親密さが窺えた。

 公爵が彼女に苦労はさせないと言い切った時、サンドリヨン嬢の頬に朱が差したのを王太子は見逃さない。


 まるで恋する乙女のような恥じらいがそこにはあった。


 可愛いすぎて、こちらが身悶えるほどである。


 ああああっ、あれを独占出来てるとか、公爵が羨ましく、妬ましい。


 陰謀渦巻く上流社会で、心の伴う婚約者なんて、滅多に巡り会えるものではない。


 テーブルでジタジタとバタつく王太子を見下ろしながら、アンドリウスは盛大な溜め息をついた。


 勝ち目ないだろう。


 他人事のように自分を見つめる幼馴染みに気付き、王太子は、じっとりと眼を座らせる。


 コイツ、他人事だと思いやがって。捲き込んでやるか。


「何とかして二人の仲に割り込むぞ」


「うえっ? 無理じゃね??」


 あれだけ見せつけられても、まだ諦めないとは。


「公爵が子供の見てくれな今がチャンスだ。大人の男性の魅力で彼女を落とす」


「あ~。まあねぇ。そういった免疫は無さそうだったし、効果はあるかもな」


 公爵家に引き取られてから二年。彼女は殆ど社交界に出てはいない。

 常に公爵と一緒で、あとは公爵家の使用人らだけの暮らしなはずだ。

 見目麗しい殿方らとは完全に隔離されている。

 きらびやかな知らない世界に心ときめかせ、甘く囁かれれば、彼女の心が動く可能性はあった。


 だからこそ公爵も彼女を社交界から切り離しているのだろう。彼とて危惧しない訳はない。


 アンドリウスは得心顔で頷く。


「じゃあ、おまえ主催で夜会でも開くか? 若い世代を中心に交流とか銘打って」


「良いな、それ。彼女に社交界を知ってもらい、世に男は星の数ほどいるのだと理解してもらわないとな。選ぶ権利は彼女にあるのだから」


 王太子は整った精悍な顔に人の悪い笑みを浮かべた。


 王子達の中でも一際美しい王太子は、そんな顔すら魅力的で、アンドリウスは大仰に肩を竦める。


 サンドリヨン。そう、この名前を持つ者こそが、全ての決定権を行使できる。


 彼のお伽噺に由来するこの名前は、唯一王族と対等にある者を示す名前だ。

 王にすら、その決定に異議は唱えられない。

 本来、嫡男に与えられるそれを、今回は御令嬢が持っている。


 現公爵は中継ぎ。実質、公爵位は彼女のモノだ。ならば彼女が選べば王太子にもチャンスはある。


 肝心なのは彼女の心。


 子供の姿なリカルドを脳裏に描き、王太子は獰猛に口角を歪めた。




「姉上、これ美味しいですよ」


 ところ狭しと並べられたスイーツからフルーツタルトを口にし、リカルドは切り取ったタルトをドリアにフォークで差し出す。

 それを躊躇う事なく口にして、ドリアは眼を見張った。


「本当ね。美味しいわ」


「姉上のも美味しそうですね。一口いただけますか?」


「ええ。はい、どうぞ」


 ドリアは食べていたカシスムースを切り取ると、そのままリカルドの口へ運ぶ。

 それを嬉しそうに食べて、リカルドも満面な笑みを浮かべた。


「美味しいですね、たまにはこういった街のスイーツも良いものです」


「そうね、楽しかったわ。また買い物にいきましょうね」


「ええ、で」


 二人きりで。


 御互いにアーンをやらかすバカップルのような二人。しかし、これはリカルドがそう誘導した結果だった。

 元々平民なドリアは、一口頂戴に抵抗はない。普通の家族ならば、同じカトラリーで食べ合うのも良くある事。

 その認識を改めさせず、リカルドは家族なのだからと、忌避感のないドリアに餌付けを成功させた。

 今では御互い当たり前のように、アーンと食べさせ合っている。


 通常の貴族から見れば異様な光景なのだが、幸せそうなリカルドを微笑ましく眺める使用人らは、何も言わない。


「お風呂に入ったら、もう寝ましょう。今日は疲れました」


「そうね。髪を洗ってあげるわ。お疲れ様、リカルド」


 微笑むドリアに邪気はない。


 子供姿のリカルドと入浴を共にしても、何の抵抗もないドリアに、彼の心には一瞬、どす黒い殺意が湧いた。


 この姿だから警戒されていない。


 それは理解できる。だが男としてみられていない。そこが忌々しい。


 その見てくれを利用して、あれやこれやとドリアとの生活を共にしているリカルドに言えた義理ではないのだが。


 同じ部屋、同じ寝台、入浴すら共にして、まるで本当の姉弟のような今の暮らし。


 僕の中身が十五歳だって事、完全に忘れていないですか? 姉上。


 ドリアに髪を洗ってもらいながら、リカルドは心の中で鈍感な姉を毒づく。

 しかし、それでも良い。こうして常に傍らにいられるのなら。


「姉上も髪を洗って下さい。僕が背中を流して差し上げます」


「ありがとう、リカルド」


 広い浴室に控える側仕え達。


 必要なら手を出すが、基本、彼女らは動かない。


 十五歳と十六歳の男女である。本来なれば有り得ない今の状況だが、彼女らの瞳は優しく、ただ暖かい眼差しで二人を見守っていた。


 平民暮らししかしてこなかったドリア。さらに十四歳という年齢からくる世間知らずも手伝い、家族だから、姉弟だからという説明に、そんなものかと今の現状を受け入れてしまっている彼女である。


 厳しい淑女教育と反対に、ゆるゆるな私生活。


 入浴を終えた二人は側仕えに着替えさせられ、そのまま寝台に潜り込んだ。

 同じ寝台に男女二人などと、市井でもあるべき状況ではないが二人は姉弟だ。

 姉上と一緒に寝たいというリカルドの我が儘を受け入れ、ドリアはずっとリカルドと寝台をともにしていた。

 さらには婚約者にもなったし、共にあるのが当たり前と、今までより更にリカルドはドリアを束縛するようになる。


 両親を亡くし、借金の返済に追われ、独りぼっちだったドリアに、リカルドの執着は嬉しい事この上なく、彼が言うならばと何でも受け入れていた。


「姉上。ずっと一緒にいてくださいね?」


 寝台に横たわりながら、リカルドは呟く。


「そうね。わたくしも.... ずっと一緒にいたいわ」


 真摯な弟の瞳に苦笑し、ドリアは小さく頷いた。


 最初のころは拘束が終われば平民に戻ろうとも考えたが、リカルドの心細やかな労りや、その寂しさによる執着や束縛を理解し、この弟を見捨てられないと思い始めている。


 あのお仕置きも、その執着の裏返しだろう。


 赤裸々な醜態をさらすまで許してはくれないリカルドのお仕置き。

 ああしなければ保てないほどにリカルドはドリアを求めていた。

 曖昧な意識の中でも、ドリアはリカルドの愛情を感じた。悪辣に貶めるのも自分が欲しい言葉を得たいから。


「ずっと一緒よ、リカルド。あなたといるのが嬉しいわ。幸せよ、わたくし」


 リカルドの瞳が大きく揺れる。


 それを抱き締め、胸に顔を埋めたリカルドの手が怪しい動きをするのに気がつき、柔らかく苦笑するドリアだった。


 歪で不器用な二人を、屋敷の使用人達が、ただ優しく見つめている。

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