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 左右に背の低い建物が延々と立ち並んだ、石畳の道を歩く。壁の木目、格子窓の隙間から洩れ出すあかり、ときおり頭上に現れる緑……露店の密集していた一角から少し離れた場所を、私たちは進んでいた。人通りが少ないせいか、道が幅広く感じる。そしてやたら、十字路や丁字路が多い。

「〈金魚辻〉って地名なの?」とふと思い付いて問う。

「地名じゃないけど、この一帯には確かに四つ辻が多いね。大通りでも縦横六本。ちなみに市の名前はね、主が付けるの。〈金魚辻〉なら八重が。自分の霊獣が金魚だから、単純に組み合わせたんじゃないかな」

「いつからそう呼ばれてるの?」

「私も詳しいことは――少なくとも、私がこの姿になったときにはすでに、〈金魚辻〉だったと思うよ」

 小紅がいかなる存在なのかという点に意識が及んだが、深く問いただすのは憚られた。かつては人間だったのだろうか。あるいは他のなにか?

「私のこと、気になる?」不意に小紅がこちらを振り返り、悪戯げに訊ねてきた。思わずどきりとし、ええと、と口籠る。どう応じたものか、即座に判断が付かなかった。

「私、昔は金魚だったんだよ」

「え」と仰け反り、目をぱちくりとさせた。「そうなの?」

「うん。びいどろの玉に入れられて、軒先に吊るされてたのを覚えてる。それこそ〈宵金魚〉として八重の霊獣になる未来もあったかもしれない。でも私は私になった。後悔はしてないよ」

 先を行く〈宵金魚〉たちと小紅とを交互に眺めた。彼女の纏う赤い着物の色合いや、ひらひらとした袖の揺らめきは、確かに金魚を思わせる――。

「あはは」小紅が弾けるように笑いだした。「本気にした?」

「なんだ。嘘だったの?」

「どうかな。言えるのは、私はあなたと違う生き物だってこと。立場も、前提も、なにもかも違う。あなたがここに迷い込んでこなければ、出会うはずもなかった。私たちの世界とあなたたちの世界は、滅多に交わることはないんだし」

「ときどきは交わる?」

「百年に一度くらいじゃないかな。私はもちろん初めてだし、八重も何百年かぶりだと思う。それでもこうやって冗談交じりに話ができるの――少し不思議だね」

 金魚たちが前進を止めた。同じ場所で回転したり上下したりといった動きを繰り返している。目的地を示す合図だろう。私たちは足取りを速めた。

 瓦屋根と格子戸のある、風格漂う門の前に至った。同じ様式らしい塀の向こうに、複雑に伸びた庭木が覗いている。社会科の教科書にでも載っていそうな、見事な邸宅である。

「誰かのおうち? それとも文化財?」

「来たことのない家だけど、誰かしらはいると思う」

 頷いてから、〈宵金魚〉たちに向け、「ここで間違いないんでしょ?」

 全員がいっせいに鰭を広げたり、勢いよく跳ねたりして応答する。自信があるらしい。

「じゃあ、入ってみようか」

 門に手をかけんとした私を、ちょっと待って、と小紅が押し留めた。驚いて身を固くしていると、彼女は腕組みして、

「念のため、先に〈宵金魚〉に様子を見てきてもらおう。問題はないと思うけど、あなたは人間なわけだし――いちおうね」

「そうだね。そのほうが私も安心」

「うん。みんな集合。先陣を切りたい子は? なかを確かめて、誰かいれば私たちの来意を伝える。我こそはって子、名乗り出て」

 一匹も反応しない。小紅は短く溜息をついてから、

「引き受けてくれた子にはさっきの、なんだっけ。林檎の」

「〈薄林檎チップス〉?」

「そう。それを一枚」

 今度は全員が大騒ぎを始めた。次々と飛びついてくる金魚たちを、小紅は巧みに捌きながら、

「分かった、分かった。早かった子に行ってもらおうかな。他の子たちは私たちと一緒に、少しここで待機。仕事が終わったら、みんなにあげるから。更紗、まだ残ってるよね?」

「一匹一枚なら、ぜんぜん大丈夫」

 明るい橙色で長細い体躯の個体と、白地に赤と黒の斑点のあるずんぐりした個体、計二匹が選び出された。よほどご褒美に期待しているのだろう、両者とも見るからに張り切った様子で、ぴんと鰭を張って泳いでいる。蜜柑にブチ、と小紅は即席で名を付けた。

「この二匹が一番隊。残りの半分は私の隊、もう半分が更紗隊ってことにしよう。形だけでも分けておいたほうが便利そうだから」

 そういった次第でチーム分けがなされた。私が率いることになったのは、赤と黒の出目金が一匹ずつ、白っぽくて鰭の見事な琉金、背鰭がなく頭部のごつごつとした蘭鋳、ひときわ体の大きい和金の五匹である。アカ、クロ、シロ、ラン、ドン、とそれぞれ呼ぶことにし、自分の周囲に集めた。

 蜜柑とブチが塀を飛び越え、屋敷へと入り込んでいく。私たちは門の手前で、彼らの帰りを待つことにした。誰かが在宅であれ留守であれ、そう時間はかからないだろう。

 かからないだろうと思った。しかしずいぶんと長いこと、二匹は戻らなかった。

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