第12話

 信寛君のそばにいることには慣れてきたと思っていたのだけれど、学校や通学路以外で一緒に居ることは少し緊張してしまう。いや、少しどころではなく緊張しているのかもしれない。あまりにも緊張し過ぎているためか、自分の心臓の鼓動が音だけではなくその動きまで感じるくらいだった。それでも、信寛君は私に優しく微笑みかけていてくれたし、歩く速さも私に併せてくれていた。

 映画の時間までは少しだけ余裕があったので映画のパンフレットを見たりしていたのだけれど、私は映画に集中出来ないんじゃないかと思うくらい隣にいる信寛君の事を意識していた。今までずっと同じ教室にいて時々近くで勉強していたのだけれど、恋人同士になってこんなに近くにいることを考えると、どうしても私の意識は信寛君に集中してしまっている。手を少しだけ伸ばせば触れることは出来るんだけど、私にはその勇気が出てこなかったのだ。こんな時にも勇気を出せない私は弱虫なのかもしれない。


「この映画ってさ、やっぱり一回見ただけじゃわからないと思うんだけど、結末を知ってからもう一度見るのって違った視点で見れるからいいかもしれないね。もしかしたら、僕たちのやってるやつもそんな感じで見てる人がいるのかもね。ほら、さっき泉と一緒に居た若林も二年続けて見に来てくれてたもんね。もしかしたら、今年も見に来てくれるんじゃないかな」

「そうだと思うよ。今年も楽しみにしてるって言ってくれたんだけど、今年こそは違う人にやってもらいたいなって思ってたりもするんだよね。例えばさ、朋花ちゃんとかなら信寛君とも他ので共演しているから大丈夫だと思うし、来年やるとしたらいきなり本番ってことになっちゃうもんね」

「俺は福山と何度か同じ舞台に立っているけどさ、あの劇は俺と泉の二人でやりたいな。やるだけなら他の人でも出来るんだけどさ、やっぱり泉と他の人じゃ俺の籠める思いってのが全然違うと思うんだよね。アレってさ、結構恥ずかしいセリフとかあるから泉以外のやつが相手だったら変な演技になりそうだしな。今までだってさ、あのセリフは恥ずかしかったのに言えたのは泉が相手だったからなんだよな。こうして泉と付き合えるなんて思ってなかったからあの舞台の上だけでも告白出来たらいいなって思ってたんだよ」

「私もね、信寛君に見つめられてあんなに思いのこもった言葉を貰えたのは嬉しかったよ。でも、これは芝居なんだって思ってて少し悲しかったんだよね。悲しかったんだけどさ、今の信寛君の言葉を聞いたら、私は悲しい思いをしているなんて勘違いしてたんだなって思っちゃった。そうだよね、あの芝居は信寛君と私じゃないとダメかもね」

「ああ、芝居だから答えは分かってるんだけど、結構人前で告白するのって緊張するんだよな。それもみんな俺達を見てるってのがわかるから余計に緊張しちゃって大変だったよ。それにしてもさ、あのセリフって最初は一言二言だったのに山口と若井先生が悪乗りしてセリフをどんどん増やして恥ずかしいセリフに変えたのって、俺たちの気持ちに気付いてたからなのかな?」

「もしかしたらそうかもね。愛莉ちゃんって頭が良いし勘も鋭いからそういうとこあるかも。今になって思えばその気持ちは嬉しいんだけどさ、あの時は言われる私も恥ずかしくて信寛君の目を見ることが出来なかったもん」

「そう言ってるけどさ、俺は泉と目を合わせることが出来た記憶って無いんだけどな。ほら、今だって俺の事を見てないじゃん」

「いや、それは、まだ恥ずかしくて直視出来ないんだよ」

「ま、いっか。泉に無理させる必要もないしな。今までずっと一緒に居たんだし、ゆっくり二人の距離を縮めていけばいいよな」


 私は信寛君と一緒に演じている芝居でのセリフは一言もない。これは私が極度の人見知りで人前に立つことだけでも限界点を越えている事を知っている愛莉ちゃんの配慮なのだが、その事がかえって私の芝居が良いと言ってもらえる要因になっているらしい。ハッキリ言ってしまえば私はあの芝居で何も演技をしていない。ただ、信寛君の一番近くで信寛君の演技を見て信寛君の告白を聞いているだけなのだ。このセリフは私ではなく私が演じている役に向かって言っているだけなのだと思っていたのだけれど、それでも私は信寛君の告白が嬉しかった。最初は一言二言の短いセリフだったはずなのに、愛莉ちゃんと若井先生がセリフをどんどん付け足していったので、最終的にはとても長いセリフになっていた。その長いセリフの中に信寛君が付け加えたセリフがあることをみんな知っているのだけれど、信寛君はそれを自ら公言することは無かった。今になって思えば、信寛君が付け加えたセリフは私が演じている役柄に対してではなく、私自身に向けられた言葉だったのではないかと思ってしまう。今の信寛君の様子るを見ていると、そう受け取ってしまってもおかしくは無さそうだ。


 もう公開して結構立つ映画なので観客自体は少ないのだが、それでも他の映画に比べると若干観客は多いように見えた。私達と同じようにカップルできている人達がほとんどなのだけれど、中には女子同士で見に来ているグループもいた。

 私達は前回とは違って一番壁側の席に座ることにした。信寛君がいつも座っている辺りの席はすでに埋まってたので周りに人がいない席という事で決めたのだけれど、周りに人がいないという事は少しくらい手を握ってもいいのかなと思ってしまった。たぶん、信寛君はそんな事を考えてはいないと思うのだけれど、私はなぜか信寛君に触れてみたいという欲求が出てきたのだ。

 告白した時は話が出来るだけでも嬉しいと思っていたし、付き合うようになってからは一緒に近くに入れるだけで嬉しいと思っていた。でも、今は、待ちゆく他のカップルのように手を繋いでいたいと思うようになっていた。本当に小さいときには三人で手を繋いで走り回っていたこともあったと思うのだけれど、その時は二人で愛莉ちゃんの手を引いていたような気がする。

 あれ、もしかして、私って信寛君と直接手を繋いだことってないのかもしれない。私達が手を繋いでいる時は必ず愛莉ちゃんを中継していた、そんな記憶が蘇ってきた。でも、私はそんな事で愛莉ちゃんを恨んだりはしない。愛莉ちゃんのお陰で信寛君に気持ちを伝えることが出来たし、愛莉ちゃんのお陰で私は去年と一昨年と信寛君の熱のこもった告白を聞くことが出来たのだ。愛莉ちゃんに感謝はしても恨むことなんて無いんだ。


「同じ映画を映画館で二回見ることなんて今まで無かったんだけどさ、その相手が二回とも泉で良かったよ。ありがとな」

「うん、私も一緒だよ」


 私は全く意識をせずに信寛君に向かって答えていたのだけれど、この時初めて信寛君と目が合ったような気がした。


「あ、今目があったよね。良かった。今日は映画見て帰るだけだったから正面に座ることも立つことも無いと思ってたんで、目が合うとは思ってなかったんだよね。やっぱり、泉って横から見ても正面から見ても可愛いんだけど、目が合うと凄く嬉しい気持ちになるね」


 私は信寛君のその言葉に何も返すことが出来なかった。劇場内の照明が徐々に落ちて暗くなり、予告編が始まっていったのだが、私は自分の顔が信じられないくらい熱くなっているのを感じていた。誤魔化すために買っていたジュースを手に取ってストローに口を付けていたのだけれど、自分でもわかるくらいに顔が熱く、笑顔になっているのが感じられた。

 今度も映画に集中出来そうになくなっちゃったけど、今回はちゃんと映画に集中しなくちゃね。

 ちらりと見た信寛君も私をチラッと見ていたようなのだが、今度は目が合う前にお互いが顔をそむけてしまった。これは嫌いなんじゃなくて恥ずかしさからくるもんなのだと思っていたのだけれど、映画が始まる前にもう一度信寛君の顔を見ておきたいと思って見てみると、再び目が合いそうになって顔をそむけてしまった。目を合わせればいいだろうと思われるかもしれないのだが、私は信寛君の事が大好きだからこそ顔を直視することが出来なかった。意識をしなければ出来るのだとわかってはいるのだけれど、隣に信寛君がいるのに意識をするなという事は不可能な話なのだ。


 しかし、私は今回こそ映画に集中することが大事だと思って前だけを見るようにしていた。

 横目で少しだけ見た信寛君の姿は、スクリーンから反射される少ない光に照らされているのに素敵に見えていたのだ。

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