第8話 自棄っぱちのシンデレラ ~終幕~


「うわぁ.... 夢じゃなかった」


 ドリアが目覚めたのは、天蓋つきの豪奢なベッドの中だった。

 起き上がり、そろそろとカーテンの隙間から覗くと、そこにはメイドらしき少女がおり、覗いているドリアに気付いて、ニッコリ微笑んだ。


「お目覚めになられましたか? ではおめしかえいたしましょう」


「へ?」


 何が何やら、さっぱりなドリアは、間抜けな返事をした。




「うん、これも。礼状はまかせたから」


 テキパキと家令に指示を出しつつ、リカルドはお茶を飲む。

 その彼の耳に、けたたましい足音と何人かの声が聞こえた。


「お待ちくださいっ」


「喧しいっ、ここだな?」


「あああっ」


 侍従らが開けるのももどかしかったのか、いきなり扉が開き、現れたのは美しい姉。

 その眼は爛々と輝き、言い知れぬ怒気を含ませている。


「何なんだよ、これは? あたしの服を何処にやった?」


 現れたドリアは、桜色のドレスを纏っていた。襟ぐりと裾に豪奢なレースがあしらわれ、胸下からビスチェ風のシンプルだが可愛らしいドレスだ。


「お似合いですよ、姉上。お気に召しませんか?」


 柔らかい微笑みを浮かべるリカルドに、ドリアはじれったそうな焦燥を顔に出した。


「そうじゃなくっ、あたしの服は? もう仕事は済んだだろう? 家にかえるよ。ジェフらは?」


 矢継ぎばやなドリアの質問に、少年は首を傾げる。


「帰れませんよ? ここが姉上の本当の家ですし。ジェフらには事情を説明して帰っていただきました」


「は?」


 言われてドリアは周囲を見渡した。


 豪華で品のある屋敷っぽいが、確かに昨日の王宮ではない。


「ここは王都にある公爵家の別邸です。別邸は複数ありますが、その一つ。静かで落ち着いた物を選びました」


 慣れないドレスで居心地悪気に佇み、ドリアは、あわあわと狼狽えた。

 それを盗み見ながら、リカルドの眼差しが酷薄な光を浮かべる。


 出逢ったのは偶然。しかし、彼はすぐに気がついた。


 祖父が終いの棲み家とした領地端の離宮には複数の絵が飾られていたからだ。

 娘を引き取った公爵が毎年描かせていた肖像画。


「これは誰ですか?」


 豊かなオレンジ色の髪の美しい少女。


「私の娘だ。もう何十年も前に家出してしまったが」


 切な気に眼を伏せる祖父の隣で、リカルドは夢のような肖像画に魅入られた。こんな綺麗な人がいるのかと。


 彼は一目で肖像画の少女に恋をした。


 幼いリカルドは胸を鷲掴みにされ、何かにつけては祖父の元を訪ねて肖像画の前に立つ。


「貴女はもういないのですね。何十年も前にか..... なぜ、僕は今ここにいるのだろう」


 もっと早く生まれていれば..... いや、公爵遠縁なだけの自分が彼女と出逢える機会はなかっただろう。父の生家は爵位もない末端だ。

 彼女が家を出たからこそ、自分はここにいるのだ。


 子供心にも肖像画の少女の虜となったリカルドは、祖父の元で領地経営を学びながら、物言わぬオレンジ色の髪の少女に傾倒していった。

 病的とも思える執着を育てながら、リカルドは伏した祖父に懇願する。

 爵位は継承しないかもしれないが、この屋敷と肖像画だけは自分に譲って欲しいと。

 すると祖父は快く了承し、昔話を始めた。


 話を聞いてリカルドは瞠目する。


 彼女の孫娘がいる?


 肖像画に魅入られてから数年。リカルドの仄かな恋心は見事な恋情に育っていた。

 無意味な肖像画への恋情は、そのままスライドし、何処にいるやも分からない娘へとシフトされる。


 そんな中起きた誘拐事件。


 袋から顔を出したリカルドは、思わず言葉を失った。


 肖像画に瓜二つな少女が目の前にいたのだから。


 生きて動く彼女。物言わぬ絵画に虚しく語りかけていた日々も終わる。


 逃がしはしない、絶対に。


 リカルドは、この感情が何というのか知らない。恋心というには殺伐とし過ぎている。

 快活に動き回る彼女を閉じ込め、繋いで、全てから隔離し、自分だけを見てほしい。

 他の眼に触れも触れさせたくもないし、彼女の全てをあます事なく自分の物にしたい。


 沸々と湧き上がるどす黒い感情を上手く閉じ込め、リカルドはオロオロと右往左往する愛しい少女に微笑んだ。


「これからは公爵令嬢として学んでいただく事が沢山あります。大丈夫、僕に任せてください」


 教えますとも、手取り足取り、じっくりとね。


 微笑む少年の邪気を感じ取ったのか、ドリアが顔をひきつらせた。


「いや....あたしに公爵令嬢なんか無理だって。相続? 辞退するわ、うん」


「それでも帰れませんよ。お忘れですか? 僕と専属契約を交わした事を」


「あ...」


 ニヤリとリカルドの口角が不均等に上がる。


「契約は有効です。向こう五年間、姉上は僕が拘束しています。嫌だろうと五年は教育を受けていただきます。一旦は僕が爵位を継ぎますが、いずれは姉上に御返ししたい。それまで、みっちりと領主教育、淑女教育をいたしますので御覚悟を」


 四面楚歌な状況を理解したのか、みるみるうちにドリアの顔から血の気が下がった。

 領主たるもの常に二手三手先を読み備えるものだ。

 世間知らずな冒険者を絡めとるなど造作もない。


 まだまっさらだろうドリアに、リカルドは仄暗い興奮を覚えた。

 自分好みな淑女に..... 自分がいなくば立ち行かない領主に..... そうしていずれは彼女の隣に立ちたい。


 己の思考の下劣さに反吐がでる。


 思わず顔をしかめるリカルドを余所に、ドリアは部屋の一角で山積みになった贈り物らしき包みに気が付いた。


「なにあれ」


 ドリアの視線の先を見て、リカルドは苦虫を噛み潰す。


「姉上への贈り物ですよ。皆様お耳が早い。公爵家直系の御令嬢が現れたと知り、面会やお茶会の申し込みなどが殺到しております」


 あたしへの?


 ドリアはマジマジと積み上げられた贈り物の山を見上げた。

 大小様々な包みが百はあろうか。知らず口の端をひくつかせるドリアに、リカルドはさらなる爆弾を投下する。


「姉上はお気になさらず。こんな物で姉上の関心を買おうなどと片腹痛い。礼状は執事達が書きますので。ただ....」


 少年は忌々しい顔で、贈り物の山の隣にある小さなテーブルを指差した。

 そこには小振りな包みと手紙があり、開封済みな手紙を持ち上げ、少年はドリアに渡す。


「こちらは王子からなので、姉上自身が礼状を書いて下さい。いずれお茶会でもとあります。.....これだけは断れません」


 他は断る気満々なんだな。


 じっとりと眼が座るのをドリアは止められない。


 本当に、何がどうしてこうなった。


 己の陥った現状を理解するが、何の手立てもない。何をどうしたら良いのか、皆目見当もつかない。


 半ベソをかくドリアをソファーに座らせ、リカルドは目線を合わせて彼女を見つめた。


「大丈夫です。言ったでしょう? 姉上は僕が守ります。何も不自由はさせません。姉上が嫌ならば王族だって敵に回してもかまいません。心安らかに暮らしてください」


 僕の隣で....


 真摯な少年の眼差しにおされ、ドリアは頷いた。


 右も左もわからない上流社会。ドリアにとって、唯一の頼りは目の前の少年だった。

 心細気な顔で頷く少女が、堪らなく可愛らしい。

 既にリカルドへ依存の片鱗を見せ始めたドリアに、彼の心の中にはどす黒い歓喜が吹き荒れる。


 まだだ。まだ.... 慌てず、じっくりと。


 逸る心を抑え、リカルドはドリアの手をとると口付けた。


「貴女を一生守ります。愛おしい姉上」


 蠱惑的な光を携え、優美な笑みを満面に浮かべるリカルドに、ドリアは再び小さく頷いた。


 彼の奥深くに眠る残忍で独善的な恋情も知らずに。




 それから一年。


 十五歳になったドリアは、先日の新年舞踏会で社交界デビューした。

 噂に聞く公爵令嬢の初の御披露目に、貴族らの関心は高く、現れたオレンジ色の髪の少女に固唾を呑む。

 リカルドにエスコートされ、国王に挨拶し、ファーストダンスを王子に踊ってもらった美しい少女は、社交界を震撼させた。


 王家につぐ権力を持つ公爵家に妙齢の乙女が現れたのである。これを看過出来ようはずがない。


 しかも見目麗しく、優美な物腰。しっとりと上品に佇むその姿は、未婚の貴族男性らから熱い視線の的となった。


「あれを隠しておられるとは...... 公爵様もお人が悪い」


「いや、だからこそでしょう。御覧なさい、見事な王家の色だ。どんな手を使ってでも欲しいと思う輩が出るのは間違いない」


 本家である国王や王妃すらどよめきに参加していた。


 リカルドは大きく舌打ちする。


 平民出だからと一年も何処にも出されず、まだ淑女教育中ですと王族からの招待をも突っぱねて、リカルドは頑なにドリアを人目に触れさせなかった。

 しかし社交界デビューはスルー出来ず、致し方無く万全を期して赴いたのである。


 その美しい顏に黄昏色の瞳。結い上げられたオレンジ色の髪には意匠の凝った金細工の髪飾りが飾られていた。

 他の装飾品も全て大粒のアクアマリンを添えた金細工。


 彼女と踊りながら、王子はリカルドを見る。


 その瞳は射殺さんばかりの殺意を込めて炯眼に王子を見据えていた。


 なるほど?


 アクアマリンを座した金細工。これはリカルドの色だ。


 己の物だと主張する、あからさまな装飾品。


 本来なら自分がファーストダンスの相手をしたかったのだろう。しかしリカルドと彼女は頭一つ分の身長差がある。


 泣く泣く諦めたというところか。


 人の悪い笑みを浮かべ、王子は一年ぶりに再会した美しい少女とのダンスを楽しんだ。




「十三歳??」


「はい」


 驚くドリアに、リカルドは苦笑する。


 魔力が高い者は老化が遅い。つまり実年齢より、かなり若く見られるのだ。

 リカルドの外見は十にも満たない子供のようだが、実は十三歳。既に社交界デビューもしており、貴族の学院にも入学済である。


「いずれ姉上も高等部から学院に入学せねばなりません。礼儀作法に問題はありませんが、学術や教養など学ぶ事が沢山あります。頑張りましょうね」


 学院は初等科、中等科、高等科に分かれ、ドリアは十六歳から高等科へ入学が決まっているらしい。


「さあっ、やる事は山積みですよっ、あと二年のうちに十分な教養と学力を身につけないとっ!」


 微笑む義弟が悪魔に見える。


 新年舞踏会を震撼させたサンドリア・サンドリヨン・ミッターマイヤー公爵令嬢。平民から彗星のごとく現れた彼女を、人々はシンデレラ・ガールと呼んだ。


 小さな子供から未婚の淑女まで、誰もが憧れるお伽噺。


 しかしドリアは思う。シンデレラは本当に幸せだったのだろうか。


「そこっ、肘の角度が違います。相手の位階によっておじきの角度も変わりますから御注意ください」


「算術や語学に問題はありませんね。あとは歴史と外国語と....」


「お茶会、夜会、晩餐会。各々しきたりやマナーがございます。良く覚えてくださいね」


「ダンスは姿勢です。姿勢が良ければ、大抵のミスはフォロー出来ます」


 居並ぶ教師陣に山積みの教科書。朝から晩まで、毎日毎日授業漬け。


 きっと物語のシンデレラも、めでたしめでたしでは終わらなかったはずだ。


 平民から上級貴族になるだけでもこの有り様なのだから。


「姉上、領地経営の時間です。始めますよ」


 領地経営を教えているのはリカルド。


 ドリアの心の中で、バツンっと大きな音がする。冒険者家業で培われた忍耐も限界で、ぶち切れた。


「やってられっかぁぁぁーっっ!!」


 シンデレラなんて、糞食らえだっ!!


 灰かぶり姫シンデレラ。またの名をサンドリヨン。


 公爵家直系につけられるサンドの頭言葉が、実は彼のお伽噺から来ている事を彼女は知らない。




 二千二十一年 三月十五日 脱稿

                  

     美袋和仁

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る